切通

【はじめに】

本日は、「切通し」なる道を考えてみたいと思います

そもそも、切通しって、聞いた事ありますか? 恐らく、多くの方がイメージするのが、「鎌倉の切通し」で、「鎌倉七口」とも言われる切通しだと思います(鎌倉街道に関して、別記事で勝手な考察を加えております)。私も同様で、「通行と防御を兼ね備えた、人工的に山をけずり作られた道」と言う認識です。ここで、Wikipediaの力を借り、「切通し」を調べてみますと、以下の様にあります。

切通し(きりどおし)とは、山や丘などを掘削し、人馬の交通を行えるようにした道である。(略) 街道整備のために作り、鎌倉市のように封鎖を容易に行えるような狭いものから、何人も横に通れるようなものもある (略)”

https://ja.wikipedia.org/wiki/切通し

故に、軍事的な目的と言うよりも、交通に焦点を置いた道と言う事で、「その作り方によって、軍事的要素が入ってくるかもしれないが、必ずしも軍事的な要素は必要ではない」と言う理解をしました。そんな切通しですが、どんな切通しが何処にあるのか、調べてみたいと思います

【鎌倉の「切通し」:鎌倉七口】

まずは何といっても、鎌倉七口。切通しとしては、軍事的に鉄壁な守りを誇った、最も有名な切通しだと思います。ここもWikipedia の力を借り、鎌倉七口を調べてみますと、以下の様にあります。

鎌倉七口(かまくらななくち)とは三方を山に囲まれた相模国鎌倉(神奈川県鎌倉市)への、鎌倉道などの陸路からの入口を指す名数。鎌倉時代には「七口」の呼び名は無く京都の「七口」をもじったもので「鎌倉十橋」「鎌倉十井」などと並ぶものである。鎌倉七切通(かまくらななきりどおし)とも呼ばれる。(略) 一般に言われるのは以下の7つである。極楽寺坂切通、大仏切通、化粧坂、亀ヶ谷坂、巨福呂坂、朝夷奈切通、名越切通

https://ja.wikipedia.org/wiki/鎌倉七口

私も全てお邪魔させて頂いた訳ではありませんが、拝見させて頂いた、極楽寺坂切通、大仏切通は、自然を感じる心地よい場所に確かに切通しと分かる景観で、軍事的にも切通しの上部に陣取ってしまえば、敵は通りたくないだろうと思えるものでした。

事実、鎌倉幕府滅亡の際、新田義貞軍の決め手の侵攻ルートは、切通しではなく、「海側(稲村ヶ崎)から、潮が引くタイミングで攻め寄せた事」と言われているようで、切通しは、鉄壁な守りだった事が伺えます孫子的にも、攻めや易い所を攻める(孫子に関しては、別記事で勝手な考察を加えております)、理にかなった戦い方で、新田義貞の鎌倉攻めは、彼の知略の勝利と言った所でしょうか? そんな歴史と自然を感じる事が出来る鎌倉の切通し(鎌倉七切通)は、大人ハイキング・散策には、もってこいのスポットだと思った次第です(最下部にGoogleマイプレスで作成した地図を参照ください:紫の星印)。

【鎌倉街道上道にある切通し】

上記、鎌倉の切通しから、連想するのは、やはり鎌倉街道本ブログの別記事でも、埼玉川越周辺の鎌倉街道上道の大人散策情報を記載していますが、この上道にも、「切通し」と思われるポイントがいくつかあります。「鎌倉七切通」と比較すると、規模感が違い、防御機能も踏まえた目的とも違い、「交通のしやすさ」を考えたものでしょうが、古道と呼ばれる鎌倉街道上道にも、切通しがある事、歴史を感じざるにはおえません。もし、鎌倉街道上道の散策をされる際は、「切通し」の視点も持って、大人散策されてはいかがかと存じます。(最下部にGoogleマイプレスで作成した地図を参照ください:橙の星印)

【その他、おすすめ切通し@東京】

私がこれまでお邪魔した切通の中で、「これぞ切通し!」と思った切通しが、東京に、2か所あります(最下部にGoogleマイプレスで作成した地図を参照ください:黄色の星印)

一つは、国分寺市の国分尼寺北にある「伝鎌倉街道」の切通し現代では、武蔵野線がすぐ脇を通る場所ですが、この道は、両側にある林の小山の真ん中を、「明らかに人の手で道を通した」と思える場所です。南には、国分尼寺、両脇の小山の上には塚もあります。また少し東に脚を延ばせば、武蔵国分寺跡・お鷹の道・真姿の池湧水群一帯や、北に脚を延ばせば、東山道武蔵路の痕跡もありますので、併せて大人散策されてみてはいかがかと存じます。

そしてもう一つは、都心ではなく、奥多摩にあります。自然を感じる周囲の環境から考えて、軍事的な目的は基本無く、交通の便を考え作られた切通しの様です。奥多摩町のホームページには、以下の様にあります。

”国道411号線、白丸と氷川の間をはばむ尾根に白丸トンネルが貫通しており、そのそばを大正年間に開通した旧道があります。数馬の切通しはトンネルの上の古道にあります。その昔、奥多摩地方の交通は、東西関係には支障が多く南北につながる尾根筋交通を主としていました。このため、小河内方面及び多摩川南岸の住民は五日市方面と、日原から大丹波にわたる地帯は秩父方面との交通が重要でありました。元禄年間、この数馬の切通しの完成によって、初めて東部方面との関係が密接となりました。”

http://www.town.okutama.tokyo.jp/sangyo/kanko/mesho.html

自転車(山を北側に超えた秩父のポタリング情報も紹介しています)やハイキングで訪れている方も多いようで、自然と歴史を感じる貴重な大人散策スポットだと思いますので、機会がありますれば、「自然の中の切通し」をご覧頂いてはいかがでしょうか?

【最後に】

Google Mapで、「切通し」と検索をかけてみると、日本各地に切通しがある事、理解できます。現在では、「ここって切通しなの?」と思えるような場所も多数ありますが、名前はなくとも、「ここって切通しで道を通したのでは?」と思える場所も沢山あります。恐らく、皆様がお住いのご近所にも、それらしき、切通しの痕跡があるかもしれません

上記の様な、自然と歴史を感じる、大人散策・ポタリングスポットも良いと思いますが、近所で切通しの痕跡を探してみるのも、大人散策の楽しみ方の1つかもしれませんので、ご近所の「切通し」を探しに、大人散策してみては、いかがでしょうか? 私も今後「ここって切通しでは?」と思えるスポットが出てきた際は、本記事を更新させて頂こうと思っております!

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