旧北国街道

【旧北国街道とは? 小諸宿とは?:基本情報】

皆さんは旧北国街道と言うと、どの道を思い出すでしょうか?

これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、関東の人は、長野(信濃)・新潟(越後)を結ぶ旧北国街道、関西の人は、滋賀(彦根・長浜)・福井(越前)を結ぶ旧北国街道とそれぞれ違いがあるのは無いでしょうか? この他、脇往還があったり、範囲を広げて考えたりするケースもある様で、同じ名前でも範囲や道その物に違いがある事、そしてそれを良しとしている事は、日本人らしいと思うのは、私だけでしょうか?

今回ご紹介するのは、別記事でも紹介しております中山道信濃追分宿で分かれ、善光寺を経由して、新潟の直江津に至る旧北国街道の宿場町の1つ、小諸宿の大人散策情報を紹介致します。そもそも小諸宿ですが、こもろ観光局のページには、以下の様な記載があります。

旧北国街道は、江戸時代初期に開かれた五街道に次いで重要な街道として整備されました。この街道の宿場町「小諸宿」は、今も往時の風情を残す町並みが残ります。小諸には、古代より東山道が通り、奈良時代になると勅使牧「望月牧」「塩野牧」が置かれ、盛んに都との往来があり、古くから東西への交流がある地でした。

信仰の道] 旧北国街道の一部は、善光寺道とも言われ、古くから善光寺参りの道でした。また、「牛に引かれて善光寺参り」伝説の布引観音もあります。

金の道] 江戸幕府により佐渡金山が開発されると、旧北国街道は「金の道」となりました。

参勤交代の大名行列] 江戸幕府により参勤交代が制度化されると、北陸諸国の大名行列が旧北国街道・小諸宿を通りました。小諸宿には、本陣や脇本陣、宿場町の町並みの一部が今も当時のまま残っています。

https://www.komoro-tour.jp/

別記事で紹介致しました、懐古園(=小諸城址)と旧北国街道・小諸宿の大人散策は、是非セットで大人散策頂けば、小諸観光の大部分をカバーできるのでないかと思いますし、個人的には、やはり別記事で紹介しております布引観音に行けば、観光と言う側面ではパーフェクトではないかと思っています! 故に、本記事では、旧北国街道の小諸宿に焦点を絞って記載いたしますが、別記事の懐古園(=小諸城址)布引観音に関しても、ご参照頂けますと幸いです。

【旧北国街道を大人散策!】

・停車場ガーデン:スタートポイント

はじめに散策にあたってのスタートポイントですが、小諸駅すぐ隣の「停車場ガーデン」付近からのスタートが宜しいのではないかと存じます。停車場ガーデンのすぐ隣が小諸駅なので、小諸駅までのアクセスに関して記載しますと、電車や高速バスで小諸駅までアクセスするのも良いと思いますし、車であっても駅の周囲には駐車場(基本有料の認識)もありますので、車でのアクセスでも宜しいと思い、それぞれのニーズに合った選択肢が出来ると思います。

また懐古園の大人散策の後の旧北国街道散策の予定をされるのであれば、懐古園内を三ノ門から出るとすぐ正面に、線路をくぐる地下道があり、ここを抜けると停車場ガーデンに出てくる事が出来ます

停車場ガーデンには、カフェやレストランがあり、目の前はテラスの様になっているので、ゆったりと過ごす事が出来ます。また、小諸駅のホーム近くには、歴史を感じさせてくれる油庫と言う建造物があります。

・旧北国街道小諸宿本陣主屋

停車場ガーデンの北側には芝生の公園が広がっています。そして広い芝の公園の北側に隣接する形で、「旧北国街道小諸宿本陣主屋」が移築されています。内部は、歴史資料館として運営されている様で、ギャラリーの様になってる部分もございました。しかしここで見て頂きたいのは、建物その物。威風堂々とした玄関は、風格十分。そこから中に入り、建物の中を見て回る事が出来ます。その中で是非見て頂きたいのは、①小諸城の地形が良く解るジオラマ、②手の込んだ欄間、③シンプルで上品な設えで作られた書院造の上段の間。①のジオラマを見ると、小諸城が穴城で、地形を生かした要害である事、良くご理解頂けると思います。また、②の欄間、③の上段の間を拝見すると、「さすが本陣の設え」と思って頂けると思います。

・小諸城大手門

旧北国街道小諸宿本陣主屋を出て、先程きた芝の公園を戻り、風格ある建物(観光局の様ですが)あたりを東に進むと、小諸城の大手門が出てきます。現代の感覚だと、駅の西側に懐古園(小諸城址)があり、東側に大手門があるので、ちょっと変な感じを持たれるかもしれませんが、それは現代の視点の印象。「元々あった小諸城の中に線路を通した」と言う理解が正解でしょう。派手さはありませんが、どっしりと構えたその門は、武士の家の門らしい風格を感じさせてくれます

・旧北国街道の大人散策

小諸城の大手門から北に進むと本町の交差点が出てきます。この交差点を東西に走るのが旧北国街道です。この旧北国街道を東に進むと、この小諸宿の古い建物を随所に見る事が出来ます。以下写真の通り、中々の風情を感じられるこの通りは、大人散策にはピッタリです。本記事の下部の方に、グーグルマイプレイスで作成した地図に、撮影ポイントをお示ししますが、皆様の視点でも、是非大人散策をお楽しみください。

・光岳寺

旧北国街道を東に進むと右(南)に90度曲がるポイントがあります。そのポイントを曲がらずに、そのまま東に目を向けると、光岳寺が見えてきます。この曲がり角に立つ門は、小諸藩初代藩主・仙石秀久が築いた門を移築された門との事で、足柄門と言うそうです。その門をくぐり、左に手入れされた植栽を見つつ進むと、更に立派な門が出てきます。そしてこの門をくぐると、本殿が出てくる訳ですが、ここでの注目ポイントは、屋根の上に飾られた、3つの家紋。牧野家・徳川家・松平家の家紋です。現地の説明看板によると、「元々は、徳川家康の母・お大の方(傳通院)」を弔うため、小諸城主・松平憲長が1624年に開いたお寺との事ですが、江戸中期以降の小諸城主・牧野家の菩提寺・泰案寺が廃寺となった為、光岳寺に合併された」と言う事の様です。こんな歴史を知りつつの大人散策は、良いものだと改めて思った次第です。

・宗心寺

光岳寺へ来た道を戻らず、南に抜ける道があるので、そこを進み道を渡ると、宗心寺に側面から入る事が出来ますここでの見所は、手入れされた松。圧巻の一言です。あまりガイドにも乗っていない様ですが、この松は必見の価値ありだと思っています。

・山吹味噌

側面からお邪魔した宗心寺ですが、松を拝見した後、そのまま西に参道を進むと、旧北国街道に戻る事が出来ます。その旧北国街道を右(南)に更に進むと、山吹味噌が出てきます。すぐにそれと分かる建物は是非見て頂きたい建物で、歴史の重みを感じられずにはいられません。また、小諸らしいお土産の購入にも、(持って歩くには少し重いですが)おすすめです。

・海應院

旧北国街道の山吹味噌の道を挟んだ反対側に、海應院への参道があります。この海應院も是非脚を伸ばして頂きたいスポットです。上記、宗心寺の松も立派ですが、ここ海應院の松もすごいです。「潜竜の松」と言うようで、宗心寺の松の倍くらいはある様な印象を持っており、綺麗に手入れされた芝越しの松は、正に舞鶴の様な感じ(「潜竜の松」という名前ですが…)で、迫力を備えた美しさがあります

・歴史を感じる街並み

海應院の参道を再び旧北国街道に戻り、更に旧北国街道を南に歩を進めると、歴史を感じさせてくれる建物にいくつも出会う事が出来ます。正直ここまで散策してくると、それなりに疲労感が出て来るかもしれませんので、皆様の体力と相談しつつ大人散策を楽しんで頂ければと思います。私達夫婦の場合は、以下Google マイプレスで示した、旧北国街道街並み・撮影ポイント付近⑤(=荒町・与良町の交差点)まで歩を進め、その後小諸駅経由でお宿(中棚荘:別記事で紹介中)に戻りました。

【最後に】

上記が、旧北国街道・小諸宿の大人散策情報になります。

上記、最後のパートで、「それなりに疲労感を感じるかもしれません」と記載しましたが、それは上記のルートで大人散策し、小諸駅に戻る途中で、その理由を理解できるかもしれません。それは簡単で、「かなりの高低差がある」と言う事です。歴史ある建物・味のある通り・見事な植栽等に目を取られ、旧北国街道を散策しているとその高低差に気づきにくいかもしれませんが、上記最後のポイントから小諸駅に直線的に戻ると、かなりの高低差がある事、ご理解頂けると思います。「街道は、その高低差をなるべく感じない様にルート選択されているのか?」と思ってしまうほどです。

私達夫婦のケースで申しますと、「その日は宿を取っていた、中棚荘をスタートし、懐古園(=小諸城址) ⇒ 上記旧北国街道の大人散策(途中山吹味噌でお味噌3㎏をお土産で購入)⇒小諸駅経由・中棚荘に戻る」といったルートだったのですが、そなりの疲労感があった事記憶しております。そんな高低差を感じない程魅力的な旧北国街道・小諸宿。皆様も大人散策で、日本の、小諸の歴史と文化を感じてみてはいかがでしょうか?

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