【はじめに:吉見百穴の基本情報】
本日は、東武東上線の東松山駅から、徒歩30分程度で行け、古代と戦時中、そしてファンタージーの世界をそれぞれ感じる事が出来る、吉見百穴をご紹介します。
まずは、基本情報を押さえますと、アクセスは上記の通り、東松山の市街地からも近く、駐車場もありますので、車でも、電車+徒歩でも、バスでも、自転車でも行けます。目の前を、北から南に市野川が流れ、その堤防には桜並木が連なっており、春の季節の散策は心がウキウキする場所です。一方、冬に散策すると、吉見百穴の全体像が良く見え、これはこれで見応え十分。季節毎の見方で楽しむ事が出来ます。
「日本のカッパドキア」とも言われる吉見百穴、アクセスが良いのは、観光地としては、重要です。こんなアクセスの良い吉見百穴ですが、Wikipediaの力を借り、史跡としての基本情報を押さえますと、以下の様にあります。
”吉見百穴(よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ)は、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群の遺跡。太平洋戦争下の地下軍需工場建設のために破壊された十数基を除いても、219基が現存している。1923年(大正12年)3月7日に国の史跡に指定された。2020年(令和2年)現在、有料で一般公開されている”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉見百穴
簡単に言ってしまうと、「古代の集合墓地」と言う事の様です。かなり大きな遺跡で、高い崖に沿って、多くの穴が開いてますので、遠くからも目に飛び込んできます。日本史の教科書でも写真を見たことがある方が、多くいらっしゃると思いますが、初めて生で見ると、恐らくですが、多くの方が、「異様な光景」と思われるのでないかと思います。私達夫婦も、川越に住み始めた初めの頃なので、もう30年近く前に、初めてお伺いしたのですが、異様な光景に、思わず口をぽっかりと開けて、見入ってしまった事を記憶しています。
また、軍事工場だったと言う事もある為が、大きな穴もあり、中に入る事が出来ます。見学できる範囲は制限されているようですが、一歩中に入ると、異世界が広がります。何度か参らせて頂いた中で、特に印象に残っているのは、夏にお邪魔した時で、夏の暑くまぶしい日差しの中から、急に暗い空間に入って行くのですが、中は非常に涼しく、そのギャップに驚くと同時に、若干の恐怖を感じた記憶があります。「地下はこんなも涼しいのか!」と、皆様にも感じて頂きたいと思います。
【本当に集合墳墓なのか?】
ところで、この吉見百穴、「日本カッパドキア」と言われいますが、ご承知の通り、カッパドキアの代名詞とも言える、「岩石遺跡群」は、人が生きてる営みの中でできた遺跡と言われている認識です。Wikipediaの力を借りますと、以下の様にあります。
”ギョレメ国立公園(トルコ語:Göreme Milli Parklar)はトルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園である。奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として指定された。この地域への初期の移住は キリスト教が伝播した頃の古代ローマ後期にさかのぼる。史跡の中にはギョレメのオルタハネ、ドゥムス・カディル、ユフス・コックとベジルハネの教会、岩から彫られた家々と縦抗がある。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/ギョレメ国立公園
一方の吉見百穴は、集合墳墓と言われているので、お墓で人の営みと言えば営みですが、死者を葬った場所。根本的な目的が違いますので、『吉見百穴の景観が、「カッパドキアの岩石遺跡群」に似ている』と言う事だけで、「日本のカッパドキア」と言われている』と言う事は、ご承知の通りだと思います。
しかし、実際に園内に入り、真下からこの高い崖に、無数の人工的な穴が、整然と開いている様は、集合住宅にも見えます。事実、吉見百穴の発掘当初は、『先住民の小人(コロポックル)の住居跡』と言う、説があった事もある様です(現在では、”かつての説” 認識ですが)。私は、学者ではありませんし、何もわかりませんが、その景観を拝見した時、「はるか昔の高級シェアハウス」と言われても、納得できるものだと思いました。
日中は外で狩りを行い、また煮炊き等は外で共同で行い(リビング・ダイニング)、寝るときはそれぞれの部屋(岩の穴)で休む形であれば、非常に快適な空間になるのでないかと思った次第です。もしかしたら、カプセルホテルよりも、広く・快適化もしれませんし…。そして思うのです、「本当にコロポックルがいたのでないか」と…。童話の世界でも、アニメの世界でも、映画の世界でも、小人は描かれています。恐らく多くの人は、「コロポックルにいてほしい」と思っているのでないかと推察します。科学的観点からは、集合墳墓としての説が正しいのでしょうが、ファンタジーとしては、コロポックル説を信じ、「その小人達」が、はるか昔にこの場所で、平和な共同生活を送っていたと思う事で、夢の広がる場所になると思った次第です。
【最後に】
古代の視点では、横穴集合墳墓として、戦争(第二次大戦)時代の視点としては、軍事工場として、ファンタジーの視点では、コロポックルの住居として、それぞれの視点でこの吉見百穴を見ると、3倍のこの場所を楽しめると言う事になります。またすぐ近くには、別記事で紹介しました、松山城(武蔵国)もあるので、ここもセットで訪問すれば、上記3つの視点に加え、戦国の視点も加わり、更に楽しみが増します。もっと言ってしまえば、こちらも別記事で触れていますが(岩室観音堂、ポンポン山、吉見観音等)、東松山・吉見の散策も一緒に行う事で、この地域を更に楽しめるのでないかと思った次第です。皆様も機会がありますれば、東松山・吉見の地域を大人散策・ポタリングしてみては、いかがでしょうか?