鎌倉街道

【そもそも鎌倉街道とは?】

本ブログ別記事にて、東海道中山道甲州街道川越街道日光街道東山道武蔵等を取り上げていますが、今回こちらのページでは、鎌倉街道を取り上げてみようと思います。

私の鎌倉街道に関する知識は、「鎌倉時代に、鎌倉幕府からの指示あったり、不測の事態が起こった際に「いざ鎌倉!」と、御家人衆が各地から早急に集まれるように、整備された道で、上道・中道・下道がある」程度です。何処まで正しいか否か、わかっていませんし、この程度の理解ですが、”鎌倉街道” って、あちこちで見たり、聞いたりしませんか? 個人的な感覚なので、なんとも言えませんが、私の感覚では、あちこちに ”鎌倉街道” がある認識です。

【あちらこちらにある「鎌倉街道」】

以下に、私達夫婦が旅行や大人散策に出かけた際、偶然見つけた「鎌倉街道・鎌倉道」を、以下にいくつか列挙させて頂きます。

①東京・箱根ヶ崎駅前/羽村駅前

②東京浜田山駅付近の鎌倉街道

③東京・玉川上水にかかる鎌倉橋

こちらの鎌倉橋に関しては、玉川上水の大人散策情報の記事でも記載いたしましたが、南に「国分寺跡」・北に「九道の辻」/「鎌倉街道と堀兼道の追分」等がある事から、鎌倉街道上道/東山道武蔵路の後継の道でないかとの仮説も持っています。

④埼玉・宮原駅付近の散策路

⑤埼玉・上尾駅付近の鎌倉橋

⑥埼玉・みずほ台駅付近のお寺

⑦埼玉・柳瀬川駅付近の公園

⑧埼玉・川越小畔川付近の森とその先の鎌倉橋と言う名のバス停

こちらの看板・バス停は、別記事で記載しております、鎌倉街道の枝道・堀兼道の延長線上にあります。また、この堀兼道は、「東山道武蔵路が前身ではないか?」とも言われている道です。別記事で大人散策情報を記載しておりますので、ご参照ください。

⑨埼玉・武蔵丘陵 森林公園

⑩長野・諏訪大社上社前宮付近の道

上記の通り、本当にあちこちで「鎌倉街道・鎌倉道」と伝わる道や痕跡を見てきましたが、これじゃあ、『「いざ鎌倉!」の時、道に迷って、鎌倉にたどり着かないのでないか?』といった事を考えてしまいました…。こんな状況のなので、改めて、「鎌倉街道とは?」を調べてみようと思った次第です。

鎌倉の切通に関しては、別記事でも紹介しています。また、川越近辺の鎌倉街道上道散策情報に関しては、①東武東上線・武蔵嵐山駅~鳩山の大橋バス停②鳩山の大橋バス停~東武越生線・西大家駅武越生線・西大家駅~智光山公園バス停④智光山公園公園・バス停~西武(新宿/池袋)線・所沢駅の4区間を別記事で、紹介しております)

早速、Wikipedia で、調べさせて頂きますと、以下の様にあります。

”古道としての鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、鎌倉時代の関東近郊の主要道の意として用いられている”

https://ja.wikipedia.org/wiki/鎌倉街道

鎌倉街道の意味・目的に関する理解は、間違っていない様です。やはり、政治・軍事には、物理的に道を作る事重要なのですね。私の知識の範囲ですが、戦国時代に武田信玄が信濃を抑えるために作った道で、信玄棒道と言うのがあり、江戸時代には、徳川家が、五街道を整備した事実もある。明治政府に至っては、別の種類の道、”鉄道”の敷設を進め、最も近い時代で、思い出すのは、新幹線や高速道路の建設を進めた、田中角栄の列島改造論。いつの時代も「交通は政治と軍事の重要なポイント」だと改めて思った次第です。

【勝手な考察:なぜあちこちに鎌倉街道?】

そんな事を思いながら、上記、Wikipedia の項目を読み進めると、以下の様に続きます。

”(略) 鎌倉街道あるいは鎌倉道と呼ばれる道はかなり広範囲に数多くあったとみられている (略) 鎌倉街道だったと言い伝えられながら、鎌倉街道の他区間とつながらない道がある。その理由として、鎌倉街道という言葉が使われるようになった江戸時代には、地元の道を、鎌倉街道だったと言い伝えるようになったことによると推測する研究者もいる”

https://ja.wikipedia.org/wiki/鎌倉街道

上記の様な記載を発見しました。どうやら、鎌倉街道は、上道・中道・下道だけではない様です。私なりの理解をしてみますと、以下の様になります。

『鎌倉幕府は全国に守護を置く権限を得たため、それを管理する事を大義名分に、かなりの広範囲にわたって道を整備した。しかし、時代の流れとともに、道を作った、もしくは整備した目的は、「いざ鎌倉!」から「生活道路」の意味を増し、更には、鎌倉街道ではない道も、鎌倉街道と言い張っるケースも出てきた。故に、主要だった道や、戦等歴史的な事象のあったところは、ある程度わかっているが、全体像を把握するのは、時代の流れとともに、今となっては難しい状況にある』

と言ったところでしょうか? 

私の住まう川越のお隣、日高市にも、鎌倉街道の上道と言われる道があり、”鎌倉街道上道碑”、なるものがあります。鎌倉街道の中でも、有名な上道と言う事なので、恐らく間違えなく、鎌倉街道がもとになっていると思いますし、この先を鎌倉方面に延ばした延長線上には、新田軍が鎌倉幕府を攻めた際の古戦場と言われる、小手指、分倍河原とありますので、位置的にも納得できる場所です。

小手指・分倍河原古戦場のMap

特に、鎌倉街道に対して、深い思い入れがある訳ではなく、ただ、”あちこちにあるなー”、くらいにしか思っていなかったのですが、実際に調べ、自身の近くに、道碑の様な物があると、徐々に親近感が沸いてきます。そして思うのです、「ここが、鎌倉街道であってほしい!」。恐らく、「ここが鎌倉街道だったんだ!」と言い張った昔の人も、その道が、鎌倉街道か、どうかは別にして、こんな心境で言い張ったのではないかと、勝手に思ってしまいました。

【鎌倉街道に対する親近感】

そしてもう一つ、鎌倉街道を調べて思ってみたのは、本当に多くに方が、研究されていらっしゃると言う事です。恐らく偉い先生もいらっしゃれば、自身の趣味で調べていらっしゃる方もいおられると思います。「もう既に道はなくなり宅地化されている」、「道が舗装されてい事はよくあり、車で行けないことも多々ある」、「山の中や農道、私有地を通らなければならない」等々、かなりご苦労をされているようですが、皆さん、情熱をもって、研究を重ねていらっしゃる様子。

上記に記載しましたが、これまで何の意識もしてこなかった私が、ちょっと調べて、現地に数回行っただけで、鎌倉街道という古道に、「ここって鎌倉時代からの道なんだー」とか、「この道は、歴史上のあの人も通った道かなー」と言った感慨や親近感をもってしまうくらいですから、本当に研究されていらっしゃる方にとっては、浪漫その物なんだろうと思いました。また、鎌倉街道は、古い道で、全体像も見えていないので、更に浪漫度合いがますのでないかと思った次第です。

【最後に】

「鎌倉街道でホントに鎌倉にたどり着くのか?」なんて思ってしまいましたが、それはあくまでも今の時代の視点の話。その道を作ったり、整備した時には、しっかりと目的があったのでしょうから、そんな心配はなく、その後時代の流れとともに、目的が変わり、全体像が見えなくなり、情報も錯綜(操作?、思い込み?)し、現代にいたっていると言う事だと理解しました

しかし、そんな状況だからこそ、自身の近くにある、神社仏閣、道碑等、歴史を感じるものには、意識をもって、情報収集する事で、その地域やその歴史を感じる事が出来るのでないかと思いましたし、それが大人の楽しみかたの様な気もしました

皆様のお住いの近くにも、そういった歴史を感じさせてくれる何かがあるかもしれませんので、ちょっとだけ意識して、ご自身の住まう地域やその歴史を感じてみては、いかがでしょうか? お住まいの地域に、更なる親近感を覚えるかもしれません。

(川越近辺の鎌倉街道上道散策情報に関しては、①東武東上線・武蔵嵐山駅~鳩山の大橋バス停②鳩山の大橋バス停~東武越生線・西大家駅③東武越生線・西大家駅~智光山公園バス停④智光山公園公園・バス停~西武(新宿/池袋)線・所沢駅の4区間を別記事で、紹介しております)

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