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【はじめに】
こちらのページでは、「『日本の都・京都』の象徴と言って良い認識の『平安神宮』に関し、その概要と周囲を含めた大人散策スポットを紹介」させて頂こうと思います。
「鳴くよ鶯、平安京」。日本史を勉強した事がある方であれば、ほとんどの方が、ご存じのフレーズだと思います。『「鳴くよ=な・く・よ=794」で、794年に桓武天皇が、都を長岡京から、現在の京都中心地と言って良い「平安京」に遷都した年』として、語呂合わせで暗記した方も多いのでないかと思います。まっ、語呂合わせなので、鶯でも、鶏でも、鈴虫でもいいのですが、個人的には、「鳴くよ鶯、平安京」では、誰が遷都したかわからないので、「なくすよ “冠”、平安京(「な・くす・よ=794」 & 「かんむ・り=桓武・り」、平安京)」と覚えた事、記憶している次第です…。語呂合わせはさて置き、794年に桓武天皇が、都を現在の京都の中心に遷都し、その後、明治までの1100年近くの期間、天皇の玉座は京都にあり続けた訳なので「日本の都は京都」と言って良いと思うのは、私だけではないと思います。
そんな京都にある平安神宮の祭神は、その桓武天皇と京都に玉座が東京に移る直前の天皇(平安京を在所にした最後の天皇と言っても良い)孝明天皇。別の言い方をすると「平安京の最初と最後の天皇をお祭りする神社が『平安神宮』」と理解する次第です(現在「東京にある皇居」は、『「遷都」でなく「奠都」、すなわち「京都に加え東京も」と言った考え方のもので、東京を首都と定めた正式見解はない』ので、「京都は依然日本の都」と言っても良いかもしれませんが…)。
こちらのページでは、そんな印象を持っている「平安神宮」に付き記載いさせて頂きます。すなわち、「『日本の都・京都』の象徴と言って良い認識の『平安神宮』に関し、その概要と周囲を含めた大人散策スポットを紹介」させて頂こうと思います。
【「平安神宮」とは?】
まずは「平安神宮」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報収集させて頂きますと以下の様にあります(以下にポイントをまとめておりますので、引用読まなくても大丈夫です)。
平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都市左京区にある神社。794年(延暦13年)に桓武天皇により長岡京から平安京へ都が移され、1895年(明治28年)に遷都1100年を記念して桓武天皇と孝明天皇を祭神とし創建された。旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。
歴史
1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された (略) 社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元されて1895年(明治28年)に完成し (略) 平安遷都を行った天皇である第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。
皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)には、平安京で崩御した最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。平安神宮では京都を守る四神の御守が授与されている (略)
1976年(昭和51年)1月6日、火災(平安神宮放火事件)が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した (略) 全国からの募金により、本殿や内拝殿は1979年(昭和54年)4月に再建された (略)平安神宮の境内マップ (平安神宮のHP(https://www.heianjingu.or.jp/index.html)より) 社殿
社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものである。大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の応天門を模している。その内側の左右の殿舎は朝集堂の再現である。外拝殿は朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模している。1895年(明治28年)に完成、本殿は1976年(昭和51年)1月1日未明に出火した火災により焼失。1979年(昭和54年)4月に再建された。
基本的にはこれらの建築様式は、平安時代後期(11 – 12世紀)の第3次八省院(延久4年(1072年)再建、治承元年(1177年)焼亡)を再現したものとなっている (略) 2010年(平成22年)12月、大極殿など6棟が国の重要文化財に指定された。また、参道の大鳥居は24.4mの高さがあり、国の登録有形文化財に登録されている。
敷地面積は約10,000坪の日本庭園である「平安神宮神苑」を含め、約20,000坪ほどある。祭神
主祭神 – 桓武天皇、孝明天皇 (略)平安神宮のパノラマ・中央は大極殿(外拝殿) Wikipediaより
また、「平安京・平安神宮の生みの親」と言っても良い「桓武天皇」に関しても、Wikipedia にて情報収集させて頂きますと以下の様にあります(以下にポイントをまとめておりますので、引用読まなくても大丈夫です)
桓武天皇(かんむてんのう、737年〈天平9年〉- 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉)は、日本の第50代天皇(在位:781年4月30日〈天応元年4月3日〉 – 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉) (略) 平城京から長岡京および平安京への遷都を行った。また、践祚と日を隔てて即位した初めての天皇であり、桓武平氏の始祖となる (略)
平城京における肥大化した奈良仏教各寺の影響力を厭い、天武天皇流が自壊して天智天皇流に皇統が戻ったこともあって、当時秦氏が開拓していたものの、ほとんど未開の山城国への遷都を行う。初め延暦3年(784年)に長岡京を造営するが、天災や後述する近親者の不幸・祟りが起こり、その原因を天皇の徳がなく天子の資格がないことにあると民衆に判断されるのを恐れて、わずか10年後の延暦13年(794年)、側近の和気清麻呂・藤原小黒麻呂(北家)らの提言もあり、気学における四神相応の土地相より長岡京から艮方位(東北)に当たる場所の平安京へ改めて遷都した。
また、蝦夷を服属させ東北地方を平定するため、3度にわたる蝦夷征討を敢行 (略) 延暦20年(801年)の3度目の遠征で彼を征夷大将軍とする軍を送り、田村麻呂がアテルイら500人の蝦夷を京都へ護送した延暦21年(802年)に蝦夷の脅威は減退、延暦22年(803年)に田村麻呂が志波城を築いた時点でほぼ平定された (略)治世中は2度の遷都や東北への軍事遠征を主導し、地方行政を監査する勘解由使の設置など、歴代天皇の中でもまれに見る積極的な親政を実施したが、青年期に官僚としての教育を受けていたことや壮年期に達してからの即位がこれらの大規模な政策の実行を可能にしたと思われる (略)
桓武天皇 Wikipediaより
以下にサマリ的に、箇条書きでまとめさせて頂きます。
- 平安神宮は、京都市左京区にある、旧社格は官幣大社・勅祭社で、現在は神社本庁の別表神社の神社で、「794年に長岡京から平安京へ都が移された時の50代天皇・桓武天皇」と「平安京(京都)で最後の天皇である121代・孝明天皇」を主祭神とする神社
- 「明治中頃の1895年に平安遷都1100年を記念して京都で開催された “内国勧業博覧会” の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された『社殿』」は、「平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)」を縮小して復元したもので、大きく赤く光る朱色が特徴的な「正面の門」は、「朝堂院の応天門」を模しており、その「内側の左右の殿舎」は「朝集堂の再現」で、「外拝殿」は「”朝堂院の正殿” である “大極殿” (左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)」を模して、1895年(明治28年)に完成したが(創建も同じ年・1895年と認識)、1976年に火災(平安神宮放火事件)が発生し、本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失してしまう
- しかし、全国からの募金により、本殿や内拝殿は1979年に再建され、現在では、「大極殿など6棟」が「国の重要文化財」に、「24.4mの高さがある参道の大鳥居」は「国の登録有形文化財」に指定され、敷地面積は「約10,000坪の日本庭園」ある「平安神宮神苑」を含め、約20,000坪ほどあるらしい
- 現在、主祭神の一人である50代・桓武天皇は、2度の遷都をした天皇で(平城京(奈良)にて肥大化した奈良仏教各寺の影響力を嫌い、784年に長岡京(現在の京都府向日市・長岡京市・京都市西京区付近)を造営するが、天災や近親者の不幸等が起こったりした為、わずか10年後の794年には、平安京(現京都中心部)へ改めて遷都)、また、蝦夷を服属させるべく東北への軍事遠征を主導した天皇でもあり、桓武平氏の始祖でもある天皇
つまり、『平安神宮は、1895年と言う “近代” になってから、京都が日本の都であった時(東京の皇居に天皇が移動する前)の最初の天皇(桓武天皇)と最後の天皇(孝明天皇)を祭神とする神社で、10,000坪に及ぶ日本庭園が整備できる程の広い敷地に「平安京遷都当時の大内裏の一部が縮小復元された社殿」のある神社』と言った理解をさせて頂いた次第です。本ブログ別記事の「関東圏から京都への日帰り旅行」の記事でも紹介いたしましたが、平安神宮は一度参らせて頂いた事があります。もう10年以上昔の事ですが、当時は神社その物や社殿よりも「日本庭園」に志向が向いている時で、確かに素晴らしい建造物であった事は記憶していますが、どちらかと言うと日本庭園の方が印象に残っている次第です。ただ上記情報を改めて拝見すると、自身の無知を思い知らされ、今度は建造物もしっかり拝見する事を目的に訪問させて頂き、桓武天皇がどの様な心持で、遷都をこの地にしてきたのか、その心持に思いを馳せつつ、平安神宮を隅々まで大人散策させて頂きたいと思った次第です。
【平安神宮の大人散策をプランニング!】
上記、平安神宮の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では、その「平安神宮における大人散策情報」を記載させて頂きます。尚、最下部の地図は、そのスポットをGoogle My Map でポイントアウトしていますので、併せてご参照頂ければと思います(実際の大人散策においては、自身の位置を確認しつつ移動にご活用いただければ幸いと存じます(但し、歩きスマホはNGで…))
■平安神宮の建造物
前回の平安神宮訪問時、日本庭園をメインに訪問してしまった為、改めて訪問させて頂く際には「平安神宮の建造物」にも注目して大人散策させて頂きたいと思って折ります。
平安神宮のアクセスは、(前回は京都駅からタクシーで行きましたが)東山駅が、最寄りの駅になる様で、そこから北東に 500m 程進んだ所(徒歩であれば、10分しない程度の場所)に「大鳥居」があります。記憶の中のこの「大鳥居」は、かなりの迫力サイズだったと認識しているので、その迫力を感じ、平安神宮の大人散策を開始させて頂こうと思います。
上記「大鳥居」から北に 2 – 300m 程進むと、平安神宮の正門に行きつく認識です。『「平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)」を縮小・復元した社殿』との事ですので、『「朝堂院の応天門」を模した「正面の門;應天門と理解」』をくぐり、『「朝集堂の再現」と言われる「内側の左右の殿舎;額殿・神楽殿と理解』をじっくり拝見し、『「朝堂院の正殿」を模し、左右の「白虎楼・蒼龍楼」をと従えた「大極殿」=「外拝殿」』まで行って、それぞれをじっくりと拝見させて頂きたいと思た次第です。境内の敷地は広く、それぞれの建造物を拝見するには、右に左に移動しつつの見学になると思いますので、「どんな心持で桓武天皇は平安京に遷都してきたのか?」、「江戸末期の京都を孝明天皇はどんな心境で見ていたのか?」と言った妄想をしつつ、拝見させて頂きたく存じて負います。
■平安神宮の庭園
上記『前回の平安神宮訪問時、日本庭園をメインに訪問してしまった為、改めて訪問させて頂く際には「平安神宮の建造物」にも注目して大人散策させて頂きたい』と記載しましたが、折角平安神宮に脚を運んだのであれば、こちらの日本庭園を素通りする訳にはいきません。「白虎楼」の近くから「南神苑」⇒「西神苑」⇒「中神苑」⇒「東神苑」と周り、「神楽殿」の近くに出てくる事が出来る認識です。神宮の創建と併せて造営された池泉回遊式の日本庭園という事ですので、近代に作られた庭園と認識していますが、神社の中の庭園とあって、その雰囲気は、正に大人散策仕様と理解しており、厳かな気持ちで庭園を散策する事が出来る認識です。「南神苑」の「京都市交通局二号電車(日本で初めて営業運転された電車の車両で、創建と同じ明治28年に、京都市内で運行された縁で、神苑内に置かれているらしい)」や「東神苑」の「泰平閣・尚美館(貴賓館);両方とも京都御所から移築された建物らしい)」と併せて楽しませて頂こうと思って折ます。
■周囲の大人散策スポットも併せて
上記、平安神宮に付き記載しましたが、周囲の大人散策スポットも記載させて頂きます。本ブログ別記事でも記載いたしましたが、「京都は日本の都」ですので、皆様ご承知の通り、1日や2日で回りきる事は不可能なほどの大人散策スポットが多くあります。故に「京都大人散策分割作戦」として、「日帰りで何度もお邪魔する作戦」をとって、何度かお邪魔していますが、まだまだ参りたい大人散策スポットがあります。1週間くらいまとまった休暇を取っても、回り切れない程だと思って折ります。つまり、「京都大人散策分割作戦」としては、日帰りで参らせて頂く事は勿論、一つのスポットに行った際は、出来る限り周囲にある多くの大人散策スポットを回るべきだと思って折ります。今回、平安神宮を記載させて頂いたので、個人的なチョイスですが、平安神宮周辺の「気になる大人散策スポット」も以下にリスト形式で紹介させて頂きます。
- 東山慈照寺(銀閣寺):銀閣と呼ばれる建造物・観音殿は勿論、庭園も必見の認識
- 南禅寺・哲学の道:南禅寺界隈近辺は、大人散策の絶好のスポットの認識で、雰囲気のお裾分けを頂きたい
- 無理庵:東京の椿山荘でも有名な、山縣有朋ゆかりの庭園
- 知恩院:浄土宗・総本山の寺院で「国宝の三門と御影堂(本堂)」は圧巻、国の名勝・方丈庭園と併せて大人散策を楽しみたい
- 丸山公園:知恩院のすぐ近くの庭園で、日本庭園も楽しめる
- 八坂神社:日本三大曳山/山車祭の祇園祭で有名な八坂神社で、隋神様が守る西楼門も中々の迫力
- 祇園の街並み:京都の風情を感じる通り
- 建仁寺:苔の中庭が魅力の臨済宗建仁寺派の大本山の寺院
- 清水寺:「清水の舞台」や「音羽の滝」で有名な、就学旅行でも定番のスポット
- 方広寺:明智光秀と同一人物説が有る川越喜多院中興の祖・天海が絡む『「国家安康」・「君臣豊楽」』に言いがかりを付けた「方広寺鐘銘事件」の正にその梵鐘が拝見できる
- 豊国神社:別格官幣社で、現在は神社本庁の別表神社の豊臣秀吉を祀る神社
- 京都国立博物館:平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心にした文化財を拝見でき、正門・明治古都館(重要文化財)と言った建造物も魅力的な博物館
- 三十三間堂:千手観音を本尊とする天台宗の寺院で、33間(内側の桁行(建物の桁の長さ)が110mちょっとあるらしい)の桁行から三十三間堂と言われるが、正式名称は蓮華王院本堂
【最後に】
以上が、「『日本の都・京都』の象徴と言って良い認識の『平安神宮』に関し、その概要と周囲を含めた大人散策スポットを紹介」をさせて頂いた内容になります。
「平安神宮」と「平安神宮の生みの親・桓武天皇」を含めた概要に加え、「平安神宮内の建造物・日本庭園」の大人散策情報、更には「平安神宮周辺の大人散策スポット」に付き記載させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 個人的には、上記記載の通り「前回は、日本庭園に志向が行ってしまい、建造物を詳しく見る事が出来なかったので、「今度お邪魔する際には、『日本庭園に加え、建造物により焦点を絞って大人散策』しよう!」と改めて思った次第です。また、平安神宮の大人散策スポットも記載させて頂きましたが、京都にはもっともっと大人散策スポットがある認識ですので、今回ご紹介申し上げたスポットに加え、更に調査も訪問もしていきたいと改めて思った次第でもあります。京都を知るには、まだまだ長い道のりになりそうですので、少しづつでも調査を継続し、訪問もさせて頂き、本ブログを更新していこうと思います。
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。