【はじめに】
こちらのページでは、庭園(公園?)として有名な新宿御苑を起点に、その見所/楽しみ方と共に、新宿の歴史の始まりとなったこの地に付き考察を加えさせて頂きます。
皆様は、「新宿御苑」をご存じでしょうか? 「新宿御苑」に、いらした事はございますでしょうか? 西に新宿駅、南東に国立競技場等が、すぐ近くにあり、出入り口も「新宿門」・「大木戸門」・「千駄ヶ谷門」とあるので、新宿駅/新宿三丁目駅/新宿御苑前駅/千駄ヶ谷駅/国立競技場駅といった辺りが、最寄り駅となる様ですが、四谷三丁目駅/北参道駅/代々木駅からも十分徒歩圏内だと思っており、庭園と言うより公園と言った方が適切と思われる広大な敷地に、即座にアクセスできる「都会のオアシス的な施設」だと思っております。私達夫婦もよくお邪魔させて頂くスポットで、春の桜・夏の新緑・秋の紅葉と季節を楽しむと同時に、「日本庭園」のみならず、「開放感たっぷりの広い芝庭」と「幾何学的な洋風の庭園+そこに植えられた花々」を楽しむ事が出来る庭園(公園?)と認識しており、事ある毎にお邪魔しております。
そんな「新宿御苑」ですが、少し歴史を振返ってみると、「新宿の礎はこの新宿御苑にある」と思う様になり、周囲のスポットも含め散策する事で、その魅力を理解できる大人散策が可能なエリアだと思った次第です。その為、こちらのページでは、「新宿御苑の概要と見所(楽しみ方)」に加え、「新宿の始まりとなったその歴史」に付き情報を整理した上で、考察を加えさせて頂こうと思います。
【新宿御苑の概要と見所/楽しみ方】
まずは、新宿御苑の概要から抑えさせて頂きます。Wikipediaの「新宿御苑」の項目には、以下の様にあります。
新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、東京都新宿区と渋谷区に跨がる環境省所管の庭園である。
概説
もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。 1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなったが、第二次世界大戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。2006年(平成18年)に、「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた (略)
新宿御苑の様子(Wikipediaより) 見所・イベント
御苑内は約58ヘクタールのスペースに「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」を組み合わせており、樹木の数は1万本を超える。日本さくら名所100選に選定されており、65種・約1300本の桜があり、春には花見の名所として大勢の観光客で賑わう。ソメイヨシノが見ごろを迎える3月下旬から4月上旬にかけても多くの来園者を迎えるが、一般財団法人国民公園協会ではイチヨウを御苑の桜の代表品種として位置付けており、イチヨウ等の多品種のヤエザクラが見ごろを迎える4月中旬から下旬を御苑の桜のベストシーズンと位置付けている。「玉藻池」を中心とする回遊式日本庭園は、内藤家下屋敷の庭園『玉川園』の遺構であり、安永元年(1772年)に完成した。また東西に連なる「上ノ池」「中ノ池」「下ノ池」はもともと渋谷川(穏田川)の最上流部にあたり、本来の谷地形を利用して池としたもの。
新宿御苑の旧新宿門と現在の新宿門 多くの温室植物を集めた大型温室は1958年(昭和33年)に完成し、当時としては東洋一の規模であった。2007年(平成19年)5月13日に建て替えのため閉館し、2012年(平成24年)11月20日にリニューアルオープンした (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/新宿御苑
「高遠藩内藤氏の屋敷跡に、新宿植物御苑(皇室の所有と理解)としてオープンし、現在は、国民公園の新宿御苑。内藤氏の下屋敷時代に作られた遺構が残る日本庭園に加え、西洋式の庭園も楽しめ、温室を含め多くの植物を楽しめる空間で、特に桜:ソメイヨシノや八重桜のイチヨウ(「イチョウ:銀杏」ではなく「一様」)が、おすすめなので、4月中旬位がベストシーズン」と理解させて頂きました。そんな新宿御苑の楽しみ方(個人的主観かなり入ります…)を、以下に記載致します。
■木々や花々と言った植物を楽しむ
桜、特にイチヨウ(一様)が、お勧めとWikipediaには記載がありますが、広大な敷地の新宿御苑には、多くの種類の植物があり、更には温室もあり、桜だけではなく、様々な植物の美しさを、四季折々のタイミングで楽しめます。西洋式庭園の「整然と並んで植えられたプラタナスの新緑にバラの映える様」や「芝の広場の中央付近にあるユリノキの大木が立つ様」も素敵ですし、秋には、「イチョウ(銀杏)やモミジの紅葉」も美しく、「菊の展示」もされ、一つ一つ大輪を咲かせる菊や、いくつもの菊の花を一つの作品に仕上げた ”菊花壇展” 等、かなりの見応えで、どの季節に行っても、四季と共に植物が楽しめる事は、新宿御苑の魅力の一つだと思い、広大な敷地で大人散策を楽しむ事が出来ます。
■庭園を楽しむ
新宿御苑には、いくつかの種類の庭園がある認識です。上記「西洋式庭園」と一括りに記載してしまいましたが、先のWikipediaの引用にある通り、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」に加え、「日本庭園」があると言う意味です。新宿御苑のMapと共に、今少し配置を見てみますと、大木戸口の南側に、「内藤家の下屋敷時代の『玉川園』をベースにした玉藻池を中心とした回遊式の『日本庭園』」があり、その南は、「広い芝で、自然の風景を模した『イギリス風景式庭園』」がつながり、その東には、「幾何学的に整然と整理された『フランス式成型庭園』」があります。
更に、イギリス風景式庭園の南には、「渋谷川につながる谷を利用して、現在では東西に池が連なる『日本庭園』」になっていると言った理解をしております。言い換えると、中央に配置された自然風景を特徴とする「イギリス風景式庭園(の広い芝)」が、少し個性の違う「フランス式整形庭園」と「日本庭園」の橋渡しをしている設計になっていると理解した次第です。それぞれ違ったカラーを持つ庭園を上手く調和させて、違う種類の庭園を違和感なく大人散策できる庭園が「新宿御苑」だと思った次第です。
■建物を楽しむ
新宿御苑には、味のある、そして、歴史ある建物が、いくつもあります。園内南側の日本庭園にある「旧御涼亭」や、北側の(温室の西隣)にある「旧洋館御休所」、更に北側を流れていたはずの玉川上水(別記事で紹介中)沿いには、「新宿門/大木戸門衛所」があり、これらがこの庭園の代表格と認識しております(ちなみに、玉川上水は現在遊歩道になっており、そのまま四谷方面に歩を進めると「四谷大木戸跡」があります)。「旧御涼亭」は、昭和天皇の御成婚記念として、1927年に建てられた、ビンナン建築様式の特徴を取り入れた、台湾風木像建築との事で、池に面して建つその雰囲気は、異国情緒を感じさせてくれるものです。また、「旧洋館御休所」は、天皇/皇族の休憩所として1896年に建てられた洋風木造建築との事で、国の重要文化財に指定されており、「かわいらしい昔の洋館」と言った佇まい。
そして、「新宿門/大木戸門衛所」は、この庭園の守衛が利用していた昭和初期の建物との事で、「小さな洋館」といった佇まいは、ノスタルジックな雰囲気を併せ持つものです。それぞれが、それぞれの歴史と味わいを醸し出す建物ですので、大人散策の切り口としては、面白いものだと思った次第です。
【新宿御苑の始まり、内藤家の屋敷地と新宿発展の礎】
上記、新宿御苑の概要と楽しみ方(見所)を抑えさせて頂きましたので、今少しその歴史を、関係者や新宿と言うエリアの歴史も交えて、記載させて頂きます。
そもそも、新宿御苑の始まりは、「徳川家康が江戸に入府した時代に、家臣の内藤清成に屋敷地(中屋敷とも下屋敷とも言われている様ですが、時代によって違いがある様です)を与えたことに始まる」と言われているそうです。つまり、よく「新宿御苑は、高遠藩内藤家の屋敷跡地」と言われますが、これは正しいのですが、もう少し深堀利する事が出来ると言う事です。更に言ってしまうと、「内藤家がこの地を、徳川家康から拝領した時点では、内藤清成は高遠藩主ではなく、拝領した土地は、もっと広大だった」と言う事です。「ん???」という感じかもしれませんので、以下に歴史の流れと共に、伝わるエピソードを含め、まとめます。
■駿馬伝説
内藤清成が、徳川家康よりこの土地を拝領するに辺り、以下の伝説(Wikipediaからの抜粋)が、語り継げられているそうです。
(略) 清成の拝領した広大な屋敷地については伝説がある。鷹狩の際に、家康から「馬で乗り回した土地を全て与える」と言われた清成は、白馬で一気に駆け巡り広大な土地を拝領した。白馬は家康の元へ駆け戻った直後に息絶えた、という駿馬伝説である。新宿区内藤町の多武峯内藤神社には、この伝説による「駿馬塚の碑」が残る (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/新宿御苑
つまり、清成は「1590年(江戸幕府開府前)に」、四谷から代々木村にかけて20万余坪もの広い屋敷地を賜った」と言われている様で、現在の新宿御苑は、58.3 ha(1ha=10,000㎡なので、58.3ha=583,000㎡=17万~18万坪)になりますから、現在よりも広い土地を得ていたということになります。同時に、「内藤家としても『この馬が命を懸けて頑張ってくれたから、これだけの土地を手にすることが出来た』と思って、神として祀ったんだろう」と思ってしまいました…。
■高遠藩藩主の遷移
上記の通り、内藤家が江戸に屋敷地を得たのは、江戸幕府開府前の話なので、「内藤家がいつ高遠藩主になったのか?」を見て行きたいと思います。
「高遠の領主の変編」を大雑把に見ていきますと、以下の様になります。
「高遠の地は、戦国期は、諏訪氏一族の高遠氏の領地でしたが、武田信玄に奪われ、武田勝頼が居城とする等、甲斐武田家の領地となるも、武田家滅亡と共に、城主が紆余曲折し、江戸期の初めには、元々高遠氏の家臣であった、保科氏が藩主となり、高遠藩が成立した。その後、秀忠のご落胤・保科正之が、2代目の藩主となるが、出羽山形藩に移った為(その後、正之は会津に移り初代松平家会津藩主に ⇒ 会津にも「御薬園」と言う庭園があります)、鳥居氏が高遠藩主になるも、色々問題も重なり、2代で鳥居氏は改易となって、一旦高遠藩は、廃藩⇒天領となる。しかし、1691年、内藤氏が藩主となり高遠藩が復活し、内藤氏の統治の元、高遠藩は幕末まで続いた」
本当に大雑把ですが、内藤氏が高遠藩主になったのは、1700年も目の前に差し掛かったタイミングですので、内藤家が新宿の地に家康から領地を拝領してから、約100年後の話になる様です。
■内藤新宿の創設
次に、内藤新宿が出来た経緯とタイミングを見て行きたいと思います。Wikipediaの「内藤新宿」の項目には、以下の様にあります。
(略) 慶長9年(1604年)、江戸幕府により日本橋が五街道の起点として定められ、各街道で1里(約4km)ごとに一里塚を設けたほか、街道沿いに宿場が整備された。甲州街道最初の宿場は、慶長7年(1602年)に設けられていた高井戸宿であったが、日本橋から約4里(約16km)と遠く離れ、徒歩を主な手段とする当時の交通には不便であった (略)
元禄10年(1697年)、幕府に対し浅草阿部川町(現在の台東区元浅草三、四丁目の一部)の名主であった高松喜兵衛など5名の浅草商人が、甲州街道の日本橋 – 高井戸宿間に新しい宿場を開設したいと願い出る。請願を受けた幕府では、代官・細井九左衛門や勘定奉行・荻原重秀などが審査にあたった。
翌年6月、幕府は5600両の上納を条件に、宿場の開設を許可。日本橋から2里弱の距離で、青梅街道との分岐点付近に宿場が設けられることとなった。宿場予定地には信濃国高遠藩・内藤家中屋敷の一部や旗本の屋敷などが存在したが、これらの土地を幕府に返上させて宿場用地とした。高松喜兵衛らは新たに5名の商人を加えて宿場の整備に乗り出し、この10名は「元〆拾人衆」「内藤新宿御伝馬町年寄」などと呼ばれた。元〆拾人衆の手で街道の拡幅や周辺の整地が行なわれ、元禄12年(1699年)に内藤新宿が開設された (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/内藤新宿
上記3つのポイント(駿馬伝説・高遠藩藩主の内藤家・内藤新宿の創設)を時系列にまとめると以下の様になる認識です。
- 1590年(江戸時代の前):内藤家が、愛馬の活躍により、現在よりも広い土地を徳川家康から拝領した
- 1691年(江戸期):内藤氏は信濃高遠藩の藩主となった(幕末まで内藤家の統治)
- 1699年(江戸期):新しい宿場町の新設の上申により、内藤氏の土地の一部を幕府に返上する事で、甲州街道と青梅街道の追分付近(現在は、新宿三丁目付近の歩道に追分の目印があります)に内藤新宿が生まれた(=新宿の始まり?)
こうしてみてみると、新宿の誕生は、内藤新宿の新設により始まり、更にその内藤新宿は、内藤家の愛馬の活躍によって内藤家がこの地を手にした事に由来する事になるので、極論「新宿誕生は、1590年の内藤家の愛馬の活躍に由来する」と言って良いのでないかと思った次第ですが、皆様はどの様に思われましたでしょうか?
【最後に】
以上が、庭園(公園?)として有名な新宿御苑を起点に、その見所/楽しみ方と新宿の歴史の始まりとなったこの地に付き考察を加えさせて頂いた内容になります。
ちなみに、上記記載の「多武峯内藤神社」は、現在、新宿御苑の東にあります。Wikipediaには、以下の様に記載があります。
(略) 創建年代は不明であるが、高遠藩内藤家の下屋敷の屋敷神として祀られていたことから、江戸時代初期に創建されたものと推測される (略) 明治になり、明治政府によって内藤家下屋敷が接収されたため、現在地に移転した (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/多武峯内藤神社
「内藤家は、この愛馬に本当に感謝していたんだな…」と実感できる神社で、境内には「駿馬塚」があり「白馬の像」がいらっしゃいます。新宿御苑の大木戸門を出て東側に回り込む必要がありますが、上記の通り「新宿の誕生に由来する内藤家の愛馬が神様として祀られる神社」ですので、新宿に少しでも縁のある方は、新宿御苑の大人散策と併せて、多武峯内藤神社に参拝し、この馬の頑張りに手を合わせてもいいのでないかと思った次第です。
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