広島城外観復元天守

【はじめに】

こちらのページでは、広島城・福山城を中心に、呉・竹原・尾道を巡る4泊5日の旅』のプランニング版を紹介させて頂こうと思います。

本ブログ別記事で「広島城」・「福山城」を記載させて頂きました。「旧国宝24城で(勝手なネーミングですが…)、戦前までは天守が存在していたが、太平洋戦争末期に焼失・倒壊してしまった城郭」と言った内容で記載申し上げた記事ですが、それぞれの記事を書きながら思った事があります。それは『広島城」・「福山城」は脚を運ばなければいけない城郭であり、もしどちらかに登城機会に恵まれるのであれば、この2城は併せて参りたい城郭』と言うものです。本ブログ別記事で紹介して折ります『国宝 & 世界遺産・姫路城」や「現存12天守唯一の山城・備中松山城」・「様々な角度から天守を楽しめる岡山城」と言った城郭等を巡る姫路・岡山を巡る5泊6日の旅』よりも少し西側になるエリア。この旅に続いて、広島城・福山城を中心に巡る旅をしたくなってしまい、広島城・福山城を中心に、呉・竹原・尾道も含めて巡る旅を計画した次第です(つまりまだ、広島城」・「福山城には参らせて頂いた事が無いという事です…)。

こちらのページでは、そんな状況にある「この地域における旅のプラン」を共有させて頂きます。すなわち広島城・福山城を中心に、呉・竹原・尾道を巡る4泊5日の旅』のプランニング版を紹介させて頂こうと思います。

Wikipediaより

【「広島城・福山城を中心に巡る4泊5日の旅」の想定した全体図】

はじめに、以下「広島城・福山城を中心に、呉・竹原・尾道を巡る4泊5日の旅』の全体図(プランニング版)」を簡単に記載いたします。

  • 初日:自宅のある川越を出発し、新幹線で広島駅まで行き、「縮景園」経由で広島城」の大人散策を楽しみ、「原爆ドーム」・「平和記念公園にもお邪魔して、広島駅付近で1泊
  • 2日目:広島駅を出発し、宮島口駅に移動した後、船で「厳島」にわたり、「厳島神社」で大人散策を楽しんで、更にロープウェイで「獅子岩 展望台」にも脚を伸ばして景色を楽しんだ後、再び広島に戻って広島駅付近で2泊目
  • 3日目:広島駅を出発し、呉駅まで行って「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」で、「戦艦大和」の模型を拝見した後、出来る事なら「少し高台で呉の景色を堪能(呉港一望)」し、更に竹原駅で途中下車して「たけはら町並み保存地区」を大人散策して、尾道駅まで行って付近で3泊目
  • 4日目:尾道で「尾道市立美術館」・「千光寺」・「西國寺」といったスポットを巡りつつ、尾道の景色をじっくり時間をかけて楽しむ大人散策を遂行して、尾道でもう一泊(4泊目)
  • 5日目:「福山城」での大人散策をじっくり楽しんでから、新幹線で川越に帰宅

上記の感じで「大枠の旅の計画」をさせて頂いた次第です。以下、それぞれのスポットにおける(個人的に参らせて頂きたいと思っている)見所を、簡単ですが、それぞれ記載させて頂きます。

【「広島城・福山城を中心に巡る4泊5日の旅」における、それぞれの大人観光スポット】

早速以下に、上記大枠スケジュールに沿った形で、それぞれのエリアにおけるスポットの大人散策情報(プランニング版)を記載いたします。言い換えると「このエリアでは『こんな切り口で楽しんでみたい!』と言う個人的願望」を記載させて頂きます。

■ 広島城をメインに大人散策 (初日)

初日にまず目指すのは、「広島城。自宅のある川越から東京駅経由で、新幹線で参る事を想定して折ります。

上記記載させて頂きました通り広島城は、今回の旅の計画をしたくなったトリガーのお城です。まだ参らせて頂いた事はないのですが、別記事で記載させて頂きました通り天守が太平洋戦争末期まで現存していた『旧国24城』の1つであったお城である認識でもあります。原爆により、その雄姿を現在は拝見する事は出来ませんが、天守は復元されており、本丸・二ノ丸の縄張りは現在でも確認できる認識です。毛利氏によって「最も地(=広島?)」に築城されたお城「広島城」を、福島氏(福島正則)・浅見氏と言った歴代城主にも思いを馳せつつ、大人散策を楽しませて頂きたいと思う次第です(広島駅から広島城に向かう途中に「縮景園」と言う庭園がある様なので、「縮景園」経由で「広島城」を目指したいと思って折りますが…)。

Wikipediaより

そして同時に、広島は原爆が投下されてしまった地でもあります。つまり、原爆によって多くの方が亡くなり、生き残った方も苦しんできた歴史を考えると、現代に生きる我々は『「平和な世界を作るよう努力を惜しんではいけない」と心に誓う地が広島と言う場所』と思ってしまった次第ですので、原爆ドーム」・「平和記念公園にもお邪魔し、未来の平和を祈願したいと思って折ります。

尚、「広島城」を中心に、この地域における「歴史情報」と「大人散策情報」の詳細を別記事で記載して折りますので、詳細に関してはそちらのページをご参照頂けますと幸いです

Wikipediaより

■厳島(宮島)・厳島神社を満喫  (2日日)

2日日に目指すのは、「厳島(宮島)・厳島神社。広島駅を出発し、宮島口駅に移動した後、船で「厳島(宮島)」にわたりたいと思って折ります。

厳島(宮島)で有名なのは、勿論世界遺産の「厳島神社ですが、簡単にその厳島神社の概要を抑えるべくWikipediaを調べてみますと以下の様にあります。

厳島神社(いつくしまじんじゃ、公式表記:嚴島神社)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。
古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。
1996年(平成8年)12月にユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。

概要
広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つに数えられている平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている
厳島神社の平舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つに数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は日本三大鳥居の1つである。また、夏に行われる例祭は「管絃祭」として知られる。

祭神
祭神は次の3柱。3柱は「宗像三女神」と総称される。
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
・田心姫命(たごりひめのみこと)
・湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命は神仏習合時代には仏教の女神の弁才天と習合し、隣接する大願寺と一体化して大伽藍を構成していた。現在、大願寺は「日本三大弁才天」の1つとされている。

歴史・創建
社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされる。「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとする説がある。
厳島神社の鎮座する厳島(宮島)は「神に斎く(いつく = 仕える)島」という語源のように、古代から島そのものが神として信仰されたと考えられている。厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったとされる (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/厳島神社

アマテラスとスサノオの誓約神話で誕生したとされる「宗像三女神」。『あらゆる「道」の最高神として航海の安全交通安全などを祈願する神様』と認識するご祭神ですので、旅の安全も祈願しつつ、「安芸の宮島」とも呼ばれ「日本三景の1つ」に数えられているその景観を楽しみ、本殿・拝殿・回廊・平舞台(日本三舞台の1つ)等の「国宝」日本三大鳥居の1つ・大鳥居等の「重要文化財」に指定されている建造物をじっくり拝見させて頂こうと思う次第です。

同時に、ここ「厳島(宮島)は、毛利元就広島の地を抑える(広島城築城の)契機にもなったと言われる日本三大奇襲の1つ「厳島の戦い」の舞台でもある認識です。毛利軍:4-5000に対し、陶軍:2-3万と言われているようで、元々主君であった「大内義隆」を自刃に追い込み、実権を握った「陶晴賢」を打つべく、毛利元就が仕掛けた戦と認識して折り、この合戦で、厳島(宮島)の場所を選択したのは、毛利元就のと言われているようです。兵力が圧倒的に不利な毛利軍としては、大軍で攻めてくると思われる陶軍を狭い島の中に誘い込んで、殲滅しようとしたという事でしょう。計略を巡らし、村上水軍を自軍に引き込んだ上で戦い前日に暴風雨にまぎれ、敵から死角になる「包ヶ浦」と言う場所から上陸し、実際の戦闘では、元就率いる本隊が山側から奇襲したと言われているらしいです。そんな歴史を、より(物理的に)広い視野で拝見し、思いを馳せるべく、ロープウェイで「獅子岩 展望台」にも脚を伸ばしてみたいと思う次第です。

厳島神社で旅の安全を祈願し、「日本三景の1つ」に数えられているその景観「国宝」・「重要文化財」に指定されている建造物を楽しんで、毛利元就が仕掛けた日本三大奇襲の1つ「厳島の戦い」に思いを馳せた後は、再び広島に戻ろうと思います。

■呉・竹原の大人散策  (3日日)

3日目は、「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」・「たけはら町並み保存地区」の大人散策を中心に「尾道」までの行程を想定します。

まずは広島駅を出発し、呉駅まで行って「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」で、「戦艦大和」の模型を拝見したいと思います。正式には「呉市海事歴史科学館と言う様で、その愛称が「大和ミュージアムと言う事らしいですが「10分の1で作られた『戦艦大和』」が展示されているらしいので「大和ミュージアム」の方が、適切な名称の様な気がしています(個人的見解ですが…)。Wikipedia には、「明治以降の日本の近現代史の縮図ともいえる呉の歴史及びその近代化の礎となった各種の科学技術を紹介することにより住民が歴史への理解を深め、科学技術への興味と関心を高め、平和の大切さについて考えるとともに、学習の場及び住民交流の場を提供することにより地域の教育及び文化の向上並びに観光の振興に寄与することを目的に設置されたミュージアム」と記載されており(https://ja.wikipedia.org/wiki/呉市海事歴史科学館)、旧日本海軍の超大型軍艦「大和」の建造と軍事活動が中心の展示となっているようですので、平和を祈念しつつも、「戦艦大和」の歴史につても思いを馳せてみたいと思って折ります。

その後、出来る事なら「少し高台で呉の景色を堪能(呉港一望)」し(呉駅から3-4㎞程ありそうなので、行きはタクシーで、帰りは徒歩?)、呉駅に戻った後、尾道を目指したいと思いますが、竹原駅で途中下車」して「たけはら町並み保存地区」を大人散策しようと思って折ります。たけはら町並み保存地区は、歴史ある港町として知られ、江戸期は製塩業で栄えた「安芸の小京都」と呼ばれ、「重要伝統的建造物群保存地区」・「都市景観100選」に選定されたエリアと認識して折ります。特にお目当てのショップ等が有る訳ではありませんが、その風情を感じ、奈良井宿妻籠宿馬込宿大内宿上田柳町海野宿小諸宿松本川越の蔵通り栃木長浜倉敷と言った様な、これまで参らせて頂いている歴史を感じる街並みと比較しながら大人散策を楽しみたいと思った次第です。その後は、尾道駅まで行って、その付近で宿泊しようと思って折ります。

■尾道を満喫  (4日日)

4日目は、尾道を満喫させて頂こうと思います。

尾道は、多くの映画やドラマ・アニメの舞台にもなっているエリア”坂のまち” としても有名な認識ですので、その坂を実感すべく「大人散策(=基本徒歩)を遂行」する事で、この街の魅力を感じる事が出来るのでないかと思っております。しかし、ただ歩いても「道に迷うだけ」になってしまっては困るので、尾道市立美術館」・「千光寺」・「西國寺」といったスポットをKeyに設定し、これらを巡りつつ、後はその時の直感を信じて「出たとこ勝負!」で「尾道の景色」を「じっくり時間をかけて楽む大人散策をさせて頂こうと思った次第です。きっちり決められたスポットを、しっかり回りきる事も旅の楽しみ方ですが、『スケジュールをキチキチにはあえて決めず、その場の直感で「うれしい誤算」を期待しつつ散策する事も「大人散策の1つの形」』だと思う次第です。その為に丸々1日取って、「尾道の大人散策」を遂行し、尾道でもう1泊(4泊目)とさせて頂こうと計画しています。

福山城を大人散策  (5日日)

5日目の最終日は、「福山城」での大人散策をじっくり楽しんでから、新幹線で川越に帰宅する事を想定します。

尾道駅から福山駅に移動し、早々に『福山駅の目の前の「福山城」を大人散策!』とは、あえてしない、『現在はその遺構を感じる事しかできない「福山城のかつての城郭エリアの痕跡」も含めて探る大人散策を遂行したいと思って折ります。

本ブログ別記事で「福山城」の概要・歴史と大人散策情報を記載して折りますので、詳細はそちらをご参照頂きたいと思いますが、福山城は、『徳川家康の従兄弟である水野勝成 が、毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑え(西国の鎮衛)として転封された事に始まる「天下普請に準じる扱いで築城された」お城』の認識で、『日本における近世城郭円熟期の代表的な遺構(大規模な新規築城による「近世城郭の最後の例」と言われるらしい)』であり、『現在城跡は「国の史跡」に指定され、「日本100名城」にも選定されているお城』の認識でもあります。また、江戸草創期に建造された天守群は「旧国宝24城の1つ」として太平洋戦争末期まで残っていたが「福山空襲により焼失してしまった歴史を持つお城」でもあり「焼失してしまった “層塔型” の天守は “慶長期に発達した城郭建築技術の完成形” とも言われる認識です。現在の再建天守は、「復元天守」か「復興天守」かで見解が分かれている部分もあるらしいですが、『“慶長期に発達した城郭建築技術の完成形” 再建天守を拝見』しつつも、『「天下普請に準じる扱いで築城されたお城」の城郭その物も出来るだけ感じる事』が出来る様、その遺構を探しつつ、街中の大人散策もさせて頂きたいと思っている次第です。

とは言っても、丸々1日の大人散策にはならないと思う範囲の様ですので、福山城の大人散策」後、自宅のある川越に戻る事を想定して折ります

Wikipediaより

【最後に】

以上が、広島城・福山城を中心に、呉・竹原・尾道を巡る4泊5日の旅』のプランニング版を紹介をさせて頂いた内容になります。

上記プランニングをさせて頂き、思った事は「もういつでも『広島城・福山城を中心に巡る4泊5日の旅』に出る事が出来る! 後はタイミングだけ!」と言うものです…。そーなんです。行きたいと思っても、中々いけないのが「旅」と言うもの…。しかし、上記それなりのプランニングが出来たと思うので、近い将来「広島城・福山城を中心に巡る4泊5日の旅」を実行に移し、本ブログで報告させて頂こうと思った次第です。皆様も「広島城・福山城を中心に巡る4泊5日の旅」検討されてみてはいかがでしょうか?

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