日光街道

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【はじめに:あちら、こちらにある日光街道】

今回は、日光街道を取り上げてみようと思います。本ブログ、「鎌倉街道」のページでも、同じような事を記載しましたが、「日光街道」って、あちこちで聞きませんか? ご承知の通り、日光街道は、五街道の1つで(東海道・中山道・甲州街道に関しては、別記事で触れています)、東京(=江戸)の日本橋から、徳川家康の墓所がある、日光東照宮までを結ぶ道です。しかし、そのルート以外でも、「日光街道」と言う表示や言葉を聞かれた事がある方も大勢いらっしゃると思います。今回は、そんな日光街道を取り上げ、あちこちに存在する日光街道の意味に考察を加えさせて頂こうと思います。(日光の二社一寺に関する概要、その観光ルート、中禅寺湖・戦場ヶ原での散策・ハイキング・クルージング情報戦場ヶ原の名の由来は、別記事でそれぞれ紹介しています)

日光東照宮へ続く、神橋(左)と杉並木の看板と杉並木の様子
日光東照宮へ続く、神橋(左)と杉並木の看板と杉並木の様子

【「日光街道」概要】

まずは基本に忠実に、日光街道をWikipedia の力を借り、調べてみますと(https://ja.wikipedia.org/wiki/日光街道)、”日光街道(にっこう かいどう)は、日本の江戸時代に設けられていた五街道の一つ。江戸日本橋(武蔵国豊島郡日本橋、現在の東京都中央区日本橋)を起点とし、日光坊中(下野国都賀郡日光東照宮、現在の栃木県日光市山内)に至る街道。(略) 日光街道は江戸時代に徳川幕府(江戸幕府)の政策として整備された五街道のひとつで、1636年(寛永13年)江戸 – 下野国日光間に開通した。江戸から徳川家康を祀る日光山に至る主要道路として東海道に次いで整備された。もともと日本橋から宇都宮城(宇都宮宿)までの区間には古道奥州道が通り、その北部区間の宇都宮城下から鉢石宿間にも古道日光街道が通っていたが、宇都宮 – 日光間にはその東側に新たにこれと並行する道が設置された。(略)”、とあります。整備されていた当初は、”日光海道”、と言われたようですが、新井白石から、「海もないのに、”海道” は、おかしい」と指摘され、「日光道中」と改められたらしいですが(正式な呼び名は今尚、日光道中らしいですが)、市民権を得ているのは、「日光街道」の様です(別記事で、勝手な考察を紹介しています)。しかし、こちらのページを読み進めると、以下の言葉が見えてきます。それらは、日光御成道、日光例幣使街道、日光脇往還、日光東往還・・・。

日光街道と日光例幣使街道の航空写真と杉並木:航空写真では、杉並木がくっきり見える(日本地理院の航空写真より)
日光街道と日光例幣使街道の航空写真と杉並木:航空写真では、杉並木がくっきり見える(日本地理院の航空写真より)

【「日光街道」に関連する、「日光」がつく街道】

そこで、日光御成道、日光例幣使街道、日光脇往還、日光東往還のそれぞれを、同じく、Wikipedia の力を借り、調べてみました。

まずは、日光御成道(https://ja.wikipedia.org/wiki/日光御成道)

”日光御成道(にっこうおなりみち)とは、江戸時代に五街道と同様整備された脇往還の一つである。中山道の本郷追分を起点として北上し岩淵宿、川口宿から岩槻宿を経て幸手宿手前の上高野で日光街道に合流する脇街道である。 日光御成道が「幕府管掌の公道として正式に組込まれた時期は不明」。「天和2年(1682年)に御成道の宿場に組入れられたことから、岩槻宿も天和2年頃には御成道筋の宿場に指定された」と考えられている。 将軍が日光社参の際に使用された街道であり、日光御成街道(にっこうおなりかいどう)とも呼ばれている (略) 杉並木・・・埼玉県さいたま市岩槻区から埼玉県白岡市に江戸時代の名残が見られるが、立ち枯れしている樹木も多い。 (略)”、とあります。多くが、枯れてしまっているようですが、杉並木があった様です。(並木と街路樹に関するページで、日光脇往還の杉並木にも触れています)

日光御成街道一里塚(埼玉県杉戸町)Map

次に、日光例幣使街道(https://ja.wikipedia.org/wiki/日光例幣使街道)

”日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。(略) 倉賀野宿を起点とし、中山道と分岐、柴宿、太田宿、栃木宿を経て、楡木(にれぎ)宿で壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と重複区間である。(略) 現在、栃木県日光市から鹿沼市、栃木市、佐野市、足利市、群馬県太田市、伊勢崎市、高崎市に至る路線が「日光例幣使街道」または「例幣使街道」と呼ばれている。特に日光市から鹿沼市にかけての区間には日光杉並木が現存する、とあります。群馬県の高崎で、中山道と分岐して、日光に向かう道と言う事の様で、日光街道と言えば、「杉並木」。この杉並木が、「日光例幣使街道」にも現存しています。ちなみに、こちらの日光例幣使街道の歴史は古いようです。五畿七道のページでも触れさせて頂きましたが多くを中山道に踏襲されている、東山道に由来がある様で、Wikipedia によりますと(https://ja.wikipedia.org/wiki/東山道)、”(略) 江戸時代になると、江戸を中心とする五街道が整備され、幹線道路としての東山道は、中山道・日光例幣使街道・奥州街道などに再編された。 (略)”、とあります。

日光街道と日光例幣使街道の追分にある地蔵尊
日光街道と日光例幣使街道の追分にある地蔵尊

日光街道と日光例幣使街道の追分Map

そして、日光脇往還(https://ja.wikipedia.org/wiki/日光脇往還)

”日光脇往還(にっこうわきおうかん)は、江戸時代に八王子から日光まで、また鴻巣の追分まで、中山道と街道を同じくし、ここで分岐し袋村(埼玉県吹上町)・行田・上新郷(埼玉県羽生市)・利根川を川俣の渡しで越え、館林・佐野・栃木・今市と経て日光街道に合流する街道である。またの名は「日光裏街道」。沿道では日光道などと呼ばれていたが、日光街道と区別するために、八王子街道(八王子道)、千人同心街道、日光火の番街道、館林道などとも呼ばれたが、沿道に残る遺構などでは日光街道とされているものが多いようである。遺跡としては、埼玉県日高市から鶴ヶ島市にかけての国道407号は「日光街道杉並木」という名称で杉並木が残るほか、東京都西多摩郡瑞穂町の青梅街道との交点に「旧日光街道交差点」、東京都福生市の玉川上水に架けられた橋には「日光橋」など現在でも名称が残っている。また、坂戸市には日光街道の碑が建てられている。(略)”、とあります(ちなみに、こちらで触れている、川越の近辺である、日高・鶴ヶ島、坂戸の杉並木は、別記事で紹介させて頂いております)。こちらの日光脇往還にも、例幣使街道同様、杉並木があるのです。

日高・鶴ヶ島・坂戸を通る、日光脇往還の様子

日高・鶴ヶ島・坂戸を通る、日光脇往還の様子 (並木(もはや森?)がしっかり残っています)
日高・鶴ヶ島・坂戸を通る、日光脇往還の様子 (並木(もはや森?)がしっかり残っています)

坂戸市の日光街道の碑Map

【日光街道をあちこちで目にしたり、耳にしたりする、勝手な考察】

上記の情報をベースに、いくつか事実をPickUpさせて頂くと、以下3点が上げられると思います。

① それぞれの道に、「日光」の文字が入る。

② 「日光東照宮へ行くための道」の目的は同じ。

③ 日光街道の代名詞、「杉並木」がある(あった)。

上記3点は、本家の江戸から出る日光街道と同じです。であれば、「日光御成道も、日光例幣使街道も、日光脇往還も、日光街道でいいじゃないか!」と地元の人は思ったでしょうし、一方では、「色々考えるもの面倒なので、日光街道と、”通称的に”、勝手にくくってしまった」、かもしれませんし、それらの道を通る地元民としては、「日光ブランドと五街道ブランドを身近に感じたく、日光街道と言い張った」と言うのも考えられるかもしれません。それ故、正式な名称は違っても、「日光街道と言う事で!」で通て来てしまったというのが、私の勝手な考察になりました。個人的にも、「すべて日光街道でいいんじゃないの?」、と思った次第です・・・。鎌倉街道は、「いざ鎌倉」とはせ参じるために作られた道が、全て鎌倉街道な訳なので、日光東照宮に通じる道は、全て「日光街道」でいいと思いました。

日高・鶴ヶ島・坂戸を通る、日光脇往還の様子 (日光街道と言い張ってます!)
日高・鶴ヶ島・坂戸を通る、日光脇往還の様子 (日光街道と言い張ってます!)

【最後に】

日光街道(海道)としての歴史は、江戸時代からですが、道その物の歴史は、上記「日光」の文字が含まれる、街道も含めて考えると(個人的見解で、「日光東照宮に行く道は、全て日光街道」の前提に立っていますが・・・)、五畿七道時代の東山道までさかのぼると言って良いと思います。日光東照宮が作られ、日光に社参するための道として、東山道が再編され、杉が植えられ、日光街道の代名詞、杉並木となり、今に行った道が、日光街道と言う事の様です。正式名称に違いはある様ですが、その過程で、目的を同じにし、「日光」の文字が入った、杉が植わった道を、正式名称は違っても、「日光街道」と呼ぶのは、自然の事の様に思えました。そんな日本の歴史を感じながら、改めて、「日光」の字が入る、いくつかの日光街道を散策してみたいと思いました。

(日光の二社一寺に関する概要その観光ルート中禅寺湖戦場ヶ原での散策・ハイキング・クルージング情報戦場ヶ原の名の由来は、別記事でそれぞれ紹介しています)

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