建長寺 山門(三門)

【はじめに】

こちらのページでは、鎌倉が日本の中心であった痕跡の1つと言って良い認識の『鎌倉五山第一位・建長寺』の概要と歴史を抑えた上で、大人散策情報を共有させて頂こうと思います。

皆様は、鎌倉」と言うと真っ先に何を連想されますでしょうか? 私の場合は「鎌倉幕府」・「源頼朝」・「(後)北条氏」・「鶴岡八幡宮」と言った感じで、日本史好き・神社仏閣好きの側面が強く出てしまう次第です。「人の好みは、人それぞれ…」なので、自身と同じ発想の方は限られると思われる一方、鎌倉」と聞いて『「鎌倉幕府」・「源頼朝」・「(後)北条氏」・「鶴岡八幡宮」って何?』と言う方は、少ないと思いますし、本ブログ別記事で紹介させて頂いた「鎌倉七口・鎌倉の切通」・「長谷観音・あじさいで有名な長谷寺」・「鎌倉大仏で有名な高徳院」と言った同じ「日本史」・「神社仏閣」のカテゴリでも、違った「歴史的遺構」や「神社仏閣」を連想される方も多いと思います。つまり申し上げたい事は、小町通りも有名で、美味しいレストランも多くある『鎌倉』ですが、やはり鎌倉の魅力は『日本史・神社仏閣関連』だと思う」と言う事です。そんな中で、今回ご紹介するのは「建長寺」「建長寺は、その鎌倉における日本の歴史を作った(後)北条氏に関連深いお寺」といった認識をしている次第です。

鶴岡八幡宮の様子と建長寺の様子

こちらのページでは、そんな認識の「建長寺」に付き記載いさせて頂きます。すなわち、鎌倉が日本の中心であった痕跡の1つと言って良い認識の『鎌倉五山第一位・建長寺』の概要と歴史を抑えた上で、大人散策情報を共有をさせて頂こうと思います

【「建長寺」とは?】

まずは「建長寺」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報集させて頂きますと以下の様にあります(引用長く、後でサマリ的にまとめて折りますので、読まなくても大丈夫です)。

建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と号する。
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。また、浄智寺などとともに神奈川県の歴史的風土特別保存地区に指定されている。

歴史
・創建
建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼により創建された禅宗寺院で、建長5年(1253年)に落慶供養が営まれている。開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)であった。当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定していた。京都にある朝廷の全国支配力は弱まり、政治的には鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり、禅宗に深く帰依していた (略)
建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった (略) 心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している (略)
伽藍配置は中国式であり、寺内では日常的に中国語が使われていたという (略)

その後
その後の建長寺は正応6年(1293年)4月12日に発生した鎌倉大地震により建造物の大半が倒壊、炎上。元から来日した一山一寧を第十世に任じて再建にあたらせる。だが、続いて正和4年(1315年)、応永23年(1416年)をはじめとするたびたびの火災で創建当初の建物を失った。鎌倉時代末期には修復費用獲得のため、幕府公認で元へ貿易船(寺社造営料唐船)が派遣され、「建長寺船」と呼ばれた。江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けている

伽藍
創建当時の建物は失われたとはいえ、総門・山門・仏殿・法堂(はっとう)・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされる。なお、地形の関係で総門 – 山門間の参道は斜めになっている。

・総門
天明3年(1783年)の建立。1940年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたものである。総門に掲げられた「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝える。「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。

山門(三門)
安永4年(1775年)の上棟で、2005年に重要文化財に指定されている。「三門」とも表記する (略)
関東大震災では上層の屋根が破損したが、これは本来、こけら葺き用に造られていた小屋組に江戸時代末期に重い銅板を葺いたことが原因であり、門の主要部材の被害は軽微であった。

・仏殿
重要文化財。寄棟造で単層裳階が付く。
芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている (略)
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置する。堂前にあるビャクシン(白槙、和名イブキ)の古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、樹齢約750年といわれる。

・法堂
禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺き。文化11年(1814年)の上棟、文政8年(1825年)の竣工である (略) 堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像を安置する。なお、天井の雲龍図は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたものである。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された (略)

・唐門
重要文化財で方丈入口の門仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。

・方丈
「竜王殿」とも称する。総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したもの。庭園は夢窓疎石の作といわれる (略)

文化財
国宝
> 絹本淡彩蘭渓道隆像 – 文永8年(1271年)に描かれた頂相(肖像画)。賛(絵の上部に書かれた文章)は像主蘭渓道隆の自筆である。
> 大覚禅師墨蹟 法語規則 2幅 – 「墨蹟」は禅宗高僧の遺墨を指す用語。大覚禅師(蘭渓道隆)自筆の「法語」と「規則」である (略)
> 梵鐘山門右手の鐘楼に架かる。高さ約2.1メートル。建長寺創建当時の数少ない遺品の1つとして貴重である。建長7年(1255年)、鋳物師物部重光の制作 (略)

・重要文化財
山門
仏殿
法堂
昭堂
唐門
大覚禅師塔(石造無縫塔)
絹本著色釈迦三尊像
絹本著色十六羅漢像 8幅
絹本著色大覚禅師像(経行像)
絹本著色大覚禅師像 霊石如芝賛
絹本墨画観音像 32幅
紙本墨画喜江禅師像 祥啓筆 玉隠英璵賛
木造伽藍神像 5躯
木造北条時頼坐像
木造蘭渓道隆坐像(西来庵開山堂安置)
黒漆須弥壇
金剛般若経 蘭渓道隆筆 1帖(附:玄津及び元松添状2通)
和漢年代記 2冊(附:元禄写本1冊)
大覚禅師墨蹟 3幅
西来庵修造勧進状 玉隠英璵筆
木造高峰顕日坐像(正統院所有) 正和4年(1315年)院恵等の銘あり (略)

境内および庭園
境内は1966年(昭和41年)9月12日、「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。庭園は1932年(昭和7年)7月23日、「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されている。「建長寺庭園」の指定範囲は仏殿前のビャクシンの植栽と、方丈裏の庭園である (略) 参拝者や、修学旅行生を含む観光客が年間で約50万人訪れる (略)
指定文化財のうち、国宝の梵鐘は随時見学可能その他の書画、工芸品の大部分は鎌倉国宝館に寄託されており、同館の展示で順次公開される (略)

宗学林と関連エピソード
1886年(明治19年)、修行僧学校・宗学林を設立現在の鎌倉学園中学校・高等学校の前身となる (略) 同校の出身者である桑田佳祐が所属するサザンオールスターズが、2003年6月21日に、境内でスペシャル・ライブを行い、三門(山門)がステージとして使用された (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/建長寺

また、上記引用中「建長寺は、鎌倉五山一位」とありますので、「鎌倉五山」についてもWikipedia を調べてきますと、以下の様にあります。

鎌倉五山(かまくらござん)とは、臨済宗の寺院の寺格であり鎌倉にある五つの禅宗の寺院建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つを鎌倉五山といっている (略)
12世紀末以後、臨済宗は鎌倉幕府からの庇護を受け、各地に寺院が建立された (略)
鎌倉時代の創設当初は鎌倉と京都で一緒に五つの寺を五山に定めていたとする説もある(室町時代に京都と鎌倉に分けて五山が定められたとみる)。小此木輝之は鎌倉時代の五山を、建長寺、円覚寺、寿福寺、建仁寺(京都)、浄智寺と推定している (略)
至徳3年(1386年)、室町幕府3代将軍・足利義満の時に南禅寺を別格として五山之上とし、京都の天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺、鎌倉の建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺をそれぞれ五山に決定しその後の五山制度の根幹となった

鎌倉五山の寺格
・京都・南禅寺 – 別格上位
・建長寺 – 第一位 (略) 
・円覚寺 – 第二位
円覚寺(えんがくじ)は神奈川県鎌倉市山ノ内にある寺院。山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称し、正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元(仏光国師)である。なお、寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である。
鎌倉時代の弘安5年(1282年)に第8代執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。
・寿福寺 – 第三位
寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。鎌倉五山第三位の寺院である。山号を亀谷山(きこくさん)と称し、寺号は詳しくは寿福金剛禅寺という。本尊は宝冠釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。鎌倉三十三観音霊場第24番。鎌倉二十四地蔵第18番。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。
・浄智寺 – 第四位
浄智寺(じょうちじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院。臨済宗円覚寺派に属する。鎌倉五山第四位。山号を金宝山(きんぽうざん)と称する。中世から江戸時代にかけて「金宝山」と「金峰山」が混用されてきた[5]。本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去・現在・未来を象徴する。開基(創立者)は第10代執権北条師時、開山(初代住職)は南洲宏海、大休正念、兀庵普寧の3名が名を連ねる。境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されている。
・浄妙寺 – 第五位
浄妙寺(じょうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の禅宗寺院。山号は稲荷(とうか)山。詳名は「稲荷山浄妙廣利禅寺」という。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義兼、開山(初代住持)は退耕行勇。鎌倉五山の第五位。鎌倉三十三観音霊場第9番。
寺には婦人病に霊験のある神とされる淡島明神立像を安置することから、婦人病の祈願所とされている。境内墓地には足利貞氏の墓とされる宝篋印塔がある。また、裏山には、鎌倉の地名にまつわる伝説が残る「鎌足稲荷」がまつられている。 (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/鎌倉五山

つまり、併せて理解しますと以下の様になった次第です。

建長寺の様子(一部写真Wikipediaより)

建長寺は、「開基(創立者)・北条時頼(鎌倉幕府第5代執権)、開山(初代住職)・蘭渓道隆(南宋の禅僧)により、鎌倉時代の1253年に、鎌倉の北の出入口に当たる北条氏の本拠地の要衝地に創建され、本尊を地蔵菩薩とする『臨済宗建長寺派の大本山』の禅宗の寺院」で、鎌倉五山の第一位でもある寺院」。伽藍配置は中国式であり、1293年の鎌倉大地震や、1315年・1416年の火災、1923年の関東大震災等により被害を受けるが、現在も創建当時の建物は失われたとはいえ、総門・山門・仏殿・法堂(はっとう)・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされ、「総門(1783年の建立)」、「山門(三門:1775年の上棟で重要文化財)」、「仏殿(重要文化財)」、「法堂(1825年の竣工で、鎌倉最大級の木造建築であり、重要文化財)」、「唐門(重要文化財)」、「方丈(庭園は夢窓疎石の作といわれ、国の史跡および名勝)」と言った建造物を拝見出来、「梵鐘(建長寺創建当時の数少ない遺品の1つで、1255年の製作と言われる国宝)」、「ビャクシン(白槙、和名イブキ)の古木7本はお堂前にあり、開山蘭渓道隆手植えと伝わる樹齢約750年の古木)」等も見学でき、「絹本淡彩蘭渓道隆像 (国宝で、1271年に描かれた頂相(肖像画)」、「大覚禅師墨蹟 法語規則 2幅(国宝)」等が伝わる歴史ある寺院でもいある。ちなみに、鎌倉五山は、建長寺(第一位)・円覚寺(第二位)・寿福寺(第三位)・浄智寺(第四位)・浄妙寺(第五位)の5つの寺院とされているらしい。

若干大雑把な理解になってしまったかもしれませんが、「鎌倉時代から続く、(後)北条氏ゆかりの『臨済宗建長寺派の大本山』の禅宗の寺院」で、且つ『鎌倉五山の第一位でもある寺院』」である事は十分理解出来た認識で、「歴史ある鎌倉が日本の中心であった痕跡の1つ」と思った次第ですが、皆様はどの様に感じられましたでしょうか?

【建長寺を大人散策!】

上記、「建長寺」に概要を「鎌倉五山」の概要と併せて、そしてその歴史も含め抑えさせて頂きましたので、こちらでは「建長寺の大人散策情報」を記載させて頂きます。尚、私達夫婦の建長寺訪問は、別記事の「鎌倉を満喫する2泊3派の旅(プラスα)」の中で参らせて頂いた次第です。すなわち「建長寺」の前に「鶴岡八幡宮」に参らせて頂き、鎌倉七口(切通)の1つ巨福呂坂切通経由で、「建長寺」にお邪魔したのち、同じく「鎌倉七口(切通)の1つ亀ケ谷坂切通」に向かった次第です。言い換えると全体的な視点では「それなりに長い大人散策」であった為「建長寺における大人散策は『境内の最も奥の ”半僧坊” や周囲の ”塔頭” 』には脚を伸ばしていない」という事を予めご了承頂けますと幸いです(また別の機会で参らせて頂こうと思っていますので、その暁には本ページを更新させて頂こうと思って折りますが…)。

■「総門」からお邪魔して「仏殿」へ

朝一で鎌倉での拠点KKR鎌倉わかみやを出発し、「由比ヶ浜」から鶴岡八幡宮を目指し、その後向かった「建長寺」鶴岡八幡宮からは、徒歩10分程度で、行ける認識ですが、巨福呂坂切通経由で参った為、少し時間(30分程)を要した感じでした。ただ巨福呂坂切通のトンネルからは、目と鼻の先だった記憶で、トンネルを抜け峠を越える(くぐる?)と、直ぐに「建長寺」の看板が見えてきた次第です。

まずは、江戸期の建立と認識する「総門」をじっくり拝見させて頂き、「建長寺境内」にお邪魔させて頂きました。「総門」をくぐったすぐ右手に「朱印所」があったので、(作法には目をつぶって)まずは「御朱印」を頂き、「さざれ石」を拝見しつつ、「山門(三門)」に向かいました。「1775年の上棟で重要文化財の山門(三門)」は、圧倒的な迫力。巨大な「扁額」と併せしばし見入ってしまいました。

そしてその後、「山門(三門)」のすぐ東にある「梵鐘」もじっくり拝見。私達夫婦がお邪魔した際は、修学旅行生も結構いたものの、皆この「梵鐘」を素通りしていましたが、「建長寺創建当時の数少ない遺品の1つで、1255年の製作と言われる国宝の “梵鐘”」です。「折角建長寺に着てちょっともたったいない…」と思いつつも、修学旅行生に声をかける事はせず、開山蘭渓道隆手植えと伝わる樹齢約750年の古木である “ビャクシン” の木々」を拝見しつつ「仏殿」へ参りました。

■「仏殿」から「方丈」へ

「建長寺」の「仏殿」は、重要文化財の建造物「常香炉」越しに拝見する外観も立派ですが、ご本尊の 2m 以上はあると思われる「地蔵菩薩坐像」の迫力、そして内部の装飾や天上(折り上げ天井?)も中々のもの。じっくり拝見すべきだと思った次第です。

また、「仏殿」の奥にある「法堂」も中々の建造物。「1825年の竣工で、鎌倉最大級の木造建築であり、重要文化財」との事で、その歴史と風格を感じるには十分過ぎる建造物であると同時に、「内部天井の “雲龍図”」は圧巻の一言。「鎌倉五山の第一位」の風格を備えている事間違いないと思った次第です。

そして、「建長寺庭園」も含め「方丈」に向かいますが、その前に脚を停めるべきは「重要文化財の建造物である “唐門”」。2011年に修理が完成したとの事で真新しさすら感じますが、歴史を重ねてきた建造物です。その風格を感じつつ「臨済宗建長寺本派宗務本院」の建物を右手に見ながら「方丈」の内部にお邪魔します。

建長寺 法堂・唐門

■「方丈」で「建長寺庭園」を楽しんで、周囲を散策し「建長寺」を失礼します

「方丈」の内部は、入ることが出来、建物の周りが縁側の様になっていて周囲を回る事が出来ます。お邪魔した際は内部で「何かの撮影? テレビ番組の収録?」を行っていた様で、その内部はほとんど拝見できませんでしたが、南(南西?)側に白い砂利が敷き詰められた「唐門」から続くスペースがあり、「夢窓疎石の作庭」と言われ、「国の史跡および名勝」指定されている「建長寺庭園」は、「方丈」の北(北東)側に広がっています庭園の中を散策するのではなく、鑑賞する事を前提にしたて庭園と認識しておりますので「池泉鑑賞式庭園」と個人的には思った次第で、大名庭園と違って派手さはありませんが、「静かな雰囲気良く手入れされた植栽」は、見ている者の心を落ち着かせる「寺院の庭園」と言った印象を持った次第です。

「建長寺庭園」をじっくりと拝見した後は、若干周囲の散策を行い「建長寺庭園」を北側からも拝見し、『「半僧坊」まで脚を伸ばしたいけど「その日の全体の行程」から、「また次回…」』と心に誓って、「天下門」から「建長寺」を失礼し、その日の次の目的地である鎌倉七口(切通)の1つ亀ケ谷坂切通に向かった次第です。

【最後に】

以上が、鎌倉が日本の中心であった痕跡の1つと言って良い認識の『鎌倉五山第一位・建長寺』の概要と歴史を抑えた上で、大人散策情報を共有させて頂いた内容になります。

「仏殿(地蔵菩薩坐像)」・「法堂(雲龍図)」・「唐門」・「方丈 & 建長寺庭園」と、中々の見応えで、さすが『鎌倉五山第一位・建長寺』と個人的には思った感じでしたが、同時に「半僧坊」までは脚を伸ばせなったので、「再度お邪魔させて頂き、次回は『半僧坊』まで行こう!」と思った次第です。皆様はどの様にお感じになられましたでしょうか?

古都・鎌倉 2泊3日の旅

尚、別ページにて、①「鎌倉」ってどんな都市?その歴史は?、②鎌倉を満喫する2泊3派の旅(プラスα)、③鶴岡八幡宮の大人散策情報、④鎌倉五山筆頭・建長寺の大人散策情報、⑤鎌倉大仏で有名な高徳院の大人散策情報、⑥長谷観音・あじさいで有名な長谷寺の大人散策情報、⑦鎌倉宮/永福寺跡の大人散策、⑧鎌倉七口・鎌倉の切通しを大人散策、⑨大人の宿:「KKR鎌倉わかみや」の宿泊情報、⑩大人レストラン:松原庵で美味しいお蕎麦のコースを満喫、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂き、「皆様の大人散策@鎌倉」に少しでも貢献出来たら幸いと存じて折ります!

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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