(「縄文海進時代の海岸線に考察を加えた記事」、「縄文海進時代よりも前の時代の海岸線を考えた記事」、「縄文海進を支える貝塚の分布に関する考察」、「縄文海進を調査中に出会った興味深い言葉」(本記事)といった内容で、それぞれ記事を記載していますので、併せてご参照ください)
【はじめに:縄文海進深堀してみて・・・】
本ブログ別記事で、「縄文海進」を取り上げさせて頂きました。発端は、私達夫婦の住まう川越に「貝塚」があったと言う事からでした。そこから更に発展させ、「縄文海進時代よりも前の時代の海岸線」、「縄文海進を支える貝塚の分布に関する考察」といった内容で、それぞれ記事を記載させて頂きました。縄文時代と言えば、かなり昔の話ですが、視点を「人間」から「地球・地形」に変えると、もう少し違った視点で物事を見て、考えて、感じて、勝手な考察(≒妄想)をさせて頂く事で、楽しむ事が出きました。
今回は、その過程で出会った、「興味深いワード」に焦点を絞って記載させて頂きたいと思います。以下にご紹介する、「ワード」ひとつ一つを取り上げ、深堀してみても面白そうなのですが、今回はダイジェスト版と言う事で、それぞれのワードのご紹介と簡単な内容の記載に留めさせて頂きます。とは言っても、どのワードも、大人の興味をそそる誠に面白いワードですので、以下ご査収ください。
【縄文海進調査中に出会った興味深いワード】
・東京湾海底谷
皆さんは、上記何と読むと思いますか? 「とうきょうわん-かいていこく」だそうです。「かいていこく」なんて、音で聞いてしまうと、「海底国」に思え、「海の底にある国」何て思えてしまいますが、「こく=谷」です。つまり、海の中にある、「谷」と言う事です。そもそも、「海底谷」をWikipediaの力を借り、調べてみますと、以下の様にあります。
”海底谷(かいていこく、submarine canyon)とは、海底の大陸斜面に存在する渓谷である。海底谷は一般に大陸からの大河川の延長として海底へ連続的に伸び、最大距離数百km深度1kmに及ぶ。(略) 1960年代までは、沈水説が根強かったが、1970年代以後は乱泥流説を海底谷の本質的な成因とする考えが支持されている。
沈水説:海底谷は、海面が現在よりも低く、河川が大陸棚の端に流れ出ることができた時代、すなわち地上にあるときに河の流れによって侵食され、その後に沈降したとする説である。この理論は、氷期の海面が低い時代に地表であった地域(多くの渓谷が大河の沿岸部に発見される)に海底谷を見ることができることから支持されている。一方、海面下3,000mの斜面にも海底谷が確認できるが、海面の高さは、地球の大陸形成史において数千mも変動したとは考えられず、このような深海の谷の形成について説明することができない。なお、ほとんどの地質学者は支持しないが、星野通平らは白亜紀以降に地球膨張し、結果的に海面も数千m上昇したという仮説(地球膨張説)を唱えた。
乱泥流説:海底地すべりによって発生した海中の乱泥流(タービダイト)により削られたとする説である。つまり、密度が濃い堆積物が、地震などのきっかけにより、侵食しながら大陸棚を流れ落ち、谷を形成する。しかしながら、堆積物重力流のみに本質的な成因を求めることには無理があるとする研究者もいる。なお、富山深海長谷などは乱泥流説と考えられている”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/海底谷
2枚目=ニューヨーク沖。7つの海底谷があり、左のハドソン谷が最も深い。
正に、海の中の谷と言った感じで、東京湾では、浦賀水道付近より外に、存在しているとの事です。同時に、Wikipediaの ”東京湾”、の項目を読み進めますと、以下の様にあります。
”東京湾海底谷:外湾部では陸から離れた沖の海底は急激に深くなっており、水深500m以上に達する東京湾海底谷が認められる。海底谷は相模トラフに合流する。この海底谷には河川を通じて東京湾に流れ込んだ有機物が沈殿しており、栄養が豊富な深海という特異な環境が東京(江戸)の都市化とともに形成されてきた。そのためメガマウスやミツクリザメなど世界的に希少な深海魚が捕獲されることがある”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/東京湾
つまり、国は国でも、人の国ではなく、深海魚の国、と言う事の様です。そして更に、読み進めると、「古東京川」と言う言葉に、行き当たった訳です。(上記説明の中に、「地球膨張説」なる面白い言葉も見つけましたので、こちらも下記に記載しています)
・古東京川
「地球膨張説」の前に、「古東京川」を、Wikipediaの力を借り、調べていますと、以下の様にあります。
”(略) 旧石器時代は最終氷期にあたり、氷河が発達していたため海面が現在より著しく低く、浦賀水道付近以北は陸地となっており、「古東京川」と呼ばれる川が流れていた。6000年前には縄文海進と呼ばれる海水面の上昇があり、関東地方の海水準は現在より3 – 4mほど高かった。(略)”
https://ja.wikipedia.org/wiki/東京湾
上記の様に、「東京湾」の項目の中にあります。本ブログの別記事でも触れましたが、「縄文海進」の前の時代は、海面は現状よりも低く、浦賀水道付近までは陸で、そこに「川=古東京川」が流れていたと言う事と理解しました。「縄文海進=昔は海面はいまより高かった」と理解しますが、もうひと堀すると、その(縄文時代より)前は、海面は逆に低く、その痕跡が、古東京川と言う事の様です。
2枚目=東京湾口の海底地形図に見える海底谷
・奥東京湾/古入間湾
ちなみに、上記、「古東京川」の付近を読み進めますと、以下の様にあります。
”(略) 東京湾は渡良瀬川河道では群馬県邑楽郡板倉町付近まで、利根川河道では埼玉県川越市付近まで湾入したことが貝塚分布から裏付けられる。この頃の東京湾を指して奥東京湾と呼ぶ。また、このうち、大宮台地の西側の水域は古入間湾とも呼ぶ (略)”
https://ja.wikipedia.org/wiki/東京湾#歴史
上記、古東京川は、縄文海進よりも前の話の様ですが、奥東京湾/古入間湾と言う事は(それがあった時代は)、正に縄文海進の時の東京湾の様子と言う事の様です。奥東京湾の最も奥が、私達夫婦の住まう川越付近で、本ブログの縄文海進のページで紹介しました、「小仙波貝塚」がその一つにあたる様です。
・香取海/古鬼怒湾
しかしこれは、現東京付近の話で、今の利根川(徳川の時代に、利根川は付け替えられ、千葉・茨城へと流れているので、あえて「今の利根川」と言う言い方をしました)付近はどうなっていたか、調べてみますと、「香取海」なる言葉に、行きあたりました。これを、Wikipediaの力を借り、調べてみますと、以下の様にあります。
”香取海(かとりのうみ)は、古代の関東平野東部に太平洋から湾入し香取神宮の目前に広がっていた内海を指し、古文書には内海(うちうみ)、流海(ながれうみ)、浪逆海(なさかのうみ)などの名で現れる。江戸時代前まで下総・常陸国境に存在し、北の常陸国信太郡と南の下総国香取郡・印波郡とを隔て、鬼怒川(および小貝川・常陸川)が注いでいた。現在は利根川が流れている。(略)
縄文時代:海面後退期に鬼怒川によって形成された侵食低地の河谷に縄文海進により海水が流入して内海が作られ、学術的には古鬼怒湾と呼ばれる。霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼までつながり、鹿島灘にはっきりと湾口を開いていた。また鬼怒川河道では下妻付近、常陸川は境町付近、飯沼川は古河市付近まで入り江が奥深く入り込み、周囲には多くの貝塚が分布している(略)”
https://ja.wikipedia.org/wiki/香取海
香取海=古鬼怒湾と言う事の様です。この辺り、地理院の地図でもう少し調べてみますと、別記事で、小江戸として有名な佐原をご紹介しましたが、佐原の街の中は、香取海(=古鬼怒湾)の中でしたが、香取神社は、陸の上にあった様です。やはり、歴史ある神社仏閣は、しっかりした場所に建てられていると改めて思った次第です。
・地球膨張説
では話を戻し、「地球膨張説」にスポットを当てたいと思います。同じ様に、Wikipediaの力を借り、調べてみますと、以下の様にあります。
”地球膨張説(ちきゅうぼうちょうせつ、Expanding Earth)は、地球が膨張することによって地殻が拡張し、大陸が分裂し移動したとする仮説。19世紀末に提唱され、1960年代に海洋底の拡大を説明する説として注目されたが、プレートテクトニクスの台頭とともに影響力を失った (略)
地球膨張説の現状:地球膨張説はかつては研究者らによって真剣に検討された仮説であるが、マントル対流説に敗れた仮説である。2011年に行われたより詳細な地球の測量では、測定限界年0.2mmの精度では地球は膨張も収縮もしていないという結果が出ている(仮に膨張していても年0.2mm以下である)。また古地磁気の研究結果によると4億年前の地球の半径は現在の102%(± 2.8%)だったというデータが出ている。地球の慣性モーメントの研究からは、6億2千万年前から地球の半径に大きな変化がなかったことが示されている(略)”
https://ja.wikipedia.org/wiki/地球膨張説
この説が正しければ、いつ地球は破裂してしまうんだろうか? なんて思ってしまいまい、中々興味深い仮説でしたが、どうやら真相では無い様で、安心しました。同時に、「古地磁気」なる言葉が、次に気になってしまった次第です。
・古地磁気 ⇒ 地磁気逆転
早速、古地磁気をWikipediaの力を借り、調べてみますと、「古地磁気学」の項目に行きあたりました。こちらによると、以下の様にあります。
”古地磁気学(こちじきがく、英語: paleomagnetism)とは、岩石などに残留磁化として記録されている過去の地球磁場(地磁気)を分析する地質学の一分野。火山岩や堆積岩には、それができた時のできた場所の磁場が記録されており、それを分析することで、地磁気の逆転や大陸移動の様子などを調べることができる”
https://ja.wikipedia.org/wiki/古地磁気学
「へーっ」と思いつつ、概要理解しましたが、一点気になるポイントがありました。「地磁気の逆転」です。早速、同じく、Wikipediaの力を借り、再度検索をかけてみると、以下の様にあります。
”(略) 現在判明している逆転期:過去360万年の間に11回は逆転し、現在では、2つの逆磁極期があったことが判明している。589.4万年前から358万年前の逆転期は、「ギルバート」と名づけられ、258.1万年前から78万年前の逆転期は「松山」と名づけられている。なお、国立極地研究所らの研究によれば、より精密な年代決定を行った結果、最後の磁気逆転の時期は約77万年前と報告されている。(略)”
htps://ja.wikipedia.org/wiki/地磁気逆転
私には、かなり衝撃的な内容でした。北はN極、南はS極と教えられ、これは普遍的なものであると、勝手に思っていたからです・・・。過去にこの、地磁気逆転があったと言う事は、これからもありうると言う事になりますが、本当に起こってしまったらどうなってしまうのでしょうか? 現在、「北極点が少しづつづれている」なんて話も聞きますし、上記の図を見ていると、一見、「現在と同じ極性の期間の方が短い」様に見えてしまいますが、今回の調査はここまでにして、改めて調べて見ようと思った次第です。
【最後に】
上記、誠に勝手ではありますが、個人的に面白いと思ったワードで「はしご」をし、その内容を皆様に共有させて頂きました。雑学程度にしかならないかもしれませんが、一つの事を調べると、周辺の事にも興味が湧き、「大人の言葉遊びって楽しいな、一生終わらないな」と思った次第です。
同時に、断片的ではありますが、上記の様な言葉を調べる事で、改めてですが、「私達の知っている言葉や、地形と言うものは、正確性や考え方も含め、普遍的な物でなく、変化し続けるものだと」再認識させられた思いを持ちました。入口は、縄文海進でしたが、それよりも前の時代の気候や海面レベルに興味が行ったり、縄文海進を裏付ける貝塚に興味が湧いたり、その過程で出会った「ワード・言葉」にも興味が行き、更に違った視点で様々な考察が湧いてきて(勝手な考察ですが・・・)、また新しい調べ物をしたくなる。大人の楽しみ方としては、決して悪くないのでないかと、思った次第です。皆様もそんな「言葉の ”はしご”」楽しんでみてはいかがでしょうか?
「縄文海進時代の海岸線に考察を加えた記事」、「縄文海進時代よりも前の時代の海岸線を考えた記事」、「縄文海進を支える貝塚の分布に関する考察」、「縄文海進を調査中に出会った興味深い言葉」(本記事)といった内容で、それぞれ記事を記載していますので、併せてご参照ください。