玉川上水

【更新中/準備中】

【はじめに:玉川上水の基本情報】

皆さまは、玉川上水をご存じですか?

東京の中にあって、「自然や文化」を感じながら、また玉川上水の「水の流れとそこに生きてきた人達の営みや困難を克服する創意工夫」を感じる事が出来る、大人散策には、うってつけの場所です。そんな玉川上水を、①羽村堰~拝島駅②拝島駅~玉川上水駅③玉川上水駅~小金井公園④小金井公園~暗渠入口⑤暗渠入口~玉川上水水番所跡(新宿御苑付近)、に分けて大人散策情報を提供したいと思います(それぞれ別記事で紹介中)。しかしその大人散策にあたっての準備として、本記事では、玉川上水の概要と見所スポット抜粋を紹介します

【玉川上水の概要と見所スポット】

ご承知の通り、玉川上水は、江戸に幕府が開かれてから、急速に人口が増えた江戸の街に、有名なところでは神田上水等により、何とか補っていた水の確保が更に必要になり、江戸時代の初め、東京の西にある羽村から多摩川の水を江戸市中に引き込むために作られた人口の用水路です。そんな玉川上水に関連する逸話は色々とあると思います。まずは、そんな雑学的な話をいくつか取り上げ、玉川上水の概要を理解していきたいと思います。まずは下記ににリストアップさせて頂き、それぞれ深堀してまいります。

  • 奇跡の勾配」と言われる上水の勾配
  • 水喰らい土」と呼ばれれる地質
  • 江戸の六上水である玉川上水からはいくつもの「分水」がなされ、江戸市中だけなく、「野火止用水」として、現在の埼玉(新座・志木)にも水を供給した(別記事にて、野火止用水の散策情報も記載しています)だけではなく、周囲の様々な地域に水を供給し地域の発展に大きく貢献
  • 最終的には「玉川兄弟が私財を投げ打って完成
  • 台地を削り、谷を避け、断層を超え、「流路は創意工夫」をして、江戸まで水を運んだ
  • 現在の玉川上水では、面白スポット」もあり、川をくぐり、鉄道を越える流路がある
  • 高井戸以降は、基本「長い暗渠区間だが、一部流れを見る事も出来る

等々・・・、色々な話がある様です。

・奇跡の勾配

玉川上水の距離は、羽村から江戸市中まで大体フルマラソンと同じ、40㎞強。標高差は、100m弱と言われているようで、傾斜に至っては、約2パーミル強と言われているようです(何かのテレビで分かりやすく解説されており、2パーミルとは、1000m進んで、2mの勾配(=100m進んで、20㎝の勾配)と言う事らしいです)。これって、もはや平ですよね? 歩いていても、上水路の勾配は、はっきり言って感じません。正に「奇跡の勾配」です。ちなみにWikipedia には以下の様にあります。

(略)江戸時代前期の1653年(承応2年)に多摩川の羽村から四谷までの高低差92.3メートルの間に全長42.74キロメートルが築かれた(略) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉川上水

・水喰らい土

また、関東ローム層に覆われた、この台地は、水はけの良い地質の場所が多いようで、難工事を極めたらしいです。こんな大変な思いをしても、人は水がないと生きていけないので、わざわざ多摩川から、40㎞以上かけて、難工事の末に、水を通した訳ですね。しかも今もそれを見る事が出来と言う事は、先人の功績を直に見ている訳ですから、感謝しない訳にはいかないですよね。そんな難工事の状況は、Wikipedia にも記載があります。

(略)当初は日野から取水しようとしたが、開削途中に試験通水を行ったところ“水喰土”(みずくらいど、浸透性の高い関東ローム層)に水が吸い込まれてしまい、流路を変更(「かなしい坂」参照)。2度目は福生を取水口としたが、同様に水喰土によって、もしくは岩盤に当たり失敗した。こうした事情を受けて、総奉行・松平信綱は家臣の川越藩士安松金右衛門を設計技師に起用。安松は第1案として「羽村地内尾作より五ノ神村懸り川崎村へ堀込み―」、第2案として「羽村地内阿蘇官より渡込み―」、第3案として「羽村前丸山裾より水を反させ、今水神の社を祀れる処に堰入、川縁通り堤築立―」を立案した。この第3案に従って工事を再開した。(略) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉川上水

・玉川上水からの分水

武蔵野台地のほぼ分水嶺(分水界)を流れる玉川上水からは、いくつもの分水がなされております。代表的なところでは、野火止用水(別記事で紹介中)千川上水(江戸六上水)が有名どこだと思いますが、実際に現地を散策させて頂くと、拝島分水、砂川用水、源五右衛門分水、新堀用水/小川用水分水、小金井分水、品川用水、牟礼分水、上北沢村分水、三田上水(江戸六上水)、青山上水(江戸六上水)等々、多くの分水を発見する事が出来ます。

野火止用水で埼玉方面を潤し、玉川上水自身を含め、「江戸の六上水の内4つが、玉川上水の水」と言う事となれば、正に玉川上水は、「武蔵野台地その物の発展に大きく貢献してきた」と言って良いと思います。

・玉川兄弟の貢献

Wikipedia には以下の様に、記載があります。

(略)『玉川上水起元』(1803年)によれば、承応元年(1652年)11月、幕府により江戸の飲料水不足を解消するため多摩川からの上水開削が計画された。工事の総奉行に老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(没後は忠克)が就き、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負った。資金として公儀より6000両もしくは7500両が拠出された。

幕府から玉川兄弟に工事実施の命が下ったのは1653年の正月で、同年4月4日に着工した。

(略)しかし工費が嵩んだ結果、高井戸まで掘ったところで幕府から渡された資金が底をつき、兄弟は畑や家を売って費用に充てた。追加資金は3000両だった。着工から約7カ月後の1653年11月15日に羽村・四谷大木戸間を開通させた。そして1654年(承応3年)6月から江戸市中への通水が開始された。(略) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉川上水

役目をもらったとはいえ、3000両を自腹を切って準備するなんて、すごい話です…。貨幣博物館のページから推察するに、江戸時代の初めの1両の価値を現在の価値に直すと、約3億円。3億の資産を持っていた事もすごい事ですが、それを幕府の為、世の為人の為に拠出する心意気、本当に玉川兄弟に感謝しなければいけないと改めて思った次第です

ちなみに、以下に貨幣博物館のページの抜粋を紹介します。

Q5.江戸時代の一両の現在価値はどのくらいですか?

A5.江戸時代における貨幣の価値がいくらに当たるかという問題は、大変難しい問題です。世の中の仕組みや人々の暮らしが現在とは全く異なり、現在と同じ名称の商品やサービスが江戸時代に存在していたとしても、その内容に違いがみられるからです。

ただし、1つの目安として、いくつかの事例をもとに当時のモノの値段を現在と比べてみると、18世紀においては、米価で換算すると約6万円、大工の賃金で換算すると約35万円となります。なお、江戸時代の各時期においても差がみられ、米価から計算した金1両の価値は、江戸初期で約10万円前後、中~後期で4~6万円、幕末で約4千円~1万円ほどになります。

https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/answer.html#a05

・流路の創意工夫

以下地図は、地理院のページで、自身で高低差を設定しいくつかの地図を重ねて見る事の出来る機能で作成した地図です。見て頂いた通り、台地を削り、断層を越え、谷を避け、武蔵野台地のほぼ分水嶺を創意工夫のもと掘削作業が進んだ事みて解ります。こういった地図の無い時代に、これほどの制度で、水を羽村から都内(江戸の)中心まで運んだこと、もはや神業としか思えないのは、私だけではないと思います。

・現在の玉川上水の面白スポット

現在の玉川上水を散策していると、「えっ?」て思えるスポットがいくつかあります。詳細はそれぞれの大人散策情報のページで紹介しますが、以下にリストを作成致しますと以下になります。

  • 1つ目は、人工的ですが、水が湧いていると思える上水小橋付近の流れ
  • 2つ目は、サイホンの原理を利用して川(残堀川)の下をくぐる「ふせこし
  • 3つ目は、力業で井の頭線を越える場所で見られる大きな「鋼管
  • そしてもう一つあえて加えるのであれば、拝島駅付近で玉川上水の直ぐ上を飛ぶ「横田基地の軍用機と言うのもあるかもしれません(実際に地図を見てみると直線距離で1㎞位のところに横田基地の滑走路があります)。

これ以外にも大人の好奇心を満たす場所もありますが、あえて「ちょっとだけ『えっ?』と思えるスポット」を抜粋してみました。

・高井戸以降の基本暗渠区間

現在の玉川上水は、高井戸IC付近から暗渠に入ります。ここから先、一部代田橋・笹塚近辺を除いては、流路は暗渠となり遊歩道や公園が続いている認識です。現代の玉川上水の楽しみ方の1つで、このかつての流路の遊歩道を歩いて頂くと、「いかに玉川上水が流路を工夫して通されているか」を改めて認識する事が出来ます

理由は簡単。低い所を流れるはずの流路が、一番高い所にある事や、直線ではなく、蛇行しながら(高い所を選んで)流路がある事を実感できるからです。車の通らないこのかつての玉川上水の流路は、木々も多くあり、大人散策にはうってつけのコースなのです。

【最後に】

以上が、玉川上水の概要と見所(抜粋版ですが…)の紹介になります。

7か月で掘り切った、2パーミル勾配で、武蔵野台地のほぼ分水嶺(分水界)を40㎞程進む玉川上水。「自然や文化」を感じながら、また玉川上水の「水の流れとそこに生きてきた人達の営みや困難を克服する創意工夫」を感じる事が出来る、大人散策には、うってつけの場所です

玉川上水の両脇は、いまだに舗装されているところが少なく、その為、歩いていても堅いアスファルトではないので、足の疲労感は軽減されます。また、上記にも記載しましたが、傾斜を感じる事は、はっきり言ってほとんどないので、楽に歩ける分、長い距離を歩けます。更に、自転車も上水の直ぐ脇でなく、その外の舗装された道をほとんどの方が利用されるので、落ち着いて歩く事が出来ます。

別記事にて、①羽村堰~拝島駅、②拝島駅~玉川上水駅③玉川上水駅~小金井公園④小金井公園~暗渠入口⑤暗渠入口~玉川上水水番所跡(新宿御苑付近)、に付きそれぞれ大人散策情報を記載いたしますので、是非皆様も玉川上水の歴史に思いをはせつつ、新緑・紅葉・水のせせらぎといった自然を感じつつ(作られた自然ではありますが…)、大人散策してみてはいかがでしょうか?

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!

TOP Pageへ or ブログ内関連情報タグ一覧へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA