吉見

【はじめに】

本ブログ別記事で、吉見百穴ほぼ隣接する松山城(武蔵国)を紹介させて頂きました。私の個人的見解ですが、東松山・吉見と聞くと、先に記載した、この2つが思い浮かぶのですが、それ以外の散策スポットを思い浮かべる事が中々出来ないでいました。

しかし実際にその地に赴き、散策を開始してみると、「そー言えば、このスポットは、東松山だ!」、「吉見には、このスポットがあった!」と次々に、散策スポットが思い浮かんできました。今回は、その散策の中で、吉見方面の大人散策スポットを紹介させて頂きます(東松山方面の散策情報も別記事で記載しております)。

吉見の最寄り駅は、東武東上線の東松山駅になり、そこから徒歩15分程の東方面にある市野川(少し上流は滑川)を超えたところです。北には熊谷、東は荒川(その先は鴻巣)、南に川島町(国指定の重要文化財、遠山記念館も別記事で紹介しています)がそれぞれある町で、古代には、東山道武蔵路(別記事で散策情報を記載しています)も通っていたのでないかと言われる地域です。私達夫婦の住まう、川越からは、20~25㎞位で、吉見のほぼ全域に行けると思うので、自転車(ポタリング)でもアクセス可能な地域ですが、今回は、徒歩での散策情報を記載させて頂きます

【吉見で訪れた散策スポット】

①吉見百穴・岩室観音

まずは、東武東上線の東松山駅から分程の所にある、吉見を代表する吉見百穴から本ブログの別記事でも紹介しましたので、詳細はそちらをご覧いただきたいのですが、皆様も日本史の教科書で目にしたと思われる、日本を代表する遺跡の1つです

実際に脚を運ばれた方なら、ご理解いただけると思いますが、その異様な光景に目と心を奪われるスポットで、今ではお墓として認識されていますが、発掘当初(明治期)は、「小人・コロボックルの住まいでは?」との説もあり、その光景から、「コロボックルの住まいであってほしい!」と思わず思ってしまいました。また、吉見百穴から松山城(武蔵国)に行く途中には、岩室観音がありますので、是非脚を止めてみて下さい。

②松山城(武蔵国)

こちらも別記事で紹介させて頂きましたが、吉見百穴に隣接する、城跡が松山城(武蔵国)です (別記事で紹介しました比企城館跡群の1つ)。いくつかある松山城(伊予・備中等)の中でも知名度は低い方かもしれませんが、実際に行ってみると、堀がしっかり残っており、難攻不落のお城である事理解できます。日本三大奇襲の1つ、河越夜戦(別記事で紹介中)で有名な(後)北条氏や武田氏(こちらも様々な別記事で紹介しています)が攻めあぐねた城です。武田氏は、金山衆と呼ばれる金山採掘の集団を同行させて、力業でなく、地下を掘って水の手を切る作戦を取ったと言われているそうです。松山城としての知名度は、伊予・備中に比べると引くかもしれませんが、難攻不落の城の当時の堀を肌で感じる事が出来る城跡です

③羽黒神社

上記松山城(武蔵国)の東側に、羽黒神社があります。決して大きな神社ではありませんが、雰囲気のある神社で、市野川方面から続く、長い階段の参道は、絵になります。参道入り口の鳥居の前には、大きな大木があり、歴史を加持させてくれる神社です

④人口湖 (大沼・天神沼)

羽黒神社の東側には、人口のため池があります。しかし、それなりの規模で、周囲は牧歌的な雰囲気もあり、散策するには、気持ちの良い場所です。この地域の稲作を支えてきた人口湖と言う事の様で、長年周囲の人に大切にされ、今尚、犬の散歩や釣りをする人を見かけますので、近隣の方々の憩いの場所になっているような印象を感じる、心落ち着くスポットです。

⑤源範頼館跡/息障院

源義経を別記事で記載した際に、名前だけ出てきた源範頼の館跡と伝わるのが、こちら息障院です。範頼と言えば、「義経が、(個人的には、日本三大奇襲ではなく日本四大奇襲として、数えるべきと思っている)『逆落とし』を実行した時(搦手)、東方面から正規軍をを引っ張ていた武将」位の知識しかないので、Wikipediaの力をかり調べてみますと、以下の様にあります。

源 範頼(みなもと の のりより)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄 (略) 武蔵国横見郡吉見(現在の埼玉県比企郡吉見町)のあたりを領して吉見御所と尊称された (略) 

最期

建久4年(1193年)5月28日、曾我兄弟の仇討ちが起こり、頼朝が討たれたとの誤報が入ると、嘆く政子に対して範頼は「後にはそれがしが控えておりまする」と述べた。この発言が頼朝に謀反の疑いを招いたとされる。ただし政子に謀反の疑いがある言葉をかけたというのは『保暦間記』にしか記されておらず、また曾我兄弟の事件と起請文の間が二ヶ月も空いている事から、政子の虚言、また陰謀であるとする説もある (略) 8月17日、伊豆国修禅寺に幽閉される。『吾妻鏡』ではその後の範頼については不明だが、『保暦間記』『北條九代記』などによると誅殺されたという (略) 

伝説

範頼の死去には異説があり、範頼は修禅寺では死なず、越前へ落ち延びてそこで生涯を終えた説や武蔵国横見郡吉見(現埼玉県比企郡吉見町)の吉見観音に隠れ住んだという説などがある。吉見観音周辺は現在、吉見町大字御所という地名であり、吉見御所と尊称された範頼にちなむと伝えられている。『尊卑分脈』『吉見系図』などによると、範頼の妻の祖母で、頼朝の乳母でもある比企尼の嘆願により、子の範圓・源昭は助命され、その子孫が吉見氏として続いたとされる。”

https://ja.wikipedia.org/wiki/源範頼

全文を引用すると長くなってしまいます為、途中「(略)」を入れましたが(引用部分だけの記載なので、ご興味のある方は、リンク先より全文をご参照ください)、中々興味深い内容です。頼朝・義経と兄弟であった事、吉見に深いつながりを持つ事、少々不幸な最後となってしまった事等、こちら息障院に足を運ぶ際は、是非上記情報を以ってから行くと、より感慨深い大人散策になると思った次第です

⑥黒岩横穴群と八丁湖

吉見百穴とは違いますが、こちらにも横穴墓群があります。お邪魔した際には、枯れ草が多く、中々全貌を時間できませんでしたが、確かに横穴が多数見て取れます。人骨も出ているとの事で、お墓である事、間違えないと思いますが、吉見百穴同様、水辺(八丁湖)の崖に作られた横穴は、周囲に高台もあり、生活しやすそうで、且つ住居としても安全そうで、「小人・コロボックルにいてほしい!」と改めて思ってしまうスポットでした

⑦ポンポン山・高負彦根神社

上記、黒岩横穴墓群・八丁湖から、主にハイキングコースの様な山道(途中舗装道を一部通りますが)を北側に進むと、ポンポン山で有名な、高負彦根神社があります。こちら、高負彦根神社と言うより、「ポンポン山」の名称の方が市民権を得ているようです。

神社でお参りをし、社殿の裏側にある岩場一帯がポンポン山と言われている場所で、本当に強く足を地面に打つと、「ポン」と中が空洞になっているような、音が響きますまたその岩山の更に東側は、荒川の河岸段丘の様にも思え、かなりの段差があり、その先には、まっ平な土地が広がっていて非常に見晴らしが良く、台地と平地のコントラストを実感でき、不思議な感覚にとらわれます。音の出る面白さと、景色、そして地形の不思議さを同時に味わえる場所が、高負彦根神社のポンポン山です。

⑧安楽寺・吉見観音

ポンポン山を出て、黒岩横穴墓群・八丁湖へ引き返す形で戻ったその先に、安楽寺・吉見観音が出てきます。こちらのホームページ(https://yoshimikannon.jp)によると創建は、1200年程前と言われていいるそうです。これだけの歴史を持つこちらのお寺ですので、創建後にこの地を拝領した源範頼との関連も、上記息障院の部分にて記載の通り深く、本堂・三重塔を建立したと伝わっている様です。しかしそのそれらは、河越夜戦で有名な、北条氏によって焼かれてしまったらしく、その後再建されたとの事です。

しかしその再建は江戸時代現在みられる本堂は、約350年前、三重塔は、約380年前に再建されたとの事ですので、簡単に言ってしまえば、ものすごい歴史を持ったお寺と言う理解で間違えない様です。そしてその歴史も勿論ですが、本堂・三重塔・観音様・門、それぞれが、構造物として圧巻で、思わず手を合わせてしまう迫力があります。吉見の大人散策・散歩においては、外してはいけないスポットだと思いました

ちなみに、別記事で触れました、日光脇往還の散策情報の記事で、坂戸にある道しるべには、この吉見観音の事が、記されていると言われている様ですので(記載:「右よしみみち」=意味:「右に行くと吉見観音に行けます」と言った感じで)、有名であった事も容易に想像できます。実際に訪れて、その歴史と構造物に触れると、「有名でない訳がない」と実感できますが…。

また、別記事で記載しました、正法寺・岩殿観音との関りも勿論ございます。それは、源頼朝が、実朝と共に制定したと言われる、「坂東三十三観音霊場」の10番目が正法寺・岩殿観音(比企能員との関り深い)、11番目が安楽寺・吉見観音(源範頼と関連が深い)と言いう事です。そんな関りを理解しつつ、訪問される事こそ、大人散策だと思った次第です。

⑨コアラの像が飾られた橋・菅原神社の「狛牛?」

安楽寺を後にし、東松山駅へ戻るべく、271号線?を南西(吉見百穴方面)に進むと、滑川にかかる橋に、コアラのオブジェが飾られています。思わず「なぜ?」と思ってしまいましたが、散策の終盤に疲れを忘れた瞬間であった事、記憶しています。また、コアラの像が飾られた橋の西、500~600mの場所にある、菅原神社には、別記事で紹介しました、「狛犬」ならぬ、「狛牛?」もいらっしゃいますので、気に留めてみてはいかがでしょうか?

⑩ おまけ:道々の様子と街中華:紅陽飯店

吉見・東松山は、散策をしていると、色々な石像・石仏、オブジェがあり、何の目的もなく散策していても楽しめます(写真参照)。また、散策の仕上げとして、東松山駅近くにある、こちらの紅陽飯店で夕食を頂きましたのでこちらも紹介致します。

紅陽飯店には、初めて、飛び込みでお邪魔させて頂きましたが、本当の意味で、街中華を頂戴できるお店だと思いました。紹興●(15年物がありました)とともに頂戴する、本格中華はかなりレベルの高い印象で、しかし価格はリーゾナブルで、特に黒酢酢豚は絶品!。オーナーは、中国の方の様に思え、「本場の人が料理すると中華ってこんなに美味しいんだ!」と、大満足の食事で、「東松山で中華を食べたくなったらこのお店!」と心に誓ったお店です。

【最後に】

上記、吉見町における大人散策スポットを紹介させて頂きましたが、皆様はどの様にお感じになりましたでしょうか? 私達夫婦が実際に散策させて頂き、率直に思った事は、「思っていたよりも魅力的で、吉見百穴と松山城武蔵国以外に何があるんだ?」と思ってしまった事を、すぐ近所の川越に住んでいるにも関わらず知らなかった事を、恥ずかしくなってしまいました

上記以外にも記載しました様に、道々に石仏・石像等もあり、歴史を感じる地域であると同時に、八坂神社の目に前にあった「天王山」(別記事で語源を歴史の観点で記載しています)の看板や、滑川の橋に架かるコアラのオブジェ等、「何で?」と思えるような物もあり、散策していても飽きない地域だと思いました。皆様もこの吉見と言う場所で、歴史や自然の面白さを感じつつ、大人散策・散歩をしてみてはいかがでしょうか?

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!

TOP Pageへ or ブログ内関連情報タグ一覧へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA