偕楽園はどんな庭園ですか?
日本三名園の一つで、梅林・竹林・杉林・池泉など多様な景観を楽しめます。徳川斉昭が「民と楽しむ場」として造園しました。
好文亭の見どころは?
徳川斉昭が設計した木造建築で、偕楽園全体を見渡す眺望が魅力です。内部の意匠にも斉昭の思想が反映されています。
常磐神社はどんな神社?
水戸藩ゆかりの徳川光圀・斉昭を祀る別格官幣社です。
偕楽園と常磐神社は一緒に巡れますか?
徒歩で簡単に行き来でき、庭園美と歴史を同時に味わえるため、大人散策として相性抜群です。
【はじめに】

偕楽園・水戸城(弘道館)・鹿島/香取神宮・佐原・國王神社・関宿城…:車で巡る「茨城・千葉の旅!」 ~茨城・千葉を巡る歴史旅 まとめ記事~
こちらのページでは、「日本三名園の1つ偕楽園(好文亭含む)&別格官幣社・常磐神社における、歴史・文化を感じつつ実行する大人散策情報に付き紹介」させて頂きます。
📚本記事で得られる情報📚
✅「偕楽園」・「常磐神社」に関連する概要
✅「偕楽園(好文亭の内部含む)」・「常磐神社」に関連する大人散策情報を詳細マップ / ルート・多くの写真と共に紹介



皆様は、「偕楽園」・「常磐神社」に脚を運んだ事はございますでしょうか? 「偕楽園」に関しては、「日本三名園の1つ」として、「常磐神社」に関しては、「別格官幣社の1つ」として、本ブログで記載させて頂きました。また、「偕楽園」は、「水戸徳川家の水戸領における庭園」ですが、(実際にはそんな役職はなかった理解ですが…)「副将軍」と言われた水戸徳川家の「江戸における庭園」と言えば「小石川後楽園」で、こちらも本ブログで記載させて頂きました。言い換えると、「偕楽園」・「常磐神社」に関しては、「それなりの情報収集はしていたものの、まだ実際の訪問を実行できていなかった」という事になる感じだった次第です…。
しかし2025年の秋、ついに「偕楽園」・「常磐神社」がかないました! しかし「梅林が有名な偕楽園」ですが、実際の訪問は「秋」。正直「どうかな???」と訪問前は思っていましたが、そこはさすが「日本三名園の1つ」。「秋の偕楽園」も魅力的で、でも人では限定的であった為、じっくりと大変満足度の高い大人散策を実行できた感じでした(勿論、併せて水戸城址(弘道館含む)の大人散策も実行致しましたので、別記事ご参照ください(更新中))。
「と言う訳で…」ではありませんが、こちらのページでは、「偕楽園」と、併せて参拝した「常磐神社」に付き記載させて頂きます。すなわち、「日本三名園の1つ偕楽園(好文亭含む)&別格官幣社・常磐神社における、歴史・文化を感じつつ実行する大人散策情報に付き紹介」させて頂きます。
【偕楽園(好文亭含む)&常磐神社の大人散策の全体図】
- 偕楽園
- 江戸常駐の水戸徳川家の9代藩主・斉昭が、自身の領地であるはずの水戸の地を、30歳を過ぎて藩主となった後、領内を巡って構想したのが「偕楽園」
- 同じく彼の設立した藩校「弘道館(別記事記載中(更新中))」で、文武を学ぶ「藩士の余暇休養の場」へ供すると同時に、「領民と共に楽しむ場」にしたいと、斉昭自らにより「偕楽園」と名づけた理解(⇒水戸学へ帰着する斉昭の愛民精神により、偕楽園は江戸時代当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていたと言われる)
- 「自然界の陰と陽の調和」をポリシーとして、設計されている理解で、「西半分に位置する杉や竹の林が陰の世界」を、「北東の梅林が陽の世界」を表すことで、園全体で陰陽の世界を体現しているともいわれる理解
- 小石川後楽園
- 「小石川後楽園」は、徳川御三家の1つ、水戸藩の中屋敷(後に上屋敷)に作られた庭園
- 藩初代藩主の頼房によってつくられたと言われるが、時の将軍・家光も関与し、現場では、徳大寺左兵衛が腕を振るったと言う事の様で、次の代の光圀の代で完成した庭園と言われる
- 「池泉の広がる日本庭園の中に、中国的色合いをちりばめた、(書き方難しいですが)和中折衷的大名庭園の先駆け(手本)となった庭園」と言う理解
- 表情豊かで光圀の中国趣味が反映されたこの庭園は、「外交の場」としての役割も担っていたらしい(=(そんな役職は無かった認識ですが)副将軍として、「表の政治を支える外交の場としての役割」も担ってきた庭園ではなかったのかと想像)
- 「士に当たりては天下の憂い先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむなり」から「後楽園」と名付けた、光圀の人柄と先進性を実感できる庭園が、「小石川後楽園」と認識
- 常磐神社


















つまり、「小石川後楽園」からも感じられる様に、代々、水戸徳川家に受け継がれてきた「中国趣味・教養の高さ・民衆への愛情」をこめて作った庭園が「偕楽園」だと理解しております。また同時に、昔読んだ書籍には、「偕楽園に梅が植えられた理由には『軍事的 / 飢饉に対する備え』の側面もあると言われている」と書いてあった事を記憶しており、政治家としてのポリシー(民衆愛)と実用性(軍事/飢饉に対する備え)を具現化した庭園が「偕楽園」であるとも思っている次第です。
更に、梅林が有名な「偕楽園」で、常磐線の偕楽園駅も偕楽園の南東側にあり、そのすぐ近くに駐車場もありますので、「現在は梅林へと直接通じる東門が主要な出入り口として利用されている」様ですが、「自然界の陰と陽の調和」といったポリシーをもつ偕楽園ですので、大人散策として偕楽園の良さを感じたいのであれば、遠回りしてでも、北西側の本来の入口「表門(黒門)」から入るべきだと思っており、表門(黒門)から入ってこそ、偕楽園本来の魅力を堪能することができると思った次第です。
故に、大まかな「大人散策ルート@日本三名園の1つ・偕楽園 & 別格官幣社・常磐神社」におけるポイントは、以下の様になった次第です。
書籍/古地図/観光ガイド等は紙派ですか? or それとも電子派?
「紀伊國屋書店 ウェブストア」・「
Amazon.co.jp(アマゾン)」
【偕楽園(好文亭含む)&常磐神社を大人散策!】
「日本三名園の1つ・偕楽園 & 別格官幣社・常磐神社の大人散策」にあたっては、まず「茨城県立歴史館」で、地域の歴史に関する情報収集をウォーミングアップ的に実施して、偕楽園まで徒歩で移動し、「大人散策@偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」をスタートしようと計画していました。故に、「茨城県立歴史館」の駐車場に行き、「すごい駐車場空いている…、ラッキー!」と思いつつ、車を駐車し入口まで参ると、お邪魔した日は、なんと休館日…。「残念…」と思いつつも、「休みなら仕方ない…」と気持ちを切り替えて、「茨城県立歴史館」の公園スペースで、「旧水海道小学校本館」や「イチョウ並木」等を拝見しつつ、「偕楽園の表門(黒門)」を目指しました。ちなみに、①:「旧水海道小学校本館」は、「松本の開智学校」・「長浜の開知学校」・「北杜の津金学校」に似ていると思った事、②「偕楽園の表門(黒門)」近くにも(台数は限られるようですが)駐車場がった事は情報として共有致します。




















■ 偕楽園の “陰” の世界
「茨城県立歴史館」から、10分弱位で「偕楽園の表門(黒門)」まで移動し、本格的に「日本三名園の1つ・偕楽園 & 別格官幣社・常磐神社の大人散策」を開始しました。「偕楽園の表門(黒門)」付近は、高い木々が生い茂り、事前情報の通り「陰の世界」を感じられる空間。特に、「孟宗竹林」は、霧の演出もあり「静寂を感じる雰囲気満点の空間」と言った印象を持った感じでした。また、「表門(黒門)」を潜り、直ぐに出てくる「一の木戸」の先は下り坂。その先の「吐玉泉」で、水が湧いている事からも、「元々の偕楽園の大部分は、高台に築庭されている事」を実感できるとも思った次第です(つまり「大名庭園の代名詞的な『大池泉』が無い事を納得できる」と言う意味ですが…)。そんな「陰の世界」で、「孟宗竹林」・「大杉林」・「吐玉泉」・「(吐玉泉近くの)太郎杉」を巡りつつ、「陰の世界感」を満喫して、「好文亭中門」から「好文亭」を目指しました。




















■ 偕楽園 好文亭
「陰の世界感」を満喫した後にお邪魔した「好文亭」。「幕末に徳川斉昭によって設計された後、竣工し、明治の頭には増築もされたが、太平洋戦争の戦火で大部分が焼失した上、その後再建された建物も再び落雷による火災にあってしまう」と言う歴史を持つ建造物と言った理解をしております(詳細は以下の引用(参考のパート)をご参照ください)。ただ、個人的にこの「好文亭」に関しては、①襖絵が非常に魅力的、②建造物としての佇まいが素敵、③千波湖も含めた景色は格別で「陽の世界観」を感じにはふさわしい建物、と言った内容を感じた次第です。
以下に、偕楽園のHP(https://ibaraki-kairakuen.jp/)より「好文亭内部の間取り図」・並びに、訪問時に撮影した「内部の写真」も共有致しますが、いくつもあるお部屋はどれも魅力的。特に、『桜や桃、松・竹・梅・萩紅葉等を題材にした「襖絵」』は、非常に個性的で、魅力的な芸術作品で、外に目を向けれれば、「千波湖を望む美しい眺め」を楽しめる空間です。言い換えれば、「陽の世界観を表した斉昭公のポリシーが今も息づいた空間」だと思った次第です。私達夫婦の場合は、散策を開始してまだ間もないタイミングであった為利用しませんでしたが、「好文亭内部:西塗縁広間の喫茶店で、ゆっくりとコーヒーを頂きつつ、そこからの景色を楽しむ」のも良い選択肢だと思った次第です。



































































※ 参考 ※
(略) 好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された水戸偕楽園内の施設。設計は二度の改定を受け、当初は平屋建ての構造だったものから木造二層三階建てに拡張されている。完成後、偕楽園内での居所、休憩所・敬老会・宴会など各種催しに利用された。偕楽園開園後も少しずつ手が加えられ、水戸城下柵町の中御殿の建物を移築増築して規模を拡大した他、1869年(明治2年)には奥御殿の一部を増築している (略)
1945年(昭和20年)の水戸空襲で大部分が焼失。1955年(昭和30年)から創建時の状態を出来るだけ復元する方向で再建工事が開始され1958年(昭和33年)に完成した。襖絵の大部分は須田珙中と教え子の田中青坪によって復元されたものである。1969年には落雷によって奥御殿が全焼したものの、襖絵は運び出され焼失を免れた。2016年から3年をかけ、襖絵全96面の大規模修復工事が行われている (略)
■ 偕楽園の “陽” の世界
温泉・体験商品満載のカタログギフト「おとなの旅日和」
「旅をする」のもいいですが、「旅を贈る」のもいいかもしれません…
「好文亭」で、「桜や桃、松・竹・梅・萩紅葉等を題材にした『襖絵の芸術』」・「千波湖を望む美しい眺め」を満喫した後は、実際に「陽の世界観を体現したと言われる庭園エリア」に向かいます。そんな中、まず目指したのは、「千波湖の眺望」。「好文亭」を出て、「偕楽園記碑」・「井戸」・「好文亭の外観」・「広々とし見通しの効く芝庭(見晴広場)」・「手入れの行き届いた松」等を、拝見しながら少し遠回りしつつ、「偕楽園の高台の南端:仙奕台」までくると、「圧巻の千波湖の眺望」を楽しむ事が出来ました。そして思った事は、「千波湖の借景が大名庭園の代名詞的な『大池泉』を肩代わりしている…」と言うもの。つまり、この高台に水を引き込む様な工事をわざわざする必要はなく、「千波湖を偕楽園の一部として楽しめば(借景ですが…)、よりダイナミックな様の世界観を感じる事が出来る!」と思ったという事です。
その後、「偕楽園の東端:東門」まで来て、その先にある「別格官幣社・常磐神社」に参拝したかったので、東門にいらっしゃる受付の方に「いったん外に出て、再入場できるか?」と質問した所、「OK」との回答。故に、「梅林の見学」を一旦後に回し、「御成門」を外から拝見するルートで、「常磐神社」に参らせて頂いた次第です。

































■ 別格官幣社 常磐神社
偕楽園の訪問に合わせて参拝したいと思っていた、「別格官幣社(現別表神社)の常磐神社」。まずは簡単に、「常磐神社の概要」を抑えるべく、以下に Wikipedia の引用を共有致します。
常磐神社(ときわじんじゃ)は茨城県水戸市にある神社である。徳川光圀・徳川斉昭を祀る。近代に建てられた新しい神社である。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
祭神
・高譲味道根之命(たかゆずるうましみちね の みこと) — 徳川光圀(水戸藩2代藩主、義公)
・押健男国之御楯命(おしたけおくにのみたて の みこと) — 徳川斉昭(水戸藩9代藩主、烈公)
神事の国旗制定祈念祭は、徳川斉昭が日本の国旗である日の丸を定めたことに因むものである。歴史
明治初年、徳川光圀と徳川斉昭の徳を慕う水戸藩士により偕楽園内に祠堂が建てられた。明治6年(1873年)3月に「常磐神社」の社号が、10月にそれぞれの祭神の神号が勅旨により定められた。明治7年(1874年)に現在地に社殿が造営された。明治15年に別格官幣社に列格した (略)境内社
■ 摂社
・東湖神社 祭神:藤田東湖命 (略)
■ 末社
・三木神社 祭神:三木之次命・三木武佐命 (略)
・常磐稲荷神社 祭神:宇迦之御魂命 (略)
上記の通り、「常磐神社」は、徳川光圀・徳川斉昭をご祭神とする「旧別格官幣社」。つまり、別記事の「別格官幣社」で触れた通り、時代が「江戸から明治」、すなわち「武家政権から天皇中心の国家」に移行する際、神道を基盤に国家再構築を推進すべく(=政教一致)、新たな神社の社格として登場した “くくり” が「別格官幣社」と理解しており、その中で、「徳川光圀・徳川斉昭をご祭神とする常磐神社」は、「尊王/朝廷支援の実績がある有力武将・藩主」として、選定され「別格官幣社」に列せられた理解であります。そんな歴史に思いを馳せつつ、実施させて頂いた「常磐神社での大人散策」。まずは、「徳川斉昭公の像」・「東湖神社」を巡って、「常磐神社の拝殿」でお参りをし、続いて拝殿左側より、「三木神社」・「備前焼の狛犬」・「万世に伝う碑」を「本殿」と併せて見学させて頂きました。その後、「稲荷社」も参拝して、「社務所で御朱印」を頂き、(順番逆ですが)一旦参道の階段を下り、「参道の景色」も楽しんだ後、少し戻る形で「大日本史完成之地」を見学して再度坂を下り、「千波湖の眺望」・「田鶴鳴梅林(たづなきばいりん)」を少しだけ楽しんで、改めて「偕楽園の東端:東門」まで戻りました。

































■ 偕楽園 梅林から少し小さめ池泉の日本庭園へ
「偕楽園の東端:東門」まで戻った後、ちょっとだけ「東門前の茶屋(水戸黄門茶屋)」で一息入れさせて頂き、再度「偕楽園」に「東門」から入園し、「梅林」を大人散策させて頂きました。上記の通り、訪問申し上げたのは 11月であった為、勿論、梅の花は咲いていませんでしたが、「梅林の圧倒的なスケール感」を感じる事はでき、「梅の花が咲き、良い香りを感じる空間は、さぞ “陽の世界観” に相応しいものだろう!」、「でも、広い梅林エリアとはいえ、園路は限られるので多くの人が一斉に入園すると大混雑だな…」なんて夫婦で会話をしながら、「11月の梅の花の無い梅林を大人散策」させて頂いた次第です。
その後、「陽の世界:梅林」から「陰の世界:孟宗竹林」に移動し、「少し小さめ池泉がある日本庭園」を目指すと、「入る事はできないが、出る事は出来るゲート(無人)」があったので、「偕楽園」を失礼する形でここを出て、「少し小さめ池泉がある日本庭園」を大人散策。限られた空間で、一部工事中でしたが、手入れのされた空間を楽しみ、更に「茨城縣護國神社」・「もみじ谷」・「猩々梅林(しょうじょうばいりん)」まで脚を伸ばしました。「猩々梅林」までくると、つい先ほどお邪魔した「田鶴鳴梅林」が見えたので、ここから「好文亭の遠望」を写真に収め、「ここで大人散策@偕楽園・常磐神社はコンプリート!」という事にして、車を停めた「茨城県立歴史館」を目指し、再び「少し小さめ池泉がある日本庭園」方面に歩を進めました。すると、「茨城県立歴史館」方面への散策路(トンネル)を発見。そのトンネルををくぐると、「茨城県立歴史館」の公園スペースに出る事が出来た為、「茂木家」・「水車小屋」・「水戸農業高等学校旧本館」も拝見しながら駐車場に戻り、「大人散策@偕楽園・常磐神社を本当にコンプリート」とさせて頂きました。




































【最後に】
自身のお宿予約は、基本「一休」or「じゃらん」の2択で、プラス… :
「高級ホテル・旅館なら “一休” 」or「
【じゃらん】料理、温泉、おもてなし…クチコミで選ばれた宿ランキング」+「
Relux(Loco)」
以上が、「日本三名園の1つ偕楽園(好文亭含む)&別格官幣社・常磐神社における、歴史・文化を感じつつ実行する大人散策情報に付き紹介」申し上げた内容になります。
「陰陽の世界を感じる日本三名園の1つ・偕楽園(好文亭含む)」と「別格官幣社・常磐神社」に付き、詳細ルートを多くの写真・見所と共に紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 個人的には、『さすが「日本三名園・偕楽園」と「別格官幣社・常磐神社」、梅の季節じゃなくても脚を運んで大正解!』と思えた次第です。尚、この後は「水戸城址の大人散策」をすべく、「弘道館」を目指しました。別記事でその内容を記載しておりますので、併せてご参照ください!(ごめんなさい…、まだ更新中ですが…)
【あわせてお読みいただきたい「関連記事」】















