広島城の見所:戦国 / 江戸期・明治期・昭和期(太平洋戦争時)のそれぞれの広島城を意識しつつ大人散策! (広島・宮島・尾道・福山を巡る歴史旅)

広島城
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【はじめに】

広島の旅(広島城・原爆ドーム・宮島・尾道・福山城…)

🔗 関連記事:「広島の旅!:広島城・原爆ドーム・宮島・尾道・福山城等を巡る!歴史旅(まとめ記事)」は、こちらよりご参照ください!(更新中)

こちらのページでは、「江戸期前の毛利氏の築城から太平洋戦争末期まで天守が存在し、旧国宝24城の1つにも数えられた『広島城』を巡った実際の大人散策情報を独自の視点とともに共有」させて頂きます。

📚本記事で得られる情報📚
✅「広島城」の超概要・歴史(「戦国・江戸・明治・昭和」でどう姿を変えたか)
✅「広島城」の様々な時代を意識した大人散策情報(実行版:原爆で失われた旧国宝時代の広島城・現在の広島城で、どこを見れば各時代を感じられるか…)

本ブログ別記事にて、紹介させて頂きました広島城「いつかは参りたい城郭」として、常に頭の片隅にあったお城なので、別記事で紹介申し上げた通り、広島城・福山城を巡る4泊5日の旅(プランニング)の様にバッチリ周辺も含めた登城プランを計画しておりました。そんな中、広島城が一旦閉城になる」と言う情報を2025年の中盤にキャッチ。「一旦」とは言いつつも、「耐震性向上の工事」で済ませるのか、「木造で復元」するのか解らない状態で、いずれにしてもこの機会を逃したら、「『昭和の広島城天守(1958年竣工))』を拝見できなきなる可能性もある…」と思った次第でした。その為、広島城・福山城を巡る4泊5日の旅(プランニング)をべーズに、「4泊5日の広島・宮島・尾道・福山を巡る歴史旅(更新中)」を実行した次第です。言い換えると、川越居住の私達夫婦にとって、広島までの道のりはそれなりのもので、仕事であればともかく、プライベートで、しかも周囲のスポットも巡る「4泊5日」の旅は、「今週計画して来週登城」と言う訳にもいかず、結局広島城が一旦閉城の直前=2026年早春」に、ついに訪問が実現した次第でした。実際の訪問にあたっては、居住地の川越を朝一に出発し、新幹線で広島駅まで参って、「広島駅と広島城の間」にある、別記事紹介の「縮景園」を訪問した後、お邪魔した次第です。

こちらのページでは、そんな経緯でお邪魔した広島城に付き記載いたします。すなわち、「江戸期前の毛利氏の築城から太平洋戦争末期まで天守が存在し、旧国宝24城の1つにも数えられた『広島城』を巡った実際の大人散策情報に付き共有」させて頂きます。

【広島城の概要・歴史 ⇒ 「大人散策@広島城」のポイント】

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早速、実際の「大人散策@広島城に付き、報告申し上げたい所ですが、まず「広島城の概要・歴史」を抑えさせて頂きます。とは言っても、もう既に別記事で、かなり突っ込んで紹介しておりますので、こちらでは超概要のみ以下に記載させて頂きます(詳細情報は、別記事お城を楽しむ:「広島城」 太平洋戦争末期の原爆により崩壊してしまった「旧国宝24城の1つ」を大人散策 + α (広島)をご参照ください)。

広島城は、別称を「鯉城(りじょう)」とも言い、現・広島市にあった安土桃山時代から江戸時代の城郭で、現在は「国の史跡」および「日本100名城」に選定されている。大坂城岡山城などと共に「初期近世城郭」の代表とされ、名古屋城岡山城(・二条城松本城?)と共に「日本三大平城」に数えられるケースもある城郭の理解(諸説ある様で、一般的には「日本三大平城名古屋城岡山城二条城」の理解ですが…)。
その歴史を見ると、広島は戦国時代に毛利元就が安芸武田氏を滅ぼし、厳島の戦いで陶氏(この時点で大内氏を事実上乗っ取っていた)に勝利したことにより毛利氏の支配下に入り、孫の輝元の時代に、この地の「最も広い島地(のちの広島)」である五箇村(太田川河口のデルタ地帯)に、関ヶ原合戦の前に初代の城郭が築城された(1589年開始)関ヶ原合戦後に入封した福島氏は20年弱で改易されるが、その後は浅野氏の居城としての時代が明治時代に至るまで続き、城郭も残った。明治の廃藩置県後、広島城周辺には軍関連施設が建てられるようになり、日清戦争期には大本営も置かれ、その後軍事関連施設が集積した広島は、太平洋戦争末期にアメリカ軍による原子爆弾投下の対象となり、「国宝保存法の国宝(旧国宝)に指定されていた天守(および櫓群)」も崩壊してしまった。つまり、広島城は築城以来、江戸時代から昭和初期まで目立った戦災を免れていたことで天守が現存し、「旧国宝24城の一つ」となっていたが、太平洋戦争末期の原子爆弾投下によって失われた城郭と言う理解。
現在見られる城内の建築は、天守を含めて1958年以降に再建されたものである(天守再建は1958年)。天守は耐震性の課題から2025年度に閉館(閉城)され、将来的には木造復元も検討されているらしいが、現時点では正式な整備方針は決定していない理解でもある。

と言った理解になった次第です。そして、その中から、『「大人散策@広島城」のポイント』を記載するのであれば、以下の様になった次第です。

① 戦国〜江戸の日本を想像する

昭和に外観復元された現在の天守(日本100名城の1つ)から、旧国宝24城の1つだった「毛利氏の広島城天守」を想像してみる。毛利輝元の築城に始まり、関ヶ原前の毛利氏の統治、関ヶ原後の福島正則の時代、そして浅野氏による江戸期の長い統治…。つまり、約350年にわたって存在した “本物の天守の歴史” に思いを重ねながら歩く大人散策。

② 明治国家の歩みを考える

広島城には日清戦争期に「大本営」が置かれ、一時的に日本の政治・軍事の中枢機能が集まった。戦国の城郭が、そのまま近代国家の司令部へ転用された場所として、明治日本の拡大と近代化に思いを馳せる。

③ 昭和(太平洋戦争)の日本を見つめる

「中国軍管区司令部跡」に立つと、1945年8月6日の原爆によって旧国宝の天守や櫓群が失われた事実を感じてしまうはず。広島城は「戦国の城」であると同時に、「被爆によって歴史を断ち切られた城郭」でもある理解。その時間の重なり、悲しい歴史を感じつつ、そして未来の平和を祈りつつ歩く事が大人散策。

言い換えると、広島城は、戦国・江戸・明治・昭和という異なる時代の日本が、同じ城郭空間の中に層のように重なっている場所の理解。広島城の背後に存在した旧国宝の天守、大本営、そして被爆の記憶を重ね合わせることで、広島城は単なる観光地ではなく「過去の日本」に思いを馳せ、「未来の平和」祈念する大人散策スポットと思った次第です。

【大人散策@広島城】

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上記、『「広島城の概要・歴史」・「大人散策@広島城」のポイント』を抑えさせて頂きましたので、こちらでは、具体的な「大人散策@広島城」に付き記載致します。全体的なコースとしては、(居住地の川越を朝一に出発し、新幹線で広島駅まで参って、「広島駅と広島城の間」にある、別記事紹介の「縮景園」を訪問した後)主に、「城郭東の裏御門跡 ⇒ 天守 ⇒ 大本営跡 ⇒ 中国軍管区司令部跡 ⇒ 二の丸 ⇒ 三ノ丸 ⇒ 城外からの広島城遠望」を楽しんだ感じでした。次第以下の広島城の城内マップMap」、並びに「最下部の GoogleMyMap で作成した地図(橙色の✪印参照)」をご参照頂きつつ、ご一読頂けますと幸いです。ちなみに、「広島城の滞在時間は1.5時間弱」でした。

■ 広島駅 ~ 広島城天守

広島駅に到着後、まずは別記事紹介の「縮景園」を1時間程大人散策。その後、「広島城外堀石垣のモニュメント」を拝見しつつ、広島城へは、(元々の計画とは少々違いましたが)徒歩10-15分程で(広島駅からだと、20~30分程度でアクセスできる理解です)、城郭東側の「裏御門跡」からお邪魔しました(元々は、もっと広島城の外堀の遺構等を拝見するつもりでしたが、思いのほか縮景園が素敵な庭園であった為、時間を使ってしまった為です…)。入口には、城内にある広島護国神社の「大鳥居」があり、「ようやく来たぞ! 広島城!」と言った心持で、「大人散策@広島城」を開始した次第です。

通常、私達夫婦が城郭巡りをする際、「城郭の周辺」を踏まえてから天守にお邪魔する事が多いのですが、この日(この旅)の主役は、なんと言っても「閉城がまじかに迫った広島城・天守」。つまり、広島城・天守が閉城してしまうので、「4泊5日の広島・宮島・尾道・福山を巡る歴史旅(更新中)」を計画した正に「トリガー」と言う事で、「本丸を囲う堀」・「旧天守の礎石」を横目に見つつも、「一目散に広島城・天守」を目指した次第です。

広島城の天守に到着すると、平日にも関わらず中々の長い入城待ちの列。「本当にこの天守は閉城してしまうんだなー」と、「毛利輝元の築城に始まり、関ヶ原前の毛利氏の統治、関ヶ原後の福島正則の時代、浅野氏による江戸期の長い統治、明治期の大本営設置、太平洋戦争時の原爆投下」と言った長い歴史に思いを馳せつつ、戦後の昭和に外観復元された天守の前で入城待ちをさせて頂いた次第です。20~30分位の待ち時間でしたが、「約350年この場所にあった毛利氏の広島城・天守(旧国宝24城の1つ)」・「昭和に外観復元された広島城・天守(日本100名城の1つ)」と言った事を考えていると、あっという間に入城出来た次第でした。

外観復元された広島城・天守内部では、「広島の地形」・「シャチホコ」・「各時代の広島城縄張り・城下町の図」と言った展示があり、それぞれ楽しませて頂きつつ拝見し、「天守最上階からの眺望」も楽しませて頂いた次第です。また、「広島城下町全体のジオラマ(江戸中~後期?)」もあったので、あらゆる角度からじっくり拝見させて頂きました(以下写真では、広島城の位置(一部縮景園の位置も)を矢印でして示しています)。

■ 広島城天守 ~ 中国軍管区司令部跡

念願の「広島城・天守」を満喫した後は、「南廊下跡」(ずっと天守入城前に並んでいた場所ですが…)の先にある「南小天守跡」で、「本丸西側の景色」を拝見し、階段を下って、「旧天守の礎石」を拝見。その後、「東廊下跡」の方に移動して広島城・天守の東面」・「東小天守跡」・「二重櫓跡」・「東多聞櫓跡」・「本丸御殿跡」も拝見させて頂きました。言い換えると、「毛利氏・福島氏・浅野氏期の毛利輝元が築城した350年の歴史を誇った広島城の痕跡」を楽しませて頂いた次第です。

そして今度は、目と鼻の先にある「広島大本営跡」。つまり、「明治期の広島城の歴史」を感じる空間になる訳で、日清戦争時、天皇もいらっしゃった空間です。現在では、その建物は残っていませんが、「ここに大本営が置かれ、明治天皇が指揮をとった空間」である事を想像すると、「戦国・江戸期の広島城」とは違ったイメージの「明治期の広島城」の姿が見えてくるような心持になってしまいました。

そしてその後、「大本営」前にあった「被爆樹木」、更に「広島護国神社」・「中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑(中国軍管区司令部跡)」と歩を進めさせて頂きました。つまり今度は、「昭和(太平洋戦争時)の時代を思い起こさせる空間」になるという事です。「広島護国神社」にて、「悲しい戦争の歴史」に思いを馳せ「未来の平和」祈願し手を合わせ、「中国軍管区司令部跡」も見学。柵に覆われた施設で、その中は拝見できませんが、この場所は、爆心地から1㎞ 弱の場所にありながら「被爆の第一報を伝令した場所」になる理解。周辺も含め広島にいた方々の心持、その状況を報告した人の心持、それを思うだけで、本当に悲しい気持ちになってしまうスポットです。しかし現在の私達にできる事は、「未来の平和を祈願」する事だけ…。なんとも言えない無力感を感じつつ、「中国軍管区司令部跡」でも手を合わせ「大人散策@広島城」を継続させて頂きました。

■ 中国軍管区司令部跡 ~ 広島城外周

「明治期の広島城」・「昭和期(太平洋戦争時)の広島城」に思いを馳せた後は、「被爆樹木」もあるので、100% ではありませんが、「戦国・江戸期の広島城のイメージに切り替えます。「中御門跡・鏡石」を、「枡形になっている!」と思いつつ、「被爆樹木マルバヤナギ」と共に拝見し、「本丸」を失礼して「二の丸跡」へ「二の丸」に入る瞬間の右側にある「被爆樹木ユーカリ」を拝見しつつも、「二の丸」に入った瞬間に目に飛び込んでくるのは、復元された「太鼓櫓」・「多聞櫓」・「平櫓」・「表御門」。これらの建造物は、平成になって(1994年)復元された建造物の理解で、日本の城郭らしい佇まいを再現した建造物だと思った次第です。特に「表御門」は中々の佇まいで、「一旦閉城の天守が復活するまで広島城の顔」になるべき建造物だと思った感じでした。その後、「御門橋」を渡り、「三の丸跡」に入って、改めて振り返ると、「御門橋」越しの「西側塀・御門橋・表御門・平櫓・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓」は、立派の一言! 撮影角度に試行錯誤しながら、何枚も写真を撮ってしまった次第です…。

そして、「三ノ丸」の西側(54号線方面?)に移動して、「西側から『堀越の天守・南西隅二重櫓跡』」を撮影。こちらも中々絵になる構図で、外観復元ですが「毛利輝元築城の350年の城郭」に改めて思いを馳せ、その後は「本丸」の南側に移動。今度は、「南側から『堀越の平櫓・多聞櫓・太鼓櫓』」を撮影し、最後に「毛利輝元公像」にご挨拶申し上げ、「大人散策@広島城」をコンプリートとした次第でした。

【最後に】

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以上が、「江戸期前の毛利氏の築城から太平洋戦争末期まで天守が存在し、旧国宝24城の1つにも数えられた『広島城』を巡った実際の大人散策情報を独自の視点とともに共有」申し上げた内容になります。

「戦国 / 江戸期・明治期・昭和期(太平洋戦争時)のそれぞれの広島城を意識する大人散策」と言った内容で、広島城の大人散策情報」を記載させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 先にも記載しましたが、実は「大人散策@広島城にあたっては、もう少し広い範囲で散策を計画していたのですが、①「縮景園」で予想以上に時間がかかってしまった事、②「広島城・天守」が混雑しており予想以上に時間がかかってしまった事、③居住地の川越から広島への新幹線移動は思いのほか疲れた事、と言った理由で、「大人散策@広島城」をコンプリートの後、「原爆ドーム・平和記念公園(更新中)」と巡って、宿泊先である「ホテルマイステイズ広島 平和公園前(更新中)」に移動した感じでした。つまり、「計画していた少し広い範囲の広島城の痕跡」は巡り切れなかったという事です。「1日で、『川越から広島へ移動』+『縮景園』+『広島城』+『原爆ドーム・平和記念公園(更新中)』のスケジュール」は、「ちょっと無理なスケジュールだったかも…」と思いつつ、次回再度「大人散策@広島城」の機会に恵まれた際は、今少し時間をとって「少し広い範囲の広島城の痕跡」も巡ってみようと、夕食を頂戴した「ビストロ 巴里食堂(更新中)」で、夫婦の反省会を実地した感じでした…。

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