孫子と日本史⑫:「呉越同舟」 ~「”敵対” から “協調” へ:薩長同盟」 “同じ目的” が “同志” を生む~ (孫子と龍馬) 

孫子:呉越同舟

【「呉越同舟」のメッセージは?】

🔗 この記事は、「孫子の教え」に考察を加えた記事の1つです
▶︎【「孫子の教え一覧」(シリーズまとめ記事)】

本日は、「『孫子』の中に出てくる『呉越同舟』と言うワード(フレイズ?・センテンス?)に付き、その意味を抑えた上で、『具体的な例』を『日本史上の出来事』から考えてみたい」と思います(本ブログの別記事で、個人的に選んだ、「孫子の教え一覧」も記載していますので、併せてご参照ください)。

📚本記事で得られる情報📚
呉越同舟」の意味・メッセージを雑学も含めて理解
この「孫子の教え」における具体的な「日本史上で起こったエピソード」を考察

いつもいきなりですいません…。でも聞かせてください! 「呉越同舟」って、聞いたことありますか? 

正確に言うと「呉越同舟」という言葉自体は、孫子の中には、出てこない様ですが、出典は、孫子の様です。つまり…、孫子の中に出てくるのは、『古代中国の国で、敵対する「呉」の国の人と、「越」の国の人が、同じ船に乗り合わせた際、悪天候に見舞われ、船が沈みそうになったら、お互いに協力し合い、その難局を乗り越える様にするだろう』と比喩的に取り上げられている「例」の認識です。

そもそもこの比喩は、軍隊を統率するにあたり、どうやって実行していくかを説明する為に出した「例」で、互いに敵同士でも、それぞれが厳しい環境に置かれ、互いの利となる目的を共有できれば、協力し合う事が出来る」と言う事を説明するために出した「例」と考えて良いと思っています

参考 : 孫子”に関しては、Wikipedia の力を借りますと以下の様にあります。

『孫子』(そんし)は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書武経七書の一つ古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されている (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/孫子_(書物)

「2500年も前の兵法書」で、「古典の中の古典」と言う事でしょうか? 勿論、現代版のものしか、私には読む事は出来ませんが、「端的でシンプルな文章は、読む側の状況に応じて、理解でき、自身の考えを巡らせる為のベースとなる、原理原則が書かれた書物」、と言った認識を個人的に持っている次第です。
また、本ブログ別記事では、他の「孫子の教え」につき、「サマリ的に一覧でも記載しておりますし、「それぞれの “教え” を一歩深堀して記載」もしておりますので、宜しければ、是非ご参照ください!
兵は拙速を聞くも、未だ巧久しきを睹ざるなり、②風林火山、③迂直の計、④百戦百勝は善の善なるものにあらず、⑤彼を知り己を知れば百戦して殆うからず、⑥人を致して人に致されず、⑦囲師には必ずかく、⑧正を以って合し、奇を以って勝つ、⑨勝兵は鎰を以て銖を称るがごとく、⑩先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん、⑪善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず、⑫呉越同舟、⑬軍を縻す、⑭兵を形すの極は無形に至る、⑮死地に陥れて然る後に生く、⑯君命に受けざる所あり、⑰爵禄百金を愛んで敵の情を知らざる者は不仁の至りなり

また、別の視点から考えると「風林火山が上げられると思います。

故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し、郷を掠めて衆を分かち、地を廓めて利を分かち、権を懸けて動く)』と孫子中にはあり、武田信玄の軍旗にもなったフレーズがありますが(前半部分だけですが)、いつの間にか、「風林火山」と言われる様になった事象と同じで、メッセージを込めた、四文熟語として、「呉越同舟」が一般的になったという見方をして良いという認識です(風林火山に関しては、別記事で記載しています)

【「呉越同舟」の日本史における実例は?】

では、日本史の中において、この「呉越同舟」の例を考えてみますと、即座に(四文字熟語的な繋がりからか…)「薩長同盟」の言葉が、浮かんできました。皆さんご承知の、有名な歴史的な出来事だと認識していますが、改めてWikipedia で調べてみますと、以下の様にあります。

”(略) 禁門の変の結果、朝敵となった長州藩は幕府から第一次長州征討を受けるなど、非常な窮地に陥ることとなった。一方で薩摩藩も自藩の主張する幕政改革の展望を開くことができず、大久保利通や西郷隆盛らを中心に幕府に対する強硬論が高まっていくこととなった。(略) 土佐藩の脱藩浪人で、長崎において亀山社中(後の海援隊)を率いていた坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋もあって、主戦派の長州藩重臣である福永喜助宅において会談が進められ、(略) 1月21日(18日、22日説も)小松邸で坂本を介して薩摩藩の西郷、小松と長州藩の木戸貫治が6か条の同盟を締結した

https://ja.wikipedia.org/wiki/薩長同盟

敵同士であった薩摩と長州が、対徳川幕府で、坂本龍馬・中岡慎太郎等の仲介により、手を組んだ」と言う事ですね。まさに、「呉越同舟の日本史における実例」と言って良いともいます(坂本龍馬・中岡慎太郎の出身地・高知長州毛利の礎となった厳島の戦いに関して、別記事でそれぞれ紹介しています)。

そしてこの同盟が、長州征伐の失敗、大政奉還(別記事で二条城を記載中)、王政復古(別記事で別格官幣社について別記事記載中)、戊辰戦争(別記事で、江戸における唯一の戦闘である上野戦争激戦地の会津終結の地函五稜郭について記載中)、明治維新とつながる「日本の歴史の大転換」につながっていく訳です。そう考えると、『坂本龍馬は、孫子の教えである「呉越同舟」を実践した人』と言えるとも思ったのは、私だけでしょうか?

【最後に】

上記の様な、勝手な考察をさせて頂きましたが、皆さまはどう思われましたでしょうか? 

「呉越同舟」。現代でも、「世界中の国で、内政の不満を外にそらす手法(自国の問題を外国のせいにする)」として、よく使われている認識です。ここで、「どこの国が」、と言うつもりはありませんが、こういった孫子の事を知っていると、それを先導している政治家に対しても、それに賛同している国民に対しても、「ちょっと、それってどーなの?」と言いたくなる事がよくありますが、「外に敵を作る事(=国内は一致団結の必要がある様に思わせる事)」で、国内をまとめようとしている」、もしくは「まとまろうとしていると言う事だと思います。

しかし一方で、目的をしっかりと共有し、組織のベクトルを合わせ、その力を最大化する事は、どのような組織でも、特にビジネスにおいては、重要な哲学である事良く解ります。ただ、孫子を読んでいていつも思うのは、「ポリシーは分かったけど、どうやって実現するの? そこが一番難しいんだけど・・・」、と言いたくなてしまうのでした・・・。

【あわせてお読み頂きたい! 関連記事…】
尚、本ブログ別記事では、他の「孫子の教え」につき、「サマリ的に一覧でも記載しておりますし、「それぞれの “教え” を一歩深堀して記載」もしておりますので、宜しければ、是非ご参照ください!

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