【はじめに】
こちらのページでは、静岡県下田市の伊豆急下田駅付近の大人散策情報を紹介致します。美味しい海の幸のお食事は勿論(別記事で紹介中)ですが、戦国・幕末の歴史や港町の風情を感じる事が出来、少し脚を延ばせば、(季節限定ですが)河津桜も楽しみながら大人散策をすることが出来るエリアなのです。
下田の街に参らせて頂いのは、2023年の2月中~下旬。元々は河津桜を見たく、計画した旅で、「河津まで行くなら、日本の開国の舞台になった下田にも脚を延ばそう!」と考え、旅をプランニングさせて頂きました。まずは、居住地である川越(本川越)から、西武新宿線・東西線と乗り継いで、踊り子号で河津を目指し、河津桜を満喫。その後、下田に移動し、温泉と海の幸、そして下田の大人散策をする、3泊4日の旅のプランを計画しました。
以下に、下田の大人散策の前半戦(1日目)に関し記載を致しますが(後半戦(2日目)はこちらから)、まず、河津の大散策に付き記載を致しますと、「非常に良かった」と言う一言に尽きると思います。写真の通りですが、当日は、河津桜を鑑賞するには絶好のタイミングでした。それ故ですが、大変な人出で、駅に近ければ近い程すごい人の数。車もかなり渋滞しており、電車で来るプランが正解であった事、改めて認識しました。すごい人出の駅周辺から、河津桜の並木が続く川沿いを上流の方に向かって、時には河川敷に降りつつ、橋の上から河津桜を鑑賞しつつ、大人散策をさせて頂きましたが、上流に行くにつれ、少しづつ人の数も減り(それでもすごい数なのでしょうが…)、落ち着いて河津桜を鑑賞する事が出来ました。
駅から2-3㎞程上流の「みねこばし」付近までくると、人の数も大分限られ、何本の河津桜が植えられているかは分かりませんが、川に沿って河津桜が咲き乱れる光景は、圧巻の一言。桃ではありませんが、「桃源郷」と言った景色で、「来て良かった!」と言うのが、率直な感想でした。一通り河津桜を拝見し、「今度は、周辺の河津城跡等もスコープに入れてプランニングし、また来よう!」と夫婦で話しつつ、宿泊地である下田に向かいました。その際、河津駅の上りのホームは、ものすごい人の数。「この状態では絶対に座れないね」、「下田に宿を取っておいて正解だね」と言った話をしつつ、下田に向かいました。
下田について、夕飯には少し早い時間でしたので、明日からの「大人散策@下田」に備え、ほんの少し、ウォーミングアップ的に街中を散策し、特に場所は決めていませんでしたが、飛び込みで入ったレストランで夕食を頂戴し(別記事紹介中)、予約した黒船ホテル(別記事紹介中)に向かいました。そして翌日から、2日かけて下田を大人散策させて頂いたのですが、以下ではその1日目の大人散策のスポットとそのルートを共有させて頂きます。車は使わず、全て徒歩でめくったコースですが、皆様が下田に旅に行く際の参考になれば幸いと思っております。
【「下田」を大人散策】
下田の大人散策情報@1日目
先にも記載しましたが、下田は、「美味しい海の幸は勿論ですが、日本が開国する正にその時に舞台となった地で、ペリー・坂本龍馬・吉田松陰と言った、歴史上の有名人と関りが深く、その根底にある地形や立地を身をもって感じる事が出来る、大人散策するには良い街」と言って良いと思います。そんな下田の大人散策スポット@1日目を以下に紹介します(下田のおすすめレストラン情報は別記事をご参照ください)。拠点とさせて頂きました温泉宿「黒船ホテル」の東側にある弁天島公園をスタートする形で、以下に紹介致します。
・弁天島公園 / 弁天島斜交層理 / 松陰の小径
弁天島は、「吉田松陰が、1854年(嘉永7年)、ペリー艦隊が2度目の来日をし、下田港に入った際、金子重之輔と共に黒船に密航して渡米しようとした地」と理解しています。現地には、吉田松陰と金子重之輔の像(踏海の朝)があり、「まどが浜 海遊公園」に向かう海沿いの遊歩道は、「松陰の小径」と名付けられています(その手前の三島神社にも松陰の像があります)。「幕末の激動期における吉田松陰の思い」を考えながら、大人散策するには、良いスポットだと思います。
また、この場所・弁天島公園は、「斜交層理」と呼ばれる、特異な筋状の縞模様を観察する事が出来る地層が顔を出しています。この地層の説明に関しては、Wikipediaには、以下の様にあります。
(略) 数百万年前、南方から北へ移動してきた伊豆半島は、本州に衝突して隆起をはじめた。弁天島の一帯もこのとき小高い山となった。これが水流による侵食を受け、島となった。島の外縁の露頭では、崖の面に、特徴的な、はっきりした筋状の縞模様を観察することができる。この縞模様は、火山噴出物の堆積に伴って形成された本来の層構造(層理)ではなく、波や海流が地層を侵食するときに削ってできたもので、「偽層」(偽層理)と呼ばれる。本来の地層とは交差していることから「斜交層理」とも呼ばれる (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/弁天島_(下田市)
幕末の日本の歴史と、太古の地形の歴史を感じてみては、いかがでしょうか?
・まどが浜 海遊公園
弁天島の方から松陰の小径を抜けると、海辺に芝生が広がった公園、「まどか浜 海遊公園」が出てきます。広々とした気持ちの良い空間で、(高知で拝見した龍馬像に比べると…)少しぽっちゃり気味の龍馬像や碇のオブジェが展示されており(龍馬と下田の関係は、以下街中散策の宝福寺の部分をご参照ください)、海の方に目を向けると、黒船(遊覧船)が出航/帰港する様子を眺める事が出来、ゆったり大人散策できる公園になっています。
・黒船+クルージング
「まどか浜 海遊公園」のすぐ隣には、「黒船(遊覧船)の乗り場」があります。折角下田に参らせて頂き、黒船の遊覧船もあるのであれば、乗らない訳にはいかないと思い(宿泊先のホテル・黒船ホテルで、チケットを購入すると通常1400円が、1200円になると言う事もあり)、クルージングに参らせて頂きました。別記事で紹介しました中禅寺湖(栃木)や松島(宮城)、琵琶湖(竹島)のそれとまた違った印象で、海に山々が迫ってくるその景色を眺めつつ、下田湾内を20-30分くらいかけて反時計回りに1周するコースで、下田の景色を堪能する事が出来ました。
クルージング中、鷲?カモメ?が非常に人に慣れている様で、船の後を追いかけて飛んでくる様子も中々の光景で、お菓子を投げると、上手にキャッチする様は、「『下田に来た感』満載」といった感じでした。
尚、船内は1階と2階に分かれており、2階の利用は別料金(+500円を船内で払いました)が必要ですが、景色や鷲?カモメ?との戯れを考えるのであれば、2階席の方が良いのでないかと思いました。また、下田湾内を巡るコースと石廊崎を巡るコースの2種類がある様ですが、私達夫婦が利用させて頂きましたのは、下田湾内のコースででしたので、詳細はこちらのHP(http://izu-kamori.jp/izu-cruise/)をご参照頂ければ幸いです。
・道の駅 開国下田みなと / 下田市魚市場
黒船を降りて、伊豆急下田駅側のすぐ隣には、「道の駅 開国下田みなと」があります。内部は、伊豆半島や下田に関する展示や観光協会、お土産屋さん、レストラン等があり、様々なニーズを満たしてくれる施設となっている様です。
また、その道を挟んだ海側には、下田市魚市場があり、そのお隣には、食堂・金目亭があります。当初、朝食とランチを兼ねこちらにお邪魔する事を計画していましたが、11時過ぎに行ったら長蛇の列。いつになったっら入店できるか不明な感じでしたので、泣く泣く諦め、別のお店(別記事で紹介中)に参りました。勿論、別途参らせて頂いたレストランも美味しかったのですが、やはり次回は、市場の隣にあるこの金目亭に参らせて頂きたいと思いました。
・下田ロープウェイ / 展望台 / 愛染明王堂等
道の駅の後、まずは食べそこなった朝食兼昼食を頂くべく、少しぺーりーロードの方に行き、朝食兼昼食を済ませてから(別記事で紹介中)、ロープウェイ乗り場に行き、寝姿山の展望台を目指しました。ロープウェイは、15分間隔で出ており、往復1250円で、乗っている時間は5分程度だった記憶です。
山麓の駅に着くと、下田湾を一望できる景色が広がっており、ここでしか見られない景色を満喫できます。また、駅から更に遊歩道を登って行くのですが、下田湾の景色(寝姿山/黒船展望台)と共に、めずらしい錦鯉や「鬼●の刃」を連想させる石割楠、愛染明王堂と周囲にある多くのお地蔵様、五島記念碑(伊豆急行線の建設に尽力した五島慶太氏の記念碑:下田湾の反対側の景色が見えます)、黒船見張所(大砲の展示もありました)と言った見所もあり、手入れされた庭園の様な遊歩道の散策を楽しむ事が出来ます。
ちなみにこの寝姿山、「麓から見ると、夫人が仰向けに寝ている姿に見える為」その様に名付けられたらしいのですが(以下最後の写真参照)、皆様はどう思われますでしょうか? いづれにしましても、ロープウェイで参らせて頂く寝姿山は、下田の歴史と景色を同時に楽しむ事が出来る大人散策スポットだと思った次第です。
・下田の街中を大人散策:黒船 サスケハナ号 / 宝福寺 / 迎神の松 / 大砲 / 大安寺等
麓のロープウェイ乗り場まで戻ると、すぐ西側は、伊豆急下田駅になります。駅前の広場には、黒船の模型(サスケハナ号)もあり、下田に来た事を再認識させてもらえます。そこから、南(南西?)方面には白大きな通り(マイマイ通り?)を、ペリーロードの方に向かって、歩を進めると、宝福寺、迎神の松/大砲、大安寺といった下田の歴史を感じるスポットが多数出てきます。
尚、宝福寺は、坂本龍馬、「唐人お吉」こと「斎藤きち」と縁のあるお寺の様で、Wikipediaには、以下の様にあります。
1863年(文久3年)、土佐藩の元藩主・山内容堂が江戸京都へ向かう途中、嵐をやり過ごすため下田へ寄港、当寺に逗留していた。時同じくして勝海舟も門人の坂本龍馬ら一行を連れて大阪から江戸へ戻る途中、嵐をやり過ごすため下田へ寄港していたところ、容堂が下田に立ち寄っていることを聞きつけ、龍馬が犯した土佐藩脱藩の罪の許しを乞うべく寺へ出向き容堂に面会。酩酊状態にあった容堂に酒を振舞われるなどの無理難題(容堂は海舟が下戸であることを知っており、彼を試すべくあえて酒を勧めた)を受けながらも何とか飲み干して見せ、その男気に感銘した容堂の寛大な措置をもって龍馬の罪は許されることになった。このとき容堂と海舟が面会した部屋が寺内に当時のまま残されている他、容堂が龍馬を許すと発言した際、海舟にその証となるものを所望され、これを受けて一筆書き記した扇が所蔵されている。
また、「唐人お吉」こと斎藤きちの墓があることでも知られている (略) 当寺には「唐人お吉記念館」が置かれ、お吉所縁の品々を所蔵している (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/宝福寺_(下田市)
「唐人お吉」の事に関しては、情報をあまり持っておりませんし、史実もあいまいな様なので、ここでの記載は避けますが、坂本龍馬と下田の関りは、正にこの場所・宝福寺にあったと理解できました。下田の街を散策していて、歴史上の人物で目に付くのは、ペリー(黒船)・吉田松陰・坂本龍馬といった感じでしたが、坂本龍馬と下田の関りに関する知識がなく、「何で龍馬?」と思っていましたが、こちらの説明文で、「そーだったのかー」と思った記憶があります。また、日米和親条約・日露和親条約における日本側の中枢の役割を担った場所でもある様です。下田の特異な地形と立地がもたらした、この地域の歴史に思いを馳せる、中々の大人散策スポットだと思った次第です。
・欠乏所跡(平野屋)
大安寺を後にし、マイマイ通りを渡って更に東側に歩を進めつつ、南側のペリーロード方面に向かったのですが、途中、なまこ壁の装飾が目に付く建物が多数目に飛び込んできます。その中でも目を引いたのが「平野屋」。喫茶店兼洋食屋(カフェレストラン)さんと言った感じのお店の様で、中々の雰囲。お邪魔しようと思いましたが、初の下田であった為か、口の中が、どちらかと言う海の幸と言った状況であった為、外観のみ拝見し、今回は、お邪魔しませんでした。しかしこちらのお店、下田の貿易所であったとの事で、外観もですが、内部もアンティーク系で中々雰囲気のあるお店の様でしたので、次回は是非お邪魔させ頂き、ハンバーグとデザート系の甘いものを頂戴させて頂こうと思っております。
尚、「欠乏所跡」とは、下田市のHPによると、以下の様にありました。
(略) 日米和親条約により下田が開港され、下田条約が締結されたが、幕府は貿易を拒否し、航海上必要な薪、炭、水、食料などの欠乏品のみの供給を認めていた。しかし条約のあいまいな取決めのため実質上の貿易が欠乏品の名目の下で行われていた。欠乏所は最初、浦方御用所を拡張しておかれたが、安政東海地震による大津波の後、同心町に新しく建設された(略)
https://city.shimoda.shizuoka.jp/category/050202bunkazai/111161.html
ちょっとわかりにくかったのですが、『「航海上必要な薪、炭、水、食料などを欠乏品」と言い、これらを取引した場所を「欠乏所」と言った』と言う事だと理解しましたので、実質『「欠乏所」=「貿易所」』と理解させて頂きました。
・ペリーロード近辺 (了仙寺(MoBS 黒船ミュージアム) / 風情を感じる街並みと橋 / 旧澤村邸)
欠乏所跡(平野屋)から、更に南に歩を進めると、すぐにペリーロードに出ます。そのペリーロードを了仙寺から旧澤村邸に向かって、大人散策させて頂きました。
まずは、了仙寺。日米和親条約が結ばれた際「条約の細かい規定(日米下田条約)の話し合いの場所となったのが了仙寺」との事の様です。その為でしょうが、黒船や日本の開国に関連する多くの資料等が、所蔵されており、正にペリーロードにあるお寺と言った感じです。隣接する「MoBS 黒船ミュージアム」と併せて回って頂くと、「下田の幕末の歴史をより身近に感じる様な気がするスポット」だと思います。
次に、了仙寺を出て東に歩を進めると、なんとも風情ある通り「ペリーロード」が続いています。イメージ的には、日本情緒を感じるというより「大正浪漫を感じる」様な通りだと思いました。自身の居住地、川越にも「大正浪漫通り」と言う通りがありますが、雰囲気は近いものがあると思った次第です。川に掛かった橋の上から、水辺の建物を見る景色は格別ですので、皆様ものんびり大人散策してみて下さい。
そして、ペリーロードに沿って、川辺を進むと、突き当りに旧澤村邸が出てきます。旧澤村邸は、「下田市にあった造船会社・下田船渠(しもだせんきょ)の初代社長・澤村久右衛門が1915年に建てた邸宅で、1985年に下田市歴史的建造物の指定を受けた後、2008年に澤村家から下田市へ寄贈され、2010年から2011年にかけて耐震改修、リノベーションを実施した後、「旧澤村邸」として2012年にオープンした観光交流拠点」と言う事の様です。外観の「なまこ壁」も中々ですが、内部も、贅沢な作りとなっており、無料で見学させて頂くには申し訳ないと思ってしまいました。
・ペリー艦隊来航記念碑 / あぜりあ丸のプロペラ / 犬走島 / 雁島
旧澤村邸の後は、同日の朝、黒船・遊覧船のクルージングで海から見た、犬走島/雁島を陸から拝見させて頂くべく、海沿いの道に沿って歩を進めました。
最初に出てきたのは、ペリー艦隊来航記念碑。ちょっとした広場の様になっており、現地の説明看板によると「この場所は、正にペリー一行が上陸した付近」にあたる様です。
ペリー艦隊来航記念碑を東に海に沿って進み、下田公園(下田城址)の入口も出てきますが(下田公園(下田城址)に関しては、2日目に記載しております)、そのまま直進します。左手に巨大な船のスクリューが出てきますので、港町でである事を感じつつ、更に歩を進めると、犬走島へ続く堤防(波止場?)が出てきます。私達夫婦が参らせて頂いた際、この上で10名位の人々が釣りをしていましたので「通って良いだよね?」と思いつつ、また海に慣れない私達夫婦にとっては、若干「海に落ちたらどうしよう…」と恐る恐る、犬走島へ歩を進めました。大きな島ではありませんでしたが、内部が空洞(トンネル)になっており、その先に海が見えるさまは、中々の物で、更にトンネルの先にある灯台まで行く事が出来ました。
その後再び、堤防(波止場?)を戻り、次に同じくクルージング時に見えた、雁島を目指しました。雁島は、犬走島よりも更に小さく、陸地とはつり橋で接続されていました。島にはお地蔵様がいらっしゃっるくらいでしたが、ここからの海の景色も良く、しばらく楽しんで、1日目の大人散策は終了とし、宿(黒船ホテル)に戻りました(この日は夕食なしプランだった為、伊豆急下田駅近くのスーパーマーケット「とうきゅう」で夕食と翌朝の朝食を調達しましたが…)。
【最後に】(でもまだ、後半戦に続きますが…)
以上が、「伊豆急下田駅付近の大人散策情報@1日目」の共有になります。2日目の大人散策情報の共有は、こちらのリンクより飛ぶことが出来、ご紹介しました大人観光スポットの地図も以下に共有しますので、併せてご参照頂き、皆様の旅のプランの参考にして頂ければ幸いです。
尚別記事にて、伊豆高原駅周辺の大人散策情報、伊豆高原のおすすめ温泉宿・きらの里、伊東のおすすめレストラン・海女屋、網代のおすすめレストラン・味くらべ、網代のおすすめ温泉宿・竹林庵、熱海/来宮駅周辺の大人散策情報、韮山の大人観光スポット、下田のおすすめレストラン・魚料理なかがわ/活魚料理新田、下田(一部河津含む)の大人散策情報、下田のおすすめ温泉宿・黒船ホテル等、伊豆半島エリアの観光/レストラン/お宿情報等も記載しておりますので、併せてご参照頂き、皆様の伊豆半島の旅行に少しでもお役立ちできれば幸いと思っております。