【はじめに】
今回は、八王子から日光に続く、「日光脇往還」をご紹介します(前半線:東武東上線の北坂戸駅からJR川越線武蔵高萩駅までの区間) 。
私達夫婦の住まう街、「川越」、は「小江戸」として有名で、蔵造りの街並みが残る、歴史情緒あふれる街で、多くの観光客の方が訪れてくださる場所です(別記事参照ください)。その川越より、川越街道の延長として群馬県の高崎を目指して、川越児玉往還と言う道があります(こちらも別記事をご参照ください)。この道は、正確な場所はわかりませんが、川越を出発して、お隣の坂戸市との境辺りで、東山道武蔵路や鎌倉街道(上道とは別の伝承が残る鎌倉街道)と、また東松山辺りで日光脇往還と、交わり(もしくは一定区間同じ道となり)、更には武蔵嵐山付近で、鎌倉街道の上道と交わり、共に高崎を目指す道と言われている様です。それぞれ時代の違いはありますが、古道と言われるいくつかの道と交わる道と言う事もあり、それぞれ興味の対象となった為、川越街道(川越児玉往還)、鎌倉街道上道、伝承が伝わる鎌倉街道(=堀兼道等)、東山道武蔵路(一部堀兼道と同じ経路と考えられているらしい)等に関連した記事をそれぞれ別記事で記載させて頂きました。
しかし、八王子からこの川越近辺を通り(不思議な地割で、一部川越市を通っているようですが・・・)、日光を目指すこの日光脇往還については、”並木(杉並木)” や ”日光の名前の付く街道”、といった切り口のみの記事で、散策情報を記載していませんでした。その為、今回は、この日光脇往還につき、東武東上線の北坂戸付近からJR川越線の武蔵高萩駅(1回目)と、JR川越線の武蔵高萩駅から西武池袋線の入間市駅付近までの散策情報(2回目)をご紹介します。
この行程は、恐らく20㎞位になるので、2回に分けてのご紹介とさせて頂いた次第です。今回はその前半戦で、東武東上線の北坂戸駅からJR川越線武蔵高萩駅までの区間をご紹介致します(後半戦のJR武蔵高萩駅~西武池袋線入間市駅の区間に関しては、別記事をご参照ください)。尚写真は、別途の目的で散策した際の写真も利用していますので、季節や時間に統一感がない事、予めご了承ください。
【日光脇往還の大人散策/ポタリングルート】
・そもそも日光脇往還とは
そのそも、日光脇往還ですが、Wikipediaによると、以下の様にあります。
”日光脇往還(にっこうわきおうかん)は、江戸時代に八王子から日光まで、また鴻巣の追分まで、中山道と街道を同じくし、ここで分岐し袋村(埼玉県吹上町)・行田・上新郷(埼玉県羽生市)・利根川を川俣の渡しで越え、館林・佐野・栃木・今市と経て日光街道に合流する街道である。またの名は「日光裏街道」。
沿道では日光道などと呼ばれていたが、日光街道と区別するために、八王子街道(八王子道)、千人同心街道、日光火の番街道、館林道などとも呼ばれたが、沿道に残る遺構などでは日光街道とされているものが多いようである。その名の通り八王子千人同心が日光勤番への移動のために整備された街道である。
遺跡としては、埼玉県日高市から鶴ヶ島市にかけての国道407号は「日光街道杉並木」という名称で杉並木が残るほか、東京都西多摩郡瑞穂町の青梅街道との交点に「旧日光街道交差点」、東京都福生市の玉川上水に架けられた橋には「日光橋」など現在でも名称が残っている。また、坂戸市には日光街道の碑が建てられている。なお、佐野宿より先は日光例幣使街道、楡木宿より先は壬生通りと共通となる”
https://ja.wikipedia.org/wiki/日光脇往還
現在で言えば、「(ちょっと長いですが)西八王子辺りの「千人同心屋敷跡記念碑」辺りを起点に、甲州街道と分かれたあとは(別記事の「甲州街道」のページ参照)、16号に沿うように入間市まで進み、入間市からは、16号と別れ、入間川を越え、鎌倉街道の上道や川越児玉往還と交わった後、恐らく東山道武蔵路とも交わる。その後荒川を超え、中山道とも交じわって、忍城やさきたま古墳群で有名な、行田を越えたら、利根川を渡り、佐野市付近で、高崎から来た日光例幣使街道と一緒に、日光を目指す道で、八王子~日光の距離は恐らく150㎞程」、といった所でしょうか?(日光に関する観光(大人散策)情報や戦場ヶ原の語源等も別記事で紹介しております)
・日光脇往還の碑
八王子から日光の全行程であれば、150㎞程になりますが、ここをいきなり全部歩けないので、まずは、私達夫婦が住まう街・川越の近辺、北坂戸駅から入間市駅をスコープに散策させて頂く事にしました。東武東上線の北坂戸駅をスタートし、日光脇往還の碑がある場所までまずは行きます。北坂戸駅からは、15分程度の道のりです。日光脇往還の散策のスタート地点としては、最適で、趣のある碑と、樹形の美しい碑と松があり、その土地の歴史をまずは感じる事が出来ます。
・高田樋菅(寄り道)
日光脇往還とは、関係ないと思いますが、かつてこの付近は農地が主流であった事の痕跡として、(最近の話かもしれませんが)歴史を考えさせるスポットです。
・道標/坂戸宿の説明看板
坂戸小学校の脇にある、道しるべで、正面に、”左 日光道”、の文字がはっきり見えます。坂戸市内にある最古の道標と言われているようで、旅人が行きかった、往時に思いを馳せてしまします。
ちなみに、八王子(鶴ヶ島)方面から来て、左が日光脇往還になりますが、右に行くと、下記の説明写真によると、吉見観音(詳細マップ:https://goo.gl/maps/Rm7UHLX2P3wuZD197)とメッセージがあります。しかし現在の地図では、右でなく左に、日光脇往還をそのまま進んで行った方が近いようです。当時の道の構成が分からないので、なんとも言えませんので、個人的な想像の世界ですが、日光脇往還を進んでも、お隣の東松山を通るので、「吉見観音は右」と言うメッセージを、この場所で残した様には思えないのです・・・。
故に、個人的には純粋に、「”よしみ方面に通じる道:通称「よしみみち」” にでます」の意味でとらえるべきだと思い、この ”よしみ方面に通じる道” とは、鎌倉街道(=堀兼道)、もしくは東山道武蔵路から継承された道、と理解すべきでないかと思った次第です。つまりメッセージ的には、「右に行くと、吉見にも通じている道に出るので、そこから吉見にも、川越にも行けますよ!」のメッセージと理解した方が、適切と思った次第です。右に行くと、それらの道と伝わる地域の、勝呂廃寺や勝呂神社(別記事で紹介しております)に、3㎞程で出る事が出来、そこを北上すれば吉見方面、南下すれば川越方面になる道に出る訳ですから。また、この道標の直ぐ近くの文化会館の前には、坂戸宿の説明看板もあります。
ちなみにですが、吉見観音は、源頼朝が制定したと言われる「坂東三十三観音霊場」の11番目にあたります。この前の10番目は、東松山(最寄り駅は高坂駅)にある、岩殿観音・正法寺です。それぞれ別記事で紹介しておりますので、ご参照頂けますと幸いです。
・永源寺(寄り道)
こちらのホームページ(https://eigenji.com/history.html)によると、江戸時代に建てられたお寺との事です。歴史はある様ですが、古刹とまでは行かないお寺の様ですが、徳川家とのつながりのあるお寺の様です。本殿は立派で、由緒正しい寺院である事、間違いない様です。
・地蔵尊
かつての坂戸のメインストリートと思われる日光脇往還沿いに拝見させて頂く事が出来ます。大きな立派なお地蔵様で、この道が歴史ある道である事、改めて認識させてくれる、立派なお地蔵様です。
・地蔵尊(寄り道)
少々日光脇往還からは外れますが、散策中に発見した地蔵尊です。南からくると、下記の坂戸神社の南が、追分となり、日光脇往還とYの字の様な構図で、左側を北側に進む道がありますが、その先に出てくる地蔵尊です。日光脇往還を起点とした、「枝道の中心」の様な気がした次第です。
・坂戸神社
坂戸駅近くにある、上記にも記載した、追分的な位置に鎮座する神社です。さほど大きな神社ではありませんでしたが、位置関係的に、上記の坂戸小学校前の道標からこの坂戸神社辺りまでが、当時の坂戸の中心であったのかと推察しました。
・土屋神社(寄り道)
別記事でも紹介しました神社で、こちらも少し日光脇往還からずれますが、是非寄り道して頂きたい神社です。理由は、境内に古墳があり、その古墳の上には、樹齢1000年を超えると言われる、杉の木があるからです。日光街道と言えば杉ですし、しかも1000年を超える大木であれば、是非見て頂きたいです。一見枯れた様にも見えますが、説明文にある通り、しっかり生きています。この場所で1000年以上鎮座するご神木から、エネルギーを受け取ってみて下さい。
・善能寺
土屋神社から、南東方面を走る、日光脇往還に戻ります。途中、東武越生線があり、踏切の数も限られるので、ご注意ください(踏切のMap:https://goo.gl/maps/dcDeQy4ALeetUvHs9)。日光脇往還まで戻ったら、小さいですが川を越えますので、その東(左)側奥に、善能寺があります。明確な事は分かっていない様ですが、江戸時代よりも前からある寺院の様です(慶長元年(1596年)に中興開山と言う事は、それ以前からと言う理解です)。
また、明治時代には、鶴ヶ島学校が最初に置かれた地との事で、「鶴ヶ島学校跡」の石碑も見られる他、庚申塔もあり、歴史を感じる一帯です。手入れのされた植栽は美しく、心安らぐ時間を味わう事が出来ます。
・白鬚神社 / 雷電池公園(寄り道)
善能寺から数百メートル南に行くと、白髭神社が出てきます。善能寺からくると、参道の脇を北側から入る事が出来ます。小さめ境内ですが、木々に覆われたエリアは、厳かな雰囲気があり、樹齢900年を超えると伝わる、欅の木があります。この神社の入口、鳥居の前が日光脇往還になります。(別記事で川越付近の巨木/名木/古木を紹介しております)
ちなみに、この神社の東、1㎞程の所に、雷電池と言うのがあり、この白髭神社から、巨大な龍(勿論オブジェですが)が、「夏の雨ごいまつり」の認識ですが、練り歩くようです。かなりの迫力のある龍の様ですので、機会があれば、脚を運んで見て下さい。
詳細マップ:https://goo.gl/maps/Pwm5CRqj8gnMKh6o7
・鶴ヶ島村道路元標・脚折才道木日光街道道標
白髭神社を南下し、小学校の前にかかる歩道橋の下に、「鶴ヶ島村道路元標」があり、その先の交差点に「脚折才道木日光街道道標」があります。
今現在でも、それなりに車の通りが多いですが、北=坂戸(日光)・南=高萩(八王子)と日光脇往還が続き、東=川越(江戸)・西=越生(記載は無いようですが、高麗川を超えた先で鎌倉街道上道と交わるはずです)と交通の要所の認識で、この交差点から何処に行っても、重要な場所に行き当たる交差点です。
・庚申塔 馬頭観音(脚折)
上記、脚折才道木日光街道道標の直ぐ南側に、庚申塔があります。善能寺にあった庚申塔といい、屋根がつけられ、今でも地域の方に大切されている事が良く解ります。
・桜並木
上記の庚申塔あたりから、南には桜の並木になっています。日光街道と言えば、杉並木ですが、ここは桜並木となっており、100m程南に行った中学校の前に、この桜並木の説明看板があります。元々は、杉並木があった様ですが、古木に、台風が襲い掛かり、耐えられなかったと言う事の様で、その後地元の方は桜を植えられたと言う事の様です。時代は違いますが、これもまた歴史の一部だと思い、地元の方がこの道を大切に思っている事を改めて感じてしまいました。
・日光街道の説明文と武州三角原川崎右衛門定孝陣屋跡
桜並木を過ぎると、少しずつ杉が目立ってきます。この少し南側で、今の本道(407号線)と合流する訳ですが、その少し北側に、「日光街道の説明文と武州三角原川崎右衛門定孝陣屋跡」があります。この陣屋跡も、以下の写真の説明文にある通り、「地域に貢献した名手に対し地元の人が敬意をこめて建てた祠」と言う事の様です。
・池尻池公園(高倉池) (寄り道)
こちらも少し寄り道になりますが、上記陣屋跡付近を、南西に行く道があり、ここを進んだ右側に、池尻池(高倉池)と言う池があります。この付近では、縄文・弥生時代の遺跡も発見されているようで、「縄文の森」として、地域では認識されているようです。確かに周囲は、森となっている場所が多く、その中の憩いの場所の様な公園で、夏には、蓮が楽しめます(別記事でハスのポタリングスポットを紹介しております)。
・逆木の池 (寄り道)
池尻池を南東に行くと、日光脇往還に戻る事が出来ますが、そのまま東に進んだところに、「逆木の池」があります。「1440年に起きた上杉氏と結城氏の北三ツ木原の戦の時に、そこに参戦した武士が、傷を負い、この地まで逃げてきた。その際に使っていた杖を、池のほとりにさして、この池の水を飲んだ後に落命したが、その杖は芽吹き柳の大木になった」と言う言い伝えのある場所の様です。
大きな池ではありませんが、「こういった伝説の残る位置関係の場所なんだ」と改めて思った次第です。(三ツ木原古戦場は、鎌倉街道(=堀兼道=東山道武蔵路?)の別記事や、河越夜戦の個人的仮説を記載した記事でもで紹介しています)尚、ここから更に東に1㎞程更に進むと、別記事で紹介させて頂きました、太田ヶ谷沼のある鶴ヶ島運動公園に行く事ができます。
・コージーコーナー鶴ヶ島店 (ほぼルート上ですが休憩を兼ねた寄り道的に)
来た道をそのまま戻り、再び日光脇往還を八王子(武蔵高萩)方面に行ったすぐの所に出てきます。ここのコージーコーナーの特徴は、「工場に隣接している」と言う事です。恐らく違いはないのでしょうが、駅前の店舗で買うよりおいしい気がします(個人的感想です・・・)。散策のエネルギー補給に、甘いものをお供にしても良いと思います。
・お地蔵様
コージーコーナーを出て、再八王子方面に進み、500m程行った右(西)側に、お地蔵様がいらっしゃいます。安全地蔵とありました。石碑の様なお地蔵様も傍らにいらっしゃり、こちらが初代のお地蔵さんだと推察しました。背面に文字がありましたがが、解読できませんでした。
・「日光街道杉並木」の石碑/看板
かなり森の様な、日光脇往還らしい道を進んできましたが、杉の大木があると同時に、杉だけではなく様々な木々がある事、お気づきになると思います。
現在の車道は一段高く、雨などで浸水しないように工夫されて、作られたんだろうとも想像できる道が続きますが、上記お地蔵様を過ぎた反対側に、「日光街道杉並木」の石碑が見えてきます。正確に言えば、日光街道ではないのでしょうが、本ブログ別記事でも触れた通り、「日光を目指す道で行先も同じだし、杉並木もあるので、日光街道でもいいでしょう!」と初めに思った場所です。
・旧高萩郵便局
上記、「日光街道杉並木」の石碑を超え、1㎞程八王子方面に進むと、杉並木は終了します。そのまま、道なりに進むと、北小畔川を越えたあたりから、旧高萩宿の付近になる様です。しかし、今現在それを感じる事は難しい印象を持ちました。その中で、この旧高萩郵便局は、長い歴史を考えると、比較的最近の建物でしょうが、レトロな雰囲気を醸し出している建造物です。
【最後に】
以上が、東武東上線の北坂戸駅からJR川越線の武蔵高萩駅まで、日光脇往還の散策情報になります。この付近で、日光脇往還は江戸時代に整備された道ですが、歴史としては、縄文から明治まで、様々な時代を感じる事が出来る、正に大人散策/ポタリングコースだと思いました。しかし、これは日光脇往還(@川越付近)の前半戦です。皆様も、古道の楽しみ方の1つとして、古道を散策・ポタリングし、その付近に点在する、史跡・神社仏閣といった、歴史を感じるスポットを、大人散策してみてはいかがでしょうか? また、前半戦だけでも中々の魅力でしたが、後半戦のJR川越線武蔵高萩駅から西武池袋線入間市駅の記事も別記事で、紹介しておりますので、ご覧頂けますと幸いです。
【追加情報@2022年6月】
更に、ちなみの情報として、今回上記でご紹介した、もう少し、北側の高坂~東松山の、都幾川を渡河するポイント近くの高坂駅側には、「道しるべの標柱(石柱)」や「石橋及び石橋供養塔」があり、日光脇往還の痕跡を見る事が出来るスポットもあります(詳細マップ:https://goo.gl/maps/pC7o7w5m1Zycr8wr6)。この付近、高坂駅周辺の大人散策情報やその中にも含まれる、岩殿観音・正法寺に関する情報も別記事で記載しておりますので、あわせてご参照頂けますと幸いです。
現在、この石柱のある場所を南北に走る道は、別記事で紹介した「川越児玉往還」の様です。越辺川をこえる島田橋は、川越児玉往還と認識していたので、島田橋からこの石柱までの道は、「川越児玉往還=日光脇往還」と言う事でしょうか? それともこの場所で、「川越児玉往還と日光脇往還が交差した」と言う事でしょうか? 今後の宿題とさせて頂こうと思います!
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!