阿蘇神社 楼門(重要文化財、2012年10月)

【はじめに】

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こちらのページでは、『阿蘇山火口をご神体』とし、『三大楼門』でも有名な、『肥後国一宮・阿蘇神社』の概要とその魅力(と思っているポイント?)を共有」させて頂こうと思います。

📚本記事で得られる情報📚
阿蘇神社概要・歴史
阿蘇神社魅力・見所
阿蘇神社における楽しみ方の切口

本ブログ別記事で紹介させて頂きました「熊本城」と「水前寺成趣園」。熊本には、出張で何度かお邪魔させて頂く機会がありました為、早起きしたり、移動の合間を縫って「熊本城」と「水前寺成趣園」にはお邪魔する事が出来ました。「熊本城」は、出張先のすぐ近くであり、「水前寺成趣園」は、空港と出張先の間にあった為、ちょっとした調整と努力で何とか訪問出来ましたが、熊本でもう一つ気になっていた、今回ご紹介する「阿蘇神社」には訪問する事が未だできていない状況です。「熊本城」と「水前寺成趣園」の訪問も上記状況であった為、少々駆け足での訪問となってしまった為、次回、熊本への訪問がかなった暁には、改めて「熊本城」と「水前寺成趣園」に訪問し、今度は、もっとじっくり拝見させて頂きたいと思っていると同時に、「阿蘇神社」にも脚を運びたいと思っている次第です。

こちらのページでは、そんな状況で、まだ訪問が実現できていない「阿蘇神社」に付き記載させて頂きます。すなわち、『阿蘇山火口をご神体』とし、『三大楼門』でも有名な、『肥後国一宮・阿蘇神社』の概要とその魅力(と思っているポイント?)を共有」をさせて頂こうと思います。

三大楼門
 ■阿蘇神社(熊本県阿蘇市)、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、箱崎宮(福岡県)
 ■久遠寺三門(山梨県)、南禅寺三門(京都市)、知恩院三門(京都市):「三大三門」?

【「阿蘇神社」とは?】

まずは「阿蘇神社」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報集させて頂きますと以下の様にあります(引用後に、まとめを記載して折りますので、読まなくても大丈夫です)。

阿蘇神社(あそじんじゃ)は、九州中央部、熊本県阿蘇市にある神社。古くは「阿蘓神社」とも記した(銘板が現存する)。
式内社(名神大社1社、小社1社)、肥後国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社である。古代からの有力氏族である阿蘇氏が大宮司を務め、現在も末裔である阿蘇惟邑が大宮司を務める。

概要
熊本県北東、阿蘇山の北麓に鎮座する。全国的にも珍しい横参道で、参道の南には阿蘇火口、北には国造神社が位置していると言われている。中世の戦国期に肥後中部で勢力を誇示していた阿蘇氏と縁の深い神社である。現在の大宮司(代表役員)は阿蘇惟邑。

祭神
以下の12柱の神を祀り、阿蘇十二明神と総称される。
■ 一の神殿(左手、いずれも男神
・一宮:健磐龍命(阿蘇都彦命) – 神武天皇の孫。たけいわたつのみこと。
・三宮:國龍神 (吉見神・彦八井神) – 二宮の父、神武天皇の子。くにたつのかみ。
・五宮:彦御子神 (阿蘇惟人) 一宮の孫阿蘇大宮司家につながる。ひこみこのかみ。
・七宮:新彦神 – 三宮の子。にいひこのかみ。
・九宮:若彦神 – 七宮の子。阿蘇神社社家につながる。わかひこのかみ。
■ 二の神殿(右手、いずれも女神
・二宮:阿蘇都比咩命 – 一宮の妃。三宮の娘。あそつひめのみこと。
・四宮:比咩御子神 – 三宮の妃。ひめみこのかみ。
・六宮:若比咩神 – 五宮の妃。わかひめのかみ。
・八宮:新比咩神 – 七宮の娘。にいひめのかみ。
・十宮:彌比咩神 – 七宮の妃。やひめのかみ。
■ 諸神殿(最奥、いずれも男神)
・十一宮:速瓶玉神 (國造神) – 一宮の子。国造本紀によれば、初代阿蘇国造に任命された。はやみかたまのみこと。
・十二宮:金凝神 – 一宮の叔父。綏靖天皇を指す。皇統につながる。かなこりのかみ (略)

概史
孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、のちに初代阿蘇国造となる速瓶玉命(十一宮)が、両親を祀ったのに始まると伝える阿蘇神社大宮司を世襲し、この地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している (略)
延長5年(927年)に成立した『延喜式神名帳』では、肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社 名神大」および「阿蘇比咩神社」と記載され、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列している。
中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の九州平定の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年(1587年)に300町の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって、社領の寄進、社殿の造修が行われた
明治4年5月14日(1871年7月1日)、近代社格制度において国幣中社に列し、1890年(明治23年)に官幣中社、1914年(大正3年)に官幣大社に昇格した。1931年(昭和6年)11月17日、陸軍特別大演習参加後の昭和天皇が県内を巡幸。阿蘇神社も行幸先の一つとなる。
2016年(平成28年)4月16日に発生した熊本地震により、楼門と拝殿が全壊、境内の3箇所の神殿も損壊した。神社では、国、熊本県、阿蘇市の補助により2016年(平成28年)7月15日から「重要文化財阿蘇神社一の神殿ほか5棟保存修理工事(災害復旧)」として復旧工事を開始神殿3箇所は2019年(平成31年)3月に復旧工事が完了、拝殿は2021年(令和3年)7月に再建、楼門は2023年(令和5年)12月7日に竣工祭が挙行され、主要社殿の復旧工事は完了した。その後も塀や排水施設など周辺施設の工事を進め、2024年(令和6年)12月20日には楼門わきの透塀(すきべい)と御札所の竣工祭を挙行[13]。地震から8年8カ月を経て、約25億円の総事業費をかけた復旧工事は全て完了した (略)

東向きに還御門、楼門、御幸門があり、境内には社殿が3棟ある。「日本三大楼門」に数えられる楼門は、高さが18メートルあり、神社では珍しい仏閣の様式で建てられた二層楼山門式である (略)

重要文化財(国指定)
・阿蘇神社 6棟(建造物) – 2007年(平成19年)6月18日指定。
> 一の神殿(附 棟札2枚1組) – 江戸時代末期、天保11年(1840年)造営。
> 二の神殿 – 江戸時代末期、天保13年(1842年)造営。
> 三の神殿 – 江戸時代末期、天保14年(1843年)造営。
> 楼門 – 江戸時代末期、嘉永2年(1849年)造営。
> 神幸門 – 江戸時代末期、嘉永元年(1848年)造営。
> 還御門 – 江戸時代末期、嘉永元年(1848年)造営。
・牡丹造短刀(工芸品) – 1906年(明治39年)指定。第二次世界大戦後、連合軍によって接収された。以後の所在は不明。
・太刀 銘 長光(工芸品) – 1909年(明治42年)指定 (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/阿蘇神社

つまり、阿蘇神社は、、、、

阿蘇神社は、神武天皇の孫・健磐龍命(阿蘇都彦命)を一宮に祀る、第7代・孝霊天皇の時代(欠史八代の時代)に創建された式内社(名神大社1社、小社1社)、肥後国一宮の神社で、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社で、全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社の神社阿蘇山のカルデラの中に鎮座し、日本三大楼門」に数えられる「楼門」をはじめ「一 ~ 三の神殿」が「国指定の重要文化財」に指定され、全国的にも珍しい「横参道」の神社でもあり、古代からの有力氏族である「阿蘇氏」が大宮司を務め、現在も末裔である「阿蘇惟邑」が大宮司を務める、加藤氏細川氏との縁が深い神社でもある。
2016年に発生した熊本地震により、多くの建造物が崩壊してしまうが、地震から8年8カ月を経て、2024年に復旧工事を完了した

と理解した次第です。

神武天皇の孫が一宮に祭られ、神武天皇色の強い神社」に見える為、『天津神系』の神社と『天皇・皇族系』の神社の間にカテゴライズされる神社に思えると同時に、現在でも「阿蘇氏の末裔が大宮司を代々世襲し、(上記引用には記載ありませんが…)阿蘇山火口をご神体とする認識のこの地域のの地方色の強い神社』」とも思えた次第です。

【「阿蘇神社」の魅力】

上記、「阿蘇神社の概要」を抑えさせて頂きましたので、こちらでは「阿蘇神社の魅力」に付き記載させて頂こうと思います。とは言っても、最初に記載しました通り「まだ訪問を実現できていない阿蘇神社」ですので、正確には「阿蘇神社の魅力と思っているポイント」、すなわち「何故、阿蘇神社に訪問したいと思っているかの理由」に付き共有させて頂こうと思います。

■ 「歴史のある神社」と「重要建造物」

上記引用にもある通り、阿蘇神社は、「欠史八代の時代に創建」された神社。故に、そのまま捉えると、「2000年以上の歴史を持つ神社」という事になりますが、「欠史八代」ですので、何処まで信じて良いかも不明な事も事実だと思います。つまり、そうは言っても「少なくとも1500年以上、もしかしたら1700年位の歴史を持っていてもおかしくない神社」でもあると思われるという事です。戦国期から江戸期には、有名武将である加藤氏細川氏と縁が深い神社」でもありますので、その歴史を感じつつ、そして重要文化財に指定されている「一の神殿」・「二の神殿」・「三の神殿」・「楼門」・「神幸門」・「還御門」を拝見させて頂く事は、何よりの「大人散策における重要なポイント」だと思っている次第です。取り分け日本三大楼門」の1つと言われる「阿蘇神社の楼門」は、18m の高さがあるとの事ですので、その迫力を自身の目で拝見し、感じ取ってみたいと思う次第です。

Wikipediaより

■ 「パワースポット」としての魅力(があるかもしれない…)

上記引用にある通り、「阿蘇神社の建造物」は、2016年に発生した「熊本地震」により「多くの建造物が崩壊」してしまったものの、2024年には、復旧工事を完了した神社と認識しています。実は熊本地震の前年(2015年)に、熊本にお邪魔しており、この時「熊本城」を拝見し「水前寺成趣園」にも訪問をしていたのですが、熊本地震が起こった後、「熊本城」の石垣が崩れ、「水前寺成趣園」の池の水位が下がったニュース映像を拝見し、非常に心が痛んだ事強く記憶していのですが、「阿蘇神社」の建造物も崩壊してしまった様子を、同様にニュース映像で拝見し、悲しい心持になってしまった次第です。しかし最近、「その建造物が復元された」との情報をニュースで知り、『「阿蘇神社の復興」⇒「阿蘇神社の復活」⇒「復活の象徴阿蘇神社」⇒「阿蘇神社は “パワースポット”」』と言った連想ゲームが頭の中で進んでしまいました…。勝手な思い込みかもしれませんが、「阿蘇山のカルデラの中に鎮座する阿蘇神社」ですので、「地球のパワーを感じる事が出来るかもしれない」とも思ってしまい、「その長い歴史においては災害もあったでしょうが、その度に復活してきただろう」と思うと「阿蘇神社は “パワースポット”」と言うのは、「間違っていない解釈」と思っていますので、そのパワーを感じてみたいと思ってしまった次第です。

■ 阿蘇神社が鎮座する「地形」

上記の通り、阿蘇神社は「阿蘇山のカルデラの中に鎮座する神社」山梨・北杜出身で、埼玉・川越居住の私にとって「カルデラの中ってどんな感じ?」と純粋に思ってしまった次第です。「南北25km・東西18kmに及ぶカルデラと言われ、屈斜路湖に次いで日本では第2位の大きさを誇る」と言われる巨大カルデラと認識して折りますので、「カルデラの中から」、そしてそれを囲う「山の尾根から」それぞれその景色を拝見し、「阿蘇神社が鎮座する阿蘇山のカルデラ」の雄大さと迫力を感じ、「阿蘇神社が何故この場所に鎮座する事になったのか?」と言った理由に関しても思いを巡らせてみたいと思って折ります。まだ拝見できていない想像の世界ですが「こんな景色を見せられたら『神がここにいるはず!』と昔の人も思ったのでないか?」と言った様な想像をしてしまっており、大きな期待をしている次第です…。まあ、拝見してのお楽しみですが…。

Wikipediaより

【最後に】

以上が、『阿蘇山火口をご神体』とし、『三大楼門』でも有名な、『肥後国一宮・阿蘇神社』の概要とその魅力(と思っているポイント?)を共有」をさせて頂いた内容になります。

欠史八代の時代に創建されたと言われ、阿蘇山のカルデラの中に鎮座し、日本三大楼門」に数えられる「楼門」をはじめ「一 ~ 三の神殿」が「国指定の重要文化財」に指定され、熊本地震から復活した阿蘇神社。その歴史を感じ魅力的な建造物・雄大な自然の景色を堪能しつつ、パワーをもらいたいと思っている旨記載させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? まだ実際の訪問が出来て折りません為、イメージ先行の感が否めませんが、いつの日か実際に脚を運びたいと強く思っている次第です。実際に訪問できた暁には、本ブログで、報告させて頂こうと思って折ります!

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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