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【はじめに】
こちらのページでは、「国津神一族の琵琶湖周辺での拠点と思われ、日本神話とも関連がありそうで、神猿(まさる)が有名な『山王信仰の中心拠点・日吉大社』の概要を抑え、大人散策に付き検討」をさせて頂こうと思います。
皆様は、日吉大社をご存じでしょうか? 本ブログ別記事の「狛〇シリーズ」でも記載しましたが、「日吉大社は、神猿(まさる)で有名な、日吉・日枝・山王の冠を持つ神社の総本社」と理解しております。つまり「日吉・日枝・山王の冠を持つ神社の総本社」という事は、言い換えれば「山王信仰の大本」と言って良い神社が「日吉大社」だと思っている次第です。
同時に、祭神は「地主神(=元々その土地にいた神?)」と言われる「大山咋神(スサノオの孫?)」と「大己貴神(大国主=スサノオの子孫?)」で、国津神系の神社。出雲地方を中心拠点としていた国津神一族を「地主神」とするという事は、「天津神一族が進出する前に、国津神一族が進出していた地域?」と妄想が膨らんでしまう神社で、非常に魅力を感じる神社でもあります。そんな個人的妄想を持ってしまう「日吉大社」ですが、まだお伺いできておらず、妄想ばかりが膨らんでしまう神社でもある次第です(別記事で、上記妄想に基づいた「日本神話の時系列に関する考察」を記載して折ります)。
こちらのページでは、上記の様な妄想をしてしまう魅力的な「日吉大社」に付き記載いさせて頂きます。すなわち、「国津神一族の琵琶湖周辺での拠点と思われ、日本神話とも関連がありそうで、神猿(まさる)が有名な『山王信仰の中心拠点・日吉大社』の概要を抑え、大人散策に付き検討」をさせて頂こうと思います。
【「日吉大社」とは?】
まずは「日吉大社」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報集させて頂きますと以下の様にあります(引用長く、以下にポイントをまとめておりますので、読まなくても大丈夫です)。
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていた。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。境内大宮橋は日本百名橋に選定されている。
全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿が神使で神猿(まさる)とする。西本宮と東本宮を中心とする400,000平方メートルの境内は国の史跡に指定されている (略) 鳥居は、その上部に比叡山延暦寺を示す山形をのせる独自の形式で「山王鳥居」(合掌鳥居、総合鳥居)と呼ばれる。歴史
(略) 日吉社の東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂にある大山咋神が降り立ったという磐座・金大巌(こがねのおおいわ)を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、比叡山の地主神である大山咋神を祀るために崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である。
西本宮の祭神・大己貴神については、近江大津宮(大津京)遷都の翌年である天智天皇7年(668年)、大津京鎮護のため大和国大神神社の祭神である大物主神を大己貴神として勧請し、新たに西本宮を建てて祀ったという。これは大己貴神の別名である大国主神の和魂が大物主神であると日本神話に書かれているため、両神が同じ神とみなされたためである。以降、元々の神である東本宮・大山咋神よりも、西本宮・大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた (略)東本宮本殿(国宝) 東本宮本殿後ろ側(国宝) Wikipediaより:東本宮本殿(国宝) 延暦寺が勢力を増してくると、やがて日吉社と神仏習合する動きが出て、日吉社の神は唐の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになり、延暦寺では山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いていくようになる (略)
こうして日吉社は延暦寺と次第に一体化していき、平安時代中期には八王子山の奥に神宮寺が建てられている。また、日吉社の参道沿いには延暦寺の里坊が立ち並ぶようになっていく。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社の山王信仰も広まって全国に日吉社が勧請・創建され、現代の天台教学が成立するまでに与えた影響は大きいとされる (略)
嘉保2年(1095年)10月、延暦寺の大衆と日吉社の神人が初めて日吉社の神輿を担ぎ出して(神輿振り)、小競り合いで誤って僧を殺してしまった美濃守源義綱を流罪にさせようと要求するため、義綱の主である関白藤原師通がいる都に向け強訴を行なった。朝廷はこれを防ごうと源義綱と源頼治を出陣させて防衛にあたらせたが、その際に神輿に矢が刺さる事件が起きている (略) その後延暦寺が藤原師通を呪詛し、承徳3年(1099年)6月に師通が亡くなると、延暦寺はそれを日吉社の神輿の神威であると喧伝したため、朝廷にとっては日吉社の神輿は畏怖の対象ともなっていった (略) 『平家物語』の巻一には、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話があるなど、絶大な権力を有する天皇ですら制御できない存在となっていた (略)元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより、日吉社も全て焼かれて灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から慶長2年(1597年)にかけて再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、日吉三橋などの建造物がこの時代に構築されている (略)
1868年(明治元年)、神仏分離令が出ると日吉社は率先して仏教色を一掃し、延暦寺から独立して社名を日吉大社とした (略)
1871年(明治4年)、西本宮が官幣大社となる。
1928年(昭和3年)、東本宮も官幣大社となる
太平洋戦争後の1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
2006年(平成18年)6月7日、歴史的風土特別保存地区に指定された。
2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される (略)祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。■本宮
・西本宮:大己貴神(大物主に同じ)
・東本宮:大山咋神■5摂社
・牛尾宮:大山咋神荒魂 – 大山咋神の荒魂
・樹下宮:鴨玉依姫命
・三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 – 鴨玉依姫命の荒魂
・宇佐宮:田心姫神
・白山宮:白山姫神 (略)■文化財
・国宝
>西本宮本殿 – 天正14年(1586年)再建。
>東本宮本殿 – 文禄4年(1595年)再建。西本宮拝殿 西本宮本殿(国宝) Wikipediaより:西宮拝殿/本殿(国宝) ・重要文化財
以下の建造物は東照宮(江戸時代の建立)を除いて安土桃山時代の建立である。
>西本宮拝殿
>西本宮楼門
>東本宮拝殿 附:旧天井格縁 1本
>東本宮楼門
>摂社宇佐宮 2棟
・本殿
・拝殿
>摂社樹下神社(じゅげじんじゃ) 2棟 – 樹下神社は東本宮と同じ敷地にあり、
東本宮の参道と樹下神社の参道が直角に交わる、特異な配置になっている。
・本殿
・拝殿
>摂社白山姫神社 2棟
・本殿
・拝殿
>摂社牛尾神社 2棟 – 牛尾神社と三宮神社は八王子山に位置し、拝殿は懸崖造になっている。
・本殿
・拝殿
>摂社三宮神社 2棟
・本殿
・拝殿
>末社東照宮 3棟(日吉東照宮参照)
・本殿・石の間・拝殿(1棟)
・唐門
・透塀
>日吉三橋 3基 – いずれも石橋である。
・大宮橋
・走井橋
・二宮橋
>日吉山王金銅装神輿 7基 (略)
また、日吉大社を理解する際、必要不可欠な「山王信仰」についても、Wikipedia の力を借り調べてみますと、以下の様にあります。
山王信仰(さんのうしんこう)とは、比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)より生じた神道の信仰である (略)
山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉大社で祀られる神の別名であり、比叡山に鎮まる神を指したものである。
日吉神社・日枝神社(ひよしじんじゃ、ひえじんじゃ)あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社を勧請した神社で、大山咋神と大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。
神仏習合期には「山王権現」や「日吉山王」とも称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。なお、日吉大社では猿を神使とするが、猿との関連性についてはよく分かっていない。おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。 (略)Wikipediaより:比叡山延暦寺の様子 歴史
■日吉大社の創建と延暦寺
日吉大社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、後に近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神(おおものぬしのかみ)を勧請しともに祀られた。
比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた。延暦寺を開いた最澄は寺の周囲に結界を定め、その地主神を比叡山の「諸山王」として比叡社に祀った (略) 最澄にとって、「山王」とは山の地主神を仏教的に表現したものであるといわれる (略)
少々引用が長くなってしまったので、以下にサマリとして、ポイントを列挙します。
- 日吉大社(ひよしたいしゃ)は、かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれ、通称では「山王権現」とも呼ばれ、猿を神使(=神猿(まさる))とする、滋賀県大津市坂本にある神社で、式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社でもあり、全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社
- 現在、西本宮の祭神は「大己貴神(=大国主≒大国主の和魂が大物主神)」、東本宮の祭神は「大山咋神」で、元々は、比叡山の地主神である大山咋神を祀るために10代崇神天皇(もしかしたら実質的初代天皇?)の時代に創祀されたものとも伝えられており、西本宮の祭神・大己貴神については、近江大津宮(大津京)遷都の翌年である天智天皇7年(668年)が、大津京鎮護のため大和国「大神神社」の祭神である大物主神を大己貴神(=大国主)として勧請したといわれる(「大物主神は、大己貴神(=大国主)の和魂」と言われる)
- その後、延暦寺の勢力拡大と共に、延暦寺と日吉社は神仏習合の動きが出てきて、日吉社の神は天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって「山王権現」と呼ばれるようになり、大山咋神・大己貴神(≒大物主)は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた為(延暦寺を開いた最澄にとって「山王」とは山の地主神を仏教的に表現したものであるといわれるらしい)、延暦寺では山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて「山王神道」を説いていくようになったらしい
- 平安期には、延暦寺の僧と日吉社の神人が初めて日吉社の神輿を担ぎ出す「強訴」を行うようになり、朝廷にとっては日吉社の神輿は畏怖の対象ともなっていき、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話もあり、絶大な権力を有する天皇ですら制御できない存在となっていたらしい
- 戦国期になると、織田信長の比叡山焼き討ちにより、日吉社も全て焼かれて灰燼に帰してしまうが、その後の豊臣秀吉や徳川家康は山王信仰が篤かった為、日吉三橋などの建造物がこの時代に構築された(現在見られる建造物は、安土桃山時代以降、1586年から1597年にかけて再建されたものが多数あるらしい)
- また現在では、西本宮本殿 (1586年再建)・東本宮本殿 (1595年再建)といった国宝と共に多くの重要文化財があるらしく、「山王鳥居」(合掌鳥居、総合鳥居)と呼ばれる独自形式の鳥居も見られ、西本宮と東本宮を中心とする400,000平方メートルの境内は国の史跡に、境内大宮橋は日本百名橋に選定され、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産にも認定されているらしい
- 明治元年に神仏分離令が出ると日吉社は率先して仏教色を一掃し、延暦寺から独立して社名を日吉大社とし、社格としては、明治4年には西本宮が官幣大社に、昭和3年には東本宮も官幣大社となって、太平洋戦争後の1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社になっている
つまり、日吉大社を出来るだけ簡素に理解すると『元々は、実質的な初代天皇とも言われる10代・崇神天皇によって『地主神』として大山咋神(=スサノオの孫にあたる国津神の一人の認識)を祭る事に始まった神社で、その後、大己貴神(≒大物主の和魂)を祭り、延暦寺の勢力拡大に伴い「山王信仰」が生まれ、平安期には「強訴」で朝廷を苦しめ、戦国期には「信長の焼き討ち」にあうも、秀吉や家康の援助もあり復活し、明治期以降はかなりの社格の神社となって、現在では国宝本殿と多くの重要文化財も拝見できる「神使・神猿」が魅力の日吉・日枝・山王神社の総本社』と理解した次第です。同時に、本ブログ別記事にて記載しましたが、「日本神話の国譲り」前、この琵琶湖周辺は「国津神一族の支配領域?」とも思ってしまった次第で、「日吉大社は、日本神話とも関連がありそうな、神猿(まさる)で有名な、山王信仰の中心拠点」と認識してしまいました。
(別ページにて、①日本書記 vs 古事記 (日本書紀とは? 古事記とは? 日本神話とは?) 、②天地開闢の神々の分類と国生み (別天津神・造化三神・神世七代・天津神・国津神とは?) 、③天照大御神 vs 須佐之男命 (黄泉国神話と天照大御神 vs 須佐之男命の誕生・誓約の神話とは?)、④アマテラスが岩屋れる「天岩屋神話」とは? (天孫降臨神話への序章?)、⑤「スサノオによるヤマタノオロチ退治の神話」とは?、⑥大国主関連の神話 (因幡の白兎& その後(スサノオの住む根国訪問)・国作り神話とは?)、⑦大国主関連の神話 (国譲り神話とは?)、⑧天孫降臨とは?、⑨ニニギと息子2人(海幸彦・山幸彦)ってどんな人?、⑩神武東征とは?、⑪ヤマトタケル(日本武尊)ってどんな人?、⑫日本神話の全体図を勝手に理解、⑬日本神話の全体図から “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想、⑭天皇家の「欠史八代」って何?、⑮神話の時代から天皇家の家系を三種の神器って何?、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです)
【日吉大社の大人散策をプランニング!】
上記、日吉大社の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では、日吉大社の大人散策情報を共有させて頂きます。最下部のMapをご参照頂きつつ、ご一読いただければ幸いです(Google My Map で作成しておりますので、スマホで自身の位置を確認しつつ大人散策の遂行が可能です(ただ、歩きスマホはNGで…))。
■スタートは「西湖線・比叡山坂本駅」or「石山坂本線・坂本比叡山口駅」
少々土地勘が無い為、イメージついていませんが、最寄り駅は「西湖線・比叡山坂本駅」、もしくは「石山坂本線・坂本比叡山口駅」になる様です。西湖線・比叡山坂本駅からであれば、1~1.5㎞程、石山坂本線・坂本比叡山口駅からであれば、5・600m位で、「日吉大社の赤鳥居」が見えてくるようです。赤鳥居の手前には「穴太衆積みの石垣」もあるようですので、拝見しつつ鳥居をくぐると、川(大宮川?)を超える橋・「大宮橋(重要文化財で、日本百名橋の1つらしい)」を渡れるようです。また、下流には「走井橋(重要文化財)」もあるようですので、そちらも拝見しつつ歩を進めると、山形の装飾が目を引く独自形式の「山王鳥居(合掌鳥居、総合鳥居)」があり、その先には「神使・神猿」の象徴という事でしょうか「神猿舎」が有るようですので、お猿さんにもご挨拶させて頂こうと思っております。
■「神猿舎」の次は「日枝大社西宮」へ
「神猿舎」の次は「日枝大社西宮」を目指します。重要文化財の「西宮楼門」・「西宮拝殿」を拝見しつつ西宮の祭神「大己貴神(=大国主)」にご挨拶申し上げ、日本神話に付き妄想しつつ、1586年再建と言われる国宝・「西宮本殿」を(何処まで見れるか不明ですが)じっくり拝見させて頂こうと思います。その後「宇佐宮拝殿・本殿(重要文化財)」、「白山姫神社拝殿・本殿(重要文化財)」と重要文化財の ”はしご” をさせて頂きたいと思います。
■「白山姫神社」の次は「日枝大社東宮」へ
「白山姫神社」の次は「日枝大社東宮」を目指します。重要文化財の橋「二宮橋」を経由して、「神使・神猿」をイメージできるらしい「猿岩」も拝見し、「東本宮楼門(重要文化財)」・「東本宮拝殿(重要文化財)」、更には国宝「東本宮本殿」も拝見しつつ「大山咋神」にご挨拶させて頂きたいと思います。「大山咋神」は「地主神」という事で、「元々この地域は、国津神系一族の拠点であったと妄想」する根源になったご祭神ですので、日本神話の世界を妄想しつつご挨拶申し上げるべきと思った次第です(別記事で、上記妄想に基づいた「日本神話の時系列に関する考察」を記載して折ります)。尚、「東本宮」のお参りをしつつ、重要文化財である「樹下神社の拝殿・本殿」も併せて拝見させて頂きたいと思っております。
■「東本宮」で「大山咋神」にご挨拶申し上げた後は「牛尾・三宮神社」へ
「東本宮」で「大山咋神」にご挨拶申し上げた後は、少し距離が有るようですが、重要文化財の拝殿・本殿が拝見できる「牛尾・三宮神社」参らせて頂こうと思います。整備はされているようですが、それなりの距離がある斜面の山道の様ですので、ハイキング気分でその参道を進んで行きたいと思っております。尚この付近は「八王子山城跡」でもあるようで(東京の山城・八王子城は別記事で記載して折りますが…)、眺めも素晴らしいようですので、その地域の歴史と眺望(琵琶湖の眺望が楽しめるらしいです)も併せて楽しませて頂こうと思っております。
■「牛尾・三宮神社」の次は「東照宮」を経由し「比叡山延暦寺」へ
「牛尾・三宮神社」で重要文化財の拝殿・本殿を拝見し、八王子山城で歴史を感じ、琵琶湖の眺望を楽しんだ後は、山を下って「日吉東照宮社殿」を目指します。本ブログ別記事で、三大東照宮を含め、日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮・仙波東照宮等、様々な東照宮を紹介してまいりましたが、江戸幕府草創期の側近僧侶で、坂本城城主であった明智光秀と同一人物説もある天海の仕業か、こちらにも「東照宮(日吉)」が有るようで、「本殿・石の間・拝殿 / 唐門 / 透塀が重要文化財」との事。他の東照宮との比較も楽しみつつ、重厚な建造物を拝見させて頂きたいと思います。また、日吉東照宮を拝見した後は、ケーブルカーで「比叡山延暦寺」にも足を延ばしたいと考えております。日吉大社と言えば「山王信仰」。日本の神仏習合の歴史から生まれたとも言って良いと思う信仰ですので「山王信仰」における「日吉大社の神社の側面」と「比叡産延暦寺のお寺の側面」の両面で、日本の神仏習合の歴史を出来る限り感じるべきと思っております。
■その他のスポットも
上記「日吉大社」を中心に「延暦寺」等も含んだ大人散策情報を記載いたしましたが、この地域は、かつて日本の中心でもあった地域。その象徴である「近江大津宮跡(飛鳥時代に天智天皇が営んだ都)」を初め「近江神宮(ご祭神:天智天皇)」・「建部大社」もあり、更には「琵琶湖の浮城」とも言われる「坂本城跡(築城主は明智光秀)」や「膳所城跡(三大湖城の一つでも)」・「大津城跡」「瀬田城」もあります。こういった日本の歴史を感じる事が出来るスポットも多数ありますので、併せて大人散策を楽しませて頂いても宜しいのではないかと思った次第です。
以上が、琵琶湖の西から南にかけて、『「日吉大社」を中心とした大人散策情報』になります。大人散策のプランニングをしてみると、「神話の時代から日本の歴史を感じる事が出来るこの地域は、本当に大人散策をする上で、魅力的なエリア」に改めて思えた次第です。
【最後に】
以上が、「国津神一族の琵琶湖周辺での拠点と思われ、日本神話とも関連がありそうで、神猿(まさる)が有名な『山王信仰の中心拠点・日吉大社』の概要を抑え、大人散策に付き検討」をさせて頂いた内容になります。
「日本神話の国譲り」前、この琵琶湖周辺は「国津神一族の支配領域?」と妄想してしまった「日吉大社」ですが(別記事で、上記妄想に基づいた「日本神話の時系列に関する考察」を記載して折ります)、周囲の「比叡山延暦寺」・「近江神宮」・「建部大社」と言った有名所の神社仏閣や「膳所城」・「坂本城」・「大津城」等のお城にも併せて大人散策をしたいと思え、地域その物が非常に魅力的なエリアに見えた次第です。まだお伺いできていない地域の為、妄想ばかりが膨らんでしまっているエリアでもありますので、是非一度お伺いし、この地域の魅力を存分に感じ取ってみたいと思ってしまいました。そしてこの地域を訪問できた暁には、大人散策の遂行状況と合わせ、こちらのブログで報告申し上げようと思います!
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。