野火止用水

【はじめに:野火止用水とは】

本日は、野火止用水の大人散策情報(後半戦:西武池袋線・清瀬駅~東武東上線・志木駅)を紹介致します。

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以下内容は、別ページ「野火止用水の大人散策 前編」と基本同じ内容ですので、もう既にお読み頂いている方は、次の段落【野火止用水の散策情報:後半戦にお進みください 

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そもそも、皆様は野火止用水をご存じでしょうか? 私の知識も限られていますが、「野火止用水は、東京の立川で(別記事で紹介しました)玉川上水より分岐し、小平・清瀬/東久留米の境を流れ、埼玉に入り、新座・志木を流れる(ていた)、江戸時代に作られた人口の用水路」と理解しています。同時に、私の理解だけでは、不十分なので、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります。

”野火止用水(のびどめようすい)は 、東京都立川市の玉川上水(小平監視所)から埼玉県新座市を通り新河岸川(志木市)に続く用水路である。 別名を伊豆殿堀(いずどのぼり)という。 かつてはいろは樋を渡って、旧宗岡村にも水を送っており、いろは通りの歩道側には暗渠が現在も残ってる。(略) 承応2年(1653年)、幕府老中で上水道工事を取り仕切っていた川越藩主松平信綱は、多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通す玉川上水を開削した。(略)

玉川上水から領内の野火止(新座市)への分水が許され、承応4年(1655年)に家臣の安松金右衛門と小畠助左衛門に補佐を命じ、野火止用水を作らせた。工期は40日、約24kmを掘り切った。費用は3000両だった。玉川上水7、野火止用水3の割合で分水した。主に飲料水や生活用水として利用され、後に田用水としても利用されるようになった。(略) 野火止用水の開削によって人々の生活が豊かになったことを信綱に感謝し、野火止用水を信綱の官途名乗りである「伊豆守」にあやかって伊豆殿堀と呼ぶようになった

https://ja.wikipedia.org/wiki/野火止用水

玉川上水沿いもそうですが、野火止用水沿いも散策している際、目に付くのは、田んぼと言うより「畑」。小平市の直ぐ近くには、田無市と言う市がある事はご存じだと思いますが、この地名は、「田んぼが無いから、田無」となったと聞いた事があります。川の近くでは、洪水がおこらないように、流れを出来るだけ直線にする為、捷水路工事をして水と戦ってきた人間ですが(捷水路工事の結果の一部である(すべてではありませんが・・・)、三日月湖のポタリング情報を別記事で紹介しています)、一方では、水を得るために、玉川上水や野火止用水を作り、戦ってきた歴史がある事、現代人としては、しっかりと理解し、そして感謝すべきだと、改めて思ってしまうのは、私だけではないと思います。

そんな歴史の詰まった、野火止用水の大人散策情報(後半戦)を今回は、ご紹介したいと思います。

【野火止用水の散策情報:後半戦】

野火止用水は、上記にも記載しました通り、東京・立川~埼玉・志木まで流れる(てました)、用水路で、その長さは約24㎞との事です。寄り道せず、野火止用水だけを散策するなら、またポタリングで行くのであれば、1日で行けると思いますが、ポタリングでは、少々走りにくい所もありますし、野火止用水の良さを感じる事が出来ない部分もあります。また、少し寄り道して、野火止用水プラスαで楽しみたい部分もある為、今回私達夫婦のプランでは、2部構成で野火止用水を大人散策(徒歩)する事にしました。

それは、前半戦:西武拝島線・玉川上水駅~西武池袋線・清瀬駅、後半戦:清瀬駅~東武東上線・志木駅の2部構成です。今回は、後半戦:西武池袋線・清瀬駅~東武東上線・志木駅をご紹介します

(別記事で、前半戦:西武拝島線・玉川上水駅~西武池袋線・清瀬駅清瀬駅、散策途中に出会った、大人レストラン:リストランテMON平林寺についても紹介しておりますので、併せてご参照ください。また、各写真につきましては、これまで様々な季節で、散策した野火止用水の写真を利用しておりますので、季節や時間に統一感が無い事、ご了承ください)

①スタート:清瀬駅 / 道路に沿った緑地帯と野火止用水の流れ / 用水路を彩る花々

後半戦のスタートは、西武池袋線・清瀬駅からです。清瀬駅を南口側から出て、線路を池袋方面(東側)に沿って(実際には沿って歩けないので、線路を見失わない様に)歩いていくと、野火止用水が出てきます。

この辺りは、「住宅街の手入れがされた用水路」と言った感じで、季節毎にいろいろな花々が見られ、「ご近所を散歩している感じ」で、用水路を沿いを歩く事が出来ます。何度かこのルートは散策させて頂いておりますが、写真は、ちょうどソメイヨシノが終わって、八重桜やハナミズキの季節。美しい花をめでながら、大人散策する事が出来ました。

②野火止用水本流と平林寺堀の分岐 (野火止用水 史跡公園)

更に歩を進めると、野火止用水 史跡公園が出てきます。ちょっとした公園ですが、ここで野火止用水の本流と下記(&別記事)で紹介する平林寺の堀への流れに分岐します

③桜並木 / 自然の中の散策路(本多緑道)

上記の分岐を本流側に沿って更に進むと、本多緑道になります。ここには、ソメイヨシノの並木があり、桜の季節は非常に美しいですし、更に進むと正に緑道が整備されており、心地よい緑の中を散策出来ます。ちょっとしたオブジェにも目を配りながら、大人散策してみて下さい。

④関越道横断 / 平林寺

上記の本多緑道を抜けたところが、関越道になります。野火止用水本流の流れが、関越道をそのまま超えていきますが、歩道はありませんので、少し南東側に迂回し、橋で関越道を越えます

その超えたすぐ先に、平林寺が出てきます。ご承知の通り「堀」ですので、平林寺を囲う様にあるはずなので、今では「堀の一部」と言ういい方か正しいかもしれませんし、流れは少量ですが、その流れに沿って歩を進めると、現在の平林寺の南側面に出る事が出来ます。

平林寺

平林寺の南側面に出たのち、西側(流れに沿って左側)に行くと、すぐに野火止用水の本流にあたりますが、ここではあえて東側(流れに沿って右側)に行くと、平林寺の入口に行けます。ここでは、是非平林寺に寄り道して頂きたいです。そもそも平林寺ですがWikipedia によると、以下の様にあります。

平林寺(へいりんじ)は、埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は「金鳳山」である。(略) 境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されている。 (略) 

南北朝時代の1375年(永和元年)、武蔵国騎西郡渋江郷金重村、現在のさいたま市岩槻区平林寺に創建。開山は石室善玖(せきしつぜんきゅう)、開基は大田備州沙弥・蘊沢(うんたく)。当初は臨済宗建長寺派。大徳寺派を経て妙心寺派の寺院となった。なお、蘊沢は、岩槻城主・太田道真(道灌の父)と同一視されることがあるが、道真は平林寺創建の時点ではまだ生まれていない。”

https://ja.wikipedia.org/wiki/平林寺

歴史のある神社で、内部は威厳のある山門や仏殿、松平伊豆守信綱(野火止用水の生みの親と言って良いと思います)の墓所等を拝見する事が出来ます。そして何より、内部は落ち着き、凛とした空気の中を散策出来、特に秋の紅葉したモミジは圧巻です!(平林寺に関しては、本ブログ別記事で紹介しておりますので、詳細ご参照ください

⑥伊豆殿橋 / 野火止緑道(新座市)

平林寺の散策を楽しんだ後は、改めて来た道を戻り、平林寺南側面の平林寺堀を過ぎると、野火止用水の本流に戻ります。正にその本流に戻った所に、野火止用水の生みの親である、松平伊豆守信綱の名前からか、「伊豆殿橋」があります。橋は現代の普通の橋ですが、傍らには石柱とお地蔵様がいらっしゃいます。そこから、流れに沿って、遊歩道を進むのですが、この遊歩道がまたいい雰囲気を醸し出しており、ゆったりと流れる時間を、楽しみながら大人散策できます

⑦野火止公園 / 野火止用水公園 (254号線の両サイド)

上記、平林寺西側の緑道を抜け、しばらく歩を進めると、254号線(川越街道)にぶつかりますが、その254号線の両脇に公園がありあります。流れを感じられる公園ですし、木々もあるので一休みのポイントとして、良いのでないかと思います、またこのポイントであれば、交通量の多い254号線を歩道橋で渡れるので、散策にはこちらの歩道橋の活用が宜しいかと存じます。

⑧野火止用水の流れが見える最後のポイント(八雲神社辺りまで) ⇒ 暗渠になった遊歩道

野火止用水公園から、しばらく現代的に整備された野火止用水の流れに沿って、散策が出来ますが、これも八雲神社までここから先は、暗渠になった野火止用水の上を歩くような感じになります。実際にその下に流れがあるのか否か見えませんが、遊歩道として整備され、車も来ないので、ゆったり散歩できます。また、地面に鉄腕アトムのステッカーが道案内してくれるので、迷わず、住宅街の中を散策出来ます。

⑨志木駅ゴール or もう少し足を延ばして「いろは樋の大桝」+ α として、志木のカッパ像

上記の遊歩道も、東武東上線の志木駅の南数百メートルの所まで。ここから先は、「ここが野火止用水だったんだろーな」と感じる事さえ難しくなってきます。以下のGoogle Mapで示すルートで進むと、道の角度や暗渠の位置から何となく想像できますが、基本流れを見る事はできないと思っていただいた方が良いと思います。

しかし、新河岸川付近まで足を延ばすと「いろは樋の大桝」(復元)が出来ます。昔は、新河岸川を越えて、「宗岡」と言う地区まで、水を共有していたようです。流れはほとんど見えなくなりますが、志木市はカッパ伝説が残る地の様で、市内でカッパの像を見かける事が良くあります。流れの代わりと言っては何ですが、カッパ像も探しつつ、歩を進めてみてはいかがでしょうか?

【最後に】

以上が、「野火止用水散策の後半戦:西武池袋線・清瀬駅~東武東上線・志木駅」の大人散策情報の紹介になります流れその物、流れに沿った雑木林、街中の流れ、その中で暮らしてきた方々の歴史、こういった物を感じながらの散策は、ただ散策するだけではない楽しみがあり、正に大人散策です(志木駅近くになると大分流れを見る事厳しくなりますが・・・)。別記事にて、「前半戦:西武拝島線・玉川上水駅~西武池袋線・清瀬駅」もご紹介しておりますので、是非併せてご参照頂き、野火止用水の大人散策に出かけてみては、いかがでしょうか?

前半戦:西武拝島線・玉川上水駅~西武池袋線・清瀬駅の記事へ

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!

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