江戸城

【はじめに】

こちらのページでは、江戸城祉(現皇居)で、見る事が出来る江戸時代の痕跡・門にフォーカスした大人散策情報」をご紹介致します。

別記事でも紹介しております、江戸城祉。その歴史や地形観点の内容であったり太田道灌・築城の背景に関する考察であったり、いくつかの切り口で、紹介させて頂きました。そんな中で、江戸城祉(現皇居)は、いくつかの区画に分かれており、その中には、解放されているエリアもあるので、天守台や櫓、城門とういった江戸時代の痕跡を拝見する事も出来ます。その中で、こちらのページで紹介するのは、江戸城の内郭(内堀内)で、現在みられる城門。それぞれの門は、格式と同時に歴史も感じさせてくれる物で、中々魅力的。江戸城祉(現皇居)の楽しみ方の1つとして、面白い切り口ではないかと思った次第です。

以下に、江戸城祉(現皇居)の内郭で見れる門をいくつか紹介しますので、皆様の大人散策の参考なれば幸いと存じます。

【それぞれの門の見所】

こちらのページで紹介させて頂く城門は、「田安門」、「清水門 」、「北桔橋門」、「平川門」、「大手門」、「桔梗門」、「坂下門」、「皇居正門」、「桜田門」、「半蔵門」、「乾門」の11の門と「中之門跡」を加えた12の門のスポットです。以下に、独断と偏見でですが、これらの門を楽しむポイントを記載させて頂きます。

尚、別記事で触れていますが、石垣の組み方も門を楽しむ切り口の1つだと思いますので、「石垣の基本分類法」につき、以下ご参照ください。

・田安門

北の丸公園の北側で、江戸城内郭の最も北側にある門です。現在では、江戸初期に作られた、江戸城内最古の門とも言われている様で、国の重要文化財に指定されています。北の丸に居を構えた田安徳川家が名の由来だと思われますが、現代の視点で言えば、「日本武道館の入口の門で、武道館門」と言った感じかもしれません。格式高く、見ごたえのある桝形門は、江戸城内の門を巡る大人散策では外してはいけない門の1つだと思います。門その物の両脇にある石垣は、布積切込接で美しく整然としたものですが、桝形の全体を見回してみると、(あえてデザイン的にそうしたのか)乱積切込接的に少し変化を付けた石垣も見られ興味深い空間になっています。

・清水門

上記、田安門同様、北の丸公園の東側から登城できる門で、田安徳川家と共に、北の丸に居を構えた、清水徳川家に由来する門と認識しておりますが、「中世の頃、この清水門付近に「清水寺」があった事に由来する」とも言われている様です(「清水寺があったのであれば、清水徳川家の由来も清水寺と思ってしまいますが…」)。田安門と同じく、国の重要文化財に指定された門で、中々の迫力を持った桝形門で、銅板の張られた門が、威厳を感じさせてくれます。また、桝形の内部では、布積と乱積の中間的な、打込接の石垣が見られます。地形的には、清水門をくぐって、180度ターンして入城する経路になるので、江戸時代の遺構が残っていると想像でき、実際にはなかった攻城戦の雰囲気を勝手に妄想できる門です。

・北桔橋門

天守台のある本丸の北(=天守台の直ぐ北)にある門で、門入口からの本丸を囲う石垣は圧巻です。地形的な理由もあるでしょうし、大切な本丸を守る意味もあると思いますが、江戸城の中で最も高さのある石垣と言われており、非常にダイナミックな光景を目にでき、本丸に直接アクセスできる門です。桔橋門ですので、跳ね橋が使われていたそうですが、Wikipedia には以下の様にあります。

(略) 江戸時代、ここには「北桔橋門」という枡形門があったこの門を入ったすぐ正面には江戸城の天守閣があり、この門は江戸城北側の守りの最重要地点でもあった。そのため橋の形状を「跳ね橋(橋の片方を跳ね上げて渡れなく出来る)としたことから、『北桔橋(きたはねばし)』と呼ばれる。江戸時代にはこの橋はほとんど跳ね上げた状態になっていたらしいが、現在でも、門の柱には橋を跳ね上げるために滑車をつるしたと思われる金具が残っている (略)   

https://ja.wikipedia.org/wiki/北桔橋門

・平川門

現代の視点で言うと、地下鉄竹橋駅の近くの門で、江戸時代の視点で言うと、三の丸の入口の門にあたります。また、御三卿(清水・田安・一橋)の登城の門であると同時に、大奥に近い門でもある為、大奥の女中が利用した門の様です(江島生島事件発端の場所?)。

濠を渡る木製の橋から、桝形門を抜けると、江戸時代にタイムスリップした感覚を持てる門で、そのまま歩を進めると、菅原道真ゆかりと思われる天神濠・梅林坂を通じて、本丸・天守台にアクセスできます。布積切込接の整理された石垣は美しさを感じると同時に、色合いが少し抑えめの石を使っている様で、落ち着いた雰囲気も感じる事が出来ます。

・(三の丸)大手門

江戸の初め「藤堂高虎が設置し、伊達政宗が桝形を修繕した」と伝わるこちらの大手門が、江戸城の正門と言って良いと思います。Wikipedia にも以下の様にあります。

(略) 江戸時代、勅使の参向、将軍の出入り、諸侯の登城など、この門から行うのが正式であった。また、ここの警備は厳重を極め、10万石以上の譜代諸侯がその守衛に勤仕し、番侍10人(うち番頭1人、物頭1人)が常に肩衣を着て、他の平士8人は羽織袴で控え、鉄砲20挺、弓10張、長柄(槍)20筋、持筒2挺、持弓2組を備えて警戒にあたった  (略)  

https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸城

多くの大名と将軍が行きかった門、背筋が伸びる気がするのは、私だけではないと思います。

・桔梗門

江戸時代の地図を見ると、「内桜田御門」と記載がある、比較的小ぶりな門にみえます。「見えます」と言うのは、一般参賀等のタイミングでは、通行できる様ですが、参った事がないので、遠目にしか拝見した事が無いからです。太田道灌の家紋・桔梗が由来で桔梗門と言うらしいですが、信じるか信じないかは、皆様のご判断でお願いします。尚、桔梗門の直ぐ東には、桜田二重櫓もありますので、併せてご覧ください。

・坂下門

上記、桔梗門から、右手に蛤濠の貫録の石垣を見つつ、西に進むと、西の丸(現皇居)と皇居外苑を結ぶ門の1つ、坂下門が出てきます(北側が坂下門で、南側が皇居正門)。その門の先は、宮内庁・皇居宮殿の認識で、一般参賀等のイベントの時でないと利用できない門と認識しています。江戸時代は、桝形門だったとの事ですが、明治期に入り高麗門の撤去と渡櫓門の90度移動をおこない(「かつての高麗門の向きに同じ」と推察)現在の配置に変更されたとの事です。通常は、遠目にしか見えませんが、重厚な作りである事を良く理解できる門です。また門の東は、東京駅に一直線で道が伸びる、皇居らしい景色と共にお楽しみください。

・皇居正門 (西の丸大手門/西の丸玄関門)

皇居正門(=西の丸大手門)は、西の丸(現皇居)と皇居外苑を結ぶ南側の門で、通称・眼鏡橋(二重橋と間違えがちですが…)の先にあります(そこから(通常はいけませんが)更に進むと「西の丸玄関門」)。坂下門同様、一般参賀等のイベントの時にしか一般人は通れませんが、すぐ近くまで行くと、「皇居と言えば!」の二重橋と現存する伏見櫓を遠望ですが、拝見する事が出来ます

・桜田門

あの有名な、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変があった場所が、この桜田門付近の認識です(「門外」なので、桜田門の外側?)。桜田門は、田安門・清水門同様、国の重要文化財にしてされた門で、かなりの大きさを誇る門。威圧感さえ感じます。しかし同時に、渡櫓門の脇を支える石垣は、乱積切込接で、豪華さと同時に遊び心も感じるデザイン歴史・豪華さ・威圧感・遊び心と言った様々な感情を持つことが出来る門だと思います。(井伊家の東京での菩提寺、豪徳寺を別記事で紹介しております)

・半蔵門

あの漫画で有名な訳ではありませんが、家康の伊賀越えにおける功で有名な、服部半蔵の名前からとった門が、半蔵門の認識です。しかし、こちらの門をくぐると、天皇がいらっしゃる御所、吹上御苑だと思いますので、基本くぐる事も、近寄る事もできない認識です。Wikipedia には、以下の様にあります。

(略) 桜田門と同じような枡形であったが櫓門の部分は明治時代に撤去された。この門内は、江戸時代には吹上御庭と呼ばれ、隠居した先代将軍や、将軍継嗣などの住居とされた。現在は吹上御苑と呼ばれ、吹上大宮御所(昭和天皇・香淳皇后の御所)、宮中三殿、生物学御研究所、天皇が稲作をする水田などがある天皇・内廷皇族及び秋篠宮家の皇居への出入りには、主にこの門が用いられている他の皇族は乾門を使用することが多い。一般人の通行は認められていない (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/半蔵門

実は、2度ほど車で外出される天皇を、半蔵門につながる甲州街道の袂で、拝見した事があります。天皇のお住まいがある割には、ちょっと簡素な門に見えますが、こちらの門が、天皇家としては正門かもしれませんね。

また、この半蔵門は、大手門の反対にある事から、「江戸城に不測の事態が起こった際の脱出用の門」とも言われている様で、甲州街道直結の門です。甲州街道が行きつく先は、名前の通り甲州・山梨(道は信州諏訪まで続きますが…)。徳川が武田に敬意を示す痕跡の1つかもかもしれません…。

・乾門

乾(北西)の方角にあるから、乾門と言うらしいです。しかし地図を見ると、皇居の北西と言うより、本丸(皇居東御苑)・天守台の北西に見えてしまいます…。明治期に皇族の方々用として設置されたの門の様で、一般人は、一般参賀や桜/紅葉の季節の「乾通り一般公開」と言ったイベントの時以外は、利用できない様です。

・中之門跡

上記のそれぞれの門と比べると、少し変わり種ですが、江戸城時代、本丸警護の要の門だったと思われるのが、中之門跡中々迫力のある石組み見る事が出来ます。現在、この先の本丸内では、天守台を拝見する事が出来ますが、その天守台の石よりもそれぞれが大きく、且つ天守台同様、布積切込接で作られており、迫力と美しさを兼ね備えた石垣は、是非見て頂きたい石垣です。

【最後に】

以上が、江戸時代の痕跡・門にフォーカスした大人散策情報@江戸城祉になります。

江戸城祉(現皇居)の楽しみ方は、様々あると思います。歴史や地形の観点見附や大木戸石垣の観点等々、様々だと思いますが、「門(城門)」の観点も中々楽しめる観点だと思っております本日ご紹介した全ての門を回ると、現皇居を一周した以上の距離感になると思うので、10㎞くらいにはなる思いますが、上記視点で回ると、ただの散策が大人散策になり、楽しんで回る事が出来ると思います。地形的にもそれなりの高低差があるので、多少疲労も出るともいますが、皆様も江戸を感じる皇居の門(城門)を巡る大人散策を計画してみては、いかがでしょうか?

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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