こちらのページでは、「『小江戸』として有名な代表的な都市である『川越・栃木・佐原』に付き、『その概要』と『それぞれの詳細を記載した個別ページへのリンク』を『まとめページ」として紹介」させて頂こうと思います。
📚本記事で得られる情報📚
✅「小江戸:川越・栃木・佐原」の概要
✅「小江戸:川越・栃木・佐原」に関する詳細ページへのリンク








本ブログ別記事で紹介させて頂きました「小江戸」。そのページでは、「小江戸とは?」・「小京都とは?」と言った視点で、「具体的にどの都市が “小江戸 or 小京都?”」と言った内容や、「それぞれの比較」を記載させて頂きましたが、その中で、『「小京都」は、60都市以上あるのに対し、「小江戸」を名乗る都市の代表は、「栃木・佐原・川越」で、その他「千葉県夷隅郡大多喜町」・「神奈川県厚木市」・「山梨県甲府市」、「静岡県磐田市(旧磐田郡竜洋町)掛塚」・「滋賀県彦根市」もあるが、「小江戸を名乗る都市は、8都市のみ」』といった内容で記載させて頂きました。言い換えると、「私達夫婦が住まう川越は、少数派である「小江戸」という事になり、「大丈夫かな?」と思ってしまった次第です。
しかし一方で、私達夫婦においては、川越に結婚後住み始めて30年以上になりますが、まだ飽きません。さすがに30年ですので、大分色々な情報もたまりましたし、知り合いもかなり増えました。なじみのレストランもあれば、道はかなり詳しくなりました。川越の街の中も、郊外も、かなり脚を運んでいますが、一向に飽きる気配がありません…。つまり、申し上げたい事は、「川越は、小京都を名乗る都市と比較して少数派ではあるが、非常に魅力的な街!」と思っている次第で、であれば、同じく『「小江戸」を名乗る都市の代表である「栃木・佐原」も魅力的なはず』と思っている次第です。
こちらのページでは、そんな『「小江戸」を名乗る都市の代表「栃木・佐原・川越」に付き記載させて頂きます。すなわち、「『小江戸』として有名な代表的な都市である『川越・栃木・佐原』に付き、『その概要』と『それぞれの詳細を記載した個別ページへのリンク』を『まとめページ」として紹介」させて頂きます。尚本記事は、「小江戸シリーズのまとめ記事(タグ:KOEDOSeries)」になり、私達夫婦の住まう川越に関する多くの記事(タグ:KawagoeTravelSeries)と連携しておりますので、以下の「タグ関連図」をご参照・ご活用いただき、他のページに関してもご参照頂けますと幸いです。

【小江戸と言わる3つの代表都市】
■ 栃木
最初に紹介するのは「栃木」。栃木と言う街の基本情報を抑えるべく、Wikipedia を調べてみますと、以下の様にあります。
”栃木市(とちぎし)は、栃木県の南部にある人口約15万人の市。栃木県内人口は宇都宮市、小山市に次ぐ第3位。市街地には蔵造りの家屋が並ぶ街並みが保存されていることから小江戸、小京都、関東の倉敷などと呼ばれ、観光地としての人気も高い。(略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/栃木市
江戸時代には市内を流れる巴波川を利用した江戸との舟運と、朝廷から日光東照宮へと派遣された使者(例幣使)が通行した例幣使街道の宿場町として盛えた商都で、「小江戸」の別名を持つ。戦災を免れたため、歴史的な寺院のほか、市街地には江戸時代から明治時代にかけての蔵や商家などが多く残っており、「美しいまちなみ大賞」を受賞している。こうした歴史資産を観光資源化し、関東地方では埼玉県川越市や千葉県佐原市(現・香取市)とともに小江戸サミットを開くなど「蔵の街」として知られ、「関東の倉敷」とも呼ばれる。
また、市西部にある太平山からの景色は「陸の松島」として観光名所ともなっている (略) こうした市内の観光名所には、年間約200万人の観光客が訪れている”
栃木では、川越市や香取市と共に、「小江戸サミット」なる物を実施しているようです。また、私たち夫婦の住まう川越との比較においては、人口:約30万強、年間観光客数:約700万の川越対し、人口:15万、観光客数:200万なので、数字の上では、人口:ほぼ半分程度、観光客数:三分の一弱の様ですが、「小京都」、「関東の倉敷」、「陸の松島」と様々な異名を持っているようです。つまり、「魅力ある街である事は、間違えなし」と認識した次第です。
本ブログ別記事では、「蔵の街遊歩道」・「横山郷土館」・「栃木市立文学館/栃木市役所別館 (旧栃木町役場)」・「代官屋敷/岡田記念館/別邸」・「蔵の街ダイニング 蒼」・「とちぎ蔵の街美術館と街並み」と言った、大人散策スポットを詳細地図と共に紹介しておりますので、併せてご参照頂ければ幸いです!
■ 佐原
次に紹介するのは「佐原」。「佐原」と言う街の基本情報を抑えるべく、Wikipedia を調べてみますと、以下の様にあります。
”佐原市(さわらし)は千葉県北東部に存在した市。2006年3月27日に香取郡栗源町、小見川町、山田町と合併し、香取市となった”
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐原市
現在は、「香取市佐原」と言う事らしいです。故に、香取市で見てみますと、以下の様にあります。
”香取市(かとりし)は、千葉県北東部の香取地域にある佐原を中心部とする市。小江戸三市の一つ。市域は水の郷百選、水郷地帯は水郷筑波国定公園、佐原の町並みは平成百景・重要伝統的建造物群保存地区、商家町の歴史的町並みは日本遺産に認定されている (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/香取市
佐原の商家町や香取神社の総本社である香取神宮の鳥居前町として有名である (略) 佐原は伊能忠敬が商人として活躍した地であり、伊能忠敬旧宅(国の史跡)が保存されている。また、国宝である伊能忠敬関係資料が保管されている伊能忠敬記念館が所在する (略)
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、6.48%減の77,499人 (略)”
また、香取市のホームページによると(https://www.city.katori.lg.jp/government/jinko_tokei/tokeisho.files/H30-toukei-10.pdf)、年間の観光客数は、700万弱の様です。つまり、栃木市の場合と同様に川越と比較してみますと、川越の人口は約30万強で、年間の観光客数は700万位ですので、佐原(香取市?)の人口は、8万弱とかなり少ないですが、観光客は、ほぼ一緒。言い換えると、佐原だけの数字ではないと思いますが、これだけの観光客数が多いと言うことは、かなり活気のある街と認識して良い様です。また、下総の一宮であり、日本神話(国譲り神話)にも登場するフツヌシをご祭神とする香取神宮がある事や、伊能忠敬が日本地図作成の旅に出る前の商人として住んだ街としても有名な事、改めて認識しました。
ただ、私達夫婦はまだお邪魔した事が無いので、本ブログ別記事では、「大人散策@佐原のプランニング」として、記事を作成して折り、「佐原の街並み」は参らせて頂くとして、「水郷佐原あやめパーク」・「香取神宮(神社単体の情報も記載してます)」と言ったスポットに加え、「日帰り or 宿泊の検証」も実施しておりますので、併せてご参照頂ければ幸いです!
■ 川越
そして最後に紹介するのが、私達夫婦の住まう街「川越」。川越と言う街の基本情報を抑えるべく、Wikipedia を調べてみますと、以下の様にあります。
川越市(かわごえし)は、埼玉県の中部に位置する市。中核市、業務核都市、保健所政令市に指定されている。1922年(大正11年)12月1日市制施行(埼玉県で初めて成立した市)。人口は約35万人と、県内ではさいたま市、川口市に次ぐ第3位の人口を有する。旧武蔵国入間郡。
概要・歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/川越市
江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で、「小江戸」(こえど)の別名を持つ。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方で神奈川県鎌倉市、栃木県日光市に次ぐ。歴史まちづくり法により、埼玉県内唯一、国から「歴史都市」に認定されている。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約732万人もの観光客が訪れる観光都市である(「川越」も参照)。海外の旅行ガイドブックに紹介されることも多く、最近では外国人旅行者が多い(例えばニューヨーク・タイムズ紙の「2009年トラベルガイド」の 川越特集)。
武蔵野台地の北端に位置し、荒川と入間川が市内で合流する。地理的な要衝で平安時代には河越館に豪族の河越氏が興り、武蔵国筆頭の御家人として鎌倉幕府で権勢を誇った。室町時代に上杉氏の家宰・太田道灌によって河越城が築城され、上杉氏、次いで北条氏の武蔵国支配の拠点となった。戦国時代には関東平野の覇権を決する河越夜戦の舞台となった。河越夜戦は「日本三大夜戦」とされる。江戸時代以前は江戸を上回る都市であり、「江戸の母」と称された。
川越城を擁する川越藩は江戸幕府の北の守りであり、武蔵国一の大藩としての格式を誇り、酒井忠勝・堀田正盛・松平信綱・柳沢吉保など大老・老中クラスの重臣や御家門の越前松平家が配された。そのため、江戸時代から商工業や学問の盛んな城下町であり、今日でも多くの学校を有す文教都市である。川越藩の歴代藩主は武蔵野の開発に力を注いだ。「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱は、川越藩士の安松金右衛門に命じ、玉川上水や野火止用水、新河岸川の開削、川島大囲堤の築造、川越街道の改修を行い、行政手腕の秀でた柳沢吉保は、川越に召抱えていた荻生徂徠の建議を入れ、筆頭家老の曽根権太夫に命じ、三富新田の開拓などを行った。
川越藩によって殖産政策が遂行され、農産物や絹織物・工芸品など市場競争力のある特産品開発がなされた。川越藩領の狭山丘陵で河越茶(狭山茶)の栽培が進められ、武蔵野の開墾地ではサツマイモの栽培が盛んになった (略) 寛政年間に焼イモが江戸で大流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ「栗よりうまい十三里」というフレーズと味の良さで持て囃され、「イモの町」のイメージも定着した。こうした領内や秩父など近郊からの物資の供給地として「江戸の台所」と呼ばれ繁栄した (略)
上記引用にもあります通りですし、本ブログ別記事で記載しております通り、「鎌倉期の武蔵国筆頭の御家人・河越氏」・「太田道灌による河越城」・「日本三大夜戦(奇襲)・河越夜戦」・「川越藩主・松平信綱による玉川上水・野火止用水・新河岸川開削⇒舟運」・「栗よりうまい十三里の川越芋(サツマイモ)」等々…、沢山の大人の興味をそそるワードが目白押しです。そして、川越の魅力は、それらの痕跡を今でも感じる事が出来るという事。言い換えると、『川越』は、『「鎌倉期の武蔵国筆頭の御家人・河越氏」の館跡は今でも拝見出来・「太田道灌による河越城」は、現存4御殿の1つして存在し、・「日本三大夜戦(奇襲)・河越夜戦」の時の陣屋跡等も巡れ、・「川越藩主・松平信綱による玉川上水・野火止用水・新河岸川」は、水辺の大人散策を楽しめ(玉川上水・野火止用水は、川越ではありませんが…)・「栗よりうまい十三里の川越芋(サツマイモ)」の通り、サツマイモグルメも楽しめる街』という事です…。
少々地元贔屓の記載になってしまった感もありますが、それを差し引いても、「川越は、小江戸の代表!」と信じており、上記に加え、「蔵通り(時の鐘)/菓子屋横丁」・「川越まつり」・「喜多院」・「川越氷川神社」・「川越七福神めぐり」・「多くの大人レストラン@川越とその周辺」と言った内容でも記載しておりますので、あわせて別記事もご参照頂き、是非情報年間700万を超える観光客の1人になってみてはいかがかと思う次第です!














【最後に】
以上が、「『小江戸』として有名な代表的な都市である『川越・栃木・佐原』に付き、『その概要』と『それぞれの詳細を記載した個別ページへのリンク』を『まとめページ」として紹介」申し上げた内容になります。
「小江戸」と呼ばれる「栃木・佐原・川越」に付き記載させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 少し「小江戸」の代表であると認識する「栃木・佐原・川越」に興味は沸いてきましたでしょうか? 先に記載しました通り、本記事は「小江戸シリーズのまとめ記事(タグ:KOEDOSeries)」として記載しており、私達夫婦の住まう川越に関する多くの記事(タグ:KawagoeTravelSeries)と連携しておりますので、是非他のページに関してもご参照頂き、皆様の「大人散策@小江戸:栃木・佐原・川越」に貢献できればと思う次第です!
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!
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