横浜

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【はじめに】

こちらのページでは、東京23区を除けば、日本で最も大きいと言われる都市・横浜の歴史と地形の概要を抑え、横浜における大人散策の基礎情報を共有させて頂きます。

上記「横浜は、東京23区を除けば、日本で一番大きな街」と記載しましたが、違和感を持った方もいらっしゃるかもしれません。正直私もその一人で、私が子供の頃(ウン十年前)には「大坂東京の次に大きい都市」と教わった記憶があるからです。その為、Wikipediaにて調べてみますと、以下の様になっていました。

大雑把な理解ですが、東京23区:1000万弱、横浜:400万弱、大坂:300万弱、名古屋:250万弱といった感じの人口になる様で「東京23区を除けば、横浜が一番大きな都市」と言う理解は正しい様です。故に、よく「東/名/阪」と言う様な言い方をしますが、この人口構成を見てしまうと「東/横/名/阪」といった感じで「もう横浜を入れない訳にはいかない…」と思ってしまった次第です…。

そんな横浜ですが、私達夫婦の居住地・埼玉川越から電車で一本で行けます。Fライナーと言われる電車で川越から東武東上線 ⇒ 副都心線(一部有楽町線?) ⇒ 東急東横線で横浜まで1時間ちょっとで、しかも乗り換える事なく1本で」行けてしまいます(正確には、みなとみらい線の元町・中華街まで乗り入れているので、元町・中華街駅まで1本で行けてしまいます)。仕事でもお邪魔してきた地域で、乗換えも無く、川越からであれば、基本座れるので(川越市駅の始発を基本利用していました)、直行時電車内で爆睡していると「気づいたら横浜…」なんてこともあり、横浜から直帰する際は、わざわざ元町・中華街まで戻って、確実に座って帰宅する事もあったエリアです。

そんな(居住地川越からの)アクセスのよい横浜ですが、仕事であれば問題なくとも、「いざ遊びに行こう!」と思うと「ちょっと遠いかな…」とも思ってします地域でもあり、逆に「その気になればいつでも行ける!」と思ってしまう為、中々遊びに行く事がないエリアでした。しかし先日、ふとした事から「屋形船で食事してみない…」と言う事になり、リサーチしていると横浜でも屋形船でお食事が出来るプランを発見。であれば「そんなに遠くはないけど、一泊して、三渓園横浜の街並みの大人散策と併せて行ってみよう!」と言う事になり、お伺いした次第で、その際、実際に訪問させて頂くに当たり横浜ってどんな歴史をたどってきた街なんだ?」と思った事をきっかけに、事前情報として調べてみた所、面白い歴史がある事を改めて認識した次第です。

こちらのページでは、その際に抑えた内容、すなわち東京23区を除けば、日本で最も大きいと言われる都市・横浜の歴史と地形の概要を抑え、横浜における大人散策の基礎情報を共有させて頂きます。

【「横」に長い「浜」で横浜?】

上記「東/名/阪」と記載しましたので、それぞれ見てみますと、大坂は「天下の台所」とも言われ、近辺含め都が置かれた時期もあり、古くから栄えてきた街と認識しています(個人的には、太閤はんのお城・大阪城を連想してしまいますが…)。また東京徳川家康の関東移封をきっかけに、江戸時代以降に栄え、現在では日本の首都と言って良い街で、名古屋も「尾張名古屋は城で持つ」と言われた名古屋城があり、一説には、その前の時代の織田信長の誕生地とも言われる場所で、それぞれ歴史があり、日本の中心を担ってきた街である事は間違いない認識です。

一方横浜は、近辺で縄文時代の貝塚等の遺跡も発見されている様ですが(縄文海進時も意外と丘陵が海の近くまであった様子に見えます)、一般的には、1859年の日米修好通商条約により開発された港町で「その発展は明治期以降」と言う理解が正しい認識です。事実、現在の横浜の代表的なエリアとしてイメージされる「神奈川県庁周辺」は、東海道は通っておらず(横浜宿と言うのはありません…)、現神奈川駅付近の神奈川宿から、横浜駅北側の高台に沿うように進み、保土ヶ谷駅方面に行った後、箱根駅伝でもよく耳にする権田坂に向かうルートになります(地形の地図参照)。元々、元町中華街駅付近から馬車道駅くらいまで、「半島的に突き出した浜に「横浜村」と言う小さな漁村があった」と言う事が言われている認識でもあり、『「現神奈川県庁周辺」=「旧横浜村」と言う海に囲まれた小さなな漁村』と言う理解で正しい認識で、現在の地形図を見ても、その痕跡を認識できると思います。

そんな横浜村の転機になったのが、下田にペリーが現れ、これに続く1859年の日米修好通商条約の締結により、横浜が国際港に指定された事。中央政府としては「外国人と日本人があまり接点を持たないように、東海道の宿場町・神奈川宿から少しでも離れた『対岸の横浜村』を港町として整備しよう!」と言う事だと思いますが、横浜村の周囲の埋め立てを行って港町を整備すると同時に、開港場の区域(=関内=出島の様に地続きに出入りできないエリア)を整備したと認識しています。その後、現在の「象の鼻パーク」につながる港や、「赤レンガ倉庫」が整備され、国際港として発展していった認識で、更にその後に横浜駅の東側のみなとみらい」地区が開発され、現在の横浜の姿になって行った認識です。

つまり、現在の横浜の中心地と言って良い「神奈川県庁周辺」は、『元々は、「横」に長い「浜」があった「横浜村」と言わた小さな漁村であったが、江戸の幕末に下田にペリーが現れた事をきっかけに「国際港」となり、埋め立てにより「関内(出島?)」が整備され、「異国情緒あふれる港町」として発展していき、更に開発をみなとみらいのエリアでも行っていった』と言う理解をしております。実際に、高低差が分かる地形の地図・現在の航空写真・明治初期の地図を見ていると、桜木町駅の南の大岡川・関内駅/横浜スタジアム西の鉄道と首都高(地下走ってますが…)・元町中華街駅付近の石川JCTから東に延びる首都高が、「横浜に設置された開港場の区域(=関内=出島の様に地続きに出入りできないエリア)」の痕跡だとしっかりと認識でき、横浜の発展の痕跡を追える様にも思えた次第です。

【最後に】

以上が、東京23区を除けば、日本で最も大きいと言われる都市・横浜の歴史と地形の概要を抑え、横浜における大人散策の基礎情報を共有させて頂いた内容になります。

実際に調べてみて思った事は、横浜と言うと、仕事でもよくお邪魔した「『みなとみらい』の高層ビル群」をイメージしてしまう事もありますが「横浜の歴史を知る大人散策は、馬車道周辺から、象の鼻パーク・神奈川県庁・横浜スタジアム近辺を進んで、最後中華街で中華を頂くべきかな?」と思った次第です。こんな事前調査をベースに、1泊2日の横浜への小旅行を実地しました。その内容は、別記事で「1泊2日の横浜小旅行の全体図(サマリ版)」・「三渓園での大人散策」・「屋形船でのディナー」・「お世話になったお宿・オークウッドスイーツ横浜」・「大人散策@横浜」・「横浜中華街 京華樓 本館でのお食事」と詳細を記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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