五島

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【はじめに】

こちらのページでは、長崎の五島にある五島氏の居城と言われ、『日本で最も新しい(=最後の)日本式城郭』と言われる『石田城(福江城)』の大人散策情報(プランニング版)を共有」させて頂こうと思います

まずは、いつも通りお城に関する題材の際の連想ゲームから入らせて頂きます。皆様は、「石田城(福江城)」と聞くと、何を連想されますでしょうか? 私の場合は、以下の感じです。

  • 長崎県の五島にある五島氏の居城で、築城時は海城だったが、現在は陸に囲まれている認識
  • 北海道の松前城と並んで、最も新しい(=最後の)日本式城郭で有名
  • 現在、かつての城郭内は高校や資料館になっていて、城郭その物を拝見できる箇所は限定的な認識も、国の名勝に指定された回遊式林泉庭園と言われる「五島氏庭園」がある認識
  • 続日本100名城に選出されている
  • 五島列島は、日本神話「国生み」にも登場する島
  • 隠れキリシタン(潜伏キリシタン?)に関連する島とも認識している
  • アニメ「ばらかもん」の舞台の1つの認識

長崎の五島へは、まだ脚を運んだ事がありません…。故に、石田城(福江城)に関しては、書籍等による知識のみで、「五島氏の居城」・「築城時は海城だった」・「北海道の松前城と並んで、最も新しい(=最後の)日本式城郭」・「続日本100名城の1つ」と言った程度。ただ、アニメ「ばらかもん」の舞台の1つの認識で、そのアニメを拝見する限り、自然を満喫できそうで「五島っていいところみたいだな…」と思ており、日本神話「国生み」にも登場し、隠れキリシタン(潜伏キリシタン?)に関連する島と言った感じで、日本史の側面でも魅力ある島の認識でもあり「一度は脚を運んでみたいなー」と思っている次第です。

こちらのページでは、そんな個人的な印象を持っている、でもまだ脚を運んだ事が無い「石田城(福江城)」に付き記載いたします。すなわち長崎の五島にある五島氏の居城と言われ、『日本で最も新しい(=最後の)日本式城郭』と言われる『石田城(福江城)』の大人散策情報(プランニング版)を共有」させて頂きます

【石田城(福江城)の概要】

まずは、石田城(福江城)の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてますので、読まなくても大丈夫です… まとめも結構長いので…)。

石田城(いしだじょう)は、長崎県五島市池田町にあった日本の城。城跡は長崎県指定史跡。城内に残る五島氏庭園は国の名勝に指定されている。福江城とも記される。続日本100名城の1つ

概要
幕末の1863年に福江藩最後の藩主五島盛徳が完成させた五島氏の居城。現在は五島市の中心街に位置しているが、築城当時は四方を海に囲まれる出城となっていた海城であった。幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、城内には台場(砲台)が設けられていた。松前城とともに幕末の城郭として貴重なものである。
本丸、二ノ丸、北ノ丸からなり、内堀、外堀がめぐらされた。天守はなかったが、本丸の二重櫓がその代用とされた。城の裏門である蹴出門(けだしもん)は、部品や木材の交換を重ねながらも現存する。また、土塀の一部や石橋も現存している。石垣は野面積み工法を多用しており、自然石も積み上げられている。

沿革
(略) 幕末の1849年(嘉永2年)、異国船を監視し、海上防衛に備えるとの目的で、五島盛成(追記:福江藩10代藩主)の代に築城が認められた (略) 日本初の海城である高松城に続いての海城の築城には財政難や海沿い特有の問題もあり、竣工までに14年の歳月を要したが、富江藩などからの資金援助もあり、1863年(文久3年)、第11代藩主・盛徳の代になり、ようやく念願であった居城(現代日本で最も新しく完成した城)が完成された。
その後、本丸跡に長崎県立五島高等学校、北の丸跡に五島観光歴史資料館や五島市福江文化会館が建てられ、二の丸跡には五島氏庭園が往時の姿を今に伝えている。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(187番)に選定された。

五島氏庭園
二の丸の位置に現在も残っており、一般公開されている。見学は有料。盛成により構想が練られたといわれている。安政5年(1858年)から2年の歳月をかけ、盛成の隠居所として造られた。鹿苑寺(金閣寺)を模した林泉式庭園という回遊式の庭園である (略)
国の名勝に指定された理由として、「江戸期の日本庭園の地方伝播の具体例」「城郭内の庭園は現存例が少ない」「作庭時期が文献に明記されている」「建物が庭園とともに保存されている」などが挙げられている (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/石田城

少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます

  • 石田城は、福江城とも言われ、幕末の1863年に福江藩最後の11代藩主・五島盛徳の代に完成した五島氏の居城で、現在では続日本100名城にも選定され、城内には国の名勝に指定された五島氏庭園が残るお城
  • 日本初の海城で、且つ日本三大海城の一つある高松城に続いての海城の築城には財政難や海沿い特有の問題もあり、竣工までに14年の歳月を要したらしいが、完成した築城当時の城郭は、四方を海に囲まれたもので、天守はなかったが、本丸の二重櫓がその代用とされた様で、幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、城内には台場(砲台)が設けられたらしく、「松前城とともに幕末の城郭として貴重」なものと言われる「現代日本で最も新しい(=最後の)日本式城郭
  • 現在、城の裏門である「蹴出門」、土塀の一部や石橋、野面積みの石垣等は、現存している様で、本丸跡に長崎県立五島高等学校、北の丸跡に五島観光歴史資料館や五島市福江文化会館が建てられているらしい
  • また、「江戸期の日本庭園の地方伝播の具体例である」・「城郭内の庭園は現存例が少ない」・「作庭時期が文献に明記されている」・「建物が庭園とともに保存されている」といった理由で「国の名勝に指定」された「10代藩主・盛成の隠居所として造られた、回遊式林泉庭園と言われる『五島氏庭園』」も拝見する事が出来るらしい

つまり、、、

竣工までに14年の歳月を要した海城である石田城(=福江城)は、幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えとして1863年に完成した「現代日本で最も新しい(=最後の)日本式城郭」で、「松前城とともに幕末の城郭として貴重(松前城の築城は1855年の認識)」と言われる五島氏の居城で、現在では、本丸跡が長崎県立五島高等学校、北の丸跡が五島観光歴史資料館や五島市福江文化会館となっている物の、続日本100名城にも選定され、城内には国の名勝に指定された「回遊式林泉庭園と言われる『五島氏庭園』」が残る城郭

と理解した次第です。

【石田城(福江城)の周囲も含めた見所とルート】

上記、石田城(福江城)の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらのパートでは、その見所を、周囲も含め見て行きたいと思います。今後の石田城(福江城)における大人散策(プラスα)のプランニングの内容になりますので、以下皆様の参考にもなれば幸いです。尚、本コースの検討にあたって、埼玉の川越からお邪魔するには飛行機が最も適切だと思い、以下の感じでコース設定してみました。

  • 1日目:
    • 埼玉の川越から五島へ移動し(乗り換え便しかないようですが、午後一くらいには到着できそう)、石田城(福江城)とその周辺を拝見して付近に一泊(カンパーナ ホテル辺りがよさそうに見えました)
  • 2日目:
    • 五島は、隠れキリシタン(潜伏キリシタン?)に関連する島のイメージなので、レンタカーを借りて様々な教会を巡りつつ、自然も満喫しながら福江島を回り、レンタカーを返却した後、空港付近に移動して2泊目(温泉もある認識の五島コンカナ王国ワイナリー&リゾートが良さげに見えました)
  • 3・4日目:
    • 五島コンカナ王国ワイナリー&リゾートが何故良さげに見えたかと言うと、「①温泉がある」、「②空港が近い(徒歩でも行ける?)」、「③鬼岳が近い」の3点です。故に3日目は、伊豆の大室山をイメージしてしまった「鬼岳」のハイキングで自然を満喫し、もう一泊して、4日目に埼玉・川越に帰宅する

以下、今少し深堀したスケジュールを記載いたします。

・1日目:石田城(福江城)とその周辺

では改めて1日目から行きますと、まずは埼玉・川越から飛行機で、福江空港(五島つばき空港)へ移動。恐らく午後一には到着できると思われるので、早々に「福江港」付近に移動し、宿泊先のホテル(カンパーナホテル?)に荷物を預け、石田城(福江城)とその周辺の大人散策を楽しみたいと思います。とは言いつつ、「福江武家屋敷通り(ふるさと館も含め)」をまずは拝見し、「石田城(福江城)」に移動。「五島高校の門?」から、内部には入れないと思うので、南東回りで城郭跡を回り込み、「外濠公園」・「五島観光歴史資料館」と東側から北 / 西とお城の痕跡を探しつつ、そして石垣を拝見しつつ巡らせて頂こうと思います。その後、現存構造物の認識である「蹴出門」から城郭にお邪魔して「五島氏庭園」をじっくり拝見し、「五島高校の門?」まで行って城郭一周を完遂した後、南西側の広い通りに面する「石垣」も拝見し、更に「歴代五島藩主(宇久五島家略譜)」も拝見して、周囲の「カトリック福江教会」・「常灯鼻」・「福江港(付近で食事も出来れば尚良し)」も周り、お宿に戻ろうと思う次第です。

Wikipedia・五島市観光サイトのHP(https://goto.nagasaki-tabinet.com/)より

・2日目:教会と自然を Key Ward に福江島を巡る

2日目は、レンタカーを借りて、福江島のより広い範囲をスコープに、「隠れキリシタン(潜伏キリシタン?)に関連する島の痕跡」と思われる「教会」や「五島ならではの自然」を満喫したと思って折ります。何処でレンタカーを借りるかは別にして、石田城(福江城)付近には、いくつかレンタカー屋さんがある様なので、この付近で車を借りる事を想定。キリシタンではないのですが、「隠れキリシタン(潜伏キリシタン?)の痕跡」や「建造物としての魅力」がある教会の切り口で、「堂崎天主堂(キリシタン資料館)」・「楠原教会」・「井持浦教会」を軸に、そして「大瀬崎灯台」も含めて、且つプラスαの訪問先を見つけるべく、周囲に注意を払って「飛び込みでの訪問」も想定しつつ、福江島を巡ってみようと思っています。福江島を巡った後、レンタカーを返却し、「鬼岳」付近のお宿(五島コンカナ王国ワイナリー&リゾート?)に移動・宿泊させて頂こうと思て折ります。

・3・4日目:鬼岳をハイキング

3日目は、「鬼岳」のハイキングを想定させて頂こうと思って折ります。宿泊を想定する「五島コンカナ王国ワイナリー&リゾート」からであれば、「鬼岳」にも徒歩で行けそうな距離感ですし、お宿に戻ってから温泉も満喫できそうなので、「鬼岳のハイキングで自然を満喫」&「五島コンカナ王国ワイナリー&リゾートの温泉を楽しむ」で1日過ごすプランで良いかと思っております。そして4日目は、空港まで徒歩で移動し、埼玉・川越へ帰宅させて頂こうと思って折ります。

しかしただ1点心配なのは、「鬼岳・空港に徒歩でアクセスできるか否か」と言うものです…。距離的には行けそうな気がしていますが、羽田の様に徒歩アクセスが出来ないと意味がないので…。

【最後に】

以上が、長崎の五島にある五島氏の居城と言われ、『日本で最も新しい(=最後の)日本式城郭』と言われる『石田城(福江城)』の大人散策情報(プランニング版)を共有」させて頂いた内容になります

参らせて頂いた事が無いので何とも言えませんが、折角埼玉・川越から飛行機を乗り継いで五島まで参らせて頂くのであれば、3泊位はさせてもらい「石田城(福江城)」は勿論の事、「隠れキリシタン(潜伏キリシタン?)に関連する島の痕跡」と思われる「教会」や「五島ならではの自然」も含め、五島を満喫させて頂きたいと思った次第です。実際はどの様な結果になるか分かりませんが、「石田城(福江城)を含む五島の大人散策」が実行できた暁には、本ブログで報告させて頂きます!

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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