日本三大奇襲

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【はじめに:日本三大奇襲の概要】

本日は、「日本三大奇襲」を、考えてみたいと思います。「日本三大奇襲」って、知っていましたか? ご承知の部分もかなりあると思いますが、まずはしっかりと情報を抑える事から始めたいと思います。故に、Wikipedia で、「日本三大奇襲」、を調べてみますと(https://ja.wikipedia.org/wiki/日本三大奇襲)、以下の様に記載があります。

河越城の戦い(15461031日)

 北条氏康 対 上杉憲政、上杉朝定、古河公方など

 結果:北条勢の勝利、上杉朝定の討死、古河公方の北条家への降伏・周辺大名の弱体化

厳島の戦い(15551016日)

 毛利元就 対 陶晴賢

 結果:毛利勢の勝利、陶晴賢の討死・大内氏の弱体化

桶狭間の戦い(156065日)

 織田信長 対 今川義元

 結果:織田信長の勝利、今川義元の討死・今川氏の弱体化

どれも、有名な戦ばかりで、かつ時代に与えたインパクトは、かなりある様です。それぞれ、一つずつ見てきたいいと思います。

河越城の戦い (別記事の川越観光でも河越夜戦を取り上げております)

Wikipedia の力をかり、河越夜戦を調べてみますと(https://ja.wikipedia.org/wiki/河越城の戦い)、”(略) 河越夜戦は、北条氏康軍と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍が武蔵国の河越城(現在の埼玉県川越市)の付近で戦闘し、北条軍が勝利を収めた戦いである (略)”、とあります。北条軍が、河越城内に3000。これを、山内上杉家・扇谷上杉家・足利古河公方の軍、8万が包囲し、その援軍に北条氏康の8000が向かったという構図の様です。8万 vs 1.1万で、1.1万の北条軍が勝ったわけです。

また、簡単に、この戦の経過を記載しますと、北条軍は、まずは、奇襲(夜襲)を計画した上で、偽りの降伏の意思を、敵方に示し、かつ戦意に乏しいと思わせるため、「あえて」、敗走もし、油断させ、敵の勢いを極限まで削いだうえで、自軍から奇襲をかけ、勢いがつき過ぎて、後方から、”まて!”、がかかるほどの勢いで、大軍を蹴散らし、更に立てこもっていた河越城内から、その勢いに呼応する形で、更に相手を撃破。結果、1.1万の兵力で、自軍の総数以上の敵兵を撃破し、8万の兵を追い払ったのです。この戦いで、北条氏康は、関東における北条氏支配を確立した訳です。(戦詳細の経緯は、別記事でも少し詳しく記載させており、「河越夜戦における戦いの経過」に付き勝手な個人的仮説も別記事で紹介しています。また、戦場となったと伝わる(個人的には少し疑っていますが・・・)川越の東明寺に関しても、別記事で紹介しています)

川越夜戦古戦場跡のMap

     

厳島の戦い(別記事の孫子の言葉の例として取り上げております)

こちらもWikipedia の力をかり、厳島の戦いを調べてみますと(https://ja.wikipedia.org/wiki/厳島の戦い)、”厳島の戦い(いつくしまのたたかい)は、天文24年10月1日(1555年10月16日)に、安芸国厳島で毛利元就と陶晴賢との間で行なわれた合戦である (略)”、とあります。毛利軍、4-5000に対し、陶軍、2-3万と言われているようで、元々主君であった、大内義隆を自刃に追い込み、実権を握った、陶晴賢を打つべく、毛利が仕掛けた戦です。

簡単に、戦の経緯を記載しますと、厳島神社で有名な、厳島で行われた合戦で、この場所を選択したのは、毛利元就のと言われているようです。兵力が圧倒的な不利な毛利軍としては、大軍で攻めてくると思われる陶軍を狭い島の中に誘い込んで、殲滅しようとしたという事でしょう。計略を巡らし、村上水軍を自軍に引き込んだ上で、元就率いる本隊が山側から奇襲(戦い前日に暴風雨にまぎれ、敵から死角になる包ヶ浦と言う場所から上陸したらしいです)。続いて、小早川隆景と村上水軍の別動隊が海から敵船を攻撃。陶軍を挟み撃ちにして攻撃する形となる。大軍で身動きの取れず、混乱に陥った陶軍を攻めたて、更に船も沈め、戦闘も海上への逃走も困難になり、晴賢は島の中で逃走も、最後は自刃し、大きな戦闘そのものは、1日で終結した戦いです。この戦いにより、毛利は、大内氏の旧領を手に入れる事で、力をつける事になり、また、水軍の増強も進んで、一気に中国地方の覇者に駆け上がっていくのです。その後毛利は、関ヶ原以降、江戸期を通じて苦しい時代が続きますが、幕末から明治維新にかけて、再び歴史の主役に出てくる訳ですが、その大大名の礎が、この厳島の戦にあると言っても良いと思うのは私だけでしょうか?(関ケ原の合戦については、別記事で触れており、また孫子の別の言葉で「死地に陥れて然る後に生く」においても厳島の戦い、をそれぞれ取り上げています)

厳島のMap

     

桶狭間の戦い (別記事の孫子の言葉の例として取り上げております)】 

皆さんご承知の戦いだと思いますが、事実を抑えるべく、こちらもWikipedia の力をかり、桶狭間の戦いを調べてみますと(https://ja.wikipedia.org/wiki/桶狭間の戦い)、”桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、日本の戦国時代の永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間で行われた織田信長と今川義元の合戦。2万5千人(異説あり)といわれる大軍を率いて尾張東部に侵攻した駿河の戦国大名である今川義元に対し、尾張の大名・織田信長が少数の軍勢で本陣を強襲または奇襲し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた。日本の歴史的に有名な戦いである (略)”、とあります。織田軍、3,000 – 5,000人(奇襲を実行したのは2,000人)に対し、今川軍、25,000 – 45,000人(諸説あり。また織田軍に直接対峙したのはこのうち5,000 – 6,000人)と記載があり、今川義元が、尾張を奪取すべく仕掛け、これを信長が返り討ちにした戦と理解しています。

簡単に、戦の経緯を記載しますと、1560年5月10日に駿河を出陣した今川義元は、東海道を進み、18日には、沓掛城に入城。翌19日には、既に制圧した大高城に向けて移動を開始。この情報を得た信長は、2000の兵で、豪雨に紛れつつ進軍。作戦的な理由と、地形的な理由の両面で、兵を分散しており、連戦連勝で気の緩みも合ったであろう今川軍に、織田軍が奇襲をかけ、結果義元は打ち取られる事になった。これが、私の理解する桶狭間の戦いの概要です。この戦の与えた、歴史的なインパクトは大きい事は、皆さまもご承知の通り。この戦が与えた影響を、Wikipedia には、以下の様に記載されています。”桶狭間合戦では義元本隊の主力に駿河、遠江の有力武将が多く、これらが多数討たれたこともあり今川領国の動揺と信長の台頭は地域情勢に多大な影響を及ぼした。甲相駿三国同盟の一角である今川家の当主が討ち取られたことで、北条家や武田家と敵対する勢力、とりわけ越後の長尾景虎(上杉謙信)を大きく勢い付かせることとなり、太田資正や勝沼信元らが反乱を起こすなど関東諸侯の多くが謙信に与し、小田原城の戦いや第四次川中島の戦いに繋がっていった。さらに甲斐の武田氏と今川氏は関係が悪化し、永禄11年末には同盟は手切れとなり、武田氏による駿河今川領国への侵攻(駿河侵攻)が開始される。信長と武田氏は永禄初年頃から外交関係を持っており、武田氏は同盟相手である今川氏の主敵であった信長と距離を保っていたものの、永禄8年頃には信長養女が信玄世子の武田勝頼に嫁いでいるなど関係は良好となった。以後、信長と武田氏の関係は同盟関係に近いものとして、武田氏の西上作戦で関係が手切れとなるまで地域情勢に影響を及ぼした”。(別記事で、道としての桶狭間を通る東海道、秀吉の小田原攻め(更新中)、川中島合戦の舞台の松代武田の居城であった甲府孫子の別の言葉で「兵を形すの極は無形に至る」においても桶狭間の戦い、をそれぞれ取り上げています)

桶狭間古戦場公園Map

     

【三大奇襲に並ぶ奇襲は?】

調べてみて思った事は、どれも3大奇襲に数えられるだけの事はあって、戦その物も見事ですが、歴史に与えたインパクトも大きいものがある様です。しかし、皆さん何か忘れていると思いませんか? はい。私が思うのは、義経が活躍した、一ノ谷の合戦も、ここに取り上げ、「日本四大奇襲とすべきだと思う」と言う事です。一ノ谷合戦における、戦の内容と歴史に与えたインパクトを考えてみますと、最終的には、平氏が滅んで、源氏(源頼朝)が日本の歴史で初めて、幕府を開いた訳ですから、上記3つの三大奇襲と同じか、それ以上の価値が思った次第です・・・。「日本3大奇襲」でも、「日本4大奇襲」でも、正直どちらでもいいのですが、一ノ谷の合戦・屋島の合戦は、上記の通り、河越夜戦、厳島の戦い、桶狭間の戦いに並びうる戦だと思うので、「3大」でも、「4大」でもいいのであれば、一ノ谷の合戦も加えてほしいと思った次第です。(一ノ谷の戦いの詳細は、別記事で紹介しています。また、義経にゆかりの深い、平泉の毛越寺金色堂で有名な中尊寺も別記事で紹介しております)

一ノ谷・逆落としMap

上記の様な、勝手な考察を最後に加えさせて頂きましたが、皆さまはどう思われましたでしょうか? 皆さまが思う他の奇襲ってありますか? その様な事を考えながら、実際に奇襲が行われ、時代を動かしたその地に赴いてみる事も、また面白いのではないかと思いました。

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