角館

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角館とは? 基本情報

数年前の夏休み(遅めの夏休みだったので、9月中旬)、東北の旅に出かけました(旅全体の日程は、別記事をご参照ください)。岩手、秋田、宮城を回る旅です。その中で参らせて頂きました、秋田県仙北市にある、「角館」をご紹介致します。小京都と言われると、小江戸川越の住民としては、ライバル心が芽生えてしまいますが、商人の街である小江戸川越とは違う、もっと格式の高い雰囲気を醸し出している土地の雰囲気で、「小京都を名乗るだけの事はある」、と思わずわずうなってしまうのが、角館だと思います国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている地との事で、非常に有名。私達夫婦も、何かのテレビで美しい町並みと、そこに咲く桜を見て、「必ず訪れたい地」にリストアップしていた街です。(ちなみに、「重要伝統的建造物群保存地区」ですが、Wikipedia によると(https://ja.wikipedia.org/wiki/重要伝統的建造物群保存地区)、”2019年(令和元年)12月現在、山形・東京・神奈川・熊本を除いた43道府県、100市町村の120地区が選定されている”、との事で、私達夫婦の住まう川越本ブログの別記事で紹介しました長野県東御市の海野宿も選ばれていいる様です) 

角館の案内図と街並みの様子
角館の案内図と街並みの様子

そんな角館の位置関係ですが、秋田と横手と角館を直線で結ぶと、つぶれた二等辺三角形の様になるのですが、その頂点の内陸部にあたるのが、角館で、横手からも秋田からも車で1時間程度の様です。私達夫婦は、別記事で紹介紹介しました、「夏瀬温泉・都忘れに宿泊させて頂きましたので、そちらから参りました。距離的にはさほどないと思うのですが、山道を迂回する様な形になるので、車で30~60分弱かかった記憶です。駐車場も川近くに広い駐車場があり、そちらに車を止め、散策を開始しました。

角館の街並みの様子
角館の街並みの様子

そもそも角館ですが、こちらもWikipedia の力を借り、概要理解をさせて頂きますと(https://ja.wikipedia.org/wiki/角館)、”(略) 関ヶ原の合戦後の1602年(慶長7年)、戸沢氏が常陸多賀郡へ転封、佐竹氏が秋田へ入部し久保田藩領となる。翌1603年(慶長8年)、佐竹義宣の実弟にあたる蘆名義勝が所預(ところあずかり)として角館に入った。(略) 蘆名氏の入部当時、角館の城下町は角館城の築かれていた小松山(現古城山)の北側の麓にあったが、狭隘な上に、水害や火災にしばしば見舞われたことから、1620年(元和6年)、現在の位置である古城山の南麓へ町を移転させた。(略) 新しい城下町では、道路の幅員を広げるとともに見通しを避ける工夫をこらし、下水を整備し、火事対策を施して武家地、町人地、寺社を配置した。火事対策としては、南北に細長い町を東西に貫く形で中央に土塁を築いた「火除け地」をつくり、その北側を武士の居住区である内町、南側を町人の居住地である外町とした。同年、一国一城令により、角館城は破却された。(略) 蘆名氏の支配は3代続いたが、1653年(承応2年)の蘆名千鶴丸の死により蘆名氏が断絶。代わって1656年(明暦2年)に佐竹氏の分家である佐竹北家の佐竹義隣が角館に入り、以降明治まで11代続いた。(略) 佐竹義隣の実父は京の公家・高倉家の高倉永慶であり、義隣は高倉家からの養子である(母が佐竹家の娘)。また、2代佐竹義明も公家・三条西家一門である西郊家の西郊実号の娘を正室に迎えた事から角館には多くの京文化が移入された。(略)”、とあります。

角館街並み
角館街並み

”略”、を入れましたが、少々長くなってしまいました。簡単に言うと、「佐竹氏の実弟の蘆名氏がまず角館に、関ヶ原の戦いの後くらいに入り、現在の地に街を移転し、現在の基礎となる町割りを行った。しかしその後、蘆名氏は断絶してしまったので、佐竹氏の分家が入り、明治まで治めた。この分家は、初代・2代目と京都の公家と深いかかわりを持つ家柄なので、現在に続く京都の雰囲気を醸し出す土地柄になった」、といったところでしょうか?

角館・小野田家の様子
角館・小野田家の様子

角館の楽しみ方は?

そんな角館。桜が有名で、毎年多くの観光客の方が、このタイミングでいらっしゃるようですが、私達夫婦がお邪魔したのは、9月頭。勿論、観光客の方はいらっしゃいましたが、思っていたほどの混雑はなく、小京都の雰囲気を存分に楽しむ事が出来ました。私達夫婦が、いくつかのポイントでこちらを拝見させて頂いたので、その切り口でご紹介します。

角館・岩橋家の様子
角館・岩橋家の様子

まずは、何といっても街並み

道がまっすぐ整備され、広く、家に面した仕切りは、黒い木材か植栽で、味のある門がそれぞれの家にあります。また、樹齢何年になるか分からない、巨木がそれぞれの家の敷地にある様で、「まるで整備された都会の森の中を散策している印象」を持ちました。新緑の季節にお伺いしたのですが、枝垂桜もかなりの本数見かけたので、「桜の季節に来たい気持ちが良く解る」と言った具合でした。同時に、ほとんどが落葉樹の様でしたので、秋に訪れても、小京都の雰囲気を更にました美しい町並みを見れるのでないかとも思いました。しかし、この深い緑の街並みも中々のものです。歴史を感じるが、しっかり整備され手入れされた街並みは、小京都の称号にふさわしい、品格を醸し出していると思った次第です。

角館・河原田家(左)、青柳家(右)の様子
角館・河原田家(左)、青柳家(右)の様子

次に武家屋敷

通りからは、中が見にくいので、最初は中々入る事をためらってしまいましたが、思い切って入ってみました。中に入ってみると、絢爛豪華とは思いませんが、気品のある、気高い雰囲気のする空間がありましたしかし、よくよく見てみると、手の込んだ細工の欄間があったり、良い素材を使っていたりと、「本当に良いもの」を拝見させて頂く事が出来ます。建物もお庭も決して派手ではありませんが、良いものが使われており、それがしっかり手入れがされており、見ていて心地が良いものでした。こういった細部への気遣いと地元の方々の愛情が、こちの雰囲気を作り出し、小京都としての格式を保っていると思いました。小田野家、岩橋家、河原田家、青柳家、石黒家と回らせて頂きましたが、それぞれ違いはあれど、同じように大切にされているんだろうと推察できるものでした。

角館・石黒家の様子
角館・石黒家の様子 
(下部の写真左上にある欄間には、亀が掘られ、そこに日が当たる事で、なんとも言えない影を壁に映し出している)

最後に、私達夫婦が目指したのは、古城山(角館城址)です。

上記にも引用させて頂きました通り、江戸時代に入って早々に、一国一城令により、破棄されてしまった様ですが、佐竹・蘆名氏の前の統治者・戸沢氏が200年近く居城としていたようで、地元では、”小松山城”、と言われているようです。中々の斜面で、15分程かけて山頂まで登りました。途中あったのは、地元の方と思われるおじいちゃんのみ。観光でいらしている方は、見かけませんでした。しかし、城跡からの景色は抜群です!角館の街並みは勿論、その先の田園風景まで見る事が出来ます。こうして全体を見てみると、日本の古き良き、景色を見ているような錯覚さえ覚えてしまいます。これだけ景色がいいと、「桜の季節や紅葉の季節は、さぞかし美しい景色を見る事出来るだろう」、と容易に想像できました。

(別記事にて、忍城高松城沼田城二条城高島城浜松城松本城上田城松代城小諸城犬山城甲府城鉢形城掛川城高知城川越城岩櫃城熊本城函館五稜郭龍岡城(長野県佐久市の五稜郭)仙台城、彦根城、長浜城、岐阜城、名古屋城、金沢城、小田原城も、それぞれ紹介していますので、ご覧ください!)

古城山(角館城址)の様子とそこからの景色
古城山(角館城址)の様子とそこからの景色

【最後に】

以上が、角館の概要・基本情報と楽しみ方の一例になります。桜の季節が有名の様ですが、私達夫婦が訪れた、深い緑の角館も、紅葉の角館も良いと思います。季節を通して、大人散策を楽しめる街が、角館だと思います。拠点にさせて頂いた、「夏瀬温泉・都忘れ」もまた来たいと思いましたし、そこで発見したハイキングコースも散策してみたいです。また、田沢湖湖畔を、ポタリングしてみたいとも思いましたので、これらとセットで、またこの角館の地に、季節を変えてお邪魔してみたと思いました。皆様も機会があれば、小京都感じる、格式あるこの角館に、足を運んで見ては、いかがでしょうか?(旅全体の日程は、別記事をご参照ください)

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