追分

【はじめに:「追分」から何を思い浮かべますか?】

皆さん、”追分”なる言葉を聞いた事がありますか? 私がすぐにイメージするのは、”信濃追分”です。Wikipedia によると、

”追分(おいわけ)は、道が二つに分かれる場所をさす言葉である” (https://ja.wikipedia.org/wiki/追分)

とあります。道が2つに分かれていくなんて、人生みたいですね。今まで、一緒の道を歩いてきた、仲の良い友人が、自身とは違う道を歩き始める。昔の友人を思い出して、哀愁にかられてしまいます・・・。そんな追分を今回は、考えてみたいと思います。上記に、「信濃追分」と記載しましたが、他に有名な追分を考えてみると、東京・新宿の追分や、滋賀県・草津の追分あたりが、有名どことして出てくると思います。それぞれの追分をもう少し深堀してみます

【信濃追分】

まずは、最初に頭に浮かんだ、信濃追分。軽井沢の西にあり、近所には、信濃追分と言う駅もあります。この追分は、中山道と北国街道の分岐地点になります

この場所から 中山道 は、諏訪・木曽と経由して長野を抜け、馬籠峠を越えて岐阜に入ります。その後、岐阜市を超え、関ヶ原を抜け、滋賀県に入り、京都を目指すルートです

一方の、北国街道は(海野宿上田市柳町を別ブログで紹介してます)、ここを起点に、小諸上田善光寺と長野を抜け、新潟に行くルートです(一部分岐しているようで、松代を抜けるルートもある様です)。連想ゲーム的には、関ヶ原の合戦時に、 中山道 を進軍した、徳川秀忠軍が、上田の真田氏を抑えるべく、小諸に布陣した時に取ったルートだと想像できます

この追分は、 中山道 は京都を、北国街道は善光寺から新潟を目指すルートなので、追分の後、交わる事はありません。同じ学校で過ごした、仲の良い友人と、卒業を機会に会う事がなくなってしまったようで、若干さみしいい感じがしてきます・・・。

【新宿追分】

しかし、追分で分かれても、また交わる街道もあります新宿追分の2つの街道です。ご存じの方も多いと思いますが、この追分は、甲州街道と青梅街道が分かれる所です

甲州街道は、現在の20号線にほぼ近しい、ルートを通る街道で、東京から、八王子を抜け、小仏峠を超え、大月甲府、韮崎(我が故郷北杜市も)と現在の山梨県を抜けたのち、現在の長野県に入り、諏訪湖を超えた、下諏訪で、中山道にぶつかります

もう一方の、青梅街道は、新宿で、甲州街道と分岐した後、現在の西東京市や武蔵村山市を経由して、青梅にたどり着きますしかしこの街道、更に続いており、奥多摩から、更に山の中を進み、山梨県に入った後、柳沢峠を越え、大菩薩嶺を東に見ながら、甲府に向かい、最終的には、甲府の東(酒折と言う、山梨学院大学があるあたり)で、甲州街道と一緒になります

はい、この甲州街道と青梅街道は、新宿で分岐していますが、甲府近辺で一緒になるんですね。なんだか、「志をそれぞれ持ちながら、別の道を歩んできた昔の友人と、また一緒になった」と言ったような感じで、心がほっこりします。

【草津追分】

これと同じ様な印象を持つのが、東海道中山道 の2大街道京都から江戸を目指す際、ここ滋賀県の草津宿にある草津追分です。2つの街道に関しては有名なので、簡単に記載しますと、

中山道 は、上記に記載しましたが、第一級の街道で、京都と江戸を結ぶのですが、 東海道 とは違い、本州中央部の山の中を抜けてくる街道

また、東海道 は、京都と江戸を結ぶ、当時の第一級の街道で(今もですが)、本州の東側を通る街道。一部海上を進むことも想定した(桑名―熱田間=七里の渡し)、その名の通りの海側の街道

この2大街道、京都出て江戸に向かう際、現在の滋賀県・草津市までは一緒ですが、ここで、追分となります 東海道 は海を越え 中山道 は山を越え、それぞれ厳しい道を歩んできたが、最終的には、花の大江戸で一緒になるなんて、こんな人生だったら、羨ましいと思ってします・・・。

【最後に】

人の人生はそれぞれですし、街道とは全く関係ありませんが、観光に行き、”追分”と言う言葉を見たり、普通の生活の中で、追分(まさにその場所)を通ると、上記の様なことを考え、旧友を思い出したり、自身の人生を振り返ってみたりしてしまう事があります。いろんな楽しみ方があると思いますが、皆さんも、追分と言う場所に出会ったとき、少し立ち止まり、それぞれ分かれた、街道を見ながら、昔の友人を思い出す機会、としてみてはいかがでしょうか? もしかしたら、旧友に会えるかもしれません・・・。

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