【はじめに】
こちらのページでは、江戸城や江戸の範囲、並びに現在の皇居における散策可能エリアの情報を共有致します。
皆様にいきなり質問ですが、江戸城はご存じでしょうか? 別記事でも記載しておりますが、「1457年に太田道灌が、前身の江戸氏の館をカスタマイズし、現在の皇居東御苑(江戸時代の江戸城・本丸/二の丸)付近に築城したのが始まりと言われ、その後徳川家康が入城の後、改修拡張を家光の代まで続け、ほぼ現代の形になり、更に明治期に、遷都ではなく奠都で、天皇が移られ皇居となり、現在に至っている場所」である事、勿論ほとんどの方がご存じだと思います。
では、別の視点で、いくつか以下に質問致します。
- 江戸その物の範囲はご存じでしょうか?
- 江戸城の範囲はご存じでしょうか?
- 現在の皇居で、何処が解放エリアかご存じでしょうか?
多くの方が、もう既にご存じの内容かもしれませんが、正直私自身は、明確に答える事が出来ませんでしたので、一度調べて見ようと思った次第です…。
以下に、それぞれの調査(=江戸の範囲・江戸城の範囲・現皇居における解放エリア)内容を共有させて頂きます。これらを調べて見て思った事は、「今一度、皇居とその周辺を含めて大人散策に行ってみよう!」と思った事でしたので、皆様にも参考になれば幸いです。
【江戸と江戸城の範囲と散策可能エリアの把握】
・江戸その物の範囲
「江戸」って、現在の東京とイコールの印象ですが、若干違う認識です。正直、詳細まで抑える必要はないかもしれませんが、「朱引」と言うワードを聞いた事がある方も、多くいらっしゃるのでないかと思います。ただの散策を大人散策にする知的作業と言う側面もありますので、Wikipediaの力を借り、調べて見ますと、以下の様にあります。
朱引(しゅびき)とは、江戸幕府が定めた江戸の範囲である。地図上に朱色の線を使って示した。
いわゆる「大江戸」の範囲であり、現在の東京都千代田区、中央区、港区、文京区、台東区、墨田区、江東区、新宿区、豊島区、荒川区のほぼ全域(埋め立て地を除く)と、渋谷区の大部分、そして品川区、目黒区、北区、板橋区の各一部に該当する。
「朱引」は1818年に初めて定められ、その呼称は明治時代に至るまで使われた (略)
朱引の範囲(大江戸)は、「四里四方」といわれ、東は平井、亀戸周辺、西は代々木、角筈周辺、南は品川周辺、北は千住・板橋周辺までである (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/朱引
また、この「朱引」と似たワードに「墨引」と言うワードもあり、Wikipediaの同じ項目に、以下の様にあります。
(略) 朱引図(旧江戸朱引内図)には朱線と同時に黒線が引かれていたが、これは墨引(すみびき)と呼ばれ、町奉行所支配の範囲を示していた。墨引は、目黒付近で朱引の外側に突出する例外を除いて、朱引よりも更に内側の小さな環状域である (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/朱引
西は代々木で、南は品川近辺なら、山手線が大体の目安になりますが、北は千住/板橋、東は亀戸となると、現在の荒川位までが、『「大江戸」の範囲』と、かなり大雑把ですが、理解して良いのでないかと思った次第です。以下に、東京都公文書館からの引用、並びに、アプリ:大江戸今昔めぐりの地図も共有しますので、詳細ご確認頂けますと幸いです。
・江戸城の範囲
上記、江戸(朱引(=大江戸)、墨引(=町奉行管轄エリア))の範囲を確認しましたが、「江戸城の範囲」はどうなるのでしょうか? この範囲を考える際、2つの切り口で認識する事が一般的と思われます。1つ目は、城の中核である内堀の内側=内郭。2つ目は、外堀(隅田川も含む)外郭=総構え。この2つの切り口で、見て行きたいと思います。
まずは、内郭(内堀の中)ですが、「現在の皇居と宮内庁があるエリア(吹上・西の丸)と日本武道館のある北の丸公園・江戸時代の江戸城本丸/二の丸にあたる皇居東御苑」と言って良いのでないかと思いますので、イメージしやすと思います。
一方、外郭(外堀と隅田川の内側)と呼ばれる「総構え」ですが、こちらはかなりの広さです。イメージしやすく、北から反時計回りで、駅名で記載していくと、水道橋(小石川)・市ヶ谷/四谷・赤坂/溜池山王/虎ノ門・御成門・汐留(浜離宮)・茅場町(永大橋)・両国・浅草橋・秋葉原(万世橋)、といった感じになります。総構の周囲の長さは、約4里(約4×約3.9㎞=約15.6㎞)と言われている様で、日本最大の城郭(総構え)と認識されている様です。
以下地図(Wikipedia 並びにアプリ:大江戸今昔めぐりより引用)と併せてご参照ください。
・現在の皇居の解放エリアって何処?
江戸の範囲、江戸城の範囲(内郭/外郭(総構え))を確認しましたが、「現在の皇居で、何処に入れて、何処は入れないのか」に関しては、行き慣れている方でないと、中々イメージしにくいのではないかと思います。以下、地図も含め「大人散策可能エリア」と「NGエリア」をまとめますので、ご参考になれば幸いです。
>散策可能エリア(解放エリア)
現在の皇居における「散策可能エリア」は、以下の通りです。
①北の丸公園
江戸時代は、徳川田安家・徳川清水家があったエリア。現在天皇のがいらっしゃる吹上と陸続きのエリアで、重要文化財の江戸城の門(田安門・清水門)は圧巻。独断と偏見ですが、主要なスポットは、北から以下の通りです。
- 田安門(重要文化財の江戸城の門)
- 日本武道館
- 清水門(重要文化財の江戸城の門)
- 科学技術館
- 東京国立近代美術館
- 千鳥ヶ淵(桜が有名ですよね!)
②皇居東御苑
江戸時代は、本丸にあたる場所で、天守や大奥もあった場所。現在の天守台に天守が作られた事はありませんが、江戸幕府の中枢の場所で、独断と偏見ですが、このエリアにおける主要なスポットは、天守台の北から南に行き、二の丸に一段下って南から北へ、以下の通りです。
- 北桔橋門 (大きな門ではありませんが、格式を感じさせてくれる門で、本丸を囲う石垣の高さを実感できます)
- 天守台 (布積/切込接の石垣が美しい天守台ですが、天守が作られた事はありません:明暦の大火の後、寛永天守に代わって天守再建計画あがるも、江戸の街の復興を優先して天守再建はしなかったと言われているようです)
- 芝の広場 (徳川幕府中枢の場所)
- 富士見多聞 (現存する重厚な櫓です)
- 富士見櫓 (太田道灌の時代の居宅はこの付近?)
Wikipediaより:富士見多聞・富士見櫓(写真は本丸の一段低い、通常は入れないエリアからの写真と推察)
- 中之門跡 (重厚な石垣)
- 百人番所
- 大手門 (将軍・多くの大名が通った門です)
- 二の丸庭園 ・汐見坂 (江戸城の目前まで海があった名残?)
- 梅林坂/天神・平川濠 (太田道灌時代の江戸城の名残?、その時代、天神社を祀り(菅原道真と言えばですが)梅を植えた事に由来?)
- 平川門 (御三卿(清水・田安・一橋)の登城・大奥の女中が利用した門で、江島生島事件発端の場所?、別記事で江島が幽閉された高遠にある「桜が有名な高遠城」を紹介中)
③皇居外苑
名前に「皇居」と付きますが、北の丸公園同様、「公園」の位置づけで、環境省の管轄となる様です。家康依然の時代は、日比谷入り江で「海」であったこの場所、独断と偏見ですが、主要なスポットは、北から南に向け以下の通りです。
- 皇居前広場 (松の林と芝生の空間広々空間で、太田道灌の有名な歌「我が庵は、松原続き海近く 富士の高嶺を軒場にぞ見る」を意識?)
- 二重橋 (普段渡る事は出来ませんが、遠望できます。皇居と言えば、二重橋のイメージです)
- 伏見櫓 (遠望ですが、現存する櫓)
- 楠木正成の像
- 桜田門 (あの有名な桜田門外の変の舞台で、重要文化財の門です)
>散策不可エリア(堀の外の周囲は、勿論散策可能)
①吹上
天皇のお住いなので、勿論入れませんが、西側の甲州街道に続く半蔵門からお出かけになるお姿を2回ほど拝見した事があります。また、陸続きの北の丸公園側の門は、現在、乾門にあたります。
②西の丸
基本は入れませんが、一般参賀の際に、天皇と皇族の方々がお出ましになる皇居宮殿がある場所で、宮内庁もこちらにあります。
【最後に】
以上が、「江戸城や江戸の範囲、並びに現在の皇居における散策可能エリアの情報」になります。
「江戸の範囲と江戸城範囲」、「現在では江戸時代の中枢の場所には簡単に脚を運べる事」、「その中の大人散策スポット(独断と偏見ですが…)」と言った内容でまとめさせて頂きました。皇居とその周辺については、簡単に記載しましたが、実際に回ってみると、ただ1周するだけではないので、それなりの距離もあり、1日では結構きついと思います。しかし、実際に歩いてみると、高低差(「大手門・日比谷濠あたりの低さ」と「北の丸・北桔梗門・半蔵門付近の高さ」)は、実感でき、フィールドワークの醍醐味も感じられ、歴史的構造物を拝見しつつ、歴史的な出来事に思いを馳せる事も出来る、正に大人散策スポットだと思います。何度行っても飽きないと思うスポットですので、是非皆様も日本の中心・皇居(旧江戸城)とその周辺で大人散策を楽しんでみてはいかがでしょうか?
尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5城、現存12天守、現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。