【はじめに:「君命に受けざる所あり」のメッセージは?】
今回は、孫子の中に出てくる言葉で「君命に受けざる所あり」を考えてみたいと思います。
「君命に受けざる所あり」って、聞いたことありますか? 意味的には、「たとえ君主の命令であっても、受けては(実行しては)いけない命令がある」といった内容と理解しています。サラリーマン的発想では、中々難しいかもしれませんが、時には、何が何だか分からない指示があるのも事実ですし、明らかにおかしな指示が飛んでくることもあると思います…。
本ブログの別記事で「軍を縻す」と言う孫子の教えに関し記載いたしましたが、指示を出す側も100%ではないので、指示を受ける方も、ホントにおかしな命令が来た時には、「君命に受けざる所あり」と言う強い意志をもって対応しなければいけないと言う事と認識します。
※「軍を縻す」=「船頭多くして船山に上る」と基本同じで、「現場を知らない(状況の把握が難しい)君主の口出しは、現場の混乱の原因になるので、エンパワーメントをしっかりする必要がある」と言ったメッセージを含んだ言葉として紹介しています。また、本ブログの別記事で、個人的に選んだ、「孫子の教え一覧」も記載していますので、併せてご参照ください
【「君命に受けざる所あり」の日本史における実例は?】
では、この「君命に受けざる所あり」を実践した「日本史上のエピソード」何か思い浮かびますか? 私が思い出したのが「両兵衛(りょうべえ)の逸話」です。両兵衛とは、Wikipedia の力を借り、ご紹介致しますと、以下の様にあります。
”両兵衛(りょうべえ)とは、豊臣秀吉(羽柴秀吉)に仕えた2人の軍師・竹中重治(半兵衛)と黒田孝高(官兵衛)を指した名称で、二兵衛(にへえ)とも呼ばれる。しかし、この2人が同時に秀吉に仕えた時期は播磨攻めの短い期間でしかなかったこともあったため、後世になって呼ばれた呼称といわれている”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/両兵衛
この竹中半兵衛と黒田官兵衛の逸話と言えば、歴史好き人は、すぐにわかると思いますが…。簡単に経緯を記載しますと、以下の理解をしています。
「秀吉による播磨平定の戦で行われた、有岡城の戦いの際に、有岡城主・荒木村重の謀反を説得しようと、黒田官兵衛が有岡城に乗り込んだが、逆に捉えられ牢に入れられてしまった。黒田官兵衛がいつまでたっても戻らないので、秀吉の主君である信長は、人質として身柄を確保していた、松寿丸(後の黒田長政)の処刑を指示。しかし、同じく秀吉に仕えていた、竹中半兵衛は、黒田官兵衛が裏切ったと思わなかったので、松寿丸を処刑したと虚偽の報告をするとともに、松寿丸を匿った。有岡城の陥落後、黒田官兵衛が救出されると、黒田官兵衛の裏切りはなかった事を知った信長は、松寿丸の処刑を悔やむが、程なく松寿丸が生きている事を知らされ、安心した」
このんなエピソードが、私の言う「両兵衛の逸話」です。正に、「君命に受けざる所あり」の実例として、ピッタリくるエピソードだと思った次第です。
【最後に】
上記の様な、勝手な考察をさせて頂きましたが、皆さまはどう思われましたでしょうか? 実は、エピソードには続きがあり、Wikipediaの両兵衛の項目には、以下の様に記載されています(前後の文面もあるので、若干補足を入れます)。
”(略) ちなみに孝高(補足:黒田官兵衛の事)は天正6年(1578年)の有岡城の戦いにおいて荒木村重の説得に失敗し拘束されるが、織田信長に寝返りを疑われ人質の松寿丸(黒田長政)が処刑される寸前に機転を利かせて匿ったのが重治(補足:竹中半兵衛の事)である。自身の命や竹中家を危険に晒してまで信長の命令に逆らっている事から、同僚として過ごした期間は短くとも両者の間には親密な交友があったことが伺える。その恩に応えるためか、孝高は重治の病没後に嫡子の重門の後見役を務めた”。
https://ja.wikipedia.org/wiki/両兵衛
ホントうまくいって良かったと思いますが、一歩間違えれば、黒田家も竹中家も終わっていた訳です。「君命に受けざる所あり」。確かに素晴らしい考え方ですが、これを事項するのは、高い志と、強い信頼感がないと実行できない、難しい教えだと改めて思った次第です。
(本ブログの別記事で、個人的に選んだ、「孫子の教え一覧」も記載していますので、併せてご参照ください)
黒田官兵衛(黒田家)・竹中半兵衛の墓Map
”孫子”に関しては、Wikipedia の力を借りますと以下の様にあります。
”『孫子』(そんし)は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書。武経七書の一つ。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されている”
https://ja.wikipedia.org/wiki/孫子_(書物)
2500年も前の兵法書で、古典の中の古典と言う事でしょうか? 勿論、現代版のものしか、私には読む事は出来ませんが、「端的でシンプルな文章は、読む側の状況に応じて、理解し、考えを巡らせる為のベースとなる、原理原則が書かれた書物」、言った認識を個人的に持っております。