なぜ「日光街道」は、いくつもある?:御成道・例幣使街道・脇往還等から街道の意味と杉並木の記憶を考察 (歴史街道シリーズ⑤‐3)

街道シリーズ・五街道・日光街道

こちらのページでは、「日光街道の概要を抑え、”日光” の冠を持つ街道を列挙し、それらの考察から『何故あちこちに日光街道が存在するのか?』を考察」させて頂こうと思います。

📚本記事で得られる情報📚
✅「日光街道」の概要
“日光” の冠を持つ街道を考察
あちこちに日光街道が存在する理由の考察(妄想?)

本ブログ「鎌倉街道」のページでも、同じような事を記載しましたが、今回取り上げる、日光街道も同様で、あちこちに存在すると思いませんか? ご承知の通り、日光街道は、五街道の1つで(東海道中山道甲州街道に関しては、別記事で触れています)、東京(=江戸)の日本橋から、徳川家康の墓所がある、日光東照宮までを結ぶ道です。しかし、そのルート以外でも「日光街道」と言う表示や言葉を聞かれた事がある方も大勢いらっしゃると思います。

今回は、そんな日光街道を取り上げ「あちこちに存在する『日光街道』の意味」に考察を加えさせて頂こうと思います。(日光の二社一寺に関する概要その観光ルート中禅寺湖戦場ヶ原での散策・ハイキング & クルージング情報@中禅寺湖戦場ヶ原の名の由来等は、別記事でそれぞれ紹介していますし、三大東照宮(四大東照宮?)に関しても紹介しておりますので、併せてご参照ください!)

【「日光街道」概要】

まずは基本に忠実に、日光街道をWikipedia の力を借り、調べてみますと以下の様にあります。

日光街道(にっこう かいどう)は、日本の江戸時代に設けられていた五街道の一つ。江戸日本橋(武蔵国豊島郡日本橋、現在の東京都中央区日本橋)を起点とし、日光坊中(下野国都賀郡日光東照宮、現在の栃木県日光市山内)に至る街道。(略) 日光街道は江戸時代に徳川幕府(江戸幕府)の政策として整備された五街道のひとつで、1636年(寛永13年)江戸 – 下野国日光間に開通した。江戸から徳川家康を祀る日光山に至る主要道路として東海道に次いで整備された。もともと日本橋から宇都宮城(宇都宮宿)までの区間には古道奥州道が通り、その北部区間の宇都宮城下から鉢石宿間にも古道日光街道が通っていたが、宇都宮 – 日光間にはその東側に新たにこれと並行する道が設置された (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/日光街道

元々江戸から宇都宮までは「古道奥州道」があり、宇都宮城下から鉢石宿間にも「古道日光街道」があった様ですが、宇都宮 – 日光間については、東側に新たに並行する道を設整備して、徳川家康を祀る日光への主要道路として、東海道の次に整備された道が「日光街道」と言う事の様です。当初は、日光海道”、と言われたようですが、新井白石から、「海もないのに、”海道” は、おかしい」と指摘され、「日光道中」と改められたらしいですが(正式な呼び名は今尚、日光道中らしいですが)、今日、市民権を得ているのは「日光街道」の様です(別記事で、勝手な考察を紹介しています)

しかし、こちらのページを読み進めると、以下の言葉が見えてきます。それらは、日光御成道、日光例幣使街道、 日光脇往還 …。以下に、それぞれに付き、今少し深堀いたします。

【「日光街道」に関連する「日光」がつく街道】

そこで、日光御成道、日光例幣使街道、 日光脇往還 のそれぞれを、同じく、Wikipedia の力を借り、調べてみました。

まずは、日光御成道

日光御成道(にっこうおなりみち)とは、江戸時代に五街道と同様整備された脇往還の一つである。中山道の本郷追分を起点として北上し岩淵宿、川口宿から岩槻宿を経て幸手宿手前の上高野で日光街道に合流する脇街道である。 日光御成道が「幕府管掌の公道として正式に組込まれた時期は不明」。「天和2年(1682年)に御成道の宿場に組入れられたことから、岩槻宿も天和2年頃には御成道筋の宿場に指定された」と考えられている。 将軍が日光社参の際に使用された街道であり、日光御成街道(にっこうおなりかいどう)とも呼ばれている (略) 杉並木・・・埼玉県さいたま市岩槻区から埼玉県白岡市に江戸時代の名残が見られるが、立ち枯れしている樹木も多い“ (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/日光御成道

「将軍が日光社東照宮に詣でる際に使用された街道が、日光御成道と言う事の様で、「日光御成街道」とも言われるそうです。多くが、枯れてしまっているようですが、日光街道の代名詞とも思える杉並木があった様です。(並木と街路樹に関するページで、日光脇往還の杉並木にも触れています)

次に、日光例幣使街道

日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。(略) 倉賀野宿を起点とし、中山道と分岐、柴宿、太田宿、栃木宿を経て、楡木(にれぎ)宿で壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と重複区間である。(略) 現在、栃木県日光市から鹿沼市、栃木市、佐野市、足利市、群馬県太田市、伊勢崎市、高崎市に至る路線が日光例幣使街道」または「例幣使街道」と呼ばれている。特に日光市から鹿沼市にかけての区間には日光杉並木が現存する  (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/日光例幣使街道

日光東照宮に幣帛(お供え物?)を奉献するための勅使(天皇が派遣する使者:この場合は、日光例幣使)が通った道を『日光例幣使街道』」と言う事の様です。群馬県の高崎で中山道と分岐して、日光に向かう道と言う事の様で、日光街道と言えばやはり「杉並木」。この杉並木が、「日光例幣使街道」にも現存しています。ちなみに、こちらの日光例幣使街道の歴史は古いようです。五畿七道のページでも触れさせて頂きましたが、多くを中山道に踏襲されている『東山道』に由来がある様で、Wikipedia によりますと、以下の様にあります。

(略) 江戸時代になると、江戸を中心とする五街道が整備され、幹線道路としての東山道は、中山道・日光例幣使街道・奥州街道などに再編された (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/東山道

そして、 日光脇往還

日光脇往還(にっこうわきおうかん)は、江戸時代に八王子から日光まで、また鴻巣の追分まで、中山道と街道を同じくし、ここで分岐し袋村(埼玉県鴻巣市)・行田・上新郷(埼玉県羽生市)・利根川を川俣の渡しで越え、館林・佐野・栃木・今市と経て日光街道に合流する、1652年(承応元年)に往還に定められた街道である。またの名は「日光裏街道」。

沿道では日光道、日光街道などとも呼ばれていたが、江戸と日光を結ぶ日光街道と区別するために、八王子街道(八王子道)、千人同心街道、日光火の番街道、館林道などとも呼ばれたが、沿道に残る遺構などでは日光街道とされているものが多いようである。その名の通り八王子千人同心の日光勤番への移動のために整備された街道である。

遺跡としては、埼玉県日高市から鶴ヶ島市にかけての国道407号は「日光街道杉並木」という名称で杉並木が残るほか、東京都西多摩郡瑞穂町の青梅街道との交点に「旧日光街道交差点」、東京都福生市の玉川上水に架けられた橋には「日光橋」などの名称が残っている。また、埼玉県坂戸市には日光街道の碑が建てられている  (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/日光脇往還

八王子の千人同心が、日光勤番で移動する為に整備された街道が『日光脇往還』」と言う事の様です。玉川上水の大人散策でも「日光橋」については、触れておりますし、日光脇往還については、別記事で大人散策情報を紹介しておりますが、例幣使街道同様「杉並木」があるのです。(ちなみに、こちらで触れている、川越の近辺である、日高・鶴ヶ島、坂戸の杉並木は、別記事で紹介させて頂いておりますので、リンクよりご参照ください)

【日光街道をあちこちで目にしたり、耳にしたりする、勝手な考察】

上記の情報をベースに、いくつか事実をPickUpさせて頂くと、以下3点が上げられると思います。

  1. それぞれの道に「日光」の文字が入る 
  2. 日光東照宮へ行くための道」の目的は同じ (将軍 or 例幣使 or 八王子の千人同心)
  3. 日光街道の代名詞「杉並木」がある(あった)

上記3点は、本家の江戸から出る日光街道と同じです。であれば、以下の様な妄想が、浮かんできます。

  • 「日光御成道も、日光例幣使街道も、日光脇往還も、日光街道でいいじゃないか!と地元の人は思った 
  • 「色々考えるもの面倒なので、日光街道と ”通称的に” 勝手にくくってしまった 
  • それらの道を通る(通常利用する)地元民としては日光ブランドと五街道ブランドを身近に感じたく、日光街道と言い張った

この様な感じで、妄想してしまいましたが、そんな感じで『正式な名称は違っても「日光街道と言う事で!」で通って来てしまった』というのが、私の勝手な考察になりました。正直、個人的にも「すべて日光街道でいいんじゃないの?」と思った次第です…。鎌倉街道は「いざ鎌倉」とはせ参じるために作られた道が、全て鎌倉街道な訳なので、日光東照宮に通じる道は、全て「日光街道」でいいと思った次第です…。

【最後に】

上記、日光街道につき、勝手な考察を加えさせて頂きましたが、皆様はどの様に思われましたでしょうか? 日光街道(海道/道中)としての歴史は江戸時代からですが、上記「『日光』の文字が、現在含まれるそれぞれの街道(=日光御成道・日光例幣使街道・日光脇往還)』も含めて考えると、道その物の歴史は、五畿七道時代の東山道までさかのぼると言って良いと思います。

そして日光東照宮が作られた事により日光に社参する事を目的とした道として五街道の一つである日光街道(=大本の日光街道に加え、将軍が日光に詣でる為の日光御成道)が整備され、同時に東山道が再編され(=天皇の勅使が通る日光例幣使街道の整備)、更に日光東照宮火の番をする千人同心が移動する為の日光脇往還が通され、それぞれの道に杉が植えられ、現在の日光街道の代名詞・杉並木となり、今に至る道が「日光街道」と言う事の様です (個人的見解で「日光東照宮に行く道は、全て日光街道」の前提に立っていますが…)。

それぞれの日光街道には、正式名称に違いはある様ですが、その過程で目的を同じにし「日光」の文字が入った、杉が植わった道を、正式名称は違っても、「日光街道」と呼ぶのは、自然の事の様に思えました。そんな日本の歴史を感じながら、改めて日光」の字が入る「いくつかの日光街道」を上記の妄想を膨らませつつ、大人散策してみたいと思た次第です…。

(日光の二社一寺に関する概要その観光ルート中禅寺湖戦場ヶ原での散策・ハイキング & クルージング情報@中禅寺湖戦場ヶ原の名の由来等は、別記事でそれぞれ紹介していますし、三大東照宮(四大東照宮?)に関しても紹介しておりますので、併せてご参照ください!)

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