松代城址(海津城祉)

【基本情報:松代と聞いて何を連想されますか?】

早速ですが、真田信繁(=幸村)は、ご存じの方、多いと思いますが、江戸時代の真田家の事ご存じですか?

真田と言えば、上田市を連想れる方が多いと思いますが、実は松代の方も、見所は沢山あります(別ブログで上田城も記載しております)。と言うより、松代の方が真田に関連する宝物は多いと思います。本日は、その江戸期の真田氏の居城の松代城とその周辺をご紹介します

いつも通り、皆さんは、松代城と言うと、何を連想れるでしょうか?

私は、以下の感じです。

  1. 今の名前は松代城だが、築城当時は、海津城と呼ばれていた 
  2. 川中島合戦時、武田信玄が山本勘助に命じて築城させたお城 
  3. 第4次の川中島合戦時には、上杉謙信が妻女山に武田信玄が海津城に布陣 
  4. その際の有名なエピソードである、信玄と謙信の直接対決を模した銅像が、近くの八幡原史跡公園にある 
  5. 江戸期の殆どは、あの真田氏がおさめた地 (真田家発祥の地=上田、江戸期の真田氏の拠点=松代) 
  6. 上記の為、真田宝物館は、松代にある (真田ファンは、松代にも行くべし!) 
  7. 幕末の天才兵学者佐久間象山は、松代藩士

と、こんな感じでしょうか。

武田、上杉、真田と歴史好きには、たまらない名前が並び、思いにふけってしまいます。今回は、この中で、松代城とその周辺に焦点を絞って、記載したいと思います

【真田家のお宝は、松代にあり、見所もあります!】

真田信繁(=幸村)が、大阪の陣で戦死した後、真田家はどうなったかご存じですか はい、兄の信之が徳川方についていますので、大名として江戸時代を生き抜いています。幕末にも、しっかり名前は出てきており、その代表格が、佐久間象山です。

関ヶ原の後、上田城その物は、かなり破却されたようですが、信之が城主として、上田に入り、20年程の後、松代に移動。真田氏は、その松代で、江戸時代を生き抜いています。現在その拠点は、松代城址として残っています。少々小ぶりですが、復元も進んでいるようで、見所も十分です(真田氏の礎となった、砥石崩れ(戦:信玄が破れ、真田が巻き返した)に関しても別記事で紹介しています)。

松代城は、上記にも記載しました通り、戦国期に川中島合戦に備え、武田信玄が山本勘助に命じ、築城したお城です。築城当時の名前は、「海津城」。江戸期には、真田氏の治める時代となり松代城となって、現在に至っていると認識しています。

ただそれ以上にご紹介したいのは、江戸時代の大部分を通じて、真田家は上田ではなく、松代にありましたので、真田家の宝物館、真田邸、松代藩文武学校、象山神社等、様々スポットが、このお城周辺にある事です

真田邸、文武学校と由緒ある建物で、豪華と言えないかもしれませんが、風格のある建物は、大人好みのもので、見ていて飽きが来ず、心の落ち着いた時間を過ごす事が出来ると思います。また、目の前の通りも、城下町の色を残している部分もあり、象山神社までの道は、毎日散策してしまいたくなってしまいます。

そんな中、特にお勧めは、宝物館

真田家のお宝は、上田ではなく、ここにあります。戦国から江戸を生き抜いた真田氏。真田氏の戦国に思いをはせるなら、上田でしょうが、真田氏の歴史に思いをはせるなら、松代です。最終的に真田氏が大名として生き続け地がこの松代な訳ですから、その家のお宝が、松代にあるのは当然の事と言えるわけです。

その宝物館の中で、今でも忘れられない展示物は、「赤備え」です。歴史好きなら一度は、「かっこいー!」と思った事があるはずの「赤備え」です。勿論レプリカでしたが、そのカッコよさは、強烈な印象を与えてくれると思っています!

【赤備え】

ちょっと話はそれますが、赤備え”と聞いて、誰を連想されますか? 恐らく一番有名なのは、「井伊の赤備え」だと思います。勇猛果敢な井伊部隊の象徴が、「赤備え」というワードに表れていると思います。そしてもう一つ有名な赤備えが、「真田の赤備え」。大坂の陣で、真田信繁(=幸村)率いる、真田の部隊が、徳川家康本陣を強襲した際に身に着けていたのが、赤備えと言う事も、有名ですよね。

この2つの赤備えが有名だと思いますが、皆さん何か気づきませんか? これらの赤備えには、起源があると言われているようです。それは、「武田の赤備え」、元々は、武田家の家臣、飯富虎昌が始めたと言われている様です。そして、一族の山縣昌景が引き継いだと言われているようです(この山縣昌景公を先祖に持つのが、山梨の温泉宿・山縣館との事で、別記事で紹介させて頂きました)

武田と言えば騎馬隊ですが、飯富・山縣は、武田軍の中で武勇に優れた武将であると共に武田軍の中心として活躍した武将として知られており、その騎馬隊を、赤備えで編成し、特に飯富は、「甲山の猛虎」とも言われた武将です。武田信玄は、「甲斐の虎」と言われていますので、飯富は、「虎の中の猛虎」と言う事でしょうか?

そんな武将を起源に持つ赤備えを使う事で、真田は武勇にあやかろうとしたんでしょうし、井伊は武田家滅亡の後に井伊の家臣団に加わった、旧武田家家臣の赤備えに敬意を表したんだと思います。まっ、簡単に言うと「赤備え、カッコいー強そー」と言う事だと思います。その赤備え、(勿論レプリカでしたが)宝物館で、拝見させて頂きました。見て頂くとわかって頂けると思いますが、本当に「赤備え、カッコいー」と言う感じで、いい大人が一人で興奮してしまいました・・・。

【最後に】

そんあレプリカですが、赤備えも見れる真田家の宝物館がある松代。真田ファンなら、松代は必ず訪れるべき場所ですので、上田だけでなく、松代にも是非、脚を運んでみてください! また別記事で、川中島合戦の関する事考察や、善光寺を中心とする周辺の大人観光スポットの紹介上田城に関する考察別所温泉の散策情報等、も紹介しております。この上田・松代・長野近辺の皆様の旅の計画にお役立ちできればと思っておりますので、併せてご参照頂ければ幸いです。

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!

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