八ヶ岳

【はじめに】

こちらののページでは、山梨県と長野県にまたがる「八ヶ岳」の「概要」を抑えた上で、「八ヶ岳がくれた物(⇒大人観光スポット)」をご紹介致します。

私の出身地は、山梨県北杜市で、八ヶ岳の南側の麓にあたります。幼少の頃から慣れ親しんだ山で、通っていた小学校の校歌にも登場するほどです。現在は川越に居住していますが、「出身はどちら?」と聞かれた際は、ほぼ100%で「八ヶ岳の南側にある『山梨の北杜市』と言う所です!」と回答しています。大人になってからも、出身地を離れてからも「八ヶ岳」は、私にとっていつも傍らにいるような、大切な山です。

しかし、登山をする訳でなく、ある一定以上の標高位までしかいった事は無いからでしょうか(通称:鉢巻道路と言われる八ヶ岳高原ライン位まで)、八ヶ岳に属するそれぞれの山に関しては「八ヶ岳の最高峰は『赤岳』で、2899m」と言った知識に留まっている状態思い浮かべる八ヶ岳の姿も「南側から望む八ヶ岳」のみとい言った感じです。南側から望む八ヶ岳の景色が、正にいくつもの山々が折り重なっている景色で、最も「八ヶ岳」の名にふさわしいと思いつつも、「八ヶ岳ってどんな山があって、どんな特徴で、どんな楽しみ方があるの?」と聞かれると、「登山…」、「北杜市の観光情報…」、「長野側に行けば諏訪湖も近い…」と言った感じで、肝心の八ヶ岳自体の知識が乏しい事、この歳になって気付いてしまった次第です。

その為、こちらのページでは「八ヶ岳の概要」を調査した上で、「八ヶ岳がくれた物(⇒大人観光スポット)」をご紹介させて頂こうと思い、まとめさせて頂きましたので、以下ご参照頂けますと幸いです。

【八ヶ岳の概要】

まずは、八ヶ岳の概要を抑えるべく、Wikipediaを調べますと、以下の様にあります。(引用少し長いので、私が理解したサマリを後述しています)

八ヶ岳は北の蓼科山(標高2,530m)から南の編笠山(標高2,524m)まで南北約25kmの距離におよそ20の峰が連なる火山列である。また、その周囲の南北60km、東西25kmの範囲に火山噴出物がみられる。最高峰は赤岳(標高2,899m)。   

南北に長い八ヶ岳は夏沢峠を境界として北八ヶ岳と南八ヶ岳に分けられ異なる山容を示す北八ヶ岳の山々は、山頂部は比較的なだらかな峰が多く溶岩流や溶岩円頂丘などをよく残しており、山麓部はひだ状に開析された火山麓が広がる。北八ヶ岳では樹林帯が山稜近くまで続き湖沼も点在する。一方、南八ヶ岳の山々は、山頂部は侵食作用によって切り立った峰が連なり、山麓部には巨大な扇状地が取り囲んでいる  (略) これらのほとんどの領域が、八ヶ岳中信高原国定公園に指定されている。また一帯は、火山地帯のため、多くの温泉を有している  (略)   

山麓には伏流水が湧くため、特に西南側の裾野一帯にかけて縄文時代の遺跡が濃密に分布する。長野県側では井戸尻遺跡や尖石遺跡がある。山梨県側では縄文草創期の神取遺跡(北杜市、旧・北巨摩郡明野村)や青木遺跡をはじめ、諸磯式期の天神遺跡(旧・大泉村)がある。縄文中期には拠点集落が山麓地域から甲府盆地へ移るが、八ヶ岳山麓でも敷石住居群が見られる上ノ原遺跡がある。後晩期には全域的に遺跡数が減少するものの、金生遺跡(旧大泉村)は集落跡と祭祀施設が複合した遺跡で、縄文時代の精神文化が現れた配石遺構が見られる  (略)   

なお、「八ヶ岳」の由来は、「八百万」などと同じように、山々が多く連なる様子から「たくさん」という意味で「八」としたとも、幾重もの谷筋が見える姿から「谷戸(やと)」にちなんで名づけられたとも、文字通り八つの峰に見えるからとも、複数のいわれが存在する  (略) 

■南八ヶ岳

  • 編笠山 (2,524 m)
  • 西岳 (2,398 m)
  • 三ッ頭 (2,580 m)
  • 権現岳 (2,715 m)
  • 赤岳 (2,899 m) – 最高峰
  • 中岳 (2,700 m)
  • 阿弥陀岳 (2,805 m)
  • 横岳 (2,829 m)
  • 硫黄岳 (2,760 m)
  • 赤岩の頭 (2,656 m)
  • 峰の松目 (2,567 m)
  • 夏沢峠 – 南八ヶ岳・北八ヶ岳の境界

■北八ヶ岳

  • 箕冠山 (2,590 m)
  • 根石岳 (2,603 m)
  • 天狗岳 (2,646 m)
  • 中山 (2,496 m)
  • 丸山 (2,330 m)
  • >麦草峠 – 国道299号が通過
  • 茶臼山 (2,384 m)
  • 縞枯山 (2,403 m)
  • 北横岳(横岳) (2,480 m)
  • 大岳 (2,381 m)
  • 双子山 (2,224 m)
  • >大河原峠
  • 蓼科山 (2,530 m)  

神話

八ヶ岳には「富士山と背比べをして勝利したものの、富士山に蹴り飛ばされて八つの峰になった」という神話がある(「蹴り飛ばされた」の部分はその他にも説がある。例えば、背比べの際に用いた筒、すなわち富士山と八ヶ岳との間にかけて水を流し、どちらに流れるかを調べるのに用いた筒を持って富士山が八ヶ岳を叩いたなど)。また、同神話では蓼科山は八ヶ岳の妹で、八つの峰になった八ヶ岳を見て泣いて、それが川になり溜まったのが諏訪湖とされている。 ところで、八ヶ岳の最高峰の赤岳は国常立命の山だとされる。山麓の長野県茅野市には赤岳神社里宮が鎮座し、赤岳講の信仰も根強い (略)

かつて八ヶ岳は富士山より高い1つの山であって、噴火で頂上部が山体崩壊したという風説(実際、第四紀火山としての古阿弥陀岳が崩壊し、韮崎岩屑流が発生している)が太古から現在に至るまで存在しているが、現在は複数の火山の集合体である  (略)  

遺跡

広大な山麓には旧石器時代、縄文時代からの国宝級の遺跡、土器、土偶石器などが発掘されている。野辺山では約1万4千年前の旧石器時代の石器が、南佐久郡北相木村の洞窟からは縄文時代早期の人骨や生活用品が、それぞれ発掘されている。

茅野市の尖石縄文考古館には、この地方で発掘された出土品や、国宝に指定されている土偶(縄文のビーナス)仮面土偶(仮面の女神)などが展示されている。ほかには、富士見町の井戸尻遺跡、原村の阿久遺跡があり、和田峠の黒曜石などもよく知られている  (略) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/八ヶ岳

少々引用長くなりましたので、私なりの理解を以下に列挙致します。

  1. 八ヶ岳は、一つの山を指すのでなく、南北に約25㎞に、20程の山々が連なる火山列で、厳密に言えば「八ヶ岳連峰」が適切な理解と思われる   
  2. 南北約25㎞の八ヶ岳連峰は、夏沢峠を境に、北八ヶ岳(穏やか)と南八ヶ岳(荒々しい)に分けられ、八ヶ岳の大部分は、長野県になる(山梨県民としては残念…)    
  3. それぞれの山の標高を見てみると、2000m以上の山々が連なっている事理解できる    
  4. 火山の集まりなので、周囲には温泉も多く、七里岩(=韮崎岩屑流)等、その痕跡が多くみられる    
  5. 伏流水の湧き水も多く、縄文時代を超え、旧石器時代から(1万年以上昔)から人々が暮らしていた痕跡が数多く残る     
  6. 八ヶ岳の名の由来は、『山々が多く連なる様子の 「たくさん」 =「八」から」、『幾重もの谷筋が見える姿の「谷戸(やと)」から」、「八つの峰に見えるから」といくつかの由来がある    
  7. 神話/信仰の対象となる山   
    • 神話によると、八ヶ岳は富士山よりも高い山だった様で、富士山により八つ峰になった八ヶ岳を見て、妹の蓼科山(八ヶ岳にも様々な定義があるらしく、ここでは、蓼科山を八ヶ岳の一部とはしておらず「妹」)が涙を流し諏訪湖が出来た    
  8. 八ヶ岳連峰の最高峰/赤岳は、「国常立命」の山とされ、赤岳講の信仰も根強い 

2000m以上の山々が、約25㎞も連なる八ヶ岳連峰。確かに周囲には温泉も多く、名水百選に選ばれる湧水も多く、沢山の恵みを与えてくれている山である事、改めて実感した次第です。同時に、私が思い描く八ヶ岳の姿は、山梨の北杜市韮崎市方面からの姿なのですが、この姿は「南北25㎞に渡る八ヶ岳連峰の南側の側面でしかない」と言う事を再確認した次第で、これは八ヶ岳の姿の一部でしかないと思うと、少々「八ヶ岳の事をよく理解し、身近に感じ、良く知っている」と思っていた自分の事が、恥ずかしくなってしまいました…。一方で「この南側面の凝縮した峰々を望む姿が、正に八ヶ岳の名前を表した『八ヶ岳の顔』」とも思った次第です。

【八ヶ岳がくれた物 (⇒大人観光スポット)】

上記、八ヶ岳の概要を抑えましたので、こちらの段落では、「八ヶ岳がくれた物(⇒大人観光スポット)」をご紹介致します。「一般的な観光スポット」と言うよりも、「上記得る事が出来た知識と関連する大人観光スポット」と言った内容を中心に、個人的な思うスポットを紹介させて頂きます。

■八ヶ岳が残した地形と地名

上記にもある通り、八ヶ岳は、富士山の仕業か否かは別として、山体崩壊を何度か繰り返した火山です。それがもとになり、現在でも地形や地名でその痕跡を見る事が出来ます

七里岩(=韮崎岩屑流)

七里岩は、古阿弥陀岳(八ヶ岳連峰の1つ)の山体崩壊により、韮崎までの約七里(約30㎞)の長さで平坦地を形成し、これを日本三大急流の1つ・釜無川(=富士川)が西側面を、塩川が東側面を浸食によって作ったと言われる崖と台地が魅力の日本最大の岩屑です。この七里岩を側面より、八ヶ岳から富士山に続く地形を見ていると、富士山と八ヶ岳の神話を信じたくなってしまう様な光景を見る事が出来ます(本ブログ別記事で詳細を記載しております)。

小海線

小海線は、北杜市の小淵沢から、八ヶ岳の南から東へ回り込む形で、JRの鉄道として最も高い地点を通過し、日本三大河川・千曲川(信濃川)の流れと共に、小諸まで続くローカル線です。海なし県の山梨と長野を通過するにもかかわらず、この小海線には、路線名に加え『海』の文字が見受けられる駅名がいくつかあります。この理由は、小海町のHPに、以下の様にあります。

(略) 仁和3年(887年)あるいは仁和4年(888年)に起きたとされる八ヶ岳(天狗岳)の水蒸気爆発による大崩落によって千曲川の下の深山(現在の八那池洞門付近)が泥流によってせき止められ、海の口から、海尻にかけて大きな湖ができました。この時土村の除ヶ付近(現在の小海小学校付近)の相木川もせき止められ、相木の入口までの湖ができました相木湖と呼ばれていた)。   

海ノ口の湖水は寛弘8年(1011年)に決壊して無くなりましたが、相木湖はその後も残ったらしく、天正初期(1572年頃)古絵図にも記入されていますので、鎌倉時代の中頃(1300年頃)まであったと思われます。これが当時ここに入って来た人達によって「小海」と名付けられたものが小海の名前の起源と言われています  (略)  

https://www.koumi-town.jp/office2/archives/townprofile/koumi-yurai.html

つまり、「小海線のいくつかの駅に「海」の文字が入るのは、八ヶ岳(天狗岳)の噴火によるもの」と言う事の様です。改めて、八ヶ岳が残した地形や地名を巡りつつ、八ヶ岳周辺を大人散策するのも、面白い一つの選択肢だと思いました。

■ 豊かな湧水

富士山の伏流水・南アルプス天然水等が有名かもしれませんが、上記にもある通り、八ヶ岳の南側面には、名水百選に選ばれる湧水が数多くあります。その水があったからこそ、縄文時代を超え、旧石器時代から人々が生きていける環境があったと推測できると思います。いくつも湧水がある中で、お勧めしたい大人観光スポットとして、車でもアクセスしやすい以下の2つを上げさせて頂きました。

三分一湧水

最寄りは、上記でも触れた甲斐小泉駅。この駅のすぐ近くに、武田信玄が地域の水争いを鎮める為、湧水を均等に3分割した分水施設(施設と言う程ではありませんが…)と言われる、名水百選の「三分一湧水」があります。近くには駐車場もお蕎麦屋さんもありますし、この甲斐小泉駅から小淵沢方面に武田信玄信濃攻略の為に整備した軍用道と伝わる「信玄棒道」の1つと言われる山道もございます(別記事で詳細を紹介しておりますので併せてご参照ください)。

大滝湧水

大滝神社の境内より、正にコンコンと湧き出る、名水百選に選ばれた大滝湧水の清らかな流れを見る事が出来ます。神社境内と言う事で、景観もよく周囲には、中央本線をくぐる遊歩道(参道?)もあり、大人散策を楽しめます。駐車スペースは限られますが、訪れて頂きたい大人観光スポットです(詳細は別記事参照)。

■多くの遺跡

八ヶ岳からの豊富な水をはじめとする環境が支えた、多くの遺跡を巡るのも、大人散策の1つの楽しみ方だと思います。

・尖石与助尾根遺跡/尖石縄文考古館:

尖石与助尾根遺跡は、長野県茅野市にある縄文時代中期の環状集落の遺跡と言われている様です。遺跡周辺は史跡公園で、園内には茅野市尖石縄文考古館もあり、この考古館では、国宝・縄文のビーナス」を始め、 蓼科山麓周辺の先土器時代の遺跡出土品、八ヶ岳西麓の縄文時代の遺跡出土品を中心に、考古学資料約3000点を収蔵している様です。

・井戸尻遺跡/井戸尻考古館:

井戸尻遺跡は、長野県の富士見町にある遺跡で、縄文時代中期を中心とする集落遺跡と言われている様です。史跡公園や考古館が整備され、復元された住居跡や出土品を見学する事が出来ます。

・金生遺跡/北杜市考古資料館:

金生遺跡は、山梨県北杜市の大泉にある、国指定の史跡で、「縄文時代の集落跡や祭祀施設と中世の城館跡や集落跡が複合した遺跡」と言われているそうです。出土品は、以下記載の谷戸城の北側にある北杜市考古資料館に谷戸城からの出土品と共に見学する事が出来ます。

甲斐源氏草創期の痕跡

現在、清里駅から更に八ヶ岳の南面を登って行くと、清泉寮やまきば公園といった牧場を見る事が出来ますが、上記の通り、旧石器時代から人々が暮らしていたこの八ヶ岳の南西面の、特に南面は「古代官牧(朝廷に馬を献上する牧場?)」の辺見荘と呼ばれていた地域と言われています。水を確保でき、比較的広い土地も確保でき、標高もあるこの地は、馬を育てるには良い土地だったと思われ、(いくつか説はある様ですが)甲斐源氏発祥の地とも言われており、甲斐源氏3代目・源清光が、2代・義清と共に進出して、武田信玄につながる甲斐源氏の礎を築いた地だと認識しております。清光が築城したと伝わる谷戸城や彼のお墓もこの地(清光寺)にあります

谷戸城

甲斐源氏3代目・源清光が築城させたと伝わる城跡です。お城の遺構や富士山もですが、谷戸城の北にある北杜市考古資料館付近からの八ヶ岳の姿は、私がイメージする八ヶ岳(南面)で、その美しい景色を望む事が出来ます。

清光寺

上記に記載した、甲斐源氏3代目・源清光の墓所があるお寺です。

甲斐源氏発祥の地の碑

清光寺の前の広めの道沿いには、甲斐源氏発祥の地」なる石碑もあります。この石碑は、その奥にある、源氏の守護神・八幡神社の参道入口の理解です。

■温泉

そしてなんといっても温泉。「八ヶ岳が火山である事の証拠」とも言えますが、純粋に温泉を楽しむのも良い大人の選択だと思います。

・八ヶ岳南面のお宿:

八ヶ岳南麓のお宿で、利用するケースが多い温泉宿は、ロイヤルホテル八ヶ岳(2024年4月からはメルキュールに)・清泉寮・清里高原ホテルの3つ清泉寮はソフトクリームで有名ですが、宿泊もできる施設で、清里高原ホテルは、更に標高の高い所にあるちょっとした高級宿。一番バランスが取れていて、駅からも近く、良く利用するレストラン(タダリコアプレスト等)からも近いロイヤルホテル八ヶ岳の利用が一番多いですが、それぞれの良さがあり、どれもお勧めです。

・八ヶ岳南面の温泉施設:

お宿の温泉だけではなく、日帰り温泉を楽しむ事が出来る施設もあります。思いつくのは、甲斐大泉温泉パノラマの湯(https://www.panoramanoyu-izumisou.com/panoramanoyu)・泉温泉健康センター(https://www.dunlopsportsclub.jp/izumionsen/)・たかねの湯(https://www.dunlopsportsclub.jp/takanenoyu/)。地元の方々の憩いの場/社交場の要素もある様に感じられるので、観光で行く際は、ご配慮を頂いた方が良いと思います。

・蓼科のお宿:

長野県側の八ヶ岳周辺で、思いつく温泉地は、蓼科で、具体的に思いつく温泉宿が、蓼科 親湯温泉(https://www.tateshina-shinyu.com)・たてしな薫風(http://www.kaorukaze.net/)・たてしな藍(https://www.tateshina-ai.co.jp/index.html)といった辺りです。どちらにも客室温泉露天のあるお部屋があり、高原の気持ちよ雰囲気と温泉を満喫する事が出来るお宿だと思っております。

諏訪湖周辺

蓼科から八ヶ岳を下る形で西に進むと出てくるのが諏訪湖です。諏訪湖は、都内からのアクセスも良く、よくお伺いする温泉地諏訪大社への参拝諏訪湖周辺の大人散策/ポタリングと併せて旅行を楽しむ事が出来ます。

高級系の宿であれば、かたくらシルクホテル、リーゾナブルな宿泊なら二葉がお勧めかと思います。どちらも、客室温泉露天のついたお部屋がありますが、金額は結構違います。私達夫婦の場合は、「1泊 ならかたくらシルクホテル」、「2泊以上なら二葉といった感じで、旅行のカラーに併せて都度選択を変えております。

【最後に】

以上が、「八ヶ岳の概要」を調査した上で、「八ヶ岳がくれた物(⇒大人観光スポット)」を紹介申し上げた内容になります。

最高峰の赤岳(2899m)を始め、2000m以上の20程の山々が、南北25㎞に渡り山梨と長野の間に連なる火山列・八ヶ岳連峰。そんな八ヶ岳があったからこそ、大人が楽しめる空間が広がっていると言う事だと思っております。言い換えると、八ヶ岳周辺に残る山体崩壊の痕跡(七里岩/「海のつく地名:小海線の駅」)や名水百選に選ばれる湧水で自然を感じ、旧石器時代の遺跡や平安期の甲斐武田家の礎・甲斐源氏の痕跡から歴史に思いを馳せ、温泉でリラックスできるのが、八ヶ岳周辺エリアと言う事だと思います。都内からのアクセスも良いエリアですので、大人の知的欲求を満たしつつ観光を楽しめる、大人観光スポットが多くある八ヶ岳エリアに、脚を運んで見てはいかがでしょうか?

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