飛騨国の国府はどこにあった?:地形と歴史・神社仏閣と古代政治/官道の関係から勝手に推察! ~飛騨高山・白川郷の旅シリーズ~

飛騨国 国府

【はじめに】

こちらのページでは、「『飛騨国の国府は何処にあったのか?』と言う疑問に対し、現在言われるいくつかの説を列挙した上で、歴史・地形・神社仏閣・古代官道等、いくつかの視点を加え勝手な考察」をさせて頂きます。

📚本記事で得られる情報📚
飛騨国 国府の場所」に関連する「いくつかの仮説」
飛騨国 国府の場所」に関連する「勝手な仮説(妄想)」

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2025年5月、3泊4日で「飛騨高山・白川郷の旅」を実施させて頂きました。高山市街地の古い町並み」・「高山陣屋」・「高山城址」・高山祭の源:「日枝神社 / 櫻山八幡宮」・「飛騨一宮水無神社」・「飛騨の里等に加え、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」にも脚を伸ばし、「飛騨高山・白川郷の旅」を満喫させて頂きました。そんな中で参らせて頂いたのが、「飛騨国分寺」・「辻ヶ森三神社(≒ 国分尼寺跡」・「飛騨総社」。なぜ、「飛騨国分寺」・「辻ヶ森三神社(≒ 国分尼寺跡」・「飛騨総社」にも参拝させて頂いたかというと、『「国分寺/国分尼寺/総社がセットである」=「飛騨国の国府があった場所」』と思っていたからです。しかし、帰宅し、別記事の飛騨高山の歴史と文化を感じる大人散策!:車で巡るスポットを詳細地図・多くの写真と共に紹介!を記載する際、気付いてしまいました。それは、飛騨国 国府の場所は、確定されていない…というもの…。正直、「意味不明…」・「なんで???」・「武蔵国の国分寺/大國魂神社みたいに、国分寺/国分尼寺/総社がセットであるじゃん…」と思ったのですが、今少し調べてみると、「発掘調査等により、飛騨国 国府の場所を裏付ける遺構はまだ出て来ていない…」という事だと理解しました。つまり、言い換えれば自身の好きなパターン、すなわち、『「確定されていない」=「今はどう考えても、間違えではない」=「妄想し放題!」』と思ってしまった次第です。

「と言う訳で…」ではありませんが、こちらのページでは、(「飛騨高山・白川郷の旅シリーズ」からスピンアウト的な記事になりますが)「飛騨国の国府があった場所」に付き、自身の妄想を記載させて頂きます。すなわち、「『飛騨国の国府は何処にあったのか?』と言う疑問に対し、現在言われているいくつかの説を列挙した上で、歴史・地形・神社仏閣・古代官道等、いくつかの視点を加え勝手な考察」を加えさせて頂きます。

【飛騨国 国府の位置に関するいくつかの説】

まずは、「飛騨国 国府の位置に関するいくつかの仮説」を洗い出してみようと思います。細かく言ってしまうと、更にある様ですが、基本的には「以下の3つの説」が有力で、それ以外の説は、その派生的な説で「それぞれの説の中における “バリエーションの違い”」と言った理解をさせて頂きました。その為、こちらの記事では、以下の3つを「飛騨国 国府の位置に関する説」として、認識させて頂きます。飛騨国の周辺を含めた地形図も記載しますので、併せてご参照ください(飛騨国は、松本平野に比べると、平地が非常に限られた小規模エリアしかなく、国府が設置できる場所も限定的である事、太平洋側と日本海側の接合点である事をご理解頂けると思います)。

  1. 高山市街地説
  2. 国府町説
  3. 移動説(国府町 → 高山市街地)


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高山市街地説

現在の飛騨総社〜国分寺周辺に飛騨国府があった」とする説。 この説は以下の点を重視する。

  • 飛騨総社が930年代に創建されており、全国的にも非常に早期の総社設置であること → 総社は国府の近くに置かれるのが絶対条件のため、この時期に国府が高山市街地に存在した可能性が高い
  • 飛騨国分寺・国分尼寺との位置関係が、国府の基本配置(国庁+国分寺+国分尼寺+総社)に合致する
  • 東山道飛騨支路(古代官道の東山道から分岐)のルートとも整合する

※ 参考 ※

総社、惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)とは、日本で、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことである。総社宮、総神社、総社神社などとも呼ばれることがある。
多くは令制国の範囲で集めたものを指すが、荘園や郡・郷・村などの地域内のものを集めたものもある。祭神の合祀だけでなく、神社そのものの統合である場合もある。

概説
■ 国の総社
日本の律令制において、国司着任後の最初の仕事は赴任した令制国内の定められた神社を順に巡って参拝することであったが、平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化された

総社の多くは中世にいったん廃れたが、後に再興されたものも多い。ただし今に至るまで再興されずにいるものや、どの神社が総社だったのかわからなくなってしまった国もある。

■ 地域の総社
国の総社のように全国一律に同時期に設けられたものではなく、設けられた理由や時期、主導した人物等は地域によって様々である。規模も大小様々なものが存在している (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/総社

国府町説

現在の「旧国府町周辺(石橋廃寺・国府の大佛 大仏殿〔旧正法寺〕・安国寺・荒城神社付近)に飛騨国府があった」とする説。この説は以下の点を重視する。

  • “国府”という地名が中世以前から残っている
  • 律令国家時代の条里地割が国府町周辺に多く残る
  • 石橋廃寺は奈良期国分寺の有力候補 旧正法寺(現・大仏殿)は古代寺院伝承地で、江戸期には国分尼寺説もあった(現在は否定的)
  • 古代集落跡・古墳が多く、古代の有力者の拠点だった可能性が高い
  • 東山道飛騨支路の石浦駅から約16kmで、駅家制度(約30里=約16kmルール)の距離原則に合致する
    → 少なくとも、奈良〜平安前期の「初期国府」は国府町に置かれたと考えるのが自然

移動説(国府町 → 高山市街地)

「初期国府は国府町にあったが、後に高山市街地(現在の飛騨総社〜国分寺周辺)へ移転した」とする説上記2説の “複合モデル” と言った理解。

  • 旧国府町付近には、国府の近くに置かれるべき総社(飛騨総社930〜940年頃創建)の痕跡がない
    → 総社創建時点で国府は高山市街地に移っていたと考えるのが自然
  • 現在の飛騨国分寺は奈良期の痕跡が薄く、旧国府町の石橋廃寺(奈良期国分寺?)から移転した可能性も十分あり得る
  • 現国分尼寺跡(辻ヶ森三社)は奈良期・平安期の両遺構があり、 “既存尼寺が国分尼寺に昇格し、そのまま継続した”と考えると最も自然
  • 東山道飛騨支路(古代官道の東山道から分岐)・現国分/国分尼寺飛騨総社の位置関係が、国府の基本配置に完全に一致する
    → 「初期国府=国府町 → 中期国府=高山市街地」という二段階モデルが最も矛盾が少ない

【飛騨国 国府の位置に関する勝手な妄想】

上記、「飛騨国 国府の位置に関するいくつかの説」を共有させて頂きましたが、いかがでしょうか? 「皆様の支持する説」はどれでしょうか? それとも「全く違った “第4の説”」後ございますでしょうか? 正直自身の場合は、(天邪鬼なので)「全く違った “第4の説”」を考えてみたのですが、「飛騨国と言う平地が限られた場所であれば、国府町説・高山市街地説以外はありえない」が、「国府町説も高山市街地説も一長一短」と思ってしまった次第です…。となると残るは「移動説」。まずは、これを検証すべく、「高山市街地の現国分/国分尼寺飛騨総社・東山道飛騨支路の位置関係」を地形図に落としてみました。それが以下になります。

いかがでしょうか? 正直自身が思った事は、『「高山市街地説」で決まり!』と思ってしまいました。つまり、「これほどしかり国府の形を整えているのであれば、『高山市街地説』以外ありえない!」・「飛騨総社付近(上記地図中まるで囲ったエリア)で、国府の痕跡が出るはず!」と思ってしまったという事です。しかし同時に、飛騨総社が何故、全国的に見ても早い段階で創建されたのか?」・「”国府” という地名が何故、現在の国分/国分尼寺飛騨総社周辺ではなく、別の場所(旧国府町)にあるのか?」・「駅家制度(約30里=約16kmルール)と合致しないのか?」と言った疑問も出て来てしまった次第です。

故に、思い切って『「移動説」が正しい前提で考えてみる』 事にしてみました。すると、決定的な証拠が無い為、勿論確定はできませんが、状況証拠を積み上げると、最も素直な考え方は以下になると思った次第です。以下に、先に記載した「それぞれの説におけるポイント情報」と併せて記載いたします。

① 飛騨国府は、最初(奈良期)、旧国府町に置かれた

根拠は以下の通りで、旧国府町に国府が無かったと考える方が不自然と理解

  • 「国府」という地名は、「条里地割」が国府町周辺に集中している事からも、「国府があったから」残ったと考えるべき
  • 旧国府町周辺には、古墳・古代集落・官衙系遺跡が多くある(律令国家前の地方豪族の拠点だった可能性は高く政治基盤は整っており、太平洋側と日本海側のとの結節点である事も踏まえると最適地であるので、中央政府はここを活用した)
  • 東山道飛騨支路の駅家制度(約30里=約16kmルール)に合致している(飛騨国府の前の駅家・石浦駅から道を伸ばしていけば、約16km(30里)毎に置く駅家を置く駅家精度ルールにぴったり合致=現在の高山市街地では近すぎる)
  • 根拠は乏しいが、国府町の正法寺=国分尼寺説、石橋廃寺=国分寺説も存在する(「火の無い所に煙無し」的発想ですが…)

② 平安期の飛騨総社の創建に併せて、より広く、国府に相応しいエリアを求め、国府を現在の高山市街地(国分/国分尼寺飛騨総社周辺)に移転

根拠は以下の通りで、現在の国分/国分尼寺飛騨総社周辺に、元々飛騨国府があったと考えるより、「移転してきた」と考える方が自然と理解

  • 「総社の役割は、国府で行われる祭事に密接に関連」しており、「総社の近くに国府が無い事は逆におかしい」為、高山市街説に軍配は上がりそうだが、「国分寺の創建は奈良期で、総社の創建は平安期」と言う「時代の違い」を考慮すると、「地方豪族の影響を最小化したい中央政府が、土木技術も進みより広いエリアが確保できそうな現高山市街地に、(少し急いで)新しく飛騨総社を創建し、石橋廃寺から国分寺も移転させ、国府を新しく設置(移転)した」と言ったストーリーの方が現実的に思えてくる
  • 地形的に東山道飛騨支路を推察すると、高山本線のルートに近しい経路が想定され、国分寺・国分尼寺・総社の位置関係も整合性が取れ、「国府の基本配置が浮かび上がり、もう既に確立された構造を踏襲した」様にもとれる(=移転なので、先例を活用できた? and 駅家制度(約30里=約16kmルール)に合わない事も説明がつく))
  • 飛騨国分寺は、「平安期以降に建造された可能性」がある為、「奈良期に創建された国分寺(現石橋廃寺@旧国府町)が、平安期に移転してきた可能性」も十分にある(飛騨国分寺は、奈良期からその場所にあったと言うより、「少なくとも平安期以降は、現在の場所のあった」と言う方が適切な表現であると理解=移転の可能性十分にあり)
  • 現国分尼寺跡(辻ヶ森三神社)からは、「奈良期の遺構と平安期の遺構の両方」が出て来ており、その遺構から国分尼寺は、元々あった尼寺を、国分尼寺に昇格させた可能性の方が高いと推察できる(移転時に既存の尼寺を国分尼寺に活用=奈良期に国分尼寺は現在の場所には無かった)

いかがでしょうか?「移動説」が正しく見えてきませんか? ただ言える事は、これは「あくまでも自身の妄想」。「状況証拠を踏まえ、矛盾が無い様、無理なく考えたら辿りついた結論」に過ぎず、物的証拠はありません…。皆様はどんな考え方をしたのか?正直そっちの方が興味がある次第です…。

【最後に】


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以上が、「『飛騨国の国府は何処にあったのか?』と言う疑問に対し、現在言われるいくつかの説を列挙した上で、歴史・地形・神社仏閣・古代官道等、いくつかの視点を加え勝手な考察」を申し上げた内容になります。

個人的には、『「今回記載申し上げた仮説(妄想?)が正しいか否か」と言うより、「飛騨国の国府は何処にあったのか?」と言う歴史のロマンを感じつつ勝手に妄想するって、ホント贅沢だな…』と思ってしまった次第ですが、皆様はどの様にお感じになられましたでしょうか? また、上記の感じで思いにふけってしまった事もですが、本記事の元になった「飛騨国の国府は何処にあったのか?」の疑問は、「飛騨高山・白川郷の旅」を終え、ブログ記事を作成している際に出てきた物。つまり「現在の国分/国分尼寺飛騨総社周辺」には、脚は運んでいても、「旧国府町の石橋廃寺・国府大仏・安国寺・荒城神社」には訪問が出来ていないという事です。「もっと早く気づきたい疑問だった…」、「もし今回の旅の前にこの疑問を持てていれば、旧国府町の石橋廃寺・国府大仏・安国寺・荒城神社にも脚を伸ばしたのに…」と思ってしまいましたので、再度足を運ぶ機会がある際は、「旧国府町の石橋廃寺・国府大仏・安国寺・荒城神社」等もスコープに入れ、旅を企画したと思った次第です。
尚、今回紹介申し上げた飛騨国府の位置に関する勝手な考察に加え、「3泊4日・飛騨高山・白川郷の旅のまとめ(更新中)」、車で巡る飛騨高山の大人散策スポット」、「飛騨一宮 水無神社」、セットで巡る白川郷・五箇山の合掌造り集落」、大人散策@高山陣屋」、「高山市街地(古い街並み含む)を徒歩で巡るスポット、「櫻山八幡宮」、大人散策@高山城」、飛騨山王宮 日枝神社」、「飛騨高山・白川郷の旅の拠点宿 ・二人静 白雲(更新中)」と言った内容の記事もございますので、併せてご参照頂ければ幸いです。皆様の「大人散策@飛騨高山」が充実したものになる事切望しております!

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