神武天皇

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【はじめに】

こちらのページでは、「『海幸彦・山幸彦の神話』にて、”山の力と海の力” を手に入れた天津神一族が、その拠点を九州の中・南部から東(奈良(大和))に移した話と認識している『神武東征の神話』を中心に、どんな神話であるか、”超” 概要を抑えつつ、他の神話との関連性も含め考察」をさせて頂こうと思います。

尚、先に「日本神話の全体図」をご覧になってから、個々の神話に入る方がイメージしやすい可能性もありますので、「先に全体図を確認されたい方は、こちらのリンク」よりご確認ください。

天孫降臨の神話』・『海幸彦・山幸彦の神話』と続き、「山の力に加え海の力」も得た天津神一族(天孫族)が、拠点としていたはずの九州の中・南部から東に向けて進行する様子を書いた「神武東征の神話」初代天皇・神武天皇の話として、有名な認識をしていますので、多くの方がご存じはないかと思って折ります。しかし「何故、神武天皇は、東を目指したのか?」、「目的はなんであったのか?」、「そもそも神武天皇による東征はあったのか?」、「東征のルートにおいて、紀伊半島を南に回り込む事は難しいのではないか?」等々…、様々な異論・疑問・反対意見等がある事も事実と認識しており、現状では、それが明確に解明できているとは言えない環境にある事も事実だと思っております。

つまり別の言い方をすれば、「どんな勝手な妄想をしても、間違っているとは言い切れない!」という事だと思った次第で、天邪鬼の私にとっては好都合。是非勝手な妄想をさせて頂きたいと思い、改めてこの「神武東征の神話」に付き調べ、妄想(スーパー妄想?)してみると、神武天皇(天津神一族)は、出雲から拡大して作り上げた「大国主(国津神)の国@奈良」を、盗りに行った話が『神武東征の神話』」で、「日本神話の時間軸が、変わってくる可能性を秘めた神話でもある」と言った妄想(スーパーな妄想?)が思い浮かんでしまった次第です…。

こちらのページでは、そんな勝手な妄想をしてしまった海幸彦・山幸彦の神話」に続く「神武東征の神話に付き、記載させて頂こうと思います。すなわち、「『海幸彦・山幸彦の神話』にて、”山の力と海の力” を手に入れた天津神一族が、その拠点を九州の中・南部から東(奈良(大和))に移した話と認識している『神武東征の神話』を中心に、どんな神話であるか、”超” 概要を抑えつつ、他の神話との関連性も含め考察」をさせて頂こうと思います。

(尚別ページにて、①日本書記 vs 古事記 (日本書紀とは? 古事記とは? 日本神話とは?) ②天地開闢の神々の分類と国生み (別天津神・造化三神・神世七代・天津神・国津神とは?)③天照大御神 vs 須佐之男命 (黄泉国神話と天照大御神 vs 須佐之男命の誕生・誓約の神話とは?)④アマテラスが岩屋れる「天岩屋神話」とは? (天孫降臨神話への序章?)⑤「スサノオによるヤマタノオロチ退治の神話」とは?⑥大国主関連の神話 (因幡の白兎& その後(スサノオの住む根国訪問)・国作り神話とは?)⑦大国主関連の神話 (国譲り神話とは?)⑧天孫降臨とは?⑨ニニギと息子2人(海幸彦・山幸彦)ってどんな人?⑩神武東征とは?⑪ヤマトタケル(日本武尊)っどんな人?⑫日本神話の全体図を勝手に理解⑬日本神話の全体図から “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想⑭天皇家の「欠史八代」って何?⑮神話の時代から天皇家の家系を三種の神器って何?、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです)

【「神武東征」ってどんな神話?】

まずは「神武東征の神話」の概要から抑えさせて頂きます。

”超” 概要で記載させて頂きますと、『神武天皇は、兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向(現・宮崎神宮)にて、葦原中国を治める適切な場所を求めて東征を決断美々津を出発し、筑紫宇沙に着き、岡田宮へ。その後、阿岐国・吉備国と進むが、浪速国の白肩津(盾津?)に着いた際、敵方と戦闘になり、兄・五瀬命に矢が当たってしまう。この時「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と言って、紀伊半島を南へ回り込むが、五瀬命(イツセ)は途中で絶命。しかし、神武天皇は進軍を継続し、熊野高倉下(タカクラジ)が届けた「神剣」で窮地を逃れ、その後も多くのい抵抗勢力待ち構えていたが、臣下や八咫烏の協力によりこの抵抗勢力を服従させ、白檮原宮(橿原の宮)神武天皇として即位した』と言った内容で理解しております(今少し詳細は、下記ご参照ください、また、「熊野三山」に関しては、別記事で紹介中)。

※「神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ=若御毛沼命)」が後の神武天皇になるので、本内容のほとんどが、神武天皇として即位する前の「神倭伊波礼毘古命」である期間の話ですが、漢字が難しい事もあり、分かりにくいと思われる為、個人を特定し易くする意図で、「時系列を無視し、全て『神武天皇』で記載しております

参考:「神武東征」の個人的理解の概要
後の神武天皇でる「神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)」は、兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向(現・宮崎神宮)にて、葦原中国を治める適切な場所を相談し、東へ行くことにした。まずは、美々津を出発し筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現・宇佐市)に着き、足一騰宮(あしひとつあがりのみや)で食事をとって、移動して筑紫国の岡田宮で1年過ごした。さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごし、その後、浪速国の白肩津(盾津?)に付いた際、登美能那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の軍勢との戦いになり、神武天皇の兄・五瀬命(イツセ)は矢に当たってしまう。この時「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と言い、紀伊半島を南へ回り込むが、五瀬命(イツセ)紀国の男之水門(「和歌山・小野町の水門吹上神社(男水門顕彰碑あり)」or 「大阪・泉南市の男神社(雄水門顕彰碑あり)」と言われる)に着いた所で亡くなった
その後神武天皇一行が熊野まで来た時、大熊が現われ、皆気を失ってしまった。この時、熊野高倉下(タカクラジ)が「一振りの大刀」を持って来ると、神武天皇はすぐに目が覚め、高倉下から神武天皇がその「大刀」を受け取ると、兵士たちは意識を回復した(「太刀」:天照大神高木神(タカミムスビ:別天津伸・造化三神の一人)が、建御雷神(鹿島神宮の祭神)に言って、「国譲りの際に使った大刀」を、高倉下を通じて、神武天皇に授けた「神剣」で、その大刀は「甕布都神」 or 「布都御魂」と言い、現在は「石上神宮」に鎮座しているらしい)。
そして、高木神の命令で遣わされた八咫烏の案内で、熊野から吉野の川辺を経て、大和の宇陀至った。宇陀には、兄・宇迦斯(エウカシ) / 弟・宇迦斯(オトウカシ)の兄弟がいたので、まず八咫烏を遣わして、神武天皇に仕えるか尋ねさせた。ところが、その兄は使いを追い返し、罠により神武天皇を討とうとした。しかしこれは、弟の密告により、自分が仕掛けた罠により兄は死んだ。その後、その兄の亡骸をバラバラに切り刻んで撒いた事に由来して、この地は「宇陀の血原」といわれた。
神武一行が更に進むと、忍坂の地には、多くの抵抗勢力待ち構えていた。神武天皇は、この抵抗勢力に対し、ご御馳走を与え、相手が油断した隙に、一斉に討ち取った。こうして抵抗勢力を服従させ、白檮原宮(橿原の宮)神武天皇として即位した。

本当に簡単にいてしまえば、『神武天皇が、九州の日向付近を出発して、瀬戸内海を通り、奈良を目指すが、大阪(昔あった河内湾)付近で劣勢を強いられたので『日の神の御子だから、東を向いて戦うのは良くない…』と言って紀伊半島を南に迂回して、熊野から奈良に入り、敵を打ち破って天皇に即位した話』といった感じになると思います。個人手的には、これまでの「天岩屋(天岩戸)」・「大国主の国作り国譲り神話」・「天孫降臨神話」等よりも、だいぶ現実的で、人間臭い感じのする神話に思えた次第ですが、皆様はどの様にお感じになりましたでしょうか?

【「神武東征の神話」に関する考察】

上記、「神武東征の神話」の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では、この神話「神武東征の神話」に関する「個人的考察」を以下に記載させて頂きます。

  • 神武一行の出発地が「現・宮城県日向付近」という事を、「天岩屋(天岩戸)」・「天孫降臨神話」と併せて理解すると「天津神一族の当初の拠点は『九州の中・南部』であった」と断定して良い認識になる
  • 東征ルートを見ると、滞在先における期間は別にして、リアリティを感じさせる内容で、戦いの描写に神話的な(少し信じがたい)要素がある物の全体的には十分リアリティを感じるものである
  • 国津神の支配(の中心)地と思われる出雲(山陰地方)とは、中国山地を挟んだ、瀬戸内海ルートを進んでいるが、最終到着地は「大国主が国作りを完成させた象徴と言って良い奈良盆地南側」で、「神武天皇が即位した『橿原の宮』のすぐ目の前には、大国主の和魂:幸魂・奇魂:大物主を祭る大神神社』がある」事を踏まえると『神武天皇(天津神一族)は「大国主(国津神)の国」を取りに行った』とも思える

つまり、神武天皇(天津神一族)は、出雲から拡大して作り上げた「大国主(国津神)の国@奈良」を、盗りに行った話が『神武東征の神話』」と言う妄想をしてしまった次第で、この前提に立つと日本神話の時間軸が、変わってくる可能性を秘めた神話でもあると妄想が膨らんでしまった次第です。

【最後に】

以上が、「『海幸彦・山幸彦の神話』にて、”山の力と海の力” を手に入れた天津神一族が、その拠点を九州の中・南部から東(奈良(大和))に移した話と認識している『神武東征の神話』を中心に、どんな神話であるか、”超” 概要を抑えつつ、他の神話との関連性も含め考察」をさせて頂いた内容になります。

神武天皇(天津神一族)は、出雲から拡大して作り上げた「大国主(国津神)の国@奈良」を、盗りに行った話が『神武東征の神話』」で、「日本神話の時間軸が、変わってくる可能性を秘めた神話でもある」とスーパーな妄想をさせて頂きましたが、皆様は、どの様に思われましたでしょうか?

「神武東征の神話」に似た、日本各地を遠征し、従わせる征討系の日本神話に「ヤマトタケル(日本武尊)の征討の神話」もある認識です。別記事で記載していますが、「神武東征の神話」同様、話の中の個々の物語は、少し首を傾げたくなるエピソードもありますが、各地に(特に神社に)残る伝承等を踏まえ全体図を拝見すると十分リアリティを感じるものだと思っております。日本神話の多くのベースとなった「古事記・日本書紀」が編纂された目的を考えると、編纂者である天皇・朝廷が「自身の都合の良い様に着色・誇張、更にはこれらを超えた嘘」を記載している可能性が十分にある(間違いなくある?)と思う反面、(天地開闢や国生みあたりの神話は別にして)全くの架空の話を題材にしたとも思えないとも思っている次第ですので、改めて神話全体を見渡し、勝手な妄想をさせて頂くと、また違った世界が広がるとも思ったので、引く続き妄想していきたいと改めて思った次第です。

尚別ページにて、①日本書記 vs 古事記 (日本書紀とは? 古事記とは? 日本神話とは?) ②天地開闢の神々の分類と国生み (別天津神・造化三神・神世七代・天津神・国津神とは?)③天照大御神 vs 須佐之男命 (黄泉国神話と天照大御神 vs 須佐之男命の誕生・誓約の神話とは?)④アマテラスが岩屋れる「天岩屋神話」とは? (天孫降臨神話への序章?)⑤「スサノオによるヤマタノオロチ退治の神話」とは?⑥大国主関連の神話 (因幡の白兎& その後(スサノオの住む根国訪問)・国作り神話とは?)⑦大国主関連の神話 (国譲り神話とは?)⑧天孫降臨とは?⑨ニニギと息子2人(海幸彦・山幸彦)ってどんな人?⑩神武東征とは?⑪ヤマトタケル(日本武尊)っどんな人?⑫日本神話の全体図を勝手に理解⑬日本神話の全体図から “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想⑭天皇家の「欠史八代」って何?⑮神話の時代から天皇家の家系を三種の神器って何?、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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