八坂神社

【はじめに】

こちらのページでは、神社に祭られる神々を分類する事で、神社をカテゴリ分けし、その上でそれぞれの神社につき考察を加えさせて頂こうと思います

皆様は、神社めぐり等は、されますでしょうか? 私達夫婦は、寺社巡りが好きで、多くの神社仏閣にお邪魔させて頂き、大人散策を楽しんでおります。本ブログ別記事で紹介させて頂きました、「狛犬ではない、狛〇シリーズ」と言った観点や、居住地川越での「七福神巡り(基本お寺ですが…)」、読み方から野球に関連しバット絵馬等がある「東松山の箭弓神社」、「通りゃんせ♪」発祥の地と言われる「川越の三芳野神社」、江戸風鈴の飾りが見事な「川越氷川神社」、日本一の参道の長さを誇ると言われる「氷川神社の総本社・大宮氷川神社」等、様々な特徴のある神社等にお参りさせて頂き、大人散策を楽しんでいます(それぞれ詳細は別記事参照)。御朱印ブームもあり、多くの方が神社にお参りにいらっしゃる様になった昨今ですが、実際に神社めぐりをしていると、「この神社の祭神は、あそこの神社と一緒だ or かぶっている!」、「この神社あそこにもあった」、「この地域は、同じ名前の神社が多いなー」と言った感じで ”気付き” が出てきます

こちらのページでは、様々な神々が乱立する様々な神社を、これまで私達夫婦が訪れた神社を中心に(埼玉県川越市居住、山梨県北杜市出身の為、関東甲信越の神社が中心になります)祭神を分類する事で、神社をカテゴリ分けし、その背後に隠れた地域の特性に付き、勝手な考察(妄想?)を加えさせて頂こうと思います

【祭神/神社の分類】

当たり前ですが、祭神の分類は、そのまま神社の分類となり、それらは、①天照大神に代表される「天津神系」②スサノオやその子孫の大国主に代表される「国津神系」③実在した天皇やその血筋の方を祀る「天皇/皇族系」④徳川家康や武田信玄を祀る「英雄系」⑤菅原道真や平将門を祀る「御霊神系」の神社に分けられる認識ですその他、仏教と神道の融合による「習合神系」の分類もある様ですが、神道側の神々は、前記①~④のどれかには入る様なので、ここでの記載は割愛し、①「天津神系」、②「国津神系」、③「天皇/皇族系」、④「英雄系」、⑤「御霊神系」に絞って記載いたします。以下それぞれのカテゴリにて、代表的な神社をいくつか記載し、その特徴と考察を記載いたします。

【天津神系】

まず最初に、天照大神に代表される「天津神系」の神社に関し記載いたします。「天津神系の神社」として思い浮かぶのは、伊勢神宮・熱田神宮秩父神社所沢神明社と言った所でしょうか? (秩父神社所沢神明社は、若干ローカル色が出てますが…)

天照大御神を祀り、ご神体は、三種の神器・八咫鏡の「伊勢神宮、同じく天照大御神を祀り、ご神体は、同じ三種の神器でも、草薙の剣をご神体とする「熱田神宮(スサノオがヤマタノオロチ退治の際に、オロチの尾の中から出てきた太刀(=草薙の剣)なので、スサノオも祭っている様ですが、後にスサノオがこの太刀を天照大御神に献上しているので天津系の神社で良いのでないかと思いました)、天照大神の「岩戸隠れ」の際に、神々に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたとされている「八意思兼命」を祀る「秩父神社、居住地の川越から近い所で日本武尊が、東国平定の際に休息したと伝わる「所沢神明社」も天照大神を祀る、天津神系の神社だと認識しています。

また、少し微妙と言う意見もあるようですが、イザナギ/イザナミを日本武尊が祀った事が始まりとされる「三峯神社や同じく日本武尊と関連深く、神武天皇を祀る「宝登山神社」も天津神系と言って良いのでないかと思っています。

これらの事から考えると、「天皇家の正当性とその歴史、そして大和朝廷の東国平定の痕跡を伝える神社が、『天神系の神社』」だと思った次第です。

【国津神系】

次に、天皇家の一族と言えば一族で、天照大御神に「草薙の剣」を献上した(恭順の意を示した?)スサノオやその子孫・大国主命を代表する「国津神系の神社」につき記載します。

「国津神系の神社」として思い浮かぶのは、国譲りの地として有名な大国主命を祀る「出雲大社習合神・熊野三権現(スサノオ(阿弥陀如来)/イザナギ(薬師如来)/イザナミ(千手観音))の内、イザナミが葬られた地との伝承がある事から「よみがえりの地」として信仰を集めた「熊野神社(熊野三山:熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)スサノオが牛頭天王と同一視(習合神)され疫病退散を願った山鉾巡行で有名な京都の「八坂神社、「(別記事で紹介させて頂いた)埼玉の荒川流域における水田開発の拠点」として始まったと推測(妄想?)され、武蔵国一宮・「大いなる宮」の「大宮」にある「氷川神社」(氷川神社の総本社)大国主命を主祭神とし律令国家時代には、武蔵国府が置かれた「大國魂神社といった、「現世」に関連する神々を祭る神社がまず頭に浮かびます。

更に、”二荒” を音読みし”日光” の地名の由来になったとされ、神体山を大国主命、並びにその子孫と関連付けた(習合神)「二荒山神社国造りの神話で「大国主命の国造り」に協力したとされるる「少彦名命」を祀る「北海道神宮といった神社が思い浮かびます。

これらの神社の由来を見ていると「天皇家の正当性を全面に強調している様に見える『天津神系の神社』と比べ、習合神を取り入れたり、水田開発/国府の設置/土地(北海道)の開拓と言った『新しい事への挑戦』(国造りもまさにそうですが…)と言ったキーワードが見え隠れするのが『国津神系の神社』」と思った次第です。

参考:「天津神/天津社」と「国津神/国津社」の分類

  • 天津社=天津神(天照大御神を代表する「高天原もしくは高天原からの神々の総称」)を祀る神社
  • 国津社=国津神(スサノオや大国主命を代表する「葦原の中国(この世?)の神々の総称」)を祀る神社

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以下、Wikipediaより引用

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天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である。天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、国津神は地(葦原中国)に現れた神々の総称とされている。

概要

日本神話において、国津神がニニギを筆頭とする天津神に対して国土(葦原中国)の移譲を受け入れたことを国譲りとして描かれている。これはヤマト王権によって平定された地域の人々(蝦夷、隼人など)が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる (略) なお高天原から放逐されたスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。

■ 天津神

 ・別天津神

  > 造化三神…天之御中主神、高皇産霊神、神産巣日神

  > 宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神

 ・神世七代

  > 国之常立神、豊雲野神、宇比地邇神・須比智邇神、角杙神・活杙神、意富斗能地神・大斗乃弁神、淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神、伊邪那岐神・伊邪那美神(イザナギ・イザナミ)

 ・主宰神

  > 天照大御神(アマテラス)

 ・その他

  > 少名毘古那神、天忍穂耳命、邇邇芸命(ニニギ)、思金神、建御雷神、天手力男神、天児屋命、天宇受売命、玉屋命、布刀玉命、天若日子、天之菩卑能命など

■国津神

 ・主宰神

  > 大国主神(オオクニヌシ)

 ・大国主の御子神

  > 阿遅鉏高日子根神、下照比売、事代主、建御名方神、木俣神、鳥鳴海神

 ・大国主の配偶神

  > 須勢理毘売命、八上比売、沼河比売、多紀理毘売命、神屋楯比売命、鳥取神

 ・その他

  > 椎根津彦、須佐之男命(スサノオ)櫛名田比売(クシナダヒメ(スサノオ妻))、大物主神、久延毘古、多邇具久、大綿津見神、大山津見神、宇迦之御魂、大年神、木花之佐久夜毘売、玉依比売、豊玉毘売、八束水臣津野命、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命、伊勢津彦、洩矢神、千鹿頭神など  (略) 

他の神社との比較

https://ja.wikipedia.org/wiki/天津神・国津神  青字:一部追記

【天皇/皇族系】

上記、天津神系も国津神系の神社も、天皇家と関りの深い(と言うより祖先?)神社ですが、神話の世界ではなく(神話も本当の歴史かもしれませんが…)、歴史的に確定要素の強い、「実際の天皇を祀る神社」で思い浮かぶのは、明治天皇を祀った「明治神宮」(上記、北海道神宮も明治天皇を祀っていますが…)、桓武天皇/孝明天皇を祀った「平安神宮」、後醍醐天皇を祀った「吉野神宮」と言った辺りでしょうか? 時代が江戸から明治に移り、富国強兵を目指していた時期の天皇である「明治天皇平安京遷都を実行した「桓武天皇江戸の幕末に公武合体を推し進めた「考明天皇」、鎌倉幕府と戦った「後醍醐天皇とそれぞれ考えてみると、「天皇が政治に関りを強く持った時期に在位であった天皇を祀る神社」に見えてしまい、「(勿論悪い意味ではなく)政治的な意図を持って創建された神社が天皇/皇族系の神社」と言ったイメージを持ちました。(ちなみに別記事で紹介させて頂きましたが、「神宮」とは「天皇、天皇につながる天照大神系の神々(天津神系の神々)、天皇の正当性を示す三種の神器を祀る重要な神社が神宮を名乗るケースが多い」と言う事の様です…)

しかし一方で、八幡大菩薩と称され、誉田別命と同一視(習合神化)される「応神天皇」を祀る大分の「宇佐八幡宮は少し違った毛色がある印象です。宇佐八幡宮」全国に約44,000社ある八幡宮の総本社で、石清水八幡宮や筥崎宮、鶴岡八幡宮と共に日本三大八幡宮の一つとされる神社です。そのもとになる八幡信仰」は、清和源氏、桓武平氏を始めとする武家に広がり、特に清和源氏は八幡神を氏神として崇敬し、日本全国各地に八幡神社を勧請したと伝わる様です。同時に、平将門は八幡大菩薩によって地位を保証されたと「新皇」(「新しい天皇」の意味で、「天照大神とは異なる世界を創る大きな役割」と言う意味があるらしい)を自称し、石清水八幡宮で元服した源義家は、「八幡太郎義家」と名乗った事で「武家の棟梁」のイメージの始まりとなった事実を考えると、天皇方と言い切れない物の「政治的な意図とは無関係だったとは言えないとも思える次第です。

【英雄系】

歴史上の英雄が神格化され、神となった神社」で連想するのは、江戸幕府の創始者・徳川家康を祀る「東照宮、皇居外苑に像があり後醍醐天皇を支えた楠木正成を祀る「湊川神社」、戦国期に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉を祀る「豊国神社」、日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎を祀る(原宿の「東郷神社」と言いたいですが、ここではあえて)飯能の「秩父御嶽神社と言った所でしょうか。

更に、少し目線をローカルに向けると、私の出身地山梨には、地元の英雄・武田信玄を祀る「武田神社があり、武田信玄のライバル・上杉謙信を祀る「上杉神社/春日山神社」や、薪を担ぎながら本を読む像が、昔は何処の小学校にもあった二宮尊徳(金次郎)を祀る「報徳二宮神社と言った神社も思い浮かびます。この他にも、織田信長(建勲神社)・吉田松陰(松陰神社)・西郷隆盛(南洲神社)を祀る神社もあり、多くの偉人が神格化され祀られている様です。そして思いましたが、「戦に関係なく神格化された人が、二宮尊徳くらいしか思い浮かばないと…」。日本の英雄は、戦なしでは英雄になるのは難しい事なのか?」と思ってしまいました。

【御霊神系】

最後に、御霊神系の神の神社」として思い浮かぶ神社を考えてみます菅原道真を祀る「北野天満宮」、平将門を祀る「神田明神」、崇徳上皇を祀る「白峯神宮と言った、日本三大怨霊と言われるも、それぞれ神格化され、この三名を祀る神社が真っ先に思い浮かんだ次第です。以下に、それぞれのケースを見てみます。

まずは、菅原道真優秀な学者で、漢詩の才能もあり、宇多天皇/醍醐天皇の元で活躍した菅原道真は、藤原氏の虚偽の訴えにより、大宰府に左遷され、その地で生涯を閉じた貴族です。また、道真の死後、藤原氏内で病が流行ったり、平安京の内裏で死傷者も出たと言われる落雷(清涼殿落雷事件)があったり、それを目撃した醍醐天皇が体調を崩しなくなってしまったりした為、道真の祟りと信じられ、現在では、日本三大怨霊の一人と言われています。怨霊を恐れた当時の人は、道真を神格化し、福岡の北野天満宮で神として祀ったと言われており、現在に至っては道真の才能と相まって、学問の神として日本各地に「天満宮」(「菅原神社も…」)を見る事が出来ます。(ちなみに、菅原道真と言って連想してしまうのは、梅と牛。天満宮や菅原神社と名の付く神社には、梅の木が多く植えられており、中には狛犬ならぬ「狛牛」が守護する神社もあります)

次に、平将門。上記にも若干記載しましたが、東日本で勢力を持ち、ついには「新皇」(「新しい天皇」の意味で、「天照大神とは異なる世界を創る大きな役割」と言う意味があるらしい)を自称したが、即座に朝敵となり討伐されてしまった武将です。死後は怨霊となり、道真同様、日本三大怨霊の一人となってしまいますが、各地に首塚や将門を祀る神社(東京では神田明神(祭神:大国主命・少彦名命・平将門)や築土神社(祭神:ニニギノミコト・平将門・菅原道真))が、現在でもあり、京都では朝廷に謀反を起こした極悪人ですが、関東では「独立を図るも、悲運の死を遂げた英雄として、江戸の鎮守として今尚信仰を集めている」認識です。特に神田明神は、明治期の神仏分離のプロセスの中で、朝廷に逆らった将門を祭神から外すように、圧力もあった様ですが、家康に江戸の総鎭守として崇められ、政権が代わって政府の意向で「将門外し」があっても、それを地元民が守り抜いた事から、「神田明神は、将門に対する恐怖と鎮守府としての崇拝が紙一重で混在している神社」の様にも思えた次第です。

そして日本三大怨霊のもう一人が、崇徳上皇貴族内の内部抗争で後白河天皇方に敗れ(平治の乱)、讃岐に流され、この地で崩御した75代の天皇です。死後、後白河天皇に近しい人がなくなったり、社会情勢が不安定になったり(延暦寺の強訴、鹿ケ谷の陰謀)、火災(安元の大火)がおこったりした事から、崇徳上皇の怨霊が意識される様になった為、上皇が葬られた白峯陵(現・香川県坂出市)の隣に、上皇の菩提を弔う為に法華堂(現・頓証寺殿)を建立(移築?)されたと言われてるらしいです。その後、江戸の幕末になって、孝明天皇の名のもと、上皇の霊を慰める為、白峯神社の建設が京都で開始され、意思を受け継いだ明治天皇により頓証寺殿(旧法華堂)の本尊であった崇徳上皇僧形座像図を白峯神社に移した様です。白峯神社の社地は、蹴鞠の宗家であった堂上家(公家)である飛鳥井家の屋敷の跡地との事で、現在では『サッカーをはじめとする、球技全般およびスポーツの守護神』とされている様です。

「御霊神系の神社」の例として、日本三大怨霊を祀る神社:菅原道真を祀る「北野天満宮」、平将門を祀る「神田明神」、崇徳上皇を祀る「白峯神社を取り上げましたが、「怨霊として恐れられた為に神格化されたが、時代の逃れと共にそれぞれの個性(こじつけ?)と相まって、人々のよりどころになって行った神様を祭る神社が『御霊神系の神社』」と思った次第です。

【最後に】

以上が、神社に祭られる神々を分類する事で、神社をカテゴリ分けし、その上でそれぞれの神社につき考察を加えさせて頂いた内容になります。

「神宮・宮・大社・神社」の違いを考察させて頂きました記事でも感じましたが、一口に「神社」と言っても様々な由緒と様々な信仰がある事を改めて認識した次第です。同時に、神社仏閣巡りをしていると、日本には本当に多くの神社があり、「この神社はどんな神社?」と思ってしますが、「神宮・宮・大社・神社」といったの名称の違い「社格(一宮/官幣・国弊/県社・村社等)」の違い、「祀っている神々」の分類等、本ブログの別記事記載の内容と併せ情報を整理すれば、初めてお伺いする神社でも「こんな神社かな?」とある程度の目論見は持てるとも思った次第です。

全てが神頼みでは、この世は生きてはいけませんが、どうしようもない事が起こってしまう事も事実なので、「人事を尽くして天命を待つ」の気持ちのもと、今後も神社の個性や特徴を出来るだけ理解しつつ、人事を尽くした上で、神頼みをすべく、神社仏閣巡りを大人散策の一環として実行していきたいと改めて思いました。

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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