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【はじめに】
こちらのページでは、「『古代と現代がコラボした伽藍』を堪能する事が出来る、『薬師三尊像で有名な薬師寺』の概要とこれに基づく(ちょっとだけ郡山城も含めた)大人散策のプランニングに付き共有」をさせて頂こうと思います。
奈良の神社仏閣という事では、本ブログ別記事で「春日大社」・「東大寺」・「興福寺」・「大神神社」・「橿原神宮」・「法隆寺」等を記載させて頂きましたが、皆様は「薬師寺」はご存じでしょうか? 個人的に、真っ先に連想してしまうのは「薬師三尊像」で、「奈良時代の建築と言われる東塔」も有名な認識ですが、実はまだお邪魔した事がありません…。もしかしたらウン十年前の中学時代の修学旅行の時のお邪魔しているかもしれませんが、正直記憶は全くありません…。であれば、上記記載の各神社仏閣にお邪魔する際には「薬師寺にも是非脚を伸ばしたい」と思って折り、「もし実際にお邪魔した際『どんな視点で楽しみ』、『どんなルートで散策させて頂くか』を準備しておく必要がある」と思った次第です。
こちらのページでは、上記の状況にある「薬師寺の概要」を抑え、今後の大人散策に向けた準備をさせて頂こうと思った次第です。すなわち「『古代と現代がコラボした伽藍』を堪能する事が出来る、『薬師三尊像で有名な薬師寺』の概要とこれに基づく(ちょっとだけ郡山城も含めた)大人散策のプランニングに付き共有」をさせて頂こうと思います。
【「薬師寺」とは?】
まずは「薬師寺」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報収集させて頂きますと以下の様にあります(以下にポイントをまとめておりますので、引用読まなくても大丈夫です)。
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。
1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録されている。歴史
薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿〈きどの〉町)の地に造営が開始され、平城京への遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものである。ただし、飛鳥の薬師寺(本薬師寺、北緯34度29分33.88秒 東経135度48分0.95秒)の伽藍も10世紀頃までは引き続き存続していたと見られる。創建
『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木偏に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。
「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」旨が記されている (略)平城京への移転
その後、和銅3年(710年)の平城京遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した右京六条二坊(現在地)に移転した。移転の時期は長和4年(1015年)成立の『薬師寺縁起』が伝えるところによれば養老2年(718年)のことであった。ただし、平城薬師寺境内からは霊亀2年(716年)の記載のある木簡が出土していることから、造営は養老2年よりも若干早くから始まっていたとみられる。『扶桑略記』天平2年(730年)3月29日条に「始薬師寺東塔立」とあり、東塔(三重塔)が完成したのがその年のことで、その頃まで造営が続いていたものと思われる。
なお、平城京への移転後も、飛鳥の薬師寺(本薬師寺)はしばらく存続していた。史料や発掘調査の結果からは平安時代中期、10世紀頃までは存続していたようだが、後に廃寺となった (略)
平城京の薬師寺は天禄4年(973年)の火災によって金堂、東塔、西塔を残し、講堂、僧坊、南大門など多くの建物が焼失した (略)
戦国時代の享禄元年(1528年)9月7日には、興福寺の衆徒・筒井順興による兵火で東塔や東院堂を残し全山焼失した。現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみである (略)薬師寺式伽藍配置の概念図。A:中門、B:回廊、C:金堂、D:塔、E:講堂、F:鐘楼、G:経蔵。 奈良時代の平城京薬師寺伽藍の模型(奈良市役所所蔵平城京1/1000模型の一部)西側から見る 白鳳伽藍の再建
1967年(昭和42年)、名物副住職として知られた高田好胤(たかだこういん)が管主に就任すると、翌1968年(昭和43年)から百万巻お写経勧進による白鳳伽藍復興事業が開始された。これにより、1976年(昭和51年)に金堂が再建されたのを始め、1981年(昭和56年)に西塔、1984年(昭和59年)に中門、1995年(平成7年)に東西回廊の一部、2003年(平成15年)に大講堂、2017年(平成29年)には食堂(じきどう)が再建され、復興事業はほぼ最終段階を迎えた (略)■東塔
国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)に遡る唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む) (略) 屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である (略)
塔の建築年代については (略) 天平2年(730年)に平城京にて新築されたとする説が通説となっている■白鳳伽藍
・金堂 – 1976年(昭和51年)再建。奈良時代仏教彫刻の最高傑作の一つとされる本尊・薬師三尊像(国宝)を祀る (略)
・東塔(国宝) – 三重塔 (略)
・西塔 – 1981年(昭和56年)再建。東塔と対称的な位置に建つ三重塔。旧塔は享禄元年(1528年)に戦火で焼失している。この塔はかつての伝統様式・技法によって再建されたものである (略) 再建に際しては、西岡常一により、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチメートル高くして再建されている。500年後には西塔も東塔と同じように材木の撓みと基礎の沈下が起きて同じ高さに落ち着く計算とのことである。
・大講堂 – 2003年(平成15年)3月21日再建。正面41メートル、奥行20メートル、高さ17メートルあり、伽藍最大の建造物である。以前の大講堂は享禄元年(1528年)に戦火で焼失後、嘉永5年(1852年)に再建されたものであったが、今回の再建にあたって解体されている。本尊の銅造三尊像(重要文化財) (略) 堂内には仏足石(国宝)や仏足跡歌碑(国宝)も安置されている。
・食堂 – 2017年(平成29年)再建 (略)
・中門 – 1984年(昭和59年)再建 (略)
・東院堂(国宝) – 鎌倉時代の弘安8年(1285年)再建。境内の東側、回廊の外に建つ (略) 堂内の厨子に本尊の聖観音立像(国宝)を安置する (略)
・南門(重要文化財) – 室町時代の永正9年(1512年)建立。境内南正面にある小規模な四脚門。元は薬師寺西院の門だったが、後に現在地である南大門の跡地に移築した (略)■薬師三尊像
金堂に安置される薬師寺の本尊。国宝。飛鳥時代後期(白鳳期) – 奈良時代(7 – 8世紀)の作 (略) 中尊は薬師如来、左脇侍(向かって右)に日光菩薩(にっこうぼさつ)、右脇侍に月光菩薩(がっこうぼさつ)を配している (略) 日本の仏像彫刻が、中国の六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式を完成した7 – 8世紀の作品のなかでも最高傑作の一つとして古来名高いものである (略)■聖観音立像
東院堂本尊。国宝指定名称は「銅造観音菩薩立像」 (略)薬師三尊像(手前から日光菩薩、薬師如来、月光菩薩) 写真は再建前の旧・金堂に安置されていた時のもの 観音菩薩(聖観音)立像 仏足石(国宝) 仏足跡歌碑(拓本、原品は国宝) 慈恩大師像(国宝) 大池からみた薬師寺両塔・金堂と若草山 Wikipediaより ■国宝
・東塔 (略)
・東院堂
・銅造薬師如来及両脇侍像(薬師三尊像) (略)
・銅造観音菩薩立像 – 東院堂本尊。寺での呼称は聖観世音菩薩像 (略)
・木造僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像(八幡三神像) – 平安時代初期の作。いずれも像高30数センチの小品で、薬師寺の鎮守・休ヶ岡八幡宮の神体として作られたもの (略) 薬師寺の三神像は日本の神像としては現存最古作の1つである。奈良国立博物館に寄託されている。
・麻布著色吉祥天像 – 『金光明最勝王経』所説に基づき、吉祥悔過会(きちじょうけかえ)の本尊として制作されたもので、数少ない奈良時代の絵画遺品として貴重なものである (略) 正月三が日、春・秋などに期日を限って、寺内の大宝蔵殿で公開される。
・絹本著色慈恩大師像 – 中国法相宗の祖の肖像画。11世紀の作。
・仏足石 – 大講堂内にある。礼拝対象としての仏陀(釈迦)の足跡を刻んだ石 (略)
・仏足跡歌碑 – 大講堂内にあり、仏足石とともに伝来したもの (略)
それなり長い引用になってしまったので、以下にサマリ的に、箇条書きでまとめさせて頂きます。
- 薬師寺は、天武天皇が、自身の皇后・鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して、680年に飛鳥の藤原京内に創建された事に始まる寺院であるが、天武天皇は寺の完成を見ずに686年に没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれ、710年の平城京遷都後に移転し(718年?)、現在では薬師三尊を本尊とし奈良県奈良市にある法相宗の大本山の仏教寺院で、「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、ユネスコにより世界文化遺産に登録されている
- 973年の火災によって「金堂」・「東塔(国宝:730年完成と言われ、一見六重の塔に見えるが三重塔)」・「西塔」を残し、「講堂」・「僧坊」・「南大門」など多くの建物が焼失し、戦国時代の1528年には、興福寺の衆徒・筒井順興による兵火で「東塔」や「東院堂(国宝:鎌倉時代の1285年再建)」を残し全山焼失してしまい、現在、奈良時代の建物は「東塔」を残すのみとなっている
- しかし、「薬師三尊像(国宝:金堂に安置される薬師寺の本尊で、飛鳥時代後期~奈良時代の作)」や「聖観音立像(国宝:東院堂本尊)」、「南門(重要文化財:室町時代・1512年建立)」等をはじめとする多くの文化財も残っている
- また、白鳳伽藍の再建は、1967年、高田好胤が管主に就任すると、百万巻お写経勧進による白鳳伽藍復興事業が開始され、1976年に「金堂」が再建されたのを始め、1981年に「西塔(東塔より約30㎝ 高く再建されており、500年後には西塔も東塔と同じように材木の撓みと基礎の沈下が起きて同じ高さに落ち着く計算らしい)」、1984年に「中門」、1995年に「東西回廊」の一部、2003年に「大講堂」、2017年には「食堂」が再建されたらしい
つまり薬師寺は、
『元々は、天武天皇が、自身の皇后(後の持統天皇)の為に、飛鳥の地で創建した寺院であるが、先に没してしまった為、持統天皇が引き継いで、平城京遷都と共に現在の地に移転した寺院で、その頃の遺構としての「東塔(730年建造)」と「昭和~平成にかけて再建された金堂・西塔・中門・大講堂・食堂等の伽藍群」、すなわち「古代」と「現在」の建造物が「コラボした伽藍」を拝見できる寺院でもあり、「薬師三尊像」や「聖観音立像」といった国宝も残る寺院』
と理解させて頂いた次第です。
【薬師寺の大人散策をプランニング!】
上記、薬師寺の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では「薬師寺における大人散策を検討」させて頂こうと思います。以下に「薬師寺の境内マップ(薬師寺のHP(https://yakushiji.or.jp)より)」も併せて記載いたしますし、最下部にはGoogle My Map で作成した地図(スマホ片手に自身の位置を確認しつつ大人散策を遂行できます(でも歩きスマホはNGで!)も共有致しますが、上記にも記載いたしました通り、『「古代」と「現在」の建造物が「コラボした伽藍」』を拝見できる寺院なので、以下をポイントに大人散策を遂行させて頂こうと思った次第です。それは、『①東塔・東院堂と言った国宝建造物を堪能する』、『②国宝建造物に加え、昭和~平成に再建された建造物も併せて拝見し、「古代」と「現在」が「コラボした伽藍」を楽しむ』、『③「薬師三尊像」や「聖観音立像」と言った国宝文化財も(何処まで拝見できるか不明ですが)できる限り堪能する』と言ったポイントを想定致しました。それぞれ以下に記載いたします。
⓪まずは、全体的なルートから
薬師寺の最寄り駅は、近鉄橿原線の「西ノ京駅」になる様です。西ノ京駅からですと「與樂門」からお邪魔するのが、最も近いルート(200m程・徒歩5分以内?)の様ですが、周囲をGoogle Map で見回すと「明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や豊臣秀吉の弟・羽柴秀長の改修したと認識する『郡山城』」が目に飛び込んでき来てしまいました…。神社仏閣好きの私達夫婦ですが、お城好きでもあるので「埼玉の川越から薬師寺に参るのであれば、「素通りはもったいない!」と思った為、まず近鉄郡山駅で降りて「郡山城」を大人散策させて頂き、その後、2.5㎞前後(徒歩30分程)の距離感の様ですので、徒歩で薬師寺を目指したいと思ってしまった次第です。
薬師寺の「南門」近くには、「休ヶ岡八幡宮」もある様なので、まずは「休ヶ岡八幡宮」、そして「南門(重要文化財)」・「東院堂(国宝)」を拝見し「中門(再建)」から「白鳳伽藍」にお邪魔したいと考えて折り、「白鳳伽藍」で「金堂(再建)」・「西塔(再建)」、「東塔(国宝)」、「東西回廊(再建)」、「大講堂(再建)」、「食堂(再建)」を拝見して、北側の「與樂門」を抜け、「玄奘塔」を目指すコースを想定させて頂きました。また道々では、「玄奘塔」境内の建造物も魅力的に見えたので、出来る限り周囲に目を配りつつ、出来る限り寄り道をして、大人散策を遂行し(どんな施設か不明ですが「聚寶館」と言うものがあ様ですし…)、最終的には、「西ノ京駅」より帰りに向かおうと計画した次第です。
①東塔・東院堂と言った国宝建造物を堪能する
上記、まずは薬師寺訪問前に「郡山城」を大人散策するコース設定をさせて頂きましたが、「薬師寺を堪能する上での “ポイント①” は『東塔・東院堂と言った国宝建造物を堪能する』」です。上記にも記載しましたが、「『東塔』は、国宝で、730年に建造られたと言われる『奈良時代の建造物』」との事。つまり、「現存する世界最古の木造建築物群」と言われる「法隆寺の西院伽藍」(7世紀後半 or 遅くも奈良時代草創期には建造(再建))と、現代の視点から見れば、ほとんど変わらなく位のタイミングで建造された建造物ですので、1300年程の歴史を持つ建造物です。そして「東院堂」は、鎌倉時代の1285年に再建されたと言われる(700年以上の歴史がある)同じく国宝の建造物。確かに「法隆寺の西院伽藍」と比べると新しいものですが、700年前に建てられた建造物と1300年前に建てられた国宝建造物をセットで拝見できるスポットは、この奈良のエリア以外では、中々ないと思いますので、「東塔・東院堂」といった国宝をじっくり、そしてじっくり拝見させて頂きたいと思う次第です。
②「古代」と「現在」が「コラボした伽藍」を楽しむ
上記、「『東塔』は、国宝で、730年に建造られたと言われる『奈良時代の建造物』」と記載しましたが、その「東塔」がある「白鳳伽藍」の「東塔」以外の建物は、昭和~平成にかけて再建された建造物との事。つまり「金堂」・「西塔」・「東西回廊」・「大講堂」「食堂」等の建造物は、現代の建造物と認識している次第ですが、写真や動画で拝見する限り、その時代差を感じないと思って折ります。『東塔』と『金堂・西塔・東西回廊・大講堂・食堂』の年の差は、1200年以上。つまり『「古代」と「現在」が「コラボした伽藍」』なんて、想像するだけでワクワクしてしまいますが、いかがでしょうか? しかも「『西塔』は、500年後に『東塔』と同じように材木の撓みと基礎の沈下が起きて同じ高さに落ち着く計算で、『東塔より約30㎝ 高く再建』された」なる情報を得てしまうと、『この「古代」と「現在」が「コラボした伽藍」がコラボとして完成するのは「500年後!」』と言う理解をした次第です。つまり、「コラボ完成までは、500年かかる」という訳なので、現時点では「コラボを始めたばかり」と認識できます。完成をこの目で拝見する事は出来ずとも、『東塔が歩んできた過去の歴史』に思いを馳せ、『「金堂」・「西塔」・「東西回廊」・「大講堂」「食堂」等がこれから歩む未来の歴史』にも思いを馳せる事は、今でないとできないと思ってしまった次第です。
③「薬師三尊像」や「聖観音立像」と言った国宝文化財も堪能する
上記、「東塔・東院堂と言った歴史を重ねてきた国宝建造物」に付き、記載しましたが、歴史を重ねてきたのは「薬師三尊像(金堂)」や「聖観音立像(東院堂)」といった国宝の仏様も同じ事。そして、ここには「木造僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像(八幡三神像:平安時代初期、薬師寺の鎮守・休ヶ岡八幡宮の神体として作られたもので、奈良国立博物館に寄託との事の為、拝見できない?)」・「麻布著色吉祥天像(奈良時代の絵画遺品として貴重なもので、正月三が日、春・秋などに期日を限って、寺内の大宝蔵殿で公開との事なので、タイミング留意する必要あり?)」・「仏足石 ・仏足跡歌碑(礼拝対象としての仏陀(釈迦)の足跡を刻んだ石で、大講堂内にあるらしいので拝見できる?)」といった文化財(文化財と言って良いか不明ですが…)も薬師寺の所有らしいので、何処まで拝見できるか否か不明な部分はありますが、建造物に限らず、周囲にも目を凝らし、文化財もできる限り拝見させて頂きたいと思って折ります。
【最後に】
以上が、「『古代と現代がコラボした伽藍』を堪能する事が出来る、『薬師三尊像で有名な薬師寺』の概要とこれに基づく(ちょっとだけ郡山城も含めた)大人散策のプランニングに付き共有」をさせて頂いた内容になります。
正直、お邪魔したことが無いので(記憶が無いだけ?)何とも言えない部分はありますが、“『白鳳伽藍』における『「東塔(古代)」の建造物』と『「金堂」・「西塔」・「東西回廊」・「大講堂」「食堂」といった昭和~平成にかけて再建された建造物』のコラボは、間違いなく必見“ だと思って折り、何処まで拝見できるのか不明な部分もありますが、「薬師三尊像(金堂)」や「聖観音立像(東院堂)」等の国宝の仏様も必見だと思った次第です。同時に、拝見できずとも、長い歴史を刻んできた薬師寺ですので「その地に脚を運べば感じるものがあるはず!」とも思った次第で、まだいつになるか解りませんが、是非とも訪問させて頂き(出来れば、大和郡山城・春日大社・興福寺・東大寺も含めて…)、その暁には、本ブログで報告させて頂こうと思て折ります!
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。