南禅寺 三門 京都府京都市左京区

【はじめに】

こちらのページでは、鎌倉時代創建の寺院で『国宝・方丈』や、その前庭で国の名勝” に指定された『虎の子渡しの庭』、更には明治期の “琵琶湖疎水” を通すレンガの建造物で有名な『水路閣』、日本三大三門の1つである『南禅寺三門』等をセットで満喫できる『南禅寺』の大人散策情報(プランニング版)を共有させて頂こうと思います。

皆様は、京都にある「南禅寺」をご存じでしょうか? 「南禅寺界隈」のワードと共に有名な寺院だと思いますが、同時に「『国宝・方丈』・『虎の子渡しの庭』・『水路閣』・『日本三大三門』と言ったワードと共に有名な寺院」とも認識して折ります。本ブログ別記事で、「知恩院」「平安神宮」・「八坂神社」・「建仁寺」・「無理庵」等と併せて参らせて頂いた事がある旨、記載いたしましたが、その際「南禅寺は、訪問候補に挙げていたが、時間的制約から訪問を諦めてしまったスポット」であった次第で、「次の機会は、絶対に脚を伸ばそう!」とその時は思っていましたが、それから10年程たってしまった次第です…。

こちらのページでは、そんな「次の機会は、絶対に脚を伸ばそう!」と思ってから10年以上たってしまっている「南禅寺」に付き記載させて頂きます。すなわち、鎌倉時代創建の寺院で『国宝・方丈』や、その前庭で国の名勝” に指定された『虎の子渡しの庭』、更には明治期の “琵琶湖疎水” を通すレンガの建造物で有名な『水路閣』、日本三大三門の1つである『南禅寺三門』等をセットで満喫できる『南禅寺』の大人散策情報(プランニング版)を共有させて頂こうと思います。

【「南禅寺」とは?】

まずは「南禅寺」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報集させて頂きますと以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてますので、読まなくても大丈夫です… まとめも結構長いので…)。

南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山の寺院。山号は瑞龍山。本尊は釈迦如来。開山は無関普門(大明国師)。開基は亀山法皇。正式には太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)と号する。日本最初の勅願禅寺であり、室町時代に定められた五山十刹の制において京都五山および鎌倉五山の上に置かれる「五山の上」の寺院とされ、日本の全ての臨済宗の寺院の中で最も高い格式を持つ。

歴史
・草創期
南禅寺の建立以前であるが、この地には、亀山天皇が文永元年(1264年)に造営した離宮の禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった。「禅林寺殿」の名は、南禅寺の北に隣接する浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)に由来している。この離宮は「上の御所」(上の宮)と「下の御所」(下の宮)に分かれていたが、弘安10年(1287年)に「上の御所」に亀山上皇が持仏堂を建立し「南禅院」と名付けた、これが南禅寺のそもそもの始まりである。後に持仏堂の南禅院は南禅寺の塔頭・南禅院となっている。
亀山上皇は正応2年(1289年)、40歳の時に落飾(出家)して法皇となった。2年後の正応4年(1291年)、法皇は禅林寺殿を寺に改め、当時80歳の無関普門を開山としてこれを龍安山禅林禅寺と名付けた (略)
建武元年(1334年)、後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一としたが、至徳3年(1385年)に足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために南禅寺を「別格」として「五山の上」に位置づけ、更に五山を京都五山と鎌倉五山に分割している (略)

・近世以後
南禅寺の復興が進んだのは、江戸時代になった慶長10年(1605年)に以心崇伝が入寺してからである。翌慶長11年(1606年)には豊臣秀頼によって法堂が再建されている (略)
1888年(明治21年)に建設された、当寺の境内を通る琵琶湖疏水の水路閣は田辺朔郎の設計によるもので、テレビドラマの撮影に使われるなど、今や京都の風景として定着している (略)
明治維新直後には政府の上地に遭い寺領の多くを失ったため廃絶に追い込まれた塔頭も少なくなかったが、その跡地は邸宅地として再開発され、そこには植治こと小川治兵衛により琵琶湖疏水から引き込んだ水流を主景とする数々の名庭園が造られ、いまなお貴重な空間として残っている (略)
2005年(平成17年)に南禅寺境内が国の史跡に指定されている (略)

境内
・法堂 – 慶長11年(1606年)に豊臣秀頼によって再建されたが、1895年(明治28年)にこたつの火の不始末で焼失した。現在の建物は、1909年(明治42年)に再建されたもの (略)
・方丈(国宝)– 大方丈と小方丈からなる。大方丈は慶長の御所建て替えに際し、天正年間(1573年 – 1593年)に豊臣秀吉によって建てられた旧御所の建物を慶長16年(1611年)に下賜されたもの。「旧御所清涼殿を移築した」とする資料が多いが、清涼殿ではなく女院御所の対面御殿を移築したものである。接続して建つ小方丈は寛永年間(1624年 – 1645年)に建てられた伏見城の小書院とされる (略)
・方丈前庭「虎の子渡しの庭」(国の名勝) – 方丈の前にある枯山水庭園は小堀遠州の作といわれる。
・小方丈庭園「如心庭」 – 1966年(昭和41年)に当時の管長柴山全慶老師による作庭。
・庭園「蓬莱神仙庭」
・庭園「六道庭」
・庭園「鳴滝庭」
・庭園「還源庭」
・庭園「華厳庭」 (略)
・琵琶湖疏水「水路閣」 – 1888年(明治21年)築。レンガ造りのアーチ橋 (略)
・三門(重要文化財) – 歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の二幕目返しで石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という名科白を廻す「南禅寺山門」がこれである。ただし実際の三門は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)に、津藩主・藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るために寄進したものである。別名「天下竜門」と呼ばれる (略) 知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられている (略)
・勅使門(重要文化財) – 寛永18年(1641年)に明正天皇より御所の「日の御門」を拝領し、移築したものという (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/南禅寺

また、「南禅寺界隈」なんて言葉も良く耳にすると思いますので、こちらも併せてWikipedia で調べてみますと、以下の様にあります。

南禅寺界隈別荘(なんぜんじかいわいべっそう)は、明治新政府が召し上げた臨済宗南禅寺の敷地を開発した後に建つ、15邸の広大な別荘

概要
明治維新後、明治政府は土地没収命令(上知令)で寺領を没収し民間に払い下げを行った。南禅寺は政府要人や実業家が購入し別荘を建てて以来、財閥系の企業や実業家が購入するようになった。2020年代には外国人が取得した事例もある。
一部は料亭が店舗として利用している (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/南禅寺界隈別荘

つまり、併せて理解しますと、以下の様になる認識です。

  • 南禅寺は、正式には「太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)」と言う「日本最初の勅願禅寺(時の天皇・上皇の発願による祈願寺;寺格の一つ)」で、京都市左京区南禅寺福地町にある、本尊は釈迦如来・開山は無関普門(大明国師)・開基は亀山法皇の臨済宗南禅寺派の大本山の寺院
  • 室町時代に定められた「五山十刹」の制において「京都五山」および「鎌倉五山」の上に置かれる「五山の上」の寺院とされ、日本の全ての臨済宗の寺院の中で最も高い格式を持つ寺院でもあり、現在は、境内が国の史跡に指定されている
  • 南禅寺の建立以前、この地には亀山天皇が1264年に造営した「離宮」の禅林寺殿があり、この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれていたが、1287年に「上の御所」に上皇になった亀山上皇が持仏堂を建立し「南禅院」と名付け、これが南禅寺のそもそもの始まりと言われるらしい
  • 1334年、後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一としたが、1385年に足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために南禅寺を「別格」として「五山の上」に位置づけ更に五山を京都五山と鎌倉五山に分割したらしい
  • 明治になって建設された『南禅寺の境内を通る「琵琶湖疏水」の「水路閣」』は、今や京都の風景として定着しており、同じく明治期の上地令(上知令)で、南禅寺の土地も明治政府によって召し上げ命令を受け、その後跡地は邸宅地として再開発され、琵琶湖疏水から引き込んだ水流を主景とする数々の名庭園が造られ、いまなお貴重な空間として残っている「南禅寺界隈(本ブロブ別記事紹介の「無鄰菴」もその一つになるらしい)京都を代表する街並みとして有名になっている
  • 境内には、上記の琵琶湖疏水「水路閣」をはじめ、「法堂」「方丈(国宝)」「方丈前庭(虎の子渡しの庭;国の名勝)」「小方丈庭園(如心庭)」「三門(重要文化財・日本三大三門の1つ)」「勅使門(重要文化財)」と言った様な見所がある

つまり、

日本最初の勅願禅寺」で、臨済宗南禅寺派の大本山の「南禅寺」』は、日本の全ての臨済宗の寺院の中で最も高い格式を持ち、境内が国の史跡に指定されている寺院で、京都五山・鎌倉五山の上に位置づけられる「別格」の寺院でもあり、明治期の上地令(上知令)で、知行の召し上げ命令を受けるが、その跡地は邸宅地として再開発され、琵琶湖疏水から引き込んだ水流を主景とする数々の名庭園が造らた南禅寺界隈が(元々境内なので当たり前ですが…)隣接しており、その境内には、上記の琵琶湖疏水「水路閣」をはじめ、「法堂」「方丈(国宝)」「方丈前庭(虎の子渡しの庭;国の名勝)」「小方丈庭園(如心庭)」「三門(重要文化財・日本三大三門の1つ)」「勅使門(重要文化財)」と言った様な見所がある寺院

と理解させて頂いた次第です。

【南禅寺の大人散策をプランニング!】

上記、「南禅寺」の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では、その「南禅寺における、その周辺も含めた大人散策情報」を記載させて頂きます。尚、最下部の地図は、そのスポットをGoogle My Map でポイントアウトしていますので、併せてご参照頂ければと思います(実際の大人散策においては、自身の位置を確認しつつ移動にご活用いただければ幸いと存じます(但し、歩きスマホはNGで…))

■「勅使門」から「大方丈」へ

「南禅寺」の大人散策は、「勅使門」からのスタートを想定します。まずは重要文化財の「勅使門」をじっくり拝見し、東に進路を取って同じく重要文化財で、且つ日本三大三門の1つである「三門」も拝見したいと思いますが、「三門」は、参らせて頂いた事が無いので、正確には解りませんが、その内部も拝見できる様子。であれば、内部も併せてじっくりと拝見させて頂きたく思います。その後、更に東に進んで、「法堂」も拝見し、こちらも何処まで拝見できるか不明ですが、建造物は勿論、ご本尊の釈迦如来も拝見し、ご挨拶申し上げ、そして国宝の「方丈」を目指して歩を進めさせて頂こうと思う次第です。

■「方丈前庭『虎の子渡しの庭』」を始めいくつかの庭園を拝見し「水路閣」へ

上記引用によると「方丈」は国宝で、「大方丈」と「小方丈」からなるとの事。また、いくつかのお庭も配置されている様で、やはり参らせて頂いた事が無いので、良く見えていませんが「本坊」から内部に入らせて頂けるようです。「大方丈」と「小方丈」中からもじっくりと拝見させて頂き、併せて国の名勝である「方丈前庭『虎の子渡しの庭』」「如心庭」をはじめ、配置されているいくつかの庭園もじっくり & じっくり拝見させて頂きたいと思う次第です。そして国宝の「方丈」で、その歴史ある建造物と庭園を拝見した後は、「琵琶湖疎水」が流れる「水路閣」に向かおうと思います。

■「水路閣」から「琵琶湖疎水」沿いを散策

「琵琶湖疎水」が流れる「水路閣」は、「レンガ作りのアーチ状の水路が、日本古来の神社の境内を通されている景色」と認識して折ります。「お寺の建造物」も「水路閣」も、いづれも歴史ある建造物である事は間違いないと思いますが、国宝の「方丈」は江戸の初め前後頃の建造物で(「本坊」は明治期らしですが…)、「水路閣」は、明治期の建造物。言い換えると、いずれも歴史的建造物ですが、それぞれの時代差は「250年以上」の差があると言う事になり、これこそ「京都ならではの景観」だとも思えるので、その歴史に思いを馳せつつ大人散策を満喫させて頂こうと思います。尚「水路閣」は、下から見上げ、建造物として楽しませて頂くと同時に、「南禅院」の「鐘楼」付近から「琵琶湖疎水」に沿って散策路(「疎水分線?」)がある様子。やはり同じく、参らせて頂いた事が無いので、何処まで行けるか解りませんが、もし「琵琶湖疎水」に沿って散策できるのであれば「蹴上発電所取水口」の方まで参らせて頂き、こちららで「南禅寺の大人散策」をコンプリートさせて頂こうと思う次第です。

■できる事なら、周辺散策も…

上記にも記載しましたが、「南禅寺」は、明治期の上地令(上知令)により、かなりのエリアを召し上げられてしまったエリアがあり、その跡地が「南禅寺界隈として、本ブロブ別記事紹介の「無鄰菴」を始め、多くの別荘が建てられたエリアになっている認識です。言い換えると、非常に味のある「大人散策にはうってつけ」のエリアといった認識です。であれば、周辺のエリアも素通りできませんし、近隣の「平安神宮」や「知恩院」と言った有名所の神社仏閣に加え「円山公園・八坂神社・建仁寺」と言ったスポットにも脚を伸ばしても良いかと思い、更なる周辺散策を含めて楽しむべきと思う次第です。

【最後に】

以上が、鎌倉時代創建の寺院で『国宝・方丈』や、その前庭で国の名勝” に指定された『虎の子渡しの庭』、更には明治期の “琵琶湖疎水” を通すレンガの建造物で有名な『水路閣』、日本三大三門の1つである『南禅寺三門』等をセットで満喫できる『南禅寺』の大人散策情報(プランニング版)を共有させて頂いた内容になります。

上記にも記載しました、近隣の「平安神宮」や「知恩院」、「円山公園・八坂神社・建仁寺」には、10年以上前の話ですが、参らせて頂きました。しかし「南禅寺」は、まだ訪問できていない寺院。今回本記事を記載して改めて思った事は、「江戸期初め前後の建造物』と『明治期の琵琶湖疎水を通す水路閣』のコラボは「京都を代表する景観」なのだから、必ず脚を運ばなければいけないスポット」という事です。近隣には、中学校の修学旅行以来、参らせて頂いていない「銀閣寺」や「清水寺」等もあるので、実際の訪問にあたっては、改めて周囲の大人散策スポットと併せて戦略立てを行い、訪問を実現したと思う次第です。訪問が出来た暁には、本ブログで報告申し上げようと思って折ります!

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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