鎌倉・長谷寺 山門

【はじめに】

こちらのページでは、『長谷観音』や『あじさい』で有名な『長谷寺@鎌倉』の概要を抑えた上で、実際の大人散策情報を共有させて頂こうと思います。

私達夫婦が「長谷寺」にお参りしたのは、別記事で紹介中の2024年11月に実施した鎌倉を満喫する2泊3派の旅(プラスα)」の際。その日は、鎌倉での拠点「KKR鎌倉わかみや」を朝一で出発し、「鶴岡八幡宮」・「建長寺」・「高徳院・鎌倉大仏」等を「鎌倉七口・鎌倉の切通」も含め巡ったのですが、今回ご紹介する「長谷寺」には、「高徳院・鎌倉大仏」の後に参らせて頂いた次第です。実際の全体の行程は「鎌倉を満喫する2泊3派の旅(プラスα)」をご参照頂きたいのですが、この日は平日で修学旅行生に加え外国人観光客も多く、大変な賑わいの中のお参りとなった感じでした。

「長谷寺」の事は、「映画のロケ地」になっていたり、「テレビでも拝見」するので、良く存じ上げており、「特に『あじさい』が美しく、景色の良い高台の境内には、有名な『長谷観音』がいらっしゃる寺院」と言った理解を簡単にしておりました。故に、「鎌倉における大人散策」を遂行する際には「絶対にコースに入れよう!」と長年心に決めて折り、今回、「ようやく訪問がかなった寺院」と言った具合です。

こちらのページでは、そんな背景で参らせて頂いた「長谷寺」に付き記載いさせて頂きます。すなわち、『長谷観音』や『あじさい』で有名な『長谷寺@鎌倉』の概要を抑えた上で、実際の大人散策情報を共有をさせて頂こうと思います。

【「長谷寺」とは?】

まずは「長谷寺」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia にて情報集させて頂きますと以下の様にあります(引用長く、引用後に「サマリ」をまとめて折りますので、読まなくても大丈夫です)。

長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗系統の単立寺院。正式には海光山慈照院長谷寺(かいこうざん じしょういん はせでら 山号: 海光山、院号: 慈照院)と号し、長谷観音(はせかんのん)の名でも知られている本尊は日本最大級の木造仏像である十一面観世音菩薩像開山は徳道上人坂東三十三観音霊場の第四番札所である (略)

歴史
伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない
寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山した。養老5年(721年)に徳道は大和国の山中で見つけた楠の大木から二体の十一面観音を造りその一体(本)が大和長谷寺の観音像となり、もう一体(末)を祈請の上で海に流した。その15年後に三浦半島の長井浦に流れ着いた観音像を鎌倉に安置して開いたのが、長谷寺であるとされる (略)
鎌倉時代にさかのぼる遺物としては (略) 弘長2年(1262年)および徳治3年(1308年)銘の板碑、嘉暦元年(1326年)銘の懸仏(かけぼとけ)などがある (略)
康永元年(1342年)には足利尊氏が伽藍と諸像の修復を行った。明徳3年(1392年)には、足利義満が観音像の光背を修復し、行基の作という伝承のある像を前立(まえだち)として安置した。天文16年(1547年)に、北条氏康の寄進を受け、天正19年(1591年)、徳川家康から朱印状を受ける。慶長12年(1607年)、堂塔伽藍を改修し、正保2年(1645年)にも、酒井忠勝が堂宇を改修している。
長谷寺は江戸時代の初め、慶長12年(1607年)の徳川家康による伽藍修復を期に浄土宗に改宗した。当時の住持玉誉春宗を中興開山としている。太平洋戦争終戦直後に、金戒光明寺、知恩院という浄土宗の二大本山が浄土宗から独立した混乱期に、浄土宗から独立し単立となった

境内
観音堂等の主要な堂宇は海を見晴らす山腹に建てられている (略)
観音堂 – 長谷観音と呼ばれる十一面観音立像を安置する。奈良の長谷寺の観音像と同じ、右手に数珠と錫杖、左手に水瓶を持つ長谷寺式の像容である。
阿弥陀堂 – 観音堂の右手に位置し、厄除阿弥陀と呼ばれ、鎌倉六阿弥陀(高徳院の「鎌倉大仏」、光触寺の「頬焼阿弥陀」、の他光明寺、浄光明寺、宝戒寺の各阿弥陀如来像等)に数えられる阿弥陀如来坐像を安置する。同像は長谷にあった誓願寺(廃寺)の旧仏で、源頼朝が造立した像という伝承があるが、実際の制作は室町時代とされる。
・大黒堂 – 観音堂の左手に位置し、鎌倉江ノ島七福神の1つに数えられる大黒天像を祀る (略)
・観音ミュージアム – (略) 梵鐘(重要文化財)、十一面観音懸仏(重要文化財)、観音三十三応現身像等を収蔵する。
・経蔵 – 輪蔵と呼ばれる様式。
・地蔵堂 – 観音堂などの建つ山腹へ上る参道の途中に建つ。
・弁天堂 – 山門を入って右手に位置し、空海(弘法大師)が刻んだという伝承をもつ弁才天像(宝物館に収蔵)を祀る堂の近くには弁天窟がある。
・弁天窟 – 弁天堂前の放生池近くにある、弘法大師参籠の地と伝わる洞窟 (略)
・かきがら稲荷 – 鐘楼脇にある。漂着した際に、長谷観音像に付着した蛎殻を祀っているという伝承がある。
・本堂 – 山門に入る前の右手に、寺務所と軒続きにある。平成になって完成した。純木造(台湾檜)。もっぱら壇徒の法要に使用され、非公開 (略)

文化財
・重要文化財
 > 梵鐘:文永元年(1264年)銘
 > 十一面観音懸仏 6面:懸仏(かけぼとけ)は、神の憑代(よりしろ)としての円鏡の上に本地仏としての仏像を表した「御正体」(みしょうたい)の一種で、銅製などの円板に立体的な仏像を取り付けたものを指す。長谷寺には重要文化財指定の懸仏が6面あり、うち3面にはそれぞれ嘉暦元年(1326年)、元徳2年(1330年)、元徳3年(1331年)の銘がある。
・その他の文化財
 > 木造十一面観音立像(本尊)
像高9.18メートルの巨像で、木造の仏像としては日本有数のもの (略) 後世の修復が多く、造立年代は定かでないが、室町時代頃の作と推定されている。1964年(昭和39年)の調査により文明17年(1485年)の修理銘札が見出され、延宝5年(1677年)にも修理が行われたことがわかっている (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/長谷寺_(鎌倉市)

つまり「長谷寺」に関し、以下の様に理解させて頂いた次第です。

長谷寺は、「長谷観音」としても知られ、日本最大級の木造仏像である「十一面観世音菩薩像」を本尊とし、「坂東三十三観音霊場(他の霊場:杉本寺浅草寺慈光寺岩殿観音/正法寺吉見観音/安楽寺立木観音/中禅寺等を別記事で紹介中)の第四番札所でもある「浄土宗系統の単立寺院(宗派には属さない独立した寺院)」。伝承では『長谷寺の創建は奈良時代とされ、大和の長谷寺(奈良県桜井市(大神神社の東))の開基である「徳道」が、大和国の山中で見つけた「楠の大木」から「二体」の「十一面観音」を造り、「その一体が、大和長谷寺の観音像」となり、「もう一体を祈請の上で海に」流し、その「15年後に三浦半島の長井浦に流れ着いた観音像」を「鎌倉に安置」して開いたのが「長谷寺」である』とされるが、一般的には『創建の正確な時期や経緯について “解明されていない” 』とされている様子。
足利尊氏が伽藍と諸像の修復を行ったり、足利義満が観音像の光背を修復したり、北条氏康からの寄進徳川家康から朱印状を受けたりしてきた歴史を持ち、また太平洋戦争終戦直後に、金戒光明寺・知恩院という浄土宗の二大本山が浄土宗から独立した混乱期に「浄土宗から独立し ”単立”」となった歴史も持つらしい。
「観音堂等の主要な建造物は、海を見晴らす山腹」に建てられ、「長谷観音と呼ばれる十一面観音立像を安置する『観音堂』」・「高徳院・鎌倉大仏と同じく『鎌倉六阿弥陀』に数えられる阿弥陀如来坐像を安置する『阿弥陀堂』」・「梵鐘・十一面観音懸仏(重要文化財)、観音三十三応現身像等を収蔵する『観音ミュージアム』」と言った施設にに加え、「あじさい」に代表される季節の花々が有名な寺院が『長谷寺』

と言った理解をさせて頂いた次第です。

【「長谷寺」で大人散策!】

上記、「長谷寺の概要」をその歴史も含め抑えさせて頂きましたので、こちらでは「長谷寺における実際の大人散策情報」の共有をさせて頂きます。「長谷寺」の「大きな提灯」がかかった「山門」の脇に「拝観券売り場」がありますので、そこから入り、境内を巡って再びこの「山門」に戻って来る形になります。以下、それぞれ記載いたしますので、最下部のGoogle May Mapで作成した地図(金色の★印)と併せてご参照頂けますと幸いです。

■「山門」脇の「拝観券売り場」から入って「観音堂(本堂)」へ

「長谷寺」の「大きな提灯」がかかった「山門」の脇、「拝観券売り場」で拝観料を払い、境内に入ります。右手に日本庭園の様に整備された「放生池」がありますので、そちらを拝見しつつ、左手の「手水鉢」でお清めして、階段を登ります。すると右手に「かわいらしいお地蔵さん」「卍池」とあり、多くのお地蔵様(「千体地蔵・水掛地蔵(水子やご先祖様の供養で奉納されたお地蔵様らしい))が周囲を囲う様に「地蔵堂(子孫繁栄の御利益がある「福徳地蔵」をお祭りしている)があります。そして更に階段を登ると、「観音堂(本堂)」があるエリアに出ますが、まずは「かきがら稲荷大明神(引用中にもあった「本尊の十一面観音像」が、海を漂っている際に付着した牡蠣殻をお祭りしているらしい)「鐘楼」、更には高徳院・鎌倉大仏と同じく “鎌倉六阿弥陀” に数えられる阿弥陀如来坐像を安置する「阿弥陀堂」をお参りし、「観音堂(本堂)」に向かいます。

「山門」から「観音堂(本堂)」の様子

■「観音堂(本堂)」から、境内最高所の「眺望散策路(あじさい径)」へ

「観音堂(本堂)」まで来たら、(作法はさておき)「御朱印(いくつか種類があるようです…)を頂戴すると同時に、「ご本尊の “十一面観音立像”」に手を合わせ、じっくり拝見していただきたいと思います。(観音様なので当然と言えば当然ですが)穏やかなお顔立ちの凛としたお姿は、心が洗われるものですが、同時に「木造の仏像としては日本有数の大きさを誇る 9m 以上の巨象」なので迫力も満点。祈りの対象であると同時、芸術作品としてご覧頂くべきではないかと思う次第です。その後、隣接する「観音ミュージアム」でも「多くの観音像」「懸仏(=かけぼとけ:鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた物)を拝見できますので、併せてご見学頂き、その後、「四天王像」の奥の散策路より、「眺望散策路(あじさい径)」へ向かいます。「眺望散策路(あじさい径)」は、それなりの高低差があり、その散策路いっぱいに「あじさい」が植えられています。私達夫婦の訪問は11月でしたので、「あじさい」のお花は見れませんでしたが(また「あじさい」の季節に参りたいと思います!)、眺望は非常によく「鎌倉のまちと由比ヶ浜から続く海の絶景」を堪能する事が出来た次第です。

「観音堂(本堂)」から境内最高所の「眺望散策路(あじさい径)」の様子

眺望散策路(あじさい径)から、「見晴台」へ

「眺望散策路(あじさい径)」で、(「あじさい」の季節であれば「あじさい」は勿論)鎌倉のまちと由比ヶ浜から続く海の絶景を堪能した後は、「眺望散策路(あじさい径)」を下りていくのですが、”それりの高低差” ですので、途中の「観音様 & 石仏群」も見学頂きつつ、お気をつけて、ゆっくり下りてください。下りきると、「かわいらしいお地蔵様がいらっしゃる美しい “竹林”」があり、その先に「経蔵(転輪蔵)」、その向かいに「海光庵(Cafe?)があります。私達夫婦もこちらで一休みさせて頂こうと思っていたのですが、実際に行ってみると満席。仕方なくその先の「見晴台」の脇にある売店で、”お団子” と “甘ざけ” を購入し、鎌倉のまちと由比ヶ浜から続く海の絶景を拝見しつつ一休みさせて頂いた次第です。

「眺望散策路(あじさい径)」から「見晴台」の様子

■「見晴台」から、「弁天窟」を巡って「山門」から失礼する

「眺望散策路(あじさい径)」に続き、「見晴台」でも鎌倉のまちと由比ヶ浜から続く海の絶景を楽しんだ後は、来た道を戻る形で「放生池」まで行き、改めて日本庭園の様に整備された美しい「放生池」を堪能して、「和み地蔵」も拝見しつつ、「弁天堂」「弁天窟」へ向かいました。尚「弁天窟」は、「弘法大師が修行の為に籠ったと言われる洞窟」だそうです。私達が籠る訳にはいきませんが、追体験的に洞窟内を見学できますので、弘法大師の思いを感じつつ、内部を見学させて頂いた次第です。その後は、周囲にある「書院(写経・写仏)」「大黒堂」「寺務所」等を外から拝見させて頂き、最初の「山門」に戻って、「長谷寺での大人散策」をコンプリートとさせて頂いた次第です。

「見晴台」から「弁天窟」を巡って「山門」へ

【最後に】

以上が、『長谷観音』や『あじさい』で有名な『長谷寺@鎌倉』の概要を抑えた上で、実際の大人散策情報を共有させて頂いた内容になります。

11月の訪問であった為、「あじさい」を拝見する事はできませんでしたが、『「阿弥陀堂」の “鎌倉六阿弥陀” に数えられる「阿弥陀如来坐像」』・『「観音堂(本堂)」の「ご本尊の “十一面観音立像”」』・『鎌倉のまちと由比ヶ浜から続く海の絶景』は本当に素晴らしく、心が浄化されていくのを実感できる大人散策となった次第です。

古都・鎌倉 2泊3日の旅

尚、別ページにて、①「鎌倉」ってどんな都市?その歴史は?、②鎌倉を満喫する2泊3派の旅(プラスα)、③鶴岡八幡宮の大人散策情報、④鎌倉五山筆頭・建長寺の大人散策情報、⑤鎌倉大仏で有名な高徳院の大人散策情報、⑥長谷観音・あじさいで有名な長谷寺の大人散策情報、⑦鎌倉宮/永福寺跡の大人散策、⑧鎌倉七口・鎌倉の切通しを大人散策、⑨大人の宿:「KKR鎌倉わかみや」の宿泊情報、⑩大人レストラン:松原庵で美味しいお蕎麦のコースを満喫、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂き、「皆様の大人散策@鎌倉」に少しでも貢献出来たら幸いと存じて折ります!

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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