白川郷・五箇山の合掌造りとは?
豪雪地帯に適応した急勾配の茅葺き屋根を持つ伝統建築で、養蚕業と大家族制を支えるための構造が特徴です。
なぜ合掌造りは世界遺産に登録されたの?
自然環境と共生した生活文化、伝統建築、集落景観が評価され、1995年に世界文化遺産に登録されました。
白川郷と五箇山の違いは?
白川郷(荻町)は規模が大きく観光整備が進み、五箇山(相倉・菅沼)は静かで生活感の残る集落が特徴です。
合掌造りの見どころは?
茅葺き屋根、太い梁組、養蚕に使われた屋根裏、雪国の生活道具、展望台からの集落景観などが見どころです。
【はじめに】

飛騨高山・白川郷巡るモデルコース:3泊4日の歴史・文化満喫旅 ~飛騨高山・白川郷の旅シリーズ まとめ記事~
こちらのページでは、「世界遺産『白川郷・五箇山の合掌造り集落』とは? と言った内容で、それぞれの概要・特徴を大人散策の前段階の事前情報として共有」させて頂きます(実際の『大人散策@世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」』に関しては、別記事をご参照ください)。
📚本記事で得られる情報📚
✅「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に関連する概要
✅「白川郷・五箇山の合掌造り集落」のそれぞれの集落の比較に基づいた楽しみ方








皆様は世界遺産の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に脚を運んだことはありますでしょうか? ご承知の通り、飛騨高山・白川郷(五箇山)は、関東圏からですと、少々アクセスしにくいエリア。つまり、高山に鉄道は通っているのものの、富山 or 名古屋(岐阜)経由でのアクセスになるので、新宿から高速バスでのアクセスが良い気がしますが、川越居住の私達夫婦にとって、「それなら車で行けばいい…」と思いつつも、「4-5時間の運転」にたじろぎ、中々訪問が出来ていなかったという事です。言い換えると、「長年、一度は行ってみたいいけど、中々脚を運べないスポット」だったのですが、別記事で紹介している「高山の旅(高山陣屋・高山城・櫻山八幡宮・高山の街並みを感じつつ大人散策・飛騨山王宮 日枝神社・飛騨一宮 水無神社等)」に併せ、ついに訪問がかなった次第です。
そんな「飛騨高山・白川郷の旅」の中でお邪魔させて頂いた、世界遺産の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」。「日本の古き良き時代を感じる」と言った、「よく耳にする言葉では表現できない程満足度の高い大人散策」を実行できた次第ですが、それは事前にある程度、この地域に関し情報収集(勉強?)していた為と理解しております。言い換えると、「日本の本物のすばらしさ」を感じるには、「ちょっとだけでいいので事前に情報集をする」事で、「ただの散策が、大人散策になる」と強く思ったエリアだったという事です。






「と言う訳で…」ではありませんが、こちらのページでは、「白川郷・五箇山の合掌造り集落の大人散策にあたっての、抑えるべき事前情報」を共有させて頂きます。すなわち「世界遺産『白川郷・五箇山の合掌造り集落』とは? と言った内容で、それぞれの概要・特徴を大人散策の前段階の事前情報として共有」させて頂きます(実際の『大人散策@世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」』に関しては、別記事をご参照ください)。
【世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」とは?】
まずは、『世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」』の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の項目には、以下の様にありますが、引用が長い為、続いてマトリックスで、「白川郷・荻町集落」・「五箇山・菅沼」・「五箇山・相倉集落」をそれぞれまとめておりますので、併せてご参照ください(引用読まなくても大丈夫です)。
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白川郷・五箇山の合掌造り集落(しらかわごう・ごかやまのがっしょうづくりしゅうらく)は、飛越地方の白川郷と五箇山にある合掌造りの集落群である。1995年(平成7年)12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、日本では6件目の世界遺産となった。
歴史 (略)
白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)は、いずれも飛越地方庄川流域の歴史的地名で、白川郷は上流域、五箇山は中流域である。白川郷は荘白川(しょうしらかわ)ともいい、現在は岐阜県大野郡白川村と高山市荘川町に分かれている。五箇山は富山県の旧東礪波郡平村、上平村、利賀村の3村に含まれていたが、現在はいずれも南砺市に属する。
この地域は、白山信仰の修験者や平家の落人伝説とも結びつきが深い。地名としての白川郷は12世紀半ば、五箇山は16世紀にそれぞれ確認できるが、合掌造りがいつ始められたのかは定かではない。江戸時代中期にあたる17世紀末に原型ができたと推測されている。
江戸時代の白川郷は高山藩領と浄土真宗照蓮寺領となり、前者はのちに天領となった。一方の五箇山は加賀藩領となり、塩硝生産が保護されていた。 (略) 稲作に不向きな土地柄で養蚕とともに発達した家内工業の一つであった。一帯では現在は水田が見られるが、それらのうち少なからぬ部分が戦後に転作されたものであり、もともとの農業の中心は、焼畑によるヒエ、アワ、ソバ、および養蚕のための桑である。ヒエやアワの収穫は自給分が精一杯であったから、その分家内工業の存在が大きくなった。
合掌造りは、そうした家内工業の発展にあわせて、大型化、多層化していったと考えられている (略)合掌造りの発達 (略)
「合掌造り」はそれほど古い用語ではなく (略) その定義は一様ではないが、日本政府が世界遺産に推薦した際には、「小屋内を積極的に利用するために、叉首(さす)構造の切妻造り屋根とした茅葺きの家屋」と定義づけた。名称の由来は、掌を合わせたように三角形に組む丸太組みを「合掌」と呼ぶことから来たと推測されている。
日本政府の定義では、屋根の急勾配に触れられていないが、実際のところ、合掌造りの屋根はおよそ45度から60度まで幅があり、初期のものほど傾斜がゆるい傾向にある。この傾斜は、豪雪による雪下ろしの作業軽減や多雨地帯でもあることによる水はけを考慮したものと考えられている。合掌造り家屋の中では、家内工業として和紙漉き、塩硝作り、養蚕が行なわれていたが、このうち明治時代以降も継続され、家屋の大型化にも大きく寄与したのは養蚕業であった。
養蚕は地域によっては住居と別棟を作って行うこともあったが、山間にあった集落では少しでも農地を確保するために、住居の屋根裏を活用する必要があったと考えられている。合掌造りが切妻屋根を採用したのも、入母屋造や寄棟造に比べて屋根裏の容積を大きく取れるからであると指摘されている。また、屋根の勾配を急にしたことは、屋根裏に二層もしくは三層の空間を確保することにつながり、豪雪への対策以外に養蚕業にとっても都合が良いものであった。ことに、気候によって普通ならば他の地域のように年に2回蚕を育てることが難しい白川郷や五箇山では、春の遅れを生活で出る暖気によって補うためにも、屋根裏を有効活用する必要があったのである。屋根裏の床材には竹簀が利用され、煙などが屋根裏に抜けやすいようになっている。切妻造 (Wikipediaより) 入母屋造 (Wikipediaより) 寄棟造 (Wikipediaより) また、白川郷の合掌造り屋根はいずれも妻を南北に向けているが、これは以下の3つの効果を期待してのものとされる。
・屋根に満遍なく日が当たるようにし、冬場の融雪と茅葺き屋根の乾燥を促進させるため。
・集落は南北に細長い谷にあり、それぞれの方向より強い風が吹くことから、風を受ける面積を少なくするため。
・夏場は逆に屋根裏部屋の窓を開放し、南北の風を吹き抜けさせることで夏蚕が暑さにやられないようにするため。合掌造りの床面積の広さや多層化は、集落の大家族制とも結びついている。かつての白川郷や五箇山では、せまい耕作地が相続によって細分化されることなどを防ぐために、結婚できるのは長男だけだった。その結果として、一つの住居に家長とその嫡流だけでなく、傍系に当たる親族や使用人たちも多数暮らす形となり、力をあわせて農業や家内工業に精を出したのである (略)
屋根組みには釘を1本も使わず、丈夫な縄で固定する。これは、雪の重さや風の強さに対する柔軟性を生み、家の耐久性を増す工夫とされている。なお、建物そのものに釘を一切使わないわけではなく、床板などの打ち付けには使われている (略)
合掌造りはその保全のために、30年から40年に一度のピッチで大規模な補修や屋根の葺き替えを行う必要がある。これは多くの人手と時間を要する大掛かりなものであり、住民総出で行われた (略)保存に向けた動き
白川郷と五箇山の集落地帯は、有数の豪雪地帯であったことから周囲との道路整備が遅れ、結果として奇跡的に合掌造りの住居構造が残ることになった (略)
1930年代に日本の主要な建築物を見て回っていたドイツの建築家ブルーノ・タウトは、1935年(昭和10年)5月17日と18日に白川村を訪れ、同じ年の講演においてこう評した。
これらの家屋は、その構造が合理的であり論理的であるという点においては、日本全国を通じてまったく独特の存在である。
— ブルーノ・タウト、「日本建築の基礎」(於華族会館、1935年(昭和10年)10月)
この評価は、民家研究の黎明期にあった日本において、合掌造り家屋の価値を認識させる上で重要だったとされる。タウトのこの評言は、後に日本政府が世界遺産に推薦する際に、合掌造り集落が持つ顕著な価値の証明としてそのまま引用することになる。白川郷 かやぶき屋根の修繕前と後 白川郷 消火栓と建造物 五箇山 相倉集落内にあった看板 五箇山 菅沼集落内にあった看板 電源開発の御母衣ダム
しかし、第二次世界大戦後は電源開発の影響、産業の衰退、人口の都市部流出などもあって、多くの家屋が廃屋となった。庄川流域にはいくつものダムが建造されたが、特に日本最大級のロックフィルダムである電源開発の御母衣ダム(1961年(昭和36年)完成)の建設時には、白川郷の4集落が水没した (略) 相次ぐダム建設や高速道路建設などの公共事業の存在は、第一次産業人口の減少と相まって、残された地域の産業構造を変化させたとも指摘されている (略)
しかし、それと並行して、伝統的な家屋形式をこれ以上失ってはいけないと、近隣住民を中心に文化遺産保存の機運が高まることになる。五箇山では1958年(昭和33年)に3つの民家(村上家住宅、羽馬家住宅、岩瀬家住宅)が国の重要文化財に指定され、1970年(昭和45年)には相倉集落と菅沼集落が国の史跡となった。
白川郷でも住民たちから集落を守ろうとする動きが起こり、1971年(昭和46年)には「荻町集落の自然環境を守る会」が発足し、野外博物館「白川郷合掌村」も生まれた。そして、1975年(昭和50年)の文化財保護法改正で伝統的な集落や街並み(伝統的建造物群)も保護対象になったことを踏まえ、翌年に荻町集落の重要伝統的建造物群保存地区選定に漕ぎ着けた。「荻町集落の自然環境を守る会」では、合掌造り家屋について「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を掲げ、保存活動を行ってきた。ただし、過疎化に対応し、2023年からは「貸さない」についてはルールの緩和が行われることとなった。世界遺産への登録経緯
日本は世界遺産条約を批准した1992年(平成4年)に、10件の文化遺産と2件の自然遺産を世界遺産の暫定リストに掲載した。「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、そのうちの一つである。1994年(平成6年)9月に推薦書がユネスコの世界遺産センターに提出された (略)
日本政府は推薦理由として、日本の木造建築群の中でもきわめて特異な要素、すなわち急勾配の屋根、屋根裏の積極的な産業的活用などを備えていることや、そのような集落が、それを支える伝統的な大家族制などとともに稀少なものになってきており、保護の必要性があることなどを挙げていた (略)
1995年(平成7年)12月の第19回世界遺産委員会(ベルリン)で初めて審議され、世界遺産リストへの登録が認められた。人が住み続けている村落で世界遺産に登録されたのは、ホッローケー(ハンガリー、1987年)、ヴルコリニェツ(スロバキア、1993年)に続いて3件目だった。登録基準
日本政府はこれが国内でも特異な伝統集落であり、稀少なものになっていることを理由として挙げ、登録基準(4)と(5)に合致すると主張した。ICOMOSの評価でもそれは追認され、世界遺産委員会でも覆ることはなかった。
そのため、この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例 (略)
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例 (略)
ちなみに、日本の文化遺産20件のうち、適用された基準に(4)を含むものは他に10件あるが、(5)を含むものはこれと「石見銀山遺跡とその文化的景観」「北海道・北東北の縄文遺跡群」しかない(2021年(令和3年)の第44回世界遺産委員会終了時点) (略)世界遺産登録後
世界遺産登録後も、独特の景観を守ろうとする努力は行なわれている。茅葺きの木造建築という特徴から、もともと火事に対する意識は高く、荻町地区では「組」単位で1日に3回(昼、夕方、21時)、「火の用心」を呼びかけて見回りを行っている。また、当番を決めておいて23時に集落全体を見回る「大まわり」も実施されている。荻町には重要伝統的建造物群保存地区選定後に設置された放水銃も50基以上あり、毎年秋に一斉放水する訓練が行われている。
電線を地中に埋設することなども行なって景観保護に配慮されている (略)登録対象
「白川郷」や「五箇山」のうち、合掌造りの集落が良好に残っている3集落、すなわち白川郷の荻町集落と、五箇山の相倉・菅沼の両集落のみを対象としている (略) 地域的な広がりと差異を示すものであるが、五箇山で2箇所選ばれたのは、大規模(荻町)、中規模(相倉)、小規模(菅沼)という集落の多様性を示すためでもあった。■ 荻町集落
荻町集落(おぎまちしゅうらく、英: Ogimachi Village)は、白川村の一部で、南北方向に約1,500メートル、東西方向には最も広いところで350メートルの広がりを持っている集落である。状態の良い合掌造り住宅59棟が残るが、明善寺庫裏の様式も合掌造りに分類されるため、これを含む場合は60棟となる。世界遺産の登録面積は45.6ヘクタールで、世界遺産登録面積の約3分の2を占める。
この集落の合掌造り家屋は、おおむね江戸時代末期から明治時代末期に建てられた。ほかに合掌造りを改築した住居や、合掌造りでない住居群もあるが、いずれも明治時代初期から20世紀中頃までに建造されたもので、十分に伝統的な集落の景観に調和しているとされる (略) 荻町の合掌造り集落は妻を南北に向けて整然と並んでいる点に特色があり、家ごとの塀がないことと相まって、それが独特の景観を形成している。集落の北側には、高台の城山城址の展望台があり、荻町集落全体を見渡すことができる (略)白川郷 白川郷 白川郷 白川郷 和田家住宅 (略)
荻町の合掌造り家屋の中で、特徴的なのは和田家住宅である。これは江戸時代に塩硝の取引で栄えた名主の家で、国の重要文化財に指定されている。江戸時代末期の建築と推測され (略) 有力者の家屋であるため他よりも大きく、特別な客を迎えるための式台が存在している点で通常の合掌造り家屋と顕著に異なる。■ 相倉集落
相倉集落(あいのくらしゅうらく、英: Ainokura Village)は、富山県南砺市の旧平村に含まれる集落で、世界遺産登録の3集落では最も北にある。後述する菅沼集落とともに北陸3県では唯一の世界遺産である。唯一南北方向に約500メートル、東西方向に約200メートルから300メートルほどの広がりを持ち、20棟の合掌造り家屋が残る集落で、世界遺産登録範囲は18ヘクタールである。
現在残る合掌造り家屋は主として江戸時代末期から明治時代末期に建てられたものである。その入り口の多くは妻入り(追記:つまいり=屋根の短い面(三角形の屋根の形が見える側)に玄関がある家)であり、平入り(追記:ひらいり=屋根の長い面(軒先側)に玄関がある家)を中心とした白川郷の合掌造りとは趣を異にし、その妻側の下屋の存在によって一見すると入母屋造のようにも見える。また、屋根に煙抜きが存在する点も異なっている (略)
現在では水田の景観が見られるが、かつての平村では4番目に大きい集落であるとともに養蚕業が最も盛んな集落であり、桑畑が多く見られた。水田への転作は第二次世界大戦後のことである。五箇山 相倉集落 五箇山 相倉集落 五箇山 相倉集落 五箇山 相倉集落 ■ 菅沼集落
菅沼集落(すがぬましゅうらく、英: Suganuma Village)は、富山県南砺市の旧上平村に含まれる集落である。相倉集落とともに北陸3県では唯一の世界遺産である。南北方向に約230メートル、東西方向に約240メートルという広がりを持ち、9棟の合掌造り家屋が残る集落で、世界遺産登録面積は4.4ヘクタールである。
合掌造り家屋のうち、江戸時代末期に建てられたのは2棟で、6棟は明治時代に建てられている。残り1棟は大正時代末期に当たる1925年(大正14年)に建てられた。妻入りで外観が入母屋造に似ているという点は相倉集落と共通する。
塀などがない点は他2つの集落と同じだが、他所と比べて土地がせまいため、住居区域と農業区域が分けられている点は特徴的である (略)五箇山 菅沼集落 五箇山 菅沼集落 五箇山 菅沼集落 五箇山 菅沼集落 観光地化
世界遺産登録後、急激に観光客が増加している。五箇山は世界遺産登録直後に約60万人から90万人に急増したが、その後やや落ち着き、2001年(平成13年)以降は70万人から80万人くらいで推移している。
これに対し白川村は、世界遺産登録の数年前には年間観光客数が60万人台後半で推移していたが、2002年(平成14年)には150万人を突破した。白川郷 多くの観光客 白川郷 多くの観光客 白川郷 多くの観光客 急激に進んだ観光地化は、地域社会の生活面で様々な問題を引き起こしている。実際に人が住んでいることへの配慮に欠ける観光客が勝手に戸を開けるなど、住民のプライバシーを尊重しない重大なマナー違反もしばしば指摘される。
また、生活道路にまで観光客の自家用車が多く見られ、無断駐車も含め、住民生活に悪影響を及ぼしている。そうした混雑が観光地の良さを減殺しているとも指摘されている。白川村では2001年(平成13年)の交通社会実験を皮切りに交通対策に取り組んでおり、2009年(平成21年)9月から大型バスの通行規制が敷かれている (略)
なお、観光客の増大とは逆に一人当たりの滞在時間は減っており、宿泊客はむしろ漸減傾向にある。特にトイレ休憩・ゴミ捨て休憩を兼ねて短時間しか滞在しない団体旅行客の存在は、村にとって環境悪化を招くだけという指摘もある。滞在時間減少の理由としては、観光客の側に世界遺産の価値を深く理解しようという意思が欠けていることや、交通の便が良くなったことで往復が容易になったことなどが指摘されている (略)
以上が引用になりますが、少々長い引用ですので、マトリックスで、「白川郷・荻町集落」・「五箇山・菅沼」・「五箇山・相倉集落」に付き、そのポイントをまとめさせて頂くと以下の感じになります。
| 世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の比較 | 白川郷 | 五箇山・相倉 | 五箇山・菅沼 |
| 所在地(集落) | 荻町集落 | 相倉集落 | 菅沼集落 |
| 所在地 | 岐阜県大野郡白川村 | 富山県南砺市(相倉集落:旧平村、菅沼集落:旧上平村)にあり、北陸4県で唯一の世界遺産 | |
| 共通点 | ①世界遺産である事 ②合掌造りの家屋が見られる事 ③現在みられる合掌造りの家屋は、主に江戸末期から明治期に建てられた事 ④庄川の流域にある ⑤稲作に不向きな土地柄で、塩硝作り・養蚕とともに家内工業が発達⇒合掌造りの大型化・多層化 | ||
| 庄川流域の… | 上流域 | 中流域(の下流) | 中流域(の上流) |
| 規模 (合掌造り家屋数) | 大規模(約60棟) | 中規模(20棟) | 小規模(9棟) |
| 建造物の特徴 | ・妻を南北に向けて整然と並んでいる ・合掌造りは同じだが、平入り(ひらいり=屋根の長い面(軒先側)に玄関がある家)中心 | ・合掌造りは同じだが、外観が入母屋造に似ており、妻入り(つまいり=屋根の短い面(三角形の屋根の形が見える側)に玄関がある家)中心 | |
| 土地活用の特徴 | 塀が無い | 塀が無い事は同じだが、他所と比べて土地が狭い為、住居区域と農業区域が分離 | |
| 歴史 | 江戸期:高山藩領・浄土真宗照蓮寺領 ⇒天領・浄土真宗照蓮寺領 | 江戸期:加賀藩領 | |
| 観光 | 世界遺産登録後、急激に観光客が増加し、現在も多くの観光客が押し寄せ、地元住民の方に様々な問題を引き起こしている | 世界遺産登録後、急激に観光客が増加したが、 現在は、落ち着きつつある | |






上記マトリックスの通りですが、ポイントをまとめさせて頂くと、
『世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」』は、庄川流域の「荻町集落(=白川郷・大規模)」・「相倉集落(五箇山・中規模)」・「菅沼集落(五箇山・小規模)」の集落から構成され、全てのスポットで「江戸末期から明治期に建てられ、家内工業により発達した合掌造りの建造物」を拝見できるが、「妻入り」 or 「平入り」、「土地活用の仕方」、「辿ってきた歴史」、「現在の観光地化度合い」と言った違いも楽しめる「大人散策スポット」
と言った理解をさせて頂いた次第です。
【「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に実際に脚を運んで感じた所感】
上記、『世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」:荻町集落・相倉集落・菅沼集落』に付き、その共通点や相違点をマトリックスで記載させて頂きましたが、こちらの段落では、それぞれのエリアに関する「定性的な情報(=主観)」を共有させて頂きます(実際の『大人散策@世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」』に関しては、別記事をご参照ください)。
レストラン予約するなら、以下、いかがでしょうか…
「一休レストラン予約プログラム」・「
ホットペッパーグルメ」それとも「
食べログ」
■ 白川郷・荻町集落
白川郷・荻町集落は、3つの集落の中で、最も広く、そして最も海外色豊かで、最も観光地化された印象のエリアでした。駐車場は、荻町集落と川(庄川)を挟んだ反対側にあり、大きなスペースが確保されています。その川を「歩行者専用の橋」を渡って、荻町集落のエリアに入るのですが、観光客は世界中からこの地に脚を運ばれている印象で、海外からの観光客の数の方が多い様に感じられ、「日本の原風景 & 海外からの観光客」と言ったちょっと不思議な感覚を持った次第です。しかし「街並みはさすが!」の一言。このエリア内は、基本徒歩で巡る理解で、隅々まで回るにはちょっと時間を掛ける必要がある理解ですが、日本であっても中々目にする事はない建造物をまじかに拝見する事が出来、「ここが白川郷か!、ついに来たぞ!」と思ってしまいました。
そんな中で、お勧めしたいスポットは2か所。1つは、白川郷の特色(妻を南北に向けて整然と並んでいる建物)を、集落の全体図と共に拝見できる「城山の展望台」、そして2つ目は、白川郷における建造物の代表格と言って良い理解で、国の重要文化財に指定されている「和田家住宅」。確かに大規模な集落で、隅から隅まで回って白川郷を堪能する事がベストだと思いますが、仮に時間が無くても、最低限この2か所:「城山の展望台」・「和田家住宅」に脚を運べば、間違いなく「ついに白川郷来たぞ!」と思えるはずと思う次第です。
自身のお宿予約は、基本「一休」or「じゃらん」の2択で、プラス… :
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Relux(Loco)」





■ 五箇山・菅沼集落
五箇山・菅沼集落は、3つの集落の中で、最も小規模で、海外からの観光客はほとんどおらず、最もこの地域の歴史を残している印象のエリアでした。駐車場は156号線から直接入る事が出来ますが、そこからは、(徒歩でも行ける理解ですが)エレベータで、菅沼集落エリアに降りていきます(=駐車場の位置は、集落のエリアよりも高い場所にありました)。エレベータを下りて、右側(世界遺産のエリア)・左側(合掌の里がある方)の両方にエリアが広がっている様で、右側のエリア(世界遺産のエリア)には、限られた範囲の印象ですが、(当然と言えば当然ですが…)現在でも多くの方が生活を営んでおり、ちょっとした売店 兼 休憩所もありましたが、左側(合掌の里がある方)のエリアは、そういった印象はなく、人の気配もほとんどなく建造物をじっくり拝見できるエリアと言った印象を持った次第です(お邪魔したのは、2025年5月で、ちょうど静かなタイミングだったのかもしれません…)。
そんな菅沼集落でおすすめしたい楽しみ方は、①特に右側のエリア(世界遺産のエリア)内をじっくり散策する(エリア規模は限定的なのでさほど時間はかかりません)、②菅沼橋を渡って「庄川越しの集落全体図」を見学する、と言った感じが良いのでないかと思います。つまり、3つの集落の中で最も小規模な集落ですので、「じっくり、そして様々な角度から、大人散策@菅沼集落」を楽しむべきと思った次第です。





■ 五箇山・相倉集落
五箇山・相倉集落は、3つの集落の中で、中規模集落になる為か、多少海外からの観光客もいらっしゃり、「適度に観光地化されつつも、このエリアの歴史も感じる事が出来るスポット」と言った印象のエリアでした。相倉集落ヘは、156号線からほんの少し道をそれ、304号線から少し入った所に、駐車場があり、そこから散策を開始する事が出来ます。3つの集落の中で、中規模集落と言っても、散策範囲は限定的の印象で、隅から隅まで見学する事が可能ですし、売店 兼 休憩所もありました。更には、(お邪魔していませんが)宿泊施設もある様で、「一晩お世話になると、良い体験になるかも…」と思った次第です。
そんな相倉集落でおすすめしたい楽しみ方は、①展望台から「集落全体図」を見学する、②中央の広い道だけではなく、あぜ道的な通路も楽しみつつ、建造物を満喫する(通って良い場所といけない場所があると思うので、マナーは守るべきですが…)と言った感じが良いのでないかと思います。つまり、集落の全体図を理解し、楽しみつつも、建造物の特徴も様々な角度から楽しんで頂くのが良いと思った次第です。





【最後に】
温泉・体験商品満載のカタログギフト「おとなの旅日和」
「旅をする」のもいいですが、「旅を贈る」のもいいかもしれません…
以上が、「世界遺産『白川郷・五箇山の合掌造り集落』とは? と言った内容で、それぞれの概要・特徴を大人散策の前段階の事前情報として共有」申し上げた内容になります(実際の『大人散策@世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」』に関しては、別記事をご参照ください)。
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に付き、「荻町集落・相倉集落・菅沼集落」の概要をマトリックスで比較しつつ共有させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 全くのノープラン・事前の情報収集なしでは、さもすれば「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、「1つのスポット」と思ってしまう可能性すらあるかもしれませんので、上記の簡単な事前情報を抑える事で、「大人散策@白川郷・五箇山の合掌造り集落」を遂行できると思う次第です! 実際の『大人散策@世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」』に関しては、別記事で、多くの写真・詳細マップ/ルートと共に紹介して負いますので、併せてご参照頂き、皆様が、「大人散策@白川郷・五箇山の合掌造り集落」を完遂される事切望しております!
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