【はじめに】
こちらのページでは、「東京23区を除けば、日本で最も大きいと言われる都市・横浜の歴史と地形の概要を抑え、横浜における大人散策の基礎情報を共有」させて頂きます。
上記「横浜は、東京23区を除けば、日本で一番大きな街」と記載しましたが、違和感を持った方もいらっしゃるかもしれません。正直私もその一人で、私が子供の頃(ウン十年前)には「大坂が東京の次に大きい都市」と教わった記憶があるからです。その為、Wikipediaにて調べてみますと、以下の様になっていました(調べた日:2024年7月)。
大雑把な理解ですが、東京23区:1000万弱、横浜:400万弱、大坂:300万弱、名古屋:250万弱といった感じの人口になる様で「東京23区を除けば、横浜が一番大きな都市」と言う理解は正しい様です。故に、よく「東/名/阪」と言う様な言い方をしますが、この人口構成を見てしまうと「東/横/名/阪」といった感じで「もう横浜を入れない訳にはいかない…」と思ってしまった次第です…。
そんな横浜ですが、私達夫婦の居住地・埼玉川越から電車で一本で行けます。Fライナーと言われる電車で「川越から東武東上線 ⇒ 副都心線(一部有楽町線?) ⇒ 東急東横線で横浜まで1時間ちょっとで、しかも乗り換える事なく1本で」行けてしまいます(正確には、みなとみらい線の元町・中華街まで乗り入れているので、元町・中華街駅まで1本で行けてしまいます)。仕事でもお邪魔してきた地域で、乗換えも無く、川越からであれば、基本座れるので(川越市駅の始発を基本利用していました)、直行時電車内で爆睡していると「気づいたら横浜…」なんてこともあり、横浜から直帰する際は、わざわざ元町・中華街まで戻って、確実に座って帰宅する事もあったエリアです。
そんな(居住地川越からの)アクセスのよい横浜ですが、仕事であれば問題なくとも、「いざ遊びに行こう!」と思うと「ちょっと遠いかな…」とも思ってします地域でもあり、逆に「その気になればいつでも行ける!」と思ってしまう為、中々遊びに行く事がないエリアでした。しかし先日、ふとした事から「屋形船で食事してみない…」と言う事になり、リサーチしていると横浜でも屋形船でお食事が出来るプランを発見。であれば「そんなに遠くはないけど、一泊して、三渓園や横浜の街並みの大人散策と併せて行ってみよう!」と言う事になり、お伺いした次第で、その際、実際に訪問させて頂くに当たり「横浜ってどんな歴史をたどってきた街なんだ?」と思った事をきっかけに、事前情報として調べてみた所、面白い歴史がある事を改めて認識した次第です。
こちらのページでは、その際に抑えた内容、すなわち「東京23区を除けば、日本で最も大きいと言われる都市・横浜の歴史と地形の概要を抑え、横浜における大人散策の基礎情報」を共有させて頂きます。
【「横」に長い「浜」で横浜?】
上記「東/名/阪」と記載しましたので、それぞれ見てみますと、大坂は「天下の台所」とも言われ、近辺含め都が置かれた時期もあり、古くから栄えてきた街と認識しています(個人的には、太閤はんのお城・大阪城を連想してしまいますが…)。また東京は徳川家康の関東移封をきっかけに、江戸時代以降に栄え、現在では日本の首都と言って良い街で、名古屋も「尾張名古屋は城で持つ」と言われた名古屋城があり、一説には、その前の時代の織田信長の誕生地とも言われる場所で、それぞれ歴史があり、日本の中心を担ってきた街である事は間違いない認識です。
一方横浜は、近辺で縄文時代の貝塚等の遺跡も発見されている様ですが(縄文海進時も意外と丘陵が海の近くまであった様子に見えます)、一般的には、1859年の日米修好通商条約により開発された港町で「その発展は明治期以降」と言う理解が正しい認識です。事実、現在の横浜の代表的なエリアとしてイメージされる「神奈川県庁周辺」は、東海道は通っておらず(横浜宿と言うのはありません…)、現神奈川駅付近の神奈川宿から、横浜駅北側の高台に沿うように進み、保土ヶ谷駅方面に行った後、箱根駅伝でもよく耳にする権田坂に向かうルートになります(地形の地図参照)。元々、元町中華街駅付近から馬車道駅くらいまで、「半島的に突き出した浜に「横浜村」と言う小さな漁村があった」と言う事が言われている認識でもあり、『「現神奈川県庁周辺」=「旧横浜村」と言う海に囲まれた小さなな漁村』と言う理解で正しい認識で、現在の地形図を見ても、その痕跡を認識できると思います。
そんな横浜村の転機になったのが、下田にペリーが現れ、これに続く1859年の日米修好通商条約の締結により、横浜が国際港に指定された事。中央政府としては「外国人と日本人があまり接点を持たないように、東海道の宿場町・神奈川宿から少しでも離れた『対岸の横浜村』を港町として整備しよう!」と言う事だと思いますが、横浜村の周囲の埋め立てを行って港町を整備すると同時に、開港場の区域(=関内=出島の様に地続きに出入りできないエリア)を整備したと認識しています。その後、現在の「象の鼻パーク」につながる港や、「赤レンガ倉庫」が整備され、国際港として発展していった認識で、更にその後に横浜駅の東側の「みなとみらい」地区が開発され、現在の横浜の姿になって行った認識です。
つまり、現在の横浜の中心地と言って良い「神奈川県庁周辺」は、『元々は、「横」に長い「浜」があった「横浜村」と言われた小さな漁村であったが、江戸の幕末に下田にペリーが現れた事をきっかけに「国際港」となり、埋め立てにより「関内(出島?)」が整備され、「異国情緒あふれる港町」として発展していき、更に開発をみなとみらいのエリアでも行っていった』と言う理解をしております。実際に、高低差が分かる地形の地図・現在の航空写真・明治初期の地図を見ていると、桜木町駅の南の大岡川・関内駅/横浜スタジアム西の鉄道と首都高(地下走ってますが…)・元町中華街駅付近の石川JCTから東に延びる首都高が、「横浜に設置された開港場の区域(=関内=出島の様に地続きに出入りできないエリア)」の痕跡だとしっかりと認識でき、横浜の発展の痕跡を追える様にも思えた次第です。
【最後に】
以上が、「東京23区を除けば、日本で最も大きいと言われる都市・横浜の歴史と地形の概要を抑え、横浜における大人散策の基礎情報を共有」させて頂いた内容になります。
実際に調べてみて思った事は、横浜と言うと、仕事でもよくお邪魔した「『みなとみらい』の高層ビル群」をイメージしてしまう事もありますが「横浜の歴史を知る大人散策は、馬車道周辺から、象の鼻パーク・神奈川県庁・横浜スタジアム近辺を進んで、最後中華街で中華を頂くべきかな?」と思った次第です。こんな事前調査をベースに、1泊2日の横浜への小旅行を実地しました。その内容は、別記事で「1泊2日の横浜小旅行の全体図(サマリ版)」・「三渓園での大人散策」・「屋形船でのディナー」・「お世話になったお宿・オークウッドスイーツ横浜」・「大人散策@横浜」・「横浜中華街 京華樓 本館でのお食事」と詳細を記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。