【はじめに:もう一つの五稜郭@長野・佐久市の概要】
皆さんは、五稜郭と言うと、何処を連想されますか? 九分九厘、函館の五稜郭(別記事で紹介しています)だと思います。しかし、長野県の佐久市にも、五稜郭があるのです。中々知られていない、長野県の五稜郭を、今回は紹介したいと思います。(上記航空写真は、日本地理院より)
私の故郷は、山梨県北杜市。その小淵沢(別記事で北杜市を紹介しています)と言うところから、長野県の小諸市(別記事で小諸市を紹介しています)にかけて、小海線と言うローカル電車が出ております。その途中の、その名も「龍岡城」と言う駅の徒歩圏内に、このもう一つの五稜郭、龍岡城があります(もひとつ小淵沢側の駅、臼田駅でも同じくらいの距離で行けるの認識ですが・・・)。また、車であれば、駐車スペースもありますので、城跡のすぐ隣まで行く事が出来ます。(2021年9月にお伺いした際は、隣接する五稜郭公園に駐車させて頂きました)
このもう一つの五稜郭・龍岡城には、小学生の頃に、両親にドライブがてら、つれていかれ、その後2回ほど訪れたことがあったので、知っていましたが、あまり知られていないお城(跡)だと思います。しかし、それは当然のことで、事実、「龍岡城」と言うネーミングは、若干通称的な名称で、正式には、「陣屋」だからです。Wikipedia によると、以下の様にあります。
”龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口にある日本の城跡。幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていた。龍岡藩は1万6千石の小藩のため厳密には城ではなく陣屋である。日本に二つある五芒星形の星形要塞のうちの一つである(もう一つの例は北海道函館市の五稜郭)。別名は龍岡五稜郭、あるいは桔梗の花にたとえて桔梗城。国指定の史跡”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/龍岡城
また同様に、五稜郭を調べてみると、以下の様にあります。
”五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府により新しく開港され防備の必要となった蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。同時期に築城された長野県佐久市の龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが、単に「五稜郭」といえば函館の城郭とする場合も多い”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/五稜郭
言い換えますと、「龍岡城は、正式には、陣屋だが、日本で五角形の形をした2つのお城(跡)として、認識されている」と言う事でよい気がします。
【もう一つの五稜郭@長野・佐久市を知る】
この龍岡城、函館の五稜郭同様、お城の周辺からは、その形を認識するのは、難しいです。案内板もあり、ある程度はイメージできますが、「なるほど!」までの納得感を得るには、お城周辺では、厳しいと思います。函館五稜郭では、”五稜郭タワー”なるものがあり、エレベーターで、スッーと登り、全容把握可能ですが、ここ龍岡五稜郭では、もう少し、努力が必要です。
それは、龍岡五稜郭の北側に、”五稜郭展望台”と言う場所があるので、そこまで登る必要があると言う事です。ちょっとわかりにくい道ですが、龍岡五稜郭の北側の山の麓に、蕃松院と言うお寺があり、その少し東側に登山道の様な山道への入口があります。大人ハイキングで、30分~1時間と言ったところでしょうか? 折角の五稜郭ですから、高い所から見て頂き、全体把握していただきたいと思いますので、努力を惜しまず、ちょっとハイキングしてみて下さい。
それなりの斜面ですので、気を付けながら登って頂く必要があり、それなりの体力が必要ですが、高所からの眺めは非常に良いものです。(山道に入り直ぐ、地元の方々のお墓がありますので、敬意をもって通行頂くべきかと存じますが、適度に案内板もあり、迷わず行けると思います。詳細は、以下写真ご確認ください) また、西側の林道の様な道もあり、途中までは、小さな車でも行けるようですが、私は行ったことがないので、詳細情報は、ここでは控えさせていただきます。
そして、この龍岡五稜郭、現在は小学校になっています。田口小学校と言うらしいです。通っている小学校が、城跡なんて、なんか格好いいですよね。学校の名前も、「龍岡五稜郭小学校」なんかに変えたりしないんですかね? そうすれがば、大人になって、”五稜郭に通っていた”、なんていったら話の良いネタになりますし・・・。「五稜郭」と言う名の響きは、それだけの価値がある様な気がします。駅の名前も、「龍岡城」でなく、「龍岡五稜郭」にしてしまえばよい気がするのは、私だけでしょうか?
しかし同時に、たった15年程度の歴史でしたが、江戸から明治にかけて、時代のしんがり役を務めた、輝かしい歴史を持つ、函館五稜郭に少し遠慮したような、日本人らしさも、私としては、感じている次第です(詳細は、函館五稜郭のは別記事ご参照ください)。
また、追加の情報として、龍岡城の北側には、このお城の北側の入口が、綺麗な桝形を留め、残っております。さほど大きくはありませんが、五稜郭の形同様、しっかりと工夫され、このお城が築城された事、ご理解いただけるのでないかと思います。さほどの距離はありませんので、脚を伸ばしてみてはいかがでしょうか?
【最後に:もう一つの五稜郭@長野・佐久市の歴史と函館五稜郭の比較】
最後に、龍岡五稜郭の歴史も簡単に、調べておきますと、こちらも同様に、Wikipedia によると、以下の様にあります。
”文久3年(1863年)、三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)は、分領である信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋新築の許可を江戸幕府から得た。(略)西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでいた乗謨は、新たな陣屋として稜堡式城郭(星形要塞)を設計する。文久3年(1863年)11月、いくつかの築城候補地の中から田野口村を選定。元治元年(1864年)3月に建設を開始した(建設開始は文久3年(1863年)11月ともいう)。(略)慶応2年(1866年)12月には石垣と土塁が竣工、慶応3年(1867年)4月には城郭内に御殿などが完成した(略)”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/龍岡城
つまり、函館五稜郭の築城開始は1857年、完成は1866年ですので、ほぼ同時に築城されたと言う事です。と言う事は、この松平乗謨と言う殿様、中々の切れ者ですよね? 規模感や費やせる費用にこそ違いはあれど、幕府の直轄領で企画されている事と同じ発想で、築城を進めたと言う事ですから!
そんな、もう一つの五稜郭、龍岡五稜郭。函館五稜郭の様な規模もないですし、周辺も観光地化されていません。形状を見るにも努力が必要です。しかし、築城主の思いと、日本に2つしかない、五稜郭である龍岡五稜郭、一度足を運んで見るのも、大人の楽しみ方の1つでは、ないでしょうか?
尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5城、現存12天守、現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!