【はじめに:伊香保で、温泉以外の楽しみ方は?】
こちらのページでは、伊香保温泉の(伊香保神社も含めつつ)概要を抑えた上で、「伊香保温泉街にある石段」と「その周辺の大人散策情報」を紹介致します。
渋川伊香保といえば、勿論「温泉!」ですが、その周辺の散策も興味深いものです。実際に、渋川伊香保の温泉に参らせて頂きました際、温泉だけでなく、様々な大人的楽しみがありましたので、伊香保温泉の(伊香保神社も含めつつ)概要を抑え、その中で皆様に共有したい情報をご紹介いたします(別ブロブで、お世話になった温泉宿、古久家を紹介中) 。
言い換えますと、伊香保の温泉街の有名どこといえば、石段。ここは、確かに、外してはいけません! しかし同時に、ロープウェイ/見晴台や、神社・飲泉所と他にも見どころがあるのです!
【伊香保温泉の概要・歴史】
まずは、伊香保温泉の概要・歴史を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてますので、読まなくても大丈夫です… まとめも結構長いので…)。
伊香保温泉(いかほおんせん)は、群馬県渋川市伊香保町にある温泉。草津温泉と並んで県を代表する名湯で、上毛かるたでは「伊香保温泉 日本の名湯」と歌われている (略)
泉質
・硫酸塩泉:黄金(こがね)の湯
・温泉法上の温泉(メタけい酸による規定):白銀の湯温泉街
急傾斜地に作られた石段の両側に、温泉旅館、みやげ物屋、遊技場(射的・弓道)、飲食店などが軒を連ねている。365段の石段は温泉街のシンボルであり、この界隈は石段街と呼ばれる。石段の下には黄金の湯の源泉が流れ、小間口と呼ばれる引湯口から各旅館に分湯されている。石段の上には伊香保神社が存在する。
石段上の源泉周りは整備されており、源泉が湧出する様子を見ることができる。また石段から源泉までの遊歩道の途中に飲泉所も存在する。源泉の傍には「伊香保露天風呂」が、石段の途中には共同浴場「石段の湯」が存在する (略)周辺
温泉街と近くの物聞山にある上ノ山公園を結ぶロープウェイ(伊香保ロープウェイ)が存在する (略)歴史
・古代・中世
伊香保を含む群馬県域は旧上野国にあり、『上野志』では垂仁天皇の御代に開湯と伝える (略)
戦国時代には白井城の長尾氏がこの温泉の管理に関わった (略)
伊香保温泉を象徴する石段街が形成されたのは戦国時代で、西上野を当時支配していた武田勝頼が大敗した長篠の戦いで、負傷した兵士の保養地だった。一説には石段街は源泉の湯を効率よく供給できるよう武田勝頼が、西上野支配を任せていた真田昌幸に命じて整備させたという。・近世
天正18年(1590年)の徳川家康の関東への国替え以降は井伊氏の支配を受け(江戸時代に入ってからは安中藩領)、正保ないし承応年間から天領となり岩鼻代官所の支配を受けた。
寛永年間までに (略) 14軒の大屋(おおや)が土地・温泉の一切を所有し、政治権力も独占する体制が成立する。寛永8年(1631年)口留番所が設置されると、大屋14軒が番所上役として2名ずつ勤めるようになり、元禄8年(1695年)より12軒が年番で名主を務めることとなった (略)
大屋は温泉利用権も独占し、各大屋の引湯量は小間口の寸法で表された (略) 小間口制度の起源は寛永年間まで遡ることができる (略)・近代・現代
明治時代以降は外国人も訪れるようになり、明治13年(1880年)にドイツ人ベルツの『日本鉱泉論』にも取り上げられた。大槻文彦が明治12年に『伊香保志』を書き上げているように文人の訪問も多く、竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情などが訪れた。また、伊香保御用邸やハワイ王国公使別邸なども作られた (略)
1920年(大正9年)8月30日深夜に発生した火災は、町の70%を焼き尽くす大火となった。
1947年(昭和22年)から1959年(昭和34年)にかけて湯元周辺で計6本のボーリングを実施し、新たな源泉を得た。湧出量は一時的に増加したものの、旧来の源泉の湧出量減少・温度低下により結局総量増加にほとんど寄与しなかった (略)https://ja.wikipedia.org/wiki/伊香保温泉 明治20年代の伊香保温泉石段街 Wikipediaより
また、上記引用中にありました「伊香保神社」についても調べてみますと、以下の様にあります。
伊香保神社(いかほじんじゃ)は、群馬県渋川市にある神社である。伊香保温泉を守護する神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社兼郷社。上野国三宮とされる。伊加保神社とも書かれる。かつては三宮神社(北群馬郡吉岡町大久保)が本宮だったという。
祭神
現在の主祭神は大己貴命と少彦名命の二座で、温泉・医療の神を祭る。
ただし当社が現在の温泉地に移転する以前は、「いかほ」(榛名山も含むこの地域の旧称)の山々を山岳信仰の場とした「いかつほの神」一座が祭神であったとされる。また三宮神社祭神を考慮した説では、十一面観音であるとされる。歴史
現在の温泉街内の伊香保神社の由緒では825年(天長2年)の創建。旧本社とされる三宮神社は750年(天平勝宝2年)創祀 (略)
尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」によると、当初の山岳信仰時代には現在地に鎮座しておらず、里宮として今の三宮神社の地に伊香保神社はあったという (略) 少なくとも平安以降に伊香保温泉街へ移転し、温の守護神となった (略)
1873年(明治6年)、社号を「伊香保神社」に戻した (略)https://ja.wikipedia.org/wiki/伊香保神社 伊香保神社・拝殿 三宮神社 (吉岡町) 拝殿 Wikipediaより
少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます。
- 伊香保温泉は、群馬県渋川市伊香保町にある草津温泉と並んで県を代表する名湯で、泉質は、「硫酸塩泉:黄金(こがね)の湯」・「温泉法上の温泉(メタけい酸による規定):白銀の湯」
- 伊香保温泉は、垂仁天皇(第11代天皇;4世紀前半?)の御代に開湯と伝えられ、戦国時代には白井城の長尾氏がこの温泉の管理に関わり、伊香保温泉を象徴する石段街が形成されたのも、戦国時代と言われ、一説には「西上野を当時支配していた武田勝頼が大敗した長篠の戦いで、負傷した兵士の保養地として、源泉の湯を効率よく供給できるよう西上野支配を任せていた(武田24将にも数えられる事もある)真田昌幸に命じて整備させた」と言われるらしい
- 明治時代以降は外国人も訪れるようになり、文人の訪問も多く、竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情などが訪れ、伊香保御用邸やハワイ王国公使別邸なども作られた
- 1947年から1959年にかけて湯元周辺で計6本のボーリングを実施し、新たな源泉を得たが、湧出量は一時的に増加したものの、旧来の源泉の湧出量減少・温度低下により結局総量増加にほとんど寄与しなかった
- 現在、急傾斜地に作られた石段の両側に、温泉旅館、みやげ物屋、遊技場、飲食店などが軒を連ねた「365段の石段」は、温泉街のシンボルであり、この界隈は「石段街」と呼ばれ、石段の下には黄金の湯の源泉が流れ、石段の上には伊香保神社があり、その更に山側には、源泉が湧出する様子を見ることができ、飲泉所も存在し、近くの物聞山にはロープウェイ(伊香保ロープウェイ)もある
- 上記石段街の上にある伊香保神社は、式内社(名神大社)・旧社格は県社兼郷社・上野国三宮(かつては里宮にあたる三宮神社が本宮)で、現在の祭神は、日本神話の国作りで有名な「大己貴命」・「少彦名命」で、日本神話の国作りの内容を意識してか「温泉・医療の神、(伊香保温泉を守護する神社?)」とされるらしい
- 伊香保神社の由緒では、825年の創建で、旧本社とされる三宮神社は750年の創祀と伝わる様で、里宮として今の三宮神社の地に伊香保神社はあったが、少なくとも平安以降に伊香保温泉街へ移転し、温の守護神となったと考えられているらしい
つまり、、、
伊香保温泉は、「黄金の湯」・「白銀の湯」で有名な、群馬県渋川市伊香保町にある群馬県を代表する名湯で、垂仁天皇(第11代天皇;4世紀前半?)の御代に開湯と伝えられ、明治時代以降は外国人文人の訪問も多く訪れ、伊香保御用邸やハワイ王国公使別邸なども作られたらしい。また「伊香保温泉の象徴である『石段街』」が形成されたのは、戦国時代の事らしく、武田勝頼が「大敗した長篠の戦いで、負傷した兵士の保養地として、源泉の湯を効率よく供給できるよう西上野支配を任せていた(武田24将にも数えられる事もある)真田昌幸に命じて整備させた」とも言われる様で、現在では、急傾斜地に作られた石段の両側に、温泉旅館、みやげ物屋、遊技場、飲食店などが軒を連ねた「365段の石段」は「温泉街のシンボル」となっており、石段の上には、日本神話の国作りで有名な「大己貴命」・「少彦名命」を「温泉・医療の神」として祭る、825年に里宮の現・三宮神社から移転し、創建と言われる「伊香保神社」がある
と理解した次第です。
【石段を中心に大人散策が基本だが、+αのスポットもある!】
上記、伊香保温泉の概要・歴史を、伊香保神社の概要・歴史と併せ抑えさせて頂きましたので、こちらでは「石段街を中心とした大人散策情報」を記載いたします。
【石段】
まずは、何と言っても石段。オフシーズン(参らせて頂いたのは2月)とは言え、それなりの人出でした。こちらの石段は、伊香保神社の参道にあたる理解ですが、それなりの斜面に立っているので、大きなお店はありませんが、それぞれのお店に個性があるようで、楽しみながら散策できます。同時に、お土産物屋さん、レストランや喫茶店、食べ歩き用のコンニャクを売っているお店等がありますが、温泉街の風情がある石段の周辺は、大人散策には適しており、お店によらずとも、散策その物を十分に楽しむ事が出来ます。
一番下からのんびり大人散策で、石段を登って行くと、30分ほどで「伊香保神社」が出てきます(普通に登れば、15分くらいだと思いますが、それなりの階段ですので、気を付けて登って頂きたいですし、特に降りるときには、注意が必要です)。また参考情報として…、何故かわかりませんが、アヒルのおもちゃが、祠にたくさん置いてあるところがありました(写真参照)…。大人的には、あまり興味がないので、(でも不思議だったので)写真だけ撮って、その場はスルーでしたが…。ただ言える事は、多くのお店があり「楽しみながら大人散策を遂行できる」と言うもので「戦国時代から続くと言われる石段街の歴史を感じつつ散策する」事こそ大人散策ではないかと思った次第です(特に、山梨県(北杜市ですが…)出身で甲斐武田家に親近感を持つ真田ファンとしては、彼らの歴史に思いを馳せつつ大人散策を楽しむべきだと思った次第です)。
【伊香保神社】
石段を登りきった所に鎮座する伊香保神社は、上記の通り、「かなり歴史のある神社で『温泉の守護神』として、祭られている」認識です。大きな社殿ではありませんが、綺麗に整備された境内は、地元の方々が、丁寧に管理されていると思われ、清らかな心持の元、お参りする事が出来ます。多くの参拝者もいらっしゃり、「伊香保の石段(伊香保神社の参道?)観光における、最終的な主役の大人観光スポットが伊香保神社」だと認識させて頂きました。
一方で、ほとんどの方は、ここ伊香保神社で散策終了モードの様で、そこから先は人の数が圧倒的に少なくなりますが、まだこの散策路の魅力は続きます。つまり、この伊香保神社から、石段方面を向いて左側に行くと(いったん下り、また登りますが)、飲泉所があるという事です(神社から飲泉所まで500Mくらいでしょうか)。
【飲泉所・河鹿橋】
飲泉所までの道のりは、さほど大変ではなく、それぞれの季節を楽しみながら、散策できると思います。飲泉所が近くなると、右手の谷にかかる赤い橋が出てきますので、一つの目安にしてください。そして、この橋「河鹿橋」と言うようで、秋の紅葉の季節は、美しいだろうと容易に想像できる景観の橋でしたので、「また秋に来たいなー」と思ってしまった次第です。そして、この先の左側に飲泉所があります。「飲泉」ですので、勿論飲む事が出来ますから、是非味わってみて下さい。少し鉄っぽい香りがありますが、普通に美味しいお水と言った感じでしたので…。
【見晴台・ロープウェイ】
上記、河童橋・飲泉所は、伊香保神社にて石段を向いて左に行きましたが、同じく伊香保神社にて石段に向いて右側に行くと、山道になっており、ロープウェイの終着点である見晴台の方まで行けます。手すりもあり、道は整備されていますが、山道である事は変わりませんので、見晴台までは、30分~1時間くらいかかると思います。元気な子供達にとっては「なんともない山道」かもしれませんが、それなりの大人には若干大変な道のりかもしれません。
故に、それなりの大人になってしまった我々夫婦は、「見晴台までロープウェイで行き、下りで伊香保神社まで歩く方法を選択」しました。体力に自信がある方は、往復してみてもよいかもしれませんが…。どちらにしても、見晴台からの眺めは非常によく、「関東平野のキワ」を見ることが出来ます。つまり、渋川は、山々を縫って流れてきた利根川が、関東平野に開放される地なのです。
現在利根川は、徳川家康が始めた利根川東遷事業によって、銚子に流れていますが、元々は、東京湾に注いでいた川。つまり、関東平野は、利根川が作った平野で、その関東平野の入口を見る事が出来るのが、正にこの場所といった理解をしている次第です。ロープウェイでも往復で来ますので(そちらが主流かもしれませんが…)、絶景の眺めを見ながら、利根川によってつくられた関東平野のキワ(入口)の景色と利根川の歩ん出来た歴史に思いを馳せてみるのも、大人散策の1つの在り方だと思いますので、是非皆様も脚を延ばして頂ければと思います。(以下写真の通り、ロープウェイを登った先にある見晴台から赤城山方面を望むと爽快な景色が広がっています(別記事で赤城温泉も紹介中))
【最後に】
以上が、伊香保温泉の(伊香保神社も含めつつ)概要を抑えた上で、「伊香保温泉街にある石段」と「その周辺の大人散策情報」を紹介させて頂きました内容になります。
伊香保温泉街の土地柄、基本どこに行っても、急な坂道/階段ですが、石段の周辺だけではなく、さらにその周辺も楽む事が出来ますので、お時間が許す方は、温泉だけでなくその周辺も是非散策してみてください! 渋川伊香保温泉の魅力は、温泉だけではない事、ご理解頂けると思います! また、本ブログ別記事で、伊香保温泉にお邪魔した際、お世話になった温泉宿「古久家」に関しても紹介しておりますので、併せてご参照頂きますと幸いです。
(ちなみに、伊香保温泉からも近い「四万温泉の積善館」、同じく「四万温泉の豊島屋」も別記事で紹介していますので、宜しければ、ご参照ください)
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!