諏訪湖

【基本情報:諏訪大社とは】

本ブログの別記事でも記載させて頂きましたが、皆さんは、諏訪大社をご存じでしょうか? 今回は、諏訪大社参拝における情報提供をさせて頂きます

日本最大の断層である「中央構造線」上には、有名な寺社・仏閣があるとよく言われますよね。地球のエネルギーが集まる所だから、神々に近い地域なんて言われ方もするようです。その中の代表ともいえるかもしれませんが、その一つとして、良く名前が出てくるのは、諏訪大社。特にこの諏訪地方は、「糸魚川-静岡構造線」と「中央構造線」が交わる所と言う事もあってか、よくテレビでも取り上げられる事が多い認識で、NHKのブラタ●リでも、取り上げられていたと思います。

「神々が・・・」と言われると、いい大人としては、何も言えなくなってしまいますが、諏訪大社があり、自然現象で説明がつく、御神渡り(「冬の諏訪湖で、氷が湖面を覆った際、昼夜の寒暖差によって発生する氷の膨張が原因となり、一部氷がせり出す現象」だが、神が通ったしるしと考えられている)と言って、語り継いだ事は事実ですし、

御柱祭なる奇祭(6年か7年に一度、山からご神木を切り出し、山から落としたり(=人が大きな丸太の上にまたがり、急な斜面を、ともに落ちていく画を見たことあると思います)、川を渡ったりしながら運び、最終的には、大社の四隅に柱を立てて奉納する祭り)が、行われているのを見ると、何がしかの影響を、人に与えているのは、確かなようです。

そもそも、諏訪大社ですが、1か所にある訳ではありません。Wikipediaによると、

「上社 (かみしゃ)= 本宮 (ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山)+ 前宮 (まえみや)(長野県茅野市宮川)、下社 (しもしゃ) = 秋宮 (あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居)+ 春宮 (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原)」の二社四宮の境内が鎮座する

https://ja.wikipedia.org/wiki/諏訪大社

とあります。

また、諏訪大社の公式ホームページには、

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています”

http://www.suwataisha.or.jp

とあります。

今回こちらの記事では、以下にそれぞれの諏訪大社(上社 (かみしゃ)=本宮 、前宮 (まえみや)、下社 (しもしゃ)= 秋宮 (あきみや)、春宮 (はるみや))に付き、そそれぞれの参拝における情報提供をさせて頂きます

【諏訪大社 上社 本宮】

まずは、「諏訪大社 上社 本宮」よりご紹介致します

本宮は、最下部の地図と共にご確認頂きたいのですが、諏訪湖の南、茅野市に近い諏訪ICの近くにあります。最寄りの駅は、中央本線の茅野駅になると思いますが、若干距離がありますので(4㎞弱くらい)、車でのアクセスが一般的だと思われます。広い駐車場もあります。

境内には、様々な歴史的な建物があり、諏訪大社の公式ホームページには、

徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。六棟は国の重要文化財に指定”、

http://www.suwataisha.or.jp

とありあります。

私達夫婦がお参りした時は、本宮と共に南側の法華寺と更にその南の少し斜面を登った所にある神苑と共に散策させて頂きました。本宮では、それぞれの建造物は写真の通り、立派の一言で、この地域の文化を感じる物もあり、日本人の美意識が極限まで高められた印象を持ちました。

法華寺から神苑も非常に厳かな雰囲気の中、歴史や文化を感じさせる空間で、大人散策を為〆る空間でした。適度な散策で体を動かし血流が良くなったせいもあるかもしれませんが、心が晴れやかになっていくのを感じました。恐らく30分位の散策であったと思います。

また、散策の後は、東側の参道にお店が多数ありますので、そちらでちょっと喉の渇きをいやすと同時に、腹ごしらえをして、前宮に向かいました。皆様も本宮の周辺も含め散策されてはいかがかと存じます。

ちなみに、個人的には不格好な配置に見えましたが、4つの御柱もしっかり見る事が出来ます。1本は、宝物殿の奥に隠れる様な形で配置されていますので、見つけにくいかもしれませんが、探して向て下さい(最下部地図参照)。

【諏訪大社 上社 前宮】

本宮の次は、「諏訪大社 上社 前宮」に参らせて頂きました。

本宮の駐車場を出て、広めの道(岡谷茅野線)を南東に進むと、ほんの数分で(距離にして1-2㎞位の認識)で、「前宮」の看板と共に駐車場が見えてきます。ここに駐車して、社殿までは徒歩で参らせて頂きました。数百メートルの認識ですが、登りなのと途中綺麗な水の流れや水車の写真を撮ったりしていたので、社殿までは10分くらいはかかったと思います。

前宮の社殿は、他と比べ小ぶりな印象を持ちますが、諏訪大社の公式ホームページには、

”高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています”、

http://www.suwataisha.or.jp

とあります。

私達夫婦がお参りした時は、人も少なくのんびりと散策させて頂く事が出来ました。上記に記載した、清らかな水の流れは、この社殿の脇に通じているせいか、なお一層水の綺麗さが印象に残った散策で、途中で鎌倉道」の看板を見つけ、「こんなところにも鎌倉街道!」とちょっとした驚きもあった散策でした。また、前宮にも勿論、御柱が4本揃っており、「唯一4本の御柱すべてをまじかで拝見できるのが、前宮」と認識しております。

ちなみに、この本宮も含めた上社の御柱は、皆様もご存じの「御柱祭」を通じて運ばれてきたものです。前宮の東(南東?)、中央本線を超えた先、車で10分程度の場所に、御柱祭で有名な「木落し公園」(御柱祭にて、斜面を大木にまたがった人々が、共にかけけ下る(落ちる?)画像をご覧になった方も多いと思います)がありますので、併せて訪れてみてはいかがかと存じます。

【諏訪大社 下社 秋宮】

前宮(木落し公園)の次は、「諏訪大社 下社 秋宮」に参らせて頂きました。

その位置関係ですが、以下に紹介する、「春宮」と共に、下社の2社は、諏訪湖の北側、下諏訪と言われる地域にあります。故に、前宮から秋宮へは、車で30分程度移動する必要があると言う事です。尚、移動にあたっての予備知識としてですが、秋宮の目の前は、中山道甲州街道の合流地点になります。故に、南側(甲州側)からのアクセスであれば、旧甲州街道(≒20号)に沿って進めば、少なくとも秋宮の近くには行けると言う事です。

私達夫婦は、近くの駐車場に車を止め、秋宮の鳥居から続く参道より、お参りを開始させて頂きました。こちらの青銅の鳥居は味があります。また背後の参道に目を向けると、まっすぐな坂道が続いており、いわゆる「良い場所」にある事、認識できると思います。

そんな鳥居をくぐり、早々に中にお邪魔させて頂き、まず目を引くのが、狛犬と大きなしめ縄に飾られた神楽殿で、正に圧巻の一言。そしてそのまま進むと、拝殿があり、左右対称のシンメトリーチックな建物は、豪華さと美しさを感じさせてくれます

また、4本の御柱もしっかり拝見出来ます。拝殿前と後ろの左右にそれぞれ拝見出来ましたので、是非気に留めてみて下さい。ちなみに、先にも記載しましたが、秋宮の目の前は、中山道甲州街道が合流する下諏訪の旧宿場町があります。歴史のある街並みの散策も大変興味深いもので、特に本陣跡の岩波家の庭園は、必見の価値がありますので、下諏訪宿の街並みの大人散策と併せて、是非お立ち寄り頂ければと思います(私達夫婦のお気に入りの場所で、何度もこの庭園を拝見しに参らせて頂いております)。

【諏訪大社 下社 春宮】

秋宮の次には、「諏訪大社 下社 春宮」に参らせて頂きました。

秋宮からは、旧中山道をそのまま進めば、1㎞ちょっとの認識ですので、さほど距離がある訳ではありません。道は広い道ではなく、基本住宅街の印象が強いのですが、旧道らしく、所々に見ごたえのある建物もあり、楽しみながら移動する事が出来ます。尚、駐車場はありますが、4社の中で最も限られたスペースに感じられたので(勿論狭い訳ではありません)、予め認識しつつ参られた方が良いかもしません(例:車の際は、まずは春宮に行き、駐車場が混んでいれば、先に秋宮に行く等)。駐車場を出て右に進むと、すぐに大きな鳥居が出てきて中に入れます。同時に、参道の方に目を向けると「下馬橋」があり、歴史がある場所である事実感して頂けると思います。

鳥居から境内にお邪魔し、まず思った事は、「神楽殿・拝殿の配置、更には建物その物も、基本秋宮と同じでは?」と言う事です。と言うよりは、印象として「瓜二つ」。同じ神社・下社なんだとあたらめて思った事、覚えております。秋宮同様、シンメトリーの拝殿は立派その物で、心地よい印象と共にお参りさせて頂きました。また、御柱の配置も基本秋宮と同じだと思っていただいて良いと思いますので、併せてご覧頂ければと思います。

ちなみに、この春宮から北に、1㎞程の川(砥川)を挟んだ反対側に「万治の石仏」があり、更にその川に沿って、3㎞程進むと(一旦春宮付近の橋まで戻り右岸を進むか、しばらく左岸を進み、しばらくして川を超える必要がありますが)、下社の木落し場(木落し坂)が出てきます。徒歩だと若干距離を感じてしまう方もいらっしゃると思いますが、諏訪地方の文化におけるスポットだと思いますので、是非脚を運んで頂ければと思います。

【最後に】

以上、「諏訪大社」=「上社/本宮・前宮、下社/秋宮・春宮」と紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか?  個人的には、「諏訪IC⇒本宮⇒前宮⇒(上社の)木落し公園⇒秋宮⇒春宮⇒(下社の)木落し坂(万治の石仏含む)」が、最も効率的なルートではないかと思った次第です。

最後の段落にも関わらず、少々話はそれますが、諏訪大社と聞いて、「諏訪氏」を連想される方も多いと思います。諏訪氏はユニークな家柄で、武士であると同時に、神官でもある家柄で、大祝(おおほうり)として、この地を代々治めてきたのが、諏訪氏(一族)と言われているようです(大祝(おおほうり)とは、現人神(あらひとがみ)として、諏訪大社(上社)の頂点に位置した神職の人を言うそうです)。また、血筋は、古事記の時代にまでさかのぼると言われている様です。

Wikipedia によると以下の様にあります。

“諏訪氏は武士と神官双方の性格を合わせ持ち、武士としては源氏、執権北条氏の御内人、南朝方の武将、足利将軍家の奉公衆を務めるなど、ごく一般的国人領主である。しかし、大祝としては信濃国および諏訪神社を観請した地においては絶対的神秘性をもってとらえられた。信濃国一宮として朝廷からも重んじられたこともあるが、諏訪明神が軍神であることから、古くから武人の尊崇を受けていたことも大きく影響している。故に諏訪大社の祭神の系譜を称し、上社最高の神職である大祝を継承し、大祝をして自身の肉体を祭神に供する体裁をとることで、諏訪氏は絶対的な神秘性を備えるようになったといえる。代々の諏訪氏当主は安芸守などの受領名を称したが、大祝の身体をもって諏訪明神の神体とされることで正一位の神階を有し、高い権威を誇示した”。

https://ja.wikipedia.org/wiki/諏訪氏

そんな諏訪氏ですが、苦難の歴史を歩んでおり、戦国の頃、武田に侵攻を受けます。結果、諏訪氏は、武田家の軍門に下り、その時に領主であった、諏訪頼重の娘である、諏訪御料人が武田信玄の側室となりました。その後、二人の間に、武田勝頼が生まれ、諏訪四郎勝頼と言う名で、高遠(長野県伊那市にあり、桜が有名な高遠城がある所)も含めた領主となります

武田信玄(勝頼も参戦している)が、三方ヶ原で、徳川家康を撃破するも、病が悪化し(癌と言われているらしい)、甲府に戻る途中、長野県伊那郡付近で他界。その後を継いだ勝頼は、武田家の当主となるが、長篠の合戦(1575年)における敗北を期に力を失い、1582年(本能寺の変の2か月から3か月前)に、天目山の戦い(山梨県甲州市)で、武田家滅亡となる。その後、武田の領地を争う戦い(天正壬午の乱)、関ヶ原の戦い等を経て、諏訪頼水(父:頼忠が、武田に一旦領地を明け渡した頼重の従兄弟)が、高島城主として、旧領復帰を果たし、諏訪家は、江戸時代を通して、高島藩の藩主として、この地を治めた。こんな歴史を持つのが、諏訪氏であり、そしてその地に今あるのが高島城なのです(復興天守ですが・・・)。

少し長くなりましたが、上記のような歴史を持つ諏訪地方長い歴史に思いを馳せつつ、上社・大祝の諏訪氏にも思いを馳せつつ、諏訪大社4社(上社/本宮・前宮、下社/秋宮・春宮)をめぐと共に、高島城にも脚を運んでみては、いかがでしょうか?別記事にて、諏訪地方の魅力を記載した記事諏訪湖1周(=スワイチ)の大人散策/ポタリング情報、もそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照ください)

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!

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