高徳院・鎌倉大仏

【はじめに】

こちらのページでは、『ほぼ鎌倉時代のお姿』を拝見できる『高徳院の鎌倉大仏』の概要と歴史を抑えた上で、大人散策情報の共有をさせて頂こうと思います。

本ブログ別記事で、「鶴岡八幡宮」・「建長寺」・「長谷寺」・「鎌倉七口」と言った「鎌倉における大人観光スポット」を記載させて頂きました。どれも鎌倉を代表する大人散策スポットであり、特に個人的には「正に鎌倉の源・源頼朝ゆかりの『鶴岡八幡宮』こそ、鎌倉を代表する大人散策スポット」だと思っていますが、この「鶴岡八幡宮」と同じくらい「鎌倉を代表する大人散策スポット」と思っているのが「高徳院の鎌倉大仏」です。高徳院境内は「鎌倉の大仏様」以外は、少々見学スポットが少ない印象もありますが、「鎌倉の大仏様を見ずして、鎌倉は語れない…」と思う程、「大仏様 “単体” で、十分な鎌倉を代表する大人散策スポットである」と思っている次第です。

こちらのページでは、そんな印象を持っている、「高徳院・鎌倉大仏」に付き記載いさせて頂きます。すなわち、『ほぼ鎌倉時代のお姿』を拝見できる『高徳院の鎌倉大仏』の概要と歴史を抑えた上で、大人散策情報の共有をさせて頂こうと思います。

【「高徳院・鎌倉大仏」とは?】

まずは「高徳院・鎌倉大仏」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報集させて頂きますと以下の様にあります(以下引用長く、引用後にサマリでまとめて折りますので、読まなくても大丈夫です…)。

高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院本尊は国宝銅造阿弥陀如来坐像の鎌倉大仏。正式には大異山高徳院清浄泉寺(だいいざん こうとくいん しょうじょうせんじ)と号する。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳
2004年(平成16年)2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。なお、大仏の造立経緯や、大仏殿の倒壊時期については諸説ある(後述)。
近世以前に造立された大仏について、東大寺大仏(現存)、鎌倉大仏 (現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏が挙げられるが、天災や戦乱で失われたものが多く、鎌倉大仏は、造立当初の姿をよくとどめている貴重な存在である。
江戸時代には、鎌倉大仏(像高約11.39メートル)、東大寺大仏(像高約14.7メートル)、方広寺大仏(京の大仏、像高約19メートル)の三尊が、日本三大仏と称されていた (略)

歴史
高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるが、開山、開基は不明であり、大仏の造像の経緯についても史料が乏しく、不明な点が多い (略)
『吾妻鏡』には、暦仁元年(1238年)、深沢の地(現・大仏の所在地)にて僧・浄光の勧進によって「大仏堂」の建立が始められ、5年後の寛元元年(1243年)に開眼供養が行われたという記述がある。同時代の紀行文である『東関紀行』の筆者(名は不明)は、仁治3年(1242年)、完成前の大仏殿を訪れており、その時点で大仏と大仏殿が3分の2ほど完成していたこと、大仏は銅造ではなく木造であったことを記している。一方、『吾妻鏡』には、建長4年(1252年)から「深沢里」にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始されたとの記事もある。「釈迦如来」は「阿弥陀如来」の誤記と解釈し、この1252年から造立の開始された大仏が、現存する鎌倉大仏であるとするのが定説である。なお、前述の1243年に開眼供養された木造の大仏と、1252年から造り始められた銅造の大仏との関係については、木造大仏は銅造大仏の原型だったとする説と、木造大仏が何らかの理由で失われ、代わりに銅造大仏が造られたとする説があったが、後者の説が定説となっている (略)
大仏は、元来は大仏殿のなかに安置されていた。大仏殿の存在したことは、2000年から2001年(平成12年 – 平成13年)にかけて実施された境内の発掘調査によってもあらためて確認されている。『太平記』には、建武2年(1335年)、強風で大仏殿が倒壊した旨の記載があり、『鎌倉大日記』によれば大仏殿は応安2年(1369年)にも倒壊している。大仏殿については、従来、室町時代にも地震と津波で倒壊したとされてきた (略) 室町時代の禅僧・万里集九の『梅花無尽蔵』によると、文明18年(1486年)、彼が鎌倉を訪れた際、大仏は「無堂宇而露坐」であったといい、この時点で大仏が露坐であったことは確実視されている。2000年から2001年(平成12年 – 平成13年)の境内発掘調査の結果、応安2年(1369年)の倒壊以後に大仏殿が再建された形跡は見出されなかった。現在、鎌倉大仏の周囲には、かつて存在した大仏殿の礎石の跡とみられる巨大な石が53個存在する (略)

鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝)
像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)、面長2.35メートル、眼長1メートル、眉長1.24メートル、口広0.82メートル、耳長1.9メートル、重量約121トン。
角張った平面的な面相、低い肉髻(にっけい、頭髪部の椀状の盛り上がり)、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部が大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されている。また、後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点も貴重である (略)
材質は通常「銅造」とされているが、正確には青銅(銅、錫、鉛等の合金)である。昭和34年から36年(1959 – 1961年)にかけて行われた修理・耐震補強工事の際、頭部内面から試料を採取して、電子線マイクロアナライザーによる材質調査が行われ、本像の金属組成は銅が少なく、鉛の含有量が多いことが判明した。採取部位によって差異があるが、平均含有比率は銅68.7%、鉛19.6%、錫9.3%となっている。この成分比率から、本像の鋳造に際しては宋から輸入された中国銭が使用されたと推定されている (略) 鉛の比率が高いことから、像表面に鍍金(金メッキ)を行うことは困難であったと推定され、造像当初は表面に金箔を貼っていたとされており、現在でも右頬に金箔の跡が確認できる
像内は空洞で、人が入ることができ、一般拝観者も大仏内部を見学することができる(一度に30人以上は入場できない)   (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/高徳院

つまり、サマリ的にまとめさせて頂きますと、以下の様になった次第です。

「鎌倉の大仏様」は、鎌倉の「高徳院」と言うお寺にある「阿弥陀如来」のご本尊で、江戸時代は「日本三大仏」とも言われていた仏様。創建当時は「大仏殿」の内部に安置されていたが、度重なる災害で壊れてしまい、現在は「ほぼ野ざらし」状態であるが、「鎌倉時代から、ほぼ同じお姿を保つ国宝」の仏様でもある。高徳院の開山、開基は不明であるが「鎌倉大仏」は非常に有名で鎌倉のシンボル」であり、国宝である以上「日本を代表する大仏様」が「高徳院の鎌倉大仏」

と言った理解をさせて頂いた次第です。言い換えると、「1200年中頃からその場所に存在している仏様」になるので、「歴史上の偉人も、私達の御先祖様も、多くの方々が、目にしてきた仏様で、800年程の期間、この鎌倉の地を見守ってきた仏様」が「鎌倉の大仏様」になるという事です。「鎌倉のシンボル」である事は、間違いなく、日本三大仏」に数えられる以上、「日本のシンボル」と言っても過言ではないと認識するのは、私だけではないと思い、鎌倉を訪問した際は、必ず脚を延ばすべき「大人観光スポットの一つ」だと、改めて思った次第です。

【「高徳院・鎌倉大仏」を大人散策!】

上記、若干記載しましたが「高徳院」の大人散策は、エリア的にも、見学するスポットの数的にも、かなり限られる認識です。同時に、「高徳院・鎌倉大仏」の刻んできた歴史は、800年程になりますので、長い歴史を刻んできている事も事実であります。つまり、以下3点のみになりますが「大人散策@高徳院・鎌倉大仏」の切り口を記載しますので、じっくりとその歴史を感じつつご堪能頂きたいと思う次第です。

■鎌倉大仏を堪能!

まずはなんと言っても、「高徳院の主役」であり、「鎌倉の主役」の一つである「鎌倉大仏」「高徳院」に入ってすぐに、その「巨大な仏様・鎌倉大仏」が目に飛び込んできます。幼少の頃、両親に連れられ参った事があり、小学校の時の修学旅行でも参らせて頂いた「鎌倉大仏」。幼少の頃(多分3歳くらいの時?)は、その巨大なお姿に圧倒され「ガン泣き」した記憶(自身が持っている一番古い記憶の1つだと思いますので、本当に迫力を感じたんだと思います…)もあれば、小学校の時には「ガタイの良い先生と、小学生としてはかなり大きかった私の2人を鎌倉大仏と一緒に写真撮影され『三大仏』と言われた」経験のある「鎌倉大仏」です…。

鎌倉大仏を様々な角度から!

実際にご覧いただいた経験のある方であれば、かなりの確率で同意頂けると思いますが、その大きさに圧倒されると同時に、「ふくよかとも言っても良いその顔立ち」は、「凛々しさ」と共に、「穏やかさ」を感じるもので、「幼少の頃、なんであんなにガン泣きしたんだ…」と思ってしまう程、「中々ハンサムなお顔立ち」そしてそのお姿は、「ほぼ鎌倉時代のお姿を Keep している」という事なので、歴史上の偉人も、私達の身近なご先祖様も、ほぼ同じお姿を拝見していただろと思うと、「恐らく皆同じように思ったんだろうな…」と思ってしまった次第です。

実際のお姿を拝見しつつ、自身が感じるように、「歴史上の偉人も、我々の御先祖様も同じように感じたのでないか…」と思い、ちょっと縁遠い教科書に出てくるような歴史上の偉人の方にも、身近な御先祖様の歴史にも、「思いを馳せる事が出来る」のでないかと思ってしまった次第です。尚、大仏様の中にも入る事が出来ますが、人数的には限られる様で、私達夫婦がお邪魔した際は、多くの修学旅行生・外国人観光客の方もいらっしゃり大混雑であった為、内部に入る事はできませんでしたが、Wikipedia に内部の写真もありました為、以下に共有致します。

■高徳院・鎌倉大仏の歴史に思いを馳せる!

上記「鎌倉大仏」に付き記載しましたが、この「鎌倉大仏」は、現在「野ざらし」状態。しかし最初から「野ざらし」だったという事では無いようです。言い換えると、上記引用にある通り、創建当時は「大仏殿」の中にあったという事で、その痕跡は、大仏様の周囲にある「礎石」という事になるのですが、現在、そのほとんどが「ベンチ」的に利用されており、写真撮影も諦めてしまった感じでした…。度重なる災害で、大仏殿は姿を消してしまい「礎石」だけになってしまいましたが、「礎石がある」=「高徳院の歴史にも思いを馳せる事が出来る」と言う理解をすべきでないかとも思う次第です。多くの観光客の方がいらっしゃり、一休みしても良いと思いますが、その『「礎石」が残る「高徳院の歴史の痕跡」といった観点』も踏まえつつ「一休みすべき」でないかと思った次第です。

少し脱線しますが、その災害の歴史の中には「地震 & 津波」の歴史も含むべきだと思っています。つまり「高徳院の大仏殿は、津波によって流された歴史もある」と言った話も伝わっているようですが、多くの見解は「俗説」の立場をとっていると言う事実もあるらしいという事です。言い換えると「もし鎌倉での大人散策中に巨大地震にあってしまった際は『鎌倉大仏のちょっと上も避難先の1つして想定しても良い』という事の様です。自然災害を前にして「想定外」を「想定」しておかなければいけませんが、「鶴岡八幡宮の楼門」付近、「長谷寺の本堂」付近・「鎌倉宮」辺りなら大丈夫だと思いますが、「鎌倉大仏」付近は「丁度津波到達するか否かの境目」と言った一つの目安を持っておくだけでも、逃げる際の目安になると思います。また、これも更なる参考までの情報ですが、「由比ヶ浜付近で巨大地震に遭遇した際は『一の鳥居の西側が比較的高地で、そこから標高を下げないように、西・北に逃げるべき』と認識もしておくべき」とも思いましたので併せて共有します(脱線ついでに、鎌倉の地形図(地理院より自身で標高設定)も共有します)。

■仁王門・観月堂・御朱印もお忘れなく!

上記、若干脱線しつつですが、「高徳院・鎌倉大仏」と「その大仏殿の歴史にも思いを馳せる」といった内容で記載しましたが、高徳院の「仁王門(発券所の手前なので無料で見れます…)」・鎌倉大仏北側の「観月堂」、そして「御朱印」を頂戴する事もお忘れなく、参拝頂ければと思う次第です。「仁王門」は、必ず通るので忘れる心配はありませんが、「大仏様」は鎌倉のシンボルなので、大変多くの観光客の方もいらっしゃり、その迫力とあいまって、ついつい「観月堂」・「御朱印」は忘れてしまう可能性があります(私達夫婦の場合は、危うく「御朱印」を頂戴するのを忘れ、境内を失礼してしまう寸前でした…)。「観月堂」は、「朝鮮王宮にあったものを、1924年に山一合資会社(後の山一證券)社長だった杉野氏が寄贈した建物らしく、内部には、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠が所持していたとされる聖観音像を安置している」と言われますし、折角「高徳院・鎌倉大仏」を参拝したのであれば「御朱印」も忘れてはいけないと思います。「鎌倉大仏」の迫力に圧倒されつつも、「仁王門」・「観月堂」の見学、そして「御朱印」を頂戴する事もお忘れなく、参拝頂ければと思う次第です

以上が、「高徳院における大人散策の切り口3つ:『鎌倉大仏その物』・『高徳院・鎌倉大仏の歴史』・『仁王門・観月堂・御朱印』」になります。「観光客の多さ」と「鎌倉大仏の迫力」に圧倒されつつも「大人散策@高徳院」を遂行頂ければと思って折ります。

【最後に】

以上が、『ほぼ鎌倉時代のお姿』を拝見できる『高徳院の鎌倉大仏』の概要と歴史を抑えた上で、大人散策情報の共有をさせて頂いた内容になります。

鎌倉期とほぼ変わらないお姿と認識する「鎌倉大仏」。「国宝」ですので、「鎌倉のシンボルの大仏様」であると同時に、日本三大仏」の1つである「日本を代表する大仏様」でもあります。別ページにて、①「鎌倉」ってどんな都市?その歴史は?、②鎌倉を満喫する2泊3派の旅(プラスα)、③鶴岡八幡宮の大人散策情報、④鎌倉五山筆頭・建長寺の大人散策情報、⑤鎌倉大仏で有名な高徳院の大人散策情報、⑥長谷観音・あじさいで有名な長谷寺の大人散策情報、⑦鎌倉宮/永福寺跡の大人散策、⑧鎌倉七口・鎌倉の切通しを大人散策、⑨大人の宿:「KKR鎌倉わかみや」の宿泊情報、⑩大人レストラン:松原庵で美味しいお蕎麦のコースを満喫、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂き、「皆様の大人散策@鎌倉」に少しでも貢献出来たら幸いと存じて折ります!

古都・鎌倉 2泊3日の旅

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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