大内宿

【はじめに:大内宿の概要】

皆さんは、大内宿をご存じですか? 

知らなくても、写真は見たことあると思います。大内宿は、会津西街道にある宿場町で、現在は、かやぶき屋根の建物が軒を連ね、江戸時代の雰囲気をそのままに伝える観光地です。また、Wikipediaによると、以下の様にあります。

”会津西街道は、江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された、会津の若松城下から下野の今市に至る街道。(略)経路は福島県会津若松市から栃木県日光市今市(旧今市市)までの全長130キロメートルに及び、現在の福島県道131号下郷会津本郷線、国道121号に沿っている” 

https://ja.wikipedia.org/wiki/会津西街道

こんな歴史を五感で感じることが出来る、大内宿を紹介します

【川越から大内宿への道のりで見られた景色と道のり】

数年前の夏休み休暇、福島に行こうと、川越の自宅を車で出ました。外環から東北自動車道に出て、東北自動車道を北にのぼり、白河インターチェンジで降り、289号線を進んで、峠を越え、大内宿をまわり、会津若松で観光するコースです。

白河インターチェンジを降り、289号線を進んでいくと、ビュースポット的な場所を発見。川越から休みなく走り続けていたので、休憩も兼ね、車を止めました。もうびっくりするくらいの景色で、一気に旅モードに。阿武隈川の源流域に近い景色だと、看板で認識しました。

しばらくの休憩の後、また車に乗り込み、峠越えです。峠越えとは言っても、道は広く整備されており、自然の中を気持ちよく走れる感じでした。峠を越え、そろそろ大内宿かなーと思っているところで、川を発見し、ビックリ。”阿賀川” とあります。この時になぜビックリしたかと言うと、阿賀野川と勘違いしたからです。そう、

阿武隈川は、福島を縦断し、宮城で太平洋にそそぐ川一方、阿賀野川は、新潟で日本海にそそぐ川

つまり超えてきた峠は、太平洋と日本海の「中央分水嶺」だったと思った訳です。でもよく考えてみれば、新潟の川は、”阿賀野川”。「なーんだ勘違いか」とその時は、思って、大内宿に進みました。

しかし後日談で、勘違いと思った、阿賀野川と阿賀川、帰宅後調べてみると、同じ川でした・・・。阿賀川は、会津若松抜け、新潟に入り、阿賀野川と名前を変え、日本海にそそいでいました(名前を変えるなんて、千曲川と信濃川みたいです・・・)。あの時に、「中央分水嶺を超えたんだー」(正確には、トンネルでくぐったのですが・・・)と思った事の記憶が、その時に改めてよみがえりました。

【大内宿の正直な印象は、江戸時代へのタイムスリップできる空間!】

大内宿に到着し、若干離れた駐車場に車を止め、歩き始めました。宿に入って行くと、もはやタイムスリップです。写真では見ていましたが、かやぶき屋の建物、舗装されていない道。注意を怠ると落ちてしまいそうな、水路。現代ではありません。お土産物屋さんや、カフェ、食事処が目に付くので、現代ですが、外からの見た目は、タイムスリップしてしまったとしか思えません。

4~500Mくらいの通り全てがそんな感じなので、感動の一言です。一番端から端まで歩き、北の方(水路の流れを登っていった方)に行くと、山になり、階段を発見。何気なく登り、通ってきた宿場町を見ると・・・。理解できました。よく写真で紹介される大内宿のイメージ図。まさにこの場所です。そして、この場所からだと、尚、宿場の様子がわかり、更にタイムスリップ感が高まります。「江戸の昔ってこんな感じだったんだろうなー」と思いながら、何枚も写真を撮りました。

【会津の地で、高遠そば(長野)と言われる理由】

全体を見終えて、通りに戻り、遅めのランチです。有名な、長ネギで食べる高遠そばを頂戴しました(最終的には、箸で頂戴しました・・・)。夏の暑い時期には、辛味大根が食欲をそそります。食べ終えて、お腹も落ち着き、「うん?」、「高遠?」と・・・。でもよく考えてみれば当然。会津藩は、徳川秀忠のご落胤、保科正之が、会津松平氏の初代藩主の藩。高遠から山形を経て、会津藩松平家の初代藩主となった人なので、納得できました。Wikipedia にも、以下の様にあります。

”正之が会津転封の際に一緒に連れて来た蕎麦打ち職人から続く伝統の蕎麦は、正之が初めて藩主となった高遠藩に由来して「高遠そば」と呼ばれ、福島県会津地方に根ざしてきた”

https://ja.wikipedia.org/wiki/高遠そば

桜が美しい、高遠城址公園。武田勝頼の居城でもあった高遠城。新宿御苑は、高遠藩の下屋敷だった場所。と言った感じで、高遠の連想ゲームを心の中でしながら、高遠そばの味を思い出しつつ、明日以降の福島観光をすべく、その日は宿に向かいました(福島観光における、会津若松城会津松平氏庭園の御薬園/武家屋敷の記事は、別途記載しています。また高遠の隣、諏訪に関する記事も、宜しければご参照ください)。

【最後に:他の宿場町・通りとの比較】

上記にも記載しましたが、大内宿は、本当にタイムスリップして、江戸時代を味わえる雰囲気を醸し出しています。私の住まう川越も、江戸を味わえる小江戸、なんて言われますが、川越は、江戸時代の商業を、大内宿は、田舎の宿場町を、それぞれ連想する様なイメージです。また、別記事でご紹介しました、長野県上田市の柳町や、東御市の海野宿とも、まったく違った雰囲気を醸し出しています。日本人で、大人になったからには、一度は大内宿に足を運び、古き良き、江戸時代の日本を感じるべく、タイムスリップしてみては、如何でしょうか?

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