こちらのページでは、「別記事で取りあてれおります、五街道(東海道/中山道/日光街道/奥州街道/甲州街道)・鎌倉街道・東山道等に関し、『街道シリーズのまとめ記事』を紹介」させて頂こうと思います。
📚本記事で得られる情報📚
✅「五街道(東海道/中山道/日光街道/奥州街道/甲州街道)・鎌倉街道・東山道」と言った “街道その物” に関する概要
✅「切通」・「追分」等の “街道に関連するワード” の概要
✅「鎌倉街道」・「木曽路」・「日光脇往還」・「川越児玉往還」・「信玄棒道 & 三国街道」の “実際の大人散策情報”
いきなりですが…。皆様は、「街道」と聞くと何を連想されますでしょうか? ある人は、「東海道」や「中山道」、「鎌倉街道」と言った街道その物を連想されるかもしれませんし、街道に関連する「追分」や「宿場町」、「切通」と言ったワードを思い浮かべるかもしれません…。自身も同様で、「街道」と聞くと、地元川越の冠を持つ「川越街道」や故郷山梨に続く「甲州街道」、やはり山梨の英雄「武田信玄」に所縁のある「信玄棒道」、時代をもっとさかのぼれば古代官道の1つ「東山道武蔵道」、更には「江戸期には街道ではなく “海道” と呼ばれていたエピソード」や「日光街道の杉並木」から「並木」なんかも連想してしまう次第です。つまり、別の言い方をすると、「街道」と言うワードからは、「街道そのもの」は勿論、「それに関連するワード」等、幅広く連想ゲームを楽しむ事が出来る上、そこから発展させると、「様々な歴史(日本史)に関連する出来事や事象」も妄想する事が出来、そんな事を感じつつ「是非街道を大人散策(フィールドワーク)してみたい!」と思ってしまうという事です。



こちらのページでは、そんな、様々な連想や妄想をしてしまい、実際に大人散策(フィールドワーク)をしたくなってしまう「街道」と言う言葉に焦点をあて、これまで本ブログ別記事で記載した「街道」と「街道にかかわるワード」、「実際の街道における大人散策(フィールドワーク)」の記事のまとめをさせて頂こうと思います。すなわち、「別記事で取りあてれおります、五街道(東海道/中山道/日光街道/奥州街道/甲州街道)・鎌倉街道・東山道等に関し、『街道シリーズのまとめ記事』を紹介」させて頂きます。
【街道を知る】
まずは、本ブログ別記事で取り上げさせて頂きました「街道そのもの」の記事をまとめさせて頂きます(街道とは言わない道もありますが…)。以下簡単に紹介させて頂くと同時に、各リンクより詳細記事に飛ぶ事が出来ますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
・東山道 / 東山道武蔵道(堀兼道?)
別記事の「五畿七道(五畿八道?)」の記事でも触れさせて頂きましたが、古代官道の1つ東山道。「畿内と奥州を結ぶ道」として整備され、江戸期には「中山道・日光例幣使街道・奥州街道等に再編された道」といった認識をしております。ただ、中山道との大きな違いは、長野県内のルート。「東山道は神坂峠を越えて伊那谷を進んだ」一方、「中山道は木曽谷を通るルートを選択」した様子。「なぜその違いが発生したのか?」に付き、別記事で考察(妄想?)しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。


また、同じ「東山道」の名前を含みつつも、「東山道の支路」であった道に、「東山道武蔵路」と言う道もあった理解です。上野国・下野国から武蔵国を南北方向に通って武蔵国の国府(府中・大國魂神社)に至る、幅12m程もあったと言われる直線道路だっと言われる様ですがその痕跡は限定的の理解。鎌倉時代は「鎌倉街道の枝道」で「堀兼道」に再編された歴史も持つ道の様です。「痕跡は限定的」かもしれませんが、「0(ゼロ)」ではない認識ですので、その痕跡を探す大人散策も一興ではないかと思う次第です。







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・鎌倉街道
皆様は、(特に関東にお住いの方は)「鎌倉街道ってあちこちにあるな…」と思った事はありませんか?。鎌倉街道は、「鎌倉時代に、鎌倉幕府からの指示あったり、不測の事態が起こった際に、『いざ鎌倉!』と『御家人衆が各地から早急に集まれるように整備された道』で、上道・中道・下道がある」と言った理解をしておりますが、歴史の好きな者の宿命か、地図を見ていると「鎌倉街道」と言う道があちこちで目に飛び込んできてしまい、『こんなに沢山 “鎌倉街道” があると、「いざ鎌倉!」と言って、緊急時に御家人は鎌倉までたどり着けたのか?』と思ってしまった事があります…。
具体的に、何処に鎌倉街道があり、何故現代の私達があちらこちらで鎌倉街道を目にしたり耳にしたりするのか、別記事で考察(妄想?)を加えております!
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・川越街道(川越児玉往還)
いきなりですが…、皆さんは「川越街道」ってご存じでしょうか? 東京・埼玉にお住まいの方、住んだ事がある方なら、多くの方がご存じではないかと思います。また、以下の「フレーズ」を耳にした事がある方も多いのでないかと思います。
一般的に、「江戸から川越街道を通って川越まで、13里である事」、「(先の為「13里=サツマイモ」の意味もあるらしいので、13里の所にある川越名産物の)サツマイモは、栗よりもうまいよ!」と言った、商売における「キャッチフレーズ」的に、この「栗よりうまい十三里」なるフレーズが誕生し、昔から使われているという事らしいです…。つまり、上記の様なフレーズが出来るくらい、「川越は、サツマイモが有名」と言う認識をしている次第です…。




しかし同時に、「江戸から川越って本当に13里なの?」、「川越街道ってどんな歴史を持った、どんな道なの?」と思ってしまった次第です…。「川越街道」のページでは、そんな疑問につき、「川越街道の歴史」を抑え、「江戸から川越って本当に13里なの?」と言う疑問について、勝手に考察を加えております。宜しければ、是非別記事ご参照ください!
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・五街道(東海道/中山道/日光街道/奥州街道/甲州街道)
皆様は、「五街道」って、勿論ご存じですよね? 江戸期に整備された、東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道の事ですよね? では、以下に続けていくつか質問致します。
- 「東海道」って、現代でも「国道1号線」として継承される、「五街道の代表の道」のイメージだと思いますが、なんでだと思いますか?
- 「中山道」って、「東山道」のかなりの区間を踏襲され整備されたと言われており、東海道よりも主要な道であったと言われていた事、ご存じですか?
- 「日光街道」ではないのに、多くの “日光” の冠を持つ道があり、それらの中には「日光街道」と言い張っている道がある事っご存じですか?
- 「奥州街道」の歴史を紐解いた時、何処から何処までが奥州街道で、この奥州街道が日本史に与えてきた影響って何が思い浮かびますか?
- 「甲州街道」の「合宿・45宿32次」って聞いた事ありますか? また、どんな道で、どんな役割を持って整備された道か、ご存じですか?
「五街道:東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道」とは認識していても、それぞれの街道の歴史を紐解くと、「それぞれの街道には、それぞれの歴史があり個性がある」事を認識でき、今まで何気なく通っていた道も、興味深く大人散策を遂行できるのでないかと思う次第です。それぞれのページで、それぞれの道の概要を抑えると同時に、ちょっと勝手で、妄想的な考察もしておりますので、「大人の知的な妄想?」を、「街道と言う切口」で、楽しんでみてはいかがでしょうか?
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【街道に関連するワード】
次に、本ブログ別記事で取り上げさせて頂きました「”街道” から連想してしまうワード」の記事をまとめさせて頂きます。以下簡単に紹介させて頂くと同時に、各リンクより詳細記事に飛ぶ事が出来ますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
・切通
そもそも「切通」って、聞いた事ありますでしょうか? ご存じであっても、「切通」を意識した事ございますでしょうか? 恐らく、多くの方がイメージするのが「鎌倉の切通」で、「鎌倉七口」とも言われる「切通」だと思います(鎌倉街道に関して、別記事で勝手な考察を加えており、鎌倉七口に関しては、大人散策情報を紹介しております)。私も同様で「通行と防御を兼ね備え、人工的に山をけずり、通された道」と言う認識している次第ですが、この「切通」、「鎌倉七口」だけではなく、結構街中にもあり、街道歩きをしていると、よく目にするんです…。「街道歩き & 切通鑑賞」で大人散策を楽しんでみてはいかがでしょう?






・追分
上記の「切通」と同様の質問ですが…、皆様は「追分」なる言葉を聞いた事がありますか? また、何処の「追分」を連想されますか? 個人的ですが、私自身がすぐにイメージするのは、「信濃追分」ですが…。「新宿追分」と言うものありますし…。「追分」は、道が2つにわかれる場所…。なんか、ちょっとだけ「郷愁感」ありませんか? 私の場合は、旧友を思い出してしまうスポットで、多分、「それぞれの追分で、多くの人が分かれて、自身の進むべき道を行った歴史があるんだろう…」と思ってしまうからだと思いますが、これも「大人散策@街道」の1つの形だと思います…。
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・海道と街道
同じく質問形式で…。皆様は、『海がないのに「海道」と呼ばれた「街道」』がある事ご存じでしょうか? それは、「東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道」と言った「五街道」の中に存在し、、「甲州街道、日光街道、奥州街道」は、「甲州海道、日光海道、奥州海道」って言われていたらしいです。でもなんで、「甲州海道、日光海道、奥州海道」から「甲州街道、日光街道、奥州街道」になったんでしょうか? こんな考察(妄想?)も楽しいのではないかと勝手に思ってます…。
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・並木と街路樹
やっぱり質問形式で始めさせて頂きますが、皆様は、「“並木” と “街路樹” の違い」って、考えた事ありますか? 「並木」と言われて思い出すのは、「東海道」の「松並木」や、「日光街道(日光脇往還 )」の「杉並木」。「街路樹」と言って思い出すのは、「外苑前のイチョウ」や「街中の幹線道路に沿って植えてある木々(ケヤキなど…)」。しかし、「外苑前のイチョウの “街路樹”」も、「イチョウ “並木”」とも言いますし…。でも「並木」と「街路樹」って、結構歴史がある物みたいなんです…。その歴史を抑えつつ、現在の「並木売りの観光地」をこちらの記事で紹介しておりますので、是非ご参照ください。
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・宿場町
「街道に関連するワード」の項目で、最後に紹介するワードは「宿場町」。「○○宿」と言う名称で多くの宿場町が、「古き良き日本の雰囲気」を醸し出していると思います。私達夫婦もその雰囲気が好きで、旅先に「○○宿」がある際は、ほとんどのケースで大人散策を楽しませて頂いておりますが、いくつか宿場町を巡ると「宿場町の違い/カラー」がある事を昨今認識している次第です。
奈良井宿・妻籠宿・馬籠宿・信濃追分宿・小諸宿・海野宿・上田柳町・大内宿等、ブログ全体の構成上、「歴史街道シリーズ」には組み込んでおりませんが、別記事で紹介しております、それぞれの「宿場町」は、「街道を連想するワード」の代表格。以下に、これまで参らせて頂いた宿場町を紹介しますので、皆様の「街道における大人散策」における参考情報になれば幸いと思っております。
【併せてお読みいただきたい「宿場町」の関連記事】
【街道を大人散策】
最後に、本ブログ別記事で取り上げさせて頂きました「実際の街道における大人散策(フィールドワーク)」の記事をまとめさせて頂きます。以下簡単に紹介させて頂くと同時に、各リンクより詳細記事に飛ぶ事が出来ますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
・大人散策@鎌倉街道
上記、「あちらこちらで目にしたり、耳にしたりする鎌倉街道」と記載しましたが、本ブログでは、自身の居住地である川越近辺と限定的ですが、「鎌倉街道の実際の大人散策」に実行して折り、その際の「具体的な大人散策ルート・見所(スポット)」も紹介しております。そのスコープとさせて頂いたのは、西武線の所沢駅近辺~東武東上線の武蔵嵐山駅。とは言っても、所沢駅から武蔵嵐山駅は、普通に歩いても、35㎞~40㎞程ある様です。近辺の史跡等、見所もあるので、それらを含めて大人散策すると、更にそれ以上になると思い、1日で行くのはかなり無理のある行程だと推察し、分割作戦を取る事にしました。




ただ街道を歩くだけでなく、いい大人が、史跡巡り等も含め、楽しみながら大人散策できる事と交通(移動)の効率性を想定し、4つに分割しました。その内容は、
の4分割で、別記事でそれぞれ紹介しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
(尚別ページにて、「鎌倉関連の情報」として、①「鎌倉」ってどんな都市?その歴史は?、②鎌倉を満喫する2泊3派の旅(プラスα)、③鶴岡八幡宮の大人散策情報、④鎌倉五山筆頭・建長寺の大人散策情報、⑤鎌倉大仏で有名な高徳院の大人散策情報、⑥長谷観音・あじさいで有名な長谷寺の大人散策情報、⑦鎌倉宮/永福寺跡の大人散策、⑧鎌倉七口・鎌倉の切通しを大人散策と言った内容の記事も記載して折りますので、併せてご参照頂けますと幸いです…)
【「街道シリーズ」の関連記事 + α 】






・大人散策@木曽路
「木曽路」と「中山道」の違いってご存じですか? 自身の理解は、『「広義の意味の “木曽路” は、”中山道“」ですが、「狭義の意味では、美濃と信濃の境付近の木曽地方の区間を指した道」』と言った感じです。つまり、江戸から京都に伸びる全長500㎞以上の中山道は、100㎞程通る木曽地方の名称が、全体の名称としても認知されたと言う事です。言い換えると「全区間の五分の一(1 / 5)に満たない区間(=木曽地方の区間)が、全体の名称として認知される程のインパクトを持った区間だったのではないか」と想像してしまった次第です。そんな「木曽路」、現代社会では、中々全てを歩いて巡れませんが、「文明の力を借りれば巡れる」のでないかと思い、プランニングをしております(=まだ実行できていません…)。もし、皆様の中にチャレンジされたい方がいらっしゃるのであれば、参考になると思います!
【「街道シリーズ」の関連記事】

・大人散策@日光脇往還
「日光脇往還」は、八王子千人同心が日光勤番への移動のために整備された街道で、「八王子街道(八王子道)」・「千人同心街道」・「日光火の番街道」と言った別名もある認識です。街道沿いには、上記「並木」のパートで紹介した写真の様に「日光街道杉並木」の石碑が建つ道でもあります。そんな「日光脇往還」の大人散策を、居住地の川越から近い事もあり実施しています。「実際のルート」や「見所・寄り道スポット」も紹介しておりますので、別記事をご参照頂けますと幸いです。
【「街道シリーズ」の関連記事】
・大人散策@川越児玉往還
そもそも「川越児玉往還」と言う道ですが、上記に記載させて頂きました、『「栗よりうまい十三里」とセットで出てくることが多い「川越街道」の延長線上にある道』で、「川越から児玉を通り、高崎に延びる道」を「川越児玉往還」と呼ぶようです。詳細は、「川越街道」の記事でご確認頂きたいのですが、「川越から高崎へと延び、ここで中山道と交わる道」です。
そんな「川越児玉往還」。川越近辺限定ですが、「川越~高坂(東武東上線の高坂駅)」までの区間の「大人散策/ポタリング」を実施しております。つまり、「城郭跡・神社仏閣・古墳・季節の花々・巨木」と言った「「大人散策/ポタリング向けのスポット」を、具体的なルート共に別記事にて紹介しておりますので、「川越近辺にお住まいの方限定」かもしれませんが、是非ご参照頂き、「大人散策/ポタリング@川越児玉往還」を楽しんでみてはいかがかと思います!
【「街道シリーズ」の関連記事 + α 】
・大人散策@信玄棒道 & 三国街道(戦国武将関連)
そして最後に、ブログ全体の構成上、「街道シリーズ」に含んでおりませんが、「歴史好きの方が多く集う本ブログでは、欠かせない道」も紹介します。それは、『武田信玄に関連深い「信玄棒道」』、そして、『上杉謙信に関連深い「三国街道」』です。
「信玄棒道」は、武田信玄が、信州(現長野)を攻略するにあたり整備した「軍用道路」と言われ、山梨・北杜市から、諏訪・高遠の方面に進むエリアにあり、八ヶ岳の西側(甲州街道・20号線がある方)を通る道にあたります(八ヶ岳寄りの道なので、甲州街道とは勿論違いますが…)。「現代では、山の中を散策できる、整備されたハイキングコース」ですが、道々には石像等を随所に確認でき、「自然と歴史を同時に感じる事が出来る不思議な道」で、「歴史好きの大人には、是非訪れてもらいたい道・古道」です。
また「三国街道」は、「関東と越後を結ぶ三国峠を通る道」で、古くから利用されており、「上杉謙信の関東遠征の際にも利用された道」と認識しております。そして、その三国街道が通る、温泉地として有名な「 猿ヶ京」は、「上杉謙信が名付親」とも言われているようで、「三国街道の痕跡」を感じる事が出来るエリアです。つまり、「信玄棒道」同様、「三国街道」も「歴史好きの大人には、是非訪れてもらいたい道・古道」という事です(温泉情報も併せてご参照ください!)。
【「大人散策@戦国武将関連の道:信玄棒道 & 三国街道」の関連記事】
【最後に】
以上が、「別記事で取りあてれおります、五街道(東海道/中山道/日光街道/奥州街道/甲州街道)・鎌倉街道・東山道等に関し、『街道シリーズのまとめ記事』を紹介」させて頂いた内容になります。
いくつかの切口で、「それぞの街道の概要や考察」に加え、「街道を楽しむ大人散策情報」を記載させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 街道には歴史があり、日本史を考えつつ散策するには、最適な切り口だと思います。皆様も機会があれば、街道を切り口に、日本の歴史に思いを馳せ、地形や文化を感じつつ、大人散策に出掛けてみてはいかがでしょうか?
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