首里城 守礼門

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【はじめに】

こちらのページでは、戦争や火災で幾度となく焼失してしまうも、その都度復活してきた『旧国宝24城の1つ・首里城』の大人散策情報(プランニング版)を紹介」させて頂こうと思います

まずは、いつも通りお城に関する題材の際の連想ゲームから入らせて頂きます。皆様は、「首里城」と聞くと、何を連想されますでしょうか? 私の場合は、以下の感じです。

  • 琉球王朝の王家(尚氏)の居城
  • 日本式の城郭と異なり中国の城郭の影響を大きく受けているお城
  • 綺麗な石垣で、日本式の城郭とは違った印象をもつお城でもある
  • 軍事・政治の中心の側面と共に、宗教的役割をもった「琉球有数の聖域」とも言われる認識
  • 旧国宝24城の1つだったが、太平洋戦争中の沖縄戦で壊滅してしまい、その後再建された建造物も近年火災で焼失してしまった
  • 現在は、日本100名城の1つ

仕事で何度かお邪魔させて頂いた沖縄(片手の指の数位ですが…)。何とか脚を運べないかとスケジュール調整を試みたものの、残念ながら首里城には脚を運んだ事はありません。確か2019年、首里城が火災に見舞われている映像を見た事がある方も多いと思いますが、自身もその一人で、テレビの中継を見つつ、まだ参った事もない、そんなに関連性もない、上記の情報程度しか持ち合わせていない私でさえ心が痛む映像でしたので、地元の方はさぞかし心を痛めたのでないかと想像してしまった事を記憶して折ります。そしてその時思った事は「再建・復活した首里城は必ず拝見しに行く!」という事です。「戦争や火災で幾度となく焼失しても、その度に復活してきた首里城」は、「地元の方々の象徴」であってこそ「成し遂げられてきた歴史その物」ではないかとも思う次第です。

こちらのページでは、個人的にそんな思いいれのあるものの、まだお邪魔したことがない「首里城」に付き記載いたします。すなわち、首里城の再建・復活後のタイミングを予定しますが戦争や火災で幾度となく焼失してしまうも、その都度復活してきた『旧国宝24城の1つ・首里城』の大人散策情報(プランニング版)を紹介」させて頂きます

【首里城の概要】

まずは、首里の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてますので、読まなくても大丈夫です… まとめも結構長いので…)。

首里城(しゅりじょう、沖縄語: スイグシク)は、琉球王国中山首里(現在の沖縄県那覇市)にあり、かつて海外貿易の拠点だった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園になっている。
第二次世界大戦中に焼失後、1992年に柱・壁・瓦など朱色を基調として再建
された。しかし、2019年10月31日に正殿など主要7棟が火災で焼失し、その後復興作業が進められている。(追記:2024年12月現在の情報)

概要
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は沖縄神社社殿としての正殿などが旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設によりほぼ完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている状態だった。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが朱色を基調とした形で完成した (略)
2000年(平成12年)12月、首里城跡(しゅりじょうあと)として「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されたが、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない
2019年10月31日未明の火災により、正殿を始めとする多くの復元建築と収蔵・展示されていた工芸品が焼失または焼損した。
周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵(たまうどぅん)、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある (略)

歴史
・創建

首里城の創建年代は明らかではない (略) 近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。おそらく、13世紀末から14世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられる。

・王家の居城としての利用開始
尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても同様だった。史書に記録されている限りでも、首里城は数度にわたり焼失している (略)

・志魯・布里の乱による一度目の焼失
一度目の焼失は1453年(享徳2年)に第一尚氏の尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。再建された城の外観と構造については、『李朝実録』に記述がみられ、1456年2月の目撃記録として、首里城は、「外城」「中城」「内城」の3地区に分かれ外城には倉庫や厩中城には200余人の警備兵内城には2層の屋根を持つ「閣」があり、内部は3階建てで、3階は宝物を保管し、中層には王が滞在する場所があり、侍女が100余人控え、1階は酒食が供される集会所となっていたと記述されている。 (略)

・二度目と三度目の焼失
二度目の焼失は1660年(万治3年)のことであり再建に11年の年月を要した1709年(宝永6年)には三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿などが焼失した。この時は財政が逼迫しており、1712年(正徳2年)に薩摩藩から2万本近い原木を提供されている。1715年(正徳5年)再建 (略)

・琉球処分以後
1879年(明治12年)の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6師団(熊本)の軍営として、その後は首里区(後の首里市)に払い下げられ、沖縄県立首里高等女学校(首里尋常高等小学校女子部、沖縄県立女子工芸学校)の校舎として利用された。
1912年に小学校が建てられた後、首里城は老朽化が激しく、荒廃した正殿に倒壊の危険があるとして1923年には正殿の取り壊しも検討された。しかし (略) 1929年に国宝保存法が制定されると国宝に指定されて国に保存されることとなった正殿は県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代国王が祀られた(源為朝(追記:源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる)が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという説がある)。

・太平洋戦争前
正殿は1925年(大正14年)に特別保護建造物(のち旧国宝)に指定された(指定名称は「沖縄神社拝殿」)。昭和初期(1927年(昭和2年) – 1932年(昭和7年))に正殿の改修工事が行われた (略)

・沖縄戦による四度目の焼失
太平洋戦争中の沖縄戦で、旧日本軍は首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる (略) さらに日米両軍の激しい闘いで、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊された (略) 戦後は首里城跡に琉球大学が置かれ、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくより、多くの人々の悲願だった。

・戦後の再建
1958年(昭和33年)、守礼門が再建されたのを皮切りに円覚寺門など周辺の建築から再建が始まる。1972年(昭和47年)、日本復帰後に国の史跡に指定(1972年5月15日指定)され、城の入り口に当たる歓会門と周囲の城郭が再建された。

 ‐ 琉球大学の移転による本格開始
1979年(昭和54年)に琉球大学が首里城跡から移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定され、本格的な復元がはじまった (略)

 ‐ 国営沖縄記念公園開園以後
1992年(平成4年)11月2日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建されたことで、首里城公園(国営沖縄記念公園)が開園した。首里城を中心とした一帯が首里城公園として整備・公開がすすめられ、正殿の裏側にあたる城郭や建築物群の再建事業も引き続き行われた。2000年(平成12年)には首里城跡(しゅりじょうあと)として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録された。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(100番)に選定された (略)

・2019年の火災による五度目の焼失 (略)
2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生、正殿と北殿、南殿が全焼した (略)

・令和の再建 (略)
2019年に焼失した正殿再建の起工式が2022年11月3日に沖縄県那覇市の首里城公園内特設会場で行われた。26年秋の完成を目指す

首里城の構造
日本の他地域の城とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けている。門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われ、各部の装飾には国王の象徴である龍が多用された。また、戦乱のない琉球王朝時代に再建されていることもあり、軍事目的よりも政治の中心地としての役割を中心にして設計されている。城郭は他のグスク同様、琉球石灰岩で積み上げられている。
首里城は第二尚氏王朝時代の15世紀後半から16世紀前半にかけて建設された外郭と、第一尚氏王朝時代の15世紀前半ごろに建設された内郭という二重の城壁に囲まれ、御庭(うなー)と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中している (略)
旧来の城壁は一部に残っており、新しい城壁の建設の際に発掘され利用されたため、地表近くに旧来の城壁の姿を見ることができる。これが唯一残ったオリジナルの首里城の遺構である。首里城の復元建物群は文化財にも世界遺産にも該当しない

・宗教的役割
首里城は政治・軍事の拠点であるとともに、琉球有数の聖域でもある。以前は城内には十か所の御嶽があり、また首里城内郭の南側の大きな範囲を「京の内(けおのうち)」と呼ばれる聖域が占めていた「京の内」は十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所であった (略) 敷地内の御嶽等は単なる遺跡ではなく、現在に至るまで信仰の対象であった。琉球大学があった頃には、立ち入りが自由であった (略) しかし、首里城の復元によって無断の立ち入りが禁止となってしまった。このため「首里城の建物は復活したが拝所としては破壊された」との声もある。

・城内施設
正殿 / 北殿 / 南殿・番所 / 書院・鎖之間 – ともに国の名勝 / 御庭 / 奉神門 / 継世門 / 右掖門 / 供屋(万国津梁の鐘) – 元の用途はよくわかっていない / 日影台 / 広福門 / 首里森御嶽 / 京の内 / 漏刻門 / 弁財天堂 / 円鑑池 / 久慶門 / 系図座・用物座 / 瑞泉門 / 龍樋 / 歓会門 – 尚真王の代に創建されたとされる正門。石造りのアーチ門の上に櫓をのせた形式 / 木曳門 – かつては資材搬入用の門であり通常は石でふさがれていた。現在は車椅子用経路に使われている / 淑順門 / 西のアザナ / 龍潭 / 園比屋武御嶽石門 / 守礼門 – 尚清王の代に創建され、中国からの使節を王が出迎えたという。1958年に復元された / 円覚寺 / 首里杜館 (略)

Wikipediaより:首里城の全体図-1-正殿-2-北殿-3-南殿-4-奉神門-5-番所-A-守礼門-B-歓会門-C-瑞泉門-D-漏刻門-E-広福門-F-久慶門-G-右掖門-H-木曳門

https://ja.wikipedia.org/wiki/首里城

少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます

  • 首里城は、現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園になっている琉球王国中山首里(=現在の沖縄県那覇市)の那覇港を見下ろす丘陵地」にあったグスク(御城)の城趾で、創建年代は明らかではないが、近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定されおり、王家の居城としての利用開始され、「首府として栄えた首里」の中心であったと考えられているらしい
  • 首里城は、政治・軍事の拠点であったと認識されるが、その構造は日本の他地域の城とは異なり、中国の城の影響を大きく受けていると言われ、戦乱のない琉球王朝時代に再建されていることもあって「軍事目的よりも政治の中心地としての役割を中心にして設計されている」と言われ、また宗教的役割をもった「琉球有数の聖域(いくつかの御嶽もあるらしい)」とも考えられているらしい
  • 戦前の1929年には、国宝(旧国宝)に指定され正殿は県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代国王が祀られ2000年には首里城跡として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録され(首里城の復元建物群は文化財にも世界遺産にも該当しないらしいですが…)、2006年には、日本100名城に選定された
  • しかしその歴史は苦難の歴史で、1453年の王位争い(志魯・布里の乱)や1660年 / 1709年の火災、太平洋戦争中の沖縄戦、2019年の火災等で、幾度となく(計5回?も)焼失してしまった歴史を持ち、現在令和の再建として、焼失した正殿再建の起工式が2022年に行われ、26年秋の完成を目指している(2024年12月時点)

Wikipediaより

つまり、

首里城は、創建年代は明らかではないが、王家の居城としての利用開始され、「首府として栄えた首里」の中心であったと考えられているグスク(御城)趾で、その構造は日本の他地域の城とは異なり、中国の城の影響を大きく受けていると言われ、戦乱のない琉球王朝時代に再建されていることもあって「軍事目的よりも政治の中心地としての役割を中心にして設計されている」とも言われ、また宗教的役割をもった「琉球有数の聖域(いくつかの御嶽もある)」とも考えられ、戦前の1929年には国宝(旧国宝)に、2000年には首里城跡として世界遺産に(首里城の復元建物群は文化財にも世界遺産にも該当しない)、2006年には日本100名城に選定されたお城であるが、幾度となく(計5回?も)焼失してしまった歴史を持つ現在再建中のお城

と言った理解をさせて頂いた次第です。

【首里城の周囲も含めた見所】

上記、首里城の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらのパートでは、その見所を、周囲の情報と併せて見て行きたいと思います。今後の首里城における大人散策のプランニングの内容になりますので、以下皆様の参考にもなれば幸いです(尚、実際の訪問タイミングは、首里城の再建・復活後のタイミングを前提にしております)。

・「市立病院前駅」をスタートし、西から南に回り込んで「守礼門」を目指す

私達夫婦の居住地は埼玉の川越ですので、沖縄ヘは飛行機での移動になると思います。故に、基本は公共交通機関の利用を想定する為、スタートは「市立病院前駅」を想定します。首里城には西にある「中山門跡」・「玉陵」等を拝見しつつ、「守礼門」から参らせて頂こうと思います。しかし折角ですので「玉陵」から少し南側に回り込んで「金城町石畳道」・「真珠道の石畳」・「首里城跡の石碑」・「首里杜館前芝生広場」等も、ウォーミングアップ的に拝見し、守礼門に参りたいと思います。

・「守礼門」から無料エリアを周遊し「下之御庭(しちゃぬうなー)」へ

守礼門」から事実上の首里城内部の大人散策開始になる認識ですが、どうやら首里城は「無料エリア」と「有料エリア」に分かれているようです。「有料エリア」は、「下之御庭(しちゃぬうなー)」から東側の「首里城中枢エリア」になる様ですが、まだ脚を運んだないので詳細は見えていません。であれば、まずは「無料エリア」を、東に西に+北に南にとにかく散策し、首里城を十二分に歩きつくす力技で臨みたいと思って折ります。しかしその際、少なくとも「歓会門」・「久慶門」・「瑞泉門」・「木曳門」・「西のアザナ」・「京の内」・「物見台」と言ったポイントだけは、見落とさずしっかり拝見し、周囲の景観と共にこの地域歴史に思いを馳せつつ散策させて頂こうと思っています(ただ歩くだけでは、大人散策ではなくなってしまうので…)。そして出来れば「国王頌徳碑(復元)」・「園比屋武御嶽石門」・「龍樋」・「漏刻門」・「日影台」等も拝見し、信仰対象であると認識し、城内にいくつかある「御嶽;寄内ノ御嶽・京ノ内御嶽・首里森御嶽等?」等も拝見し、この地域の宗教感も感じる事が出来たら良いかと思って折ります。

下之御庭(しちゃぬうなー)」から有料エリア最東端の「東のアザナ」へ

首里城の「無料エリア」を縦横無人に散策した後は、いよいよ「下之御庭(しちゃぬうなー)」から「首里城の中枢エリア(=有料エリア?)」に脚を運びたいと思います。上記にも記載しました通り、まだお邪魔できていない首里城ですので「首里城の中枢エリア(=有料エリア?)」内部の状況も、明確な範囲も解りませんが、少なくとも「奉神門」・「御庭」・「正殿」・「北殿」・「番所」・「南殿」・「書院」・「淑順門」等は必ず拝見する様心がけて、首里城復活の歴史に思いを馳せつつじっくいりと進み、「奥書院」・「黄金御殿」・「世誇殿」・「金蔵跡」・「ガマ遺構」・「白銀門」・「寝廟殿」も何処まで拝見できるか不明も見学して、この「首里城中枢エリア(有料エリア)」の最も東にある「東のアザナ」を目指して進んで行きたいと思います。そして、「東のアザナ」で沖縄の景色を堪能した後は、再び西に進路を取って有料エリアを出て、「下之御庭(しちゃぬうなー)」から首里城の南に進路を取ろうと思います。

・「東のアザナ」の後は有料エリアを出て南⇒東⇒北に回り込んで「首里駅」へ

東のアザナ」の後、有料エリアを出て、下之御庭(しちゃぬうなー)から首里城を、南⇒東⇒北に回り込んで「首里駅」を目指したいと思います。ただ繰り返しで恐縮ですが、未訪問の為、お城の構造がいまいち見えず、どのルートが適切か見えて折りません。故にやっぱり力技で散策を進めるのですが、一番のポイントは首里城の滑らかで曲線が美しい特異な石垣を周囲から拝見する事になります。正確な事は少々不明で記憶の中の話ですが、首里城の石垣は『サンゴの死骸等をベースとする「琉球石灰岩」』で作られている認識です。日本の他の城郭では見る事が出来ない石垣の認識ですので、「美福門」・「アカタ御ヂヤウノ御嶽」・「継世門」・「首里森の御岳」・「国中城の御嶽」・「円覚寺仏殿跡」等も巡りつつ(これらのスポットを目指せばおのずと石垣を堪能できるはず?)、高低差を乗り越え、南⇒東⇒北に首里城を回り込んで、は「首里城の滑らかで曲線が美しい特異な石垣」を周囲から拝見させて頂き、その後「国王頌徳碑」経由で「首里駅」に向かい、首里城での大人散策をコンプリートさせて頂こうと思う次第です。

・プラス α で、沖縄の他の大人観光スポットへも…

上記、首里城の大人散策情報(プランニング版)を記載いたしましたが、埼玉の川越から沖縄に参るのであれば、首里城だけではなくもう2泊位して、沖縄の他の気になる大人観光スポットへも脚を伸ばしたいと思って折ります。そのスポットとは、「ガンガラーの谷」・「玉泉洞」・「平和祈念公園」・「ひめゆり平和祈念資料館」・「中城城跡」・「勝連城跡」・「青の洞窟」・「万座毛」・「美ら海水族館」等になります。「沖縄の苦難の歴史」・「自然」・「首里城以外の城跡」に関連するスポットを巡りつつ、少しでも沖縄と言う地域を学び、感じたいと思っている次第です。尚これらの大人観光スポットは、車でなければ回る事は難しいと思うので、2日程レンタカーを借り、のんびり、しかし、もし追加があれば都度柔軟に巡らせて頂ければ、より沖縄を知る事が出来るんでないかと思った次第です。

Wikipediaより

【最後に】

以上が、戦争や火災で幾度となく焼失してしまうも、その都度復活してきた『旧国宝24城の1つ・首里城』の大人散策情報(プランニング版)を紹介」させて頂いた内容になります

現時点では、首里城は再建中ですので、実際の訪問はしばらくの後になると思いますが、火災により焼失してしまった「首里城の復活」は是非とも拝見したいと思って折ります。それは、歴史上、幾度となく被害を受け、それでも復活してきた首里城の歴史を肌で感じる事が出来れば、自身のエネルギー補充にもなると思いますし、地域の方々の首里城に対する思いを感じる事が出来るのでないかと思う為です。いつのタイミングになるか不明ですが、実際に訪問できた暁には本ブログで報告させて頂きたく存じて折ります!

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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