【はじめに】
本日は、本ブログの別記事でも触れました「鎌倉街道の上道」につき、大人散策情報を紹介致します。
あちらこちらで目にしたり、耳にしたりする鎌倉街道ですが、この上道は、「神奈川県の鎌倉から群馬県の高崎を結ぶ古道」と言われているようで、現代では、中々その痕跡を見つける事が難しい場所も多々ある様です。本来は、鎌倉から高崎まで大人散策/ポタリングさせて頂くべきかもしれませんが、体力的・時間的事情もありますし、自転車(ポタリング)では石碑等を見過ごす可能性もあるので、まずは私達夫婦の住まう川越近辺からこの痕跡を、徒歩(散策)で、たどってみる事にしました。
そのスコープとさせて頂いたのは、西武線の所沢駅近辺~東武東上線の武蔵嵐山駅。とは言っても、所沢駅から武蔵嵐山駅は、普通に歩いても、35㎞~40㎞程ある様です。近辺の史跡等、見所もあるので、それらを含めて大人散策すると、更にそれ以上になると思い、1日で行くのはかなり無理のある行程だと推察し、分割作戦を取る事にしました。
ただ街道を歩くだけでなく、いい大人が、史跡巡り等も含め、楽しみながら大人散策できる事と交通(移動)の効率性を想定し、4つに分割しました。その内容は、
の4分割です。途中電車では、上記以外の駅で、川越線の武蔵高萩駅、西武新宿線の狭山市駅等もありますので、川越や高麗・高麗川近辺、日光脇往還(八王子~日光)の杉並木等の周辺散策も考え、更に分割しても良いと思いますし、自転車(ポタリング)であれば、①+②や③+④と統合しても良いと思いますが、今回は、①~④で分割した、②鳩山の大橋バス停~東武越生線・西大家駅(鎌倉街道だけを進めば、8-9㎞程度)、につき下記にコースをとその風景を記載します。是非、皆様の大人散策の企画の参考になれば幸いです(別記事で、①東武東上線・武蔵嵐山駅~鳩山の大橋バス停、③東武越生線・西大家駅~智光山公園バス停、④智光山公園公園・バス停~西武(新宿/池袋)線・所沢駅についても紹介しています)。
【鎌倉街道上道を大人散策(②鳩山の大橋バス停~東武越生線・西大家駅)】
①大橋バス停
東武東上線の坂戸駅からバスで行く事が可能です。別記事でも記載しましたが、バスの本数が限られますので、予め時間を調べ、いらっしゃることをおすすめします。(バス時刻表:https://www.asahibus.jp/html/station/st_sakado.html)。また、バス停の東(川の反対側)の鎌倉街道沿いには、鎌倉街道の説明を記載した看板が設置されています。
②鎌倉街道の説明文・石碑・ため池
実際に散策してみると、道々に鎌倉街道を感じる事の出来る光景を見る事が出来ます。それが、石碑(板碑?)。鎌倉街道とは、もしかしたら関係ないかもしれませんが、石碑があると言う事は、人々にとって何がしかの所以のある場所。道があったからこそ、人々が集まり、石碑が置かれ、ため池もできた、といった様に考える事こそが、大人散策だと勝手に思いました。
③おしゃもじ山公園・赤沼陣屋跡 (展望台+ツツジ)
しばらく進み、越辺川の手前で、ツツジスポットとしても紹介しました「おしゃもじ山公園」と言う場所があります。赤沼陣屋跡とも言われるようで、非常に眺めの良い高台に、更に眺望が良くなる様、展望台が築かれています。そこからの景色は正に陣屋に適したもので、何処まで見えているのか良く解らないほどで、この場所を陣屋にした事を理解できるはずです。ちなみに、現在の公園としての名前は、「おしゃもじ山公園」で、この由来は、鳩山町のホームページによると(http://www.town.hatoyama.saitama.jp/bunka/kanko/1447296205723.html)、”名前の由来は、杓子母神(おしゃもじ様)が祭られているほこらがふもとにあることから”、との事で、季節毎に桜やツツジを楽しめるとの事です。
④鎌倉街道の看板/表札・板碑
おしゃもじ山公園から、越辺川を超え、毛呂山町の 大類グラウンドの脇の未舗装道が、鎌倉街道と言われているそうです。”鎌倉街道上道”の看板もしっかりあり、未舗装ですが、それとわかります。このグラウンドは、堂山遺跡と言われる、室町時代の集合集落跡が地下に眠っているそうです。また、鎌倉街道と言われる道や武蔵嵐山付近を散策中によく見かける板碑(延慶の板碑)や、川角古墳群等、大人歴史散策をされる人が好む史跡があちこちに見られます。今回は、鎌倉街道を歩く事を目的にしていましたし、日も暮れかけていたので、別の機会で参らせて頂こうと思った次第です(周辺の散策マップもある様なので!)。
■2024年4月追加情報:毛呂山町の鎌倉街道上道が「国指定史跡」に!
2024年の春、久しぶりに鎌倉街道上道をポタリングさせて頂くと、毛呂山町の歴史民俗資料館(下記参照)付近に『祝 国指定史跡 「鎌倉街道上道」』の “のぼり” を発見しました。「えっ、そーなの?」と思いつつ「確かにこの付近は、鎌倉街道の歴史を感じる史跡も多いもんなー」と思い「おめでとうございます!」と心の中で申し上げ、自宅に戻って調べてみますと、毛呂山町のHP(https://www.town.moroyama.saitama.jp/gyoseisite/index.html)に以下の様に記載されていました。
(略) 毛呂山町の鎌倉街道上道は、「中世の街道の遺構が良好に保存されているだけでなく、宿場と墓域、その境界という一体的な空間が残り、中世の街道の状況を明らかにする重要な遺跡」として評価されました。
https://www.town.moroyama.saitama.jp/gyoseisite/index.html
毛呂山町での国指定史跡は初めてで、街道を中心とした国の指定史跡は県内初となります (略)
令和4年11月10日付け、官報告示(文部科学省告示第141号)により、毛呂山町の「鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)」が正式に国の史跡に指定されました (略)
今後も、貴重な史跡が語り継がれる事、切望しております。
⑤毛呂山町 歴史民俗資料館 (寄り道)
こちらは、当日は出発した時間が遅かった為か、日も暮れかけていたので、参る事が出来ず、後日参らせて頂きました。敷地内には古墳跡があり、中には地元の歴史をテーマにした展示物があります。こんなことを言ってはいけないかもしれませんが、意外と良かったです。鎌倉街道が近くを走っている事もあるせいか、地元の歴史を知るには、良い場所だと思いました。
⑥周辺散策 (寄り道)
鎌倉街道上道の大人散策の当日は、出発した時間が遅く、こちらに関しては、後日上記の毛呂山町 歴史民俗資料館に参らせて頂くと同時に、周辺を少し散策しました。この地域は随所に、石仏や板碑、神社等があり、面白い場所だと思いました。以下にいくつか紹介しますので、鎌倉街道と直接は関係ないかもしれませんが、散策の参考になれば幸いです。
⑦鎌倉街道遺構
話は鎌倉街道に戻り、上記の大類グラウンドの脇を入る未舗装の道を、南に進み、森を抜け、ちょっと大きめの幹線道路を渡り、またしばらく未舗装の道を1㎞程進んだ場所に、「鎌倉街道遺構」と、表札が出てきます(途中いくつか、鎌倉街道上道の看板があります)。鎌倉街道の遺構が発掘調査された場所との事の様です。
⑧吉原地蔵尊・石碑(寄り道?)
鎌倉街道の遺構を過ぎて、少し広い道(川越越生線)に出て、東に進み、信号を過ぎた少し先を南に入る道があり、ここが鎌倉街道と言われているそうです(少しわかりにくいので、下記に地図と写真でポイントを示します)。そして、新しくなった森戸橋を超え、高麗川を渡った所のすぐ先を左に折れた所に、地蔵尊があります。どうやらこちらのルートは、鎌倉街道と認識されていない様ですが、私個人的には、残った石碑・石像からこちらが、鎌倉街道のルートでないかと思っています。(当日の散策は、東京国際大学のグラウンド内を抜ける様に進み(夕焼けにシルエットが美しい富士山が見えました)、後日の散策で、石碑・石像の写真を撮らせてもらいました)
⑨国渭地祇神社 (と少々先の番外編:秋葉神社)
このコースのゴール目前、西大家駅の道を挟んだ反対側に大木を備えた、国渭地祇神社があります。大きくはありませんが、河岸段丘の上に作られた神社である事が良く解ります。また、番外編で、この神社をもう少し西に進んだ、舗装道路の先(舗装道路が行き止まりになるその道路上)に、小さくて不思議な秋葉神社がありますので、お時間があれば足を延ばしてみて下さい。
⑩西大家駅
ゴールの西大家駅です。上りは、東武東上線の坂戸駅にも出れますし、下りは越生に出る事も出来、単線ですがそれなりの本数はあります。ちなみに、この西大家の駅を南に進むと、「掘割状遺構」と呼ばれる遺構がありますが、次の記事の記載とさせて頂きます。
【最後に】
以上が、4分割した内の「②鳩山の大橋バス停~東武越生線・西大家駅」のコースの概要になります。まだまだ、遺構をが残っている地域だと思い、魅力的なエリアだと思いました。また、同じように散策されていらっしゃる方にもお会いする事があり、時には話も弾み、そういった観点でも面白いと思えるエリアでした。もしかしたらこのブログをお読みの皆様ともお会いするかもしれませんが、その際は、宜しくお願い致します!
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!