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【はじめに】
こちらのページでは、「『神武東征の神話』に続く、実在性に関する疑問や複数人説等様々な議論が行われてきたと認識する『ヤマトタケル(日本武尊)に関する神話』を中心に、どんな神話であるか、”超” 概要を抑えつつ、他の神話との関連性も含め考察」をさせて頂こうと思います。
尚、先に「日本神話の全体図」をご覧になってから、個々の神話に入る方がイメージしやすい可能性もありますので、「先に全体図を確認されたい方は、こちらのリンク」よりご確認ください。
皆様は、『ヤマトタケル(日本武尊)』はご存じでしょうか? 神の代から変わって、人の代における神話の中に登場する人物と言われ、12代・景行天皇の御子で、14代・仲哀天皇の父親にあたる方の様ですので、八幡信仰における主祭神の一人:15代・応神天皇の祖父にあたる方でもあるようです。人代と言えど、神話の世界の話になるので、その実在性や現実性に付き、多くの議論が行われてきた(行われている?)と認識しており、「謎の多い英雄」であると同時に「その知名度は抜群」と認識しております。同時に、山梨県(北杜市ですが…)出身、埼玉県(川越ですが…)在住の私にとって、酒折宮@山梨、秩父三社の三峯神社 / 宝登山神社・金鑚神社・大宮氷川神社@埼玉といったあたりで、「ヤマトタケル(日本武尊)」の名前はよく耳にしますが、「ヤマトタケル(日本武尊)ってどんな人?」と聞かれると「中々説明できない…」と言った感じでもある次第です…。
こちらのページでは、そんな神代の「神武東征の神話」に続く、人代の「ヤマトタケル(日本武尊)関連の神話」に付き、記載させて頂こうと思います。すなわち、「『神武東征の神話』に続く、実在性に関する疑問や複数人説等様々な議論が行われてきたと認識する『ヤマトタケル(日本武尊)に関する神話』を中心に、どんな神話であるか、”超” 概要を抑えつつ、他の神話との関連性も含め考察」をさせて頂こうと思います。
(尚別ページにて、①日本書記 vs 古事記 (日本書紀とは? 古事記とは? 日本神話とは?) 、②天地開闢の神々の分類と国生み (別天津神・造化三神・神世七代・天津神・国津神とは?) 、③天照大御神 vs 須佐之男命 (黄泉国神話と天照大御神 vs 須佐之男命の誕生・誓約の神話とは?)、④アマテラスが岩屋れる「天岩屋神話」とは? (天孫降臨神話への序章?)、⑤「スサノオによるヤマタノオロチ退治の神話」とは?、⑥大国主関連の神話 (因幡の白兎& その後(スサノオの住む根国訪問)・国作り神話とは?)、⑦大国主関連の神話 (国譲り神話とは?)、⑧天孫降臨とは?、⑨ニニギと息子2人(海幸彦・山幸彦)ってどんな人?、⑩神武東征とは?、⑪ヤマトタケル(日本武尊)ってどんな人?、⑫日本神話の全体図を勝手に理解、⑬日本神話の全体図から “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想、⑭天皇家の「欠史八代」って何?、⑮神話の時代から天皇家の家系を三種の神器って何?、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです)
【「ヤマトタケル(日本武尊)関連の神話」ってどんな神話?】
まずは「ヤマトタケル(日本武尊)の神話」の概要から抑えさせて頂きます。
物凄い簡単に言ってしまうと『父である天皇に、その暴虐ぶりを疎まれ「日本各地の討伐」を西に、東に命じられるものの、その武才によって日本各地を平定し続けるが、最後は病にかかり、白鳥となって天に召された古代の英雄の話』と理解しておりますが、今少し内容を見ると以下の理解になる認識です。
「ヤマトタケル(日本武尊)の神話」の個人的理解の概要
■西征
父・12代景行天皇からの命令に対する解釈の違いから、小碓命(=後の「ヤマトタケル(日本武尊)」)は、兄を捕らえ、手足をもいで投げ捨て殺害。これにより、小碓命は父に恐れられ疎まれ、九州のクマソタケル(熊襲建)兄弟の討伐を命じられる。わずかな従者も与えられなかったが、小碓命が九州に入った際、熊襲建の家では宴会の準備が行われていたので、小碓命は、少女の姿で宴に忍び込み、熊襲建・兄弟の兄を斬り、続いて弟に襲い掛かった。その際、弟は「西の国に我ら二人より強い者はおりません。しかし大倭国には我ら二人より強い男がいました」と武勇を嘆賞し小碓命に名を譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じた。ヤマトタケル(日本武尊)は、弟が、上記を言い終わると斬り殺した。
その後、ヤマトタケル(日本武尊)は山の神、河の神、また穴戸の神を平定し、出雲に入り、出雲建と親交を結ぶが、出雲建の大刀を偽物と交換した上で、大刀あわせを申し込み、偽物の太刀を渡された出雲建はなすすべなく、殺されてしまう。こうして各地や国を平らげて大和に戻る。
■東征
西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇はヤマトタケル(日本武尊)に、重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。ヤマトタケル(日本武尊)は、伊勢の倭比売命(ヤマトタケル(日本武尊)の叔母にあたり、現在伊勢神宮の御神体である「八咫鏡」を伊勢の地に鎮座させた11代・垂仁天皇の第四皇女)を訪ね「父天皇は自分に死ねと思っておられるのか…」、と嘆くので、叔母・倭比売命はヤマトタケル(日本武尊)に伊勢神宮にあった神剣、草那藝剣(くさなぎのつるぎ)と火打石の入った袋を授ける。
相模の国の野中で、ヤマトタケル(日本武尊)は火攻めに遭う。そこで叔母から授かった草那藝剣で草を刈り掃い、袋を開け火打石で迎え火を点け、炎を退けた後、相模国の国造らを全て斬り、死体に火をつけ焼いた(焼津の由来?)。
相模(横須賀?)から上総に渡る際(浦賀水道?)、走水の海の神が波を起こし、ヤマトタケル(日本武尊)一行の船に危機が迫った。この時、弟橘比売(ヤマトタケル(日本武尊)の妃の一人?)が自ら入水すると、波は自ずから凪いで、一行は無事に上総国に渡る事ができた。それからヤマトタケル(日本武尊)はこの地(現在の木更津?)にしばらく留まった。
その後、ヤマトタケル(日本武尊)は、荒ぶる蝦夷たちをことごとく服従させ、また山や河の荒ぶる神を平定し、足柄坂(神奈川・静岡県の境)では、神の白い鹿を蒜(ひる=野生の葱・韮)で打ち殺し、東国を平定した。更に、甲斐国の酒折宮で連歌の発祥とされる「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」の歌を詠み、それに、「日々並べて(かがなべて) 夜には九夜 日には十日を」と下句を付けた「火焚きの老人」を東の国造に任じた。その後、信濃(長野県)で坂の神を服従させ(碓氷峠?)た後、尾張に入る。
ここ尾張で、かねてより婚約していた美夜受比売と結婚し、ヤマトタケル(日本武尊)は、伊勢の神剣である草那藝剣を美夜受比売に預けたまま、伊吹山(岐阜・滋賀県境)の神を素手で討ち取ろうとして出陣すると(故に、ここに「草那藝剣」が残り「熱田神宮の御神体」となった?)、牛ほどの大きさの白い大猪が現れる。ヤマトタケル(日本武尊)は「この白い猪は神の使者だろう」と、これを無視するが、実際は猪は神そのもので正身であった。その猪神は大氷雨を降らし、ヤマトタケル(日本武尊)は気を失う。その後、何とか山を降りたものの病の身になっていた。
そして、弱った体で大和を目指して進むが、能煩野(三重県亀山?)で、ヤマトタケル(日本武尊)は亡くなった。ヤマトタケル(日本武尊)の死の知らせを聞いて、大和から后たちや御子達がきて、陵墓を築いて、追悼の歌を詠むと、ヤマトタケル(日本武尊)は八尋白智鳥(白鳥?)となって、天に飛んで行った。
つまり、『父である12代・景行天皇の命令を勘違いして、自身の兄を惨殺してしまい、これによって疎まれ、(恐らく景行天皇としては「死んでくれれば…」と思いつつ)西日本の征討を命令するも、ヤマトタケル(日本武尊)はこれを完遂(現代の視点だと「卑怯者」に見えてしまうが、「知略に優れた皇子と言った感じ」で理解すべき?)。しかし、依然として父・景行天皇の態度は変わらず、続いて東征を命令されると、ヤマトタケル(日本武尊)としては、嫌々東征に出かけ、途中、叔母から(恐らく「まあ腐らないで頑張りな!」の意味だと思いますが…)草薙剣を授けられたり、妃の一人が身代になってくれたりと支援を受けつつ、東征も完遂。しかし大和に戻る際、伊吹山で判断ミスをして病にかかり、他界してしまう。それを知った妃や御子によって陵墓が作られると白鳥となって天に登っていくと言う話』と理解しました。同時に『スサノオばりの荒々しさと、知略に優れ、和歌の才もある教養人で、父親以外の周囲には慕われていた英雄の話』とも理解した次第です。
【「ヤマトタケル(日本武尊)関連の神話」に関する考察】
上記、「ヤマトタケル(日本武尊)関連の神話」の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では、この神話「ヤマトタケル(日本武尊)関連の神話」に関する「個人的考察」を以下に記載させて頂きます。
- ヤマトタケル(日本武尊)と言う人物は、国津神の祖・スサノオを連想させる荒くれ者で、スサノオが「ヤマタノオロチ退治」の際に得て、天津神・最高神アマテラスに献上した「草薙剣」もこの神話に登場する事から、「スサノオの化身(国津神系の子孫?)」とも思える
- 同時に、現代の我々の視点で見ると「荒くれ者 & 卑怯者 & 無慈悲な人」に見えてしまうが、時代背景まで踏まえると「武勇と知略に優れた皇子」と言ったメッセージで捉えるべきと思われ、天皇家の武力を示したい日本神話の意図を感じてしまう
- 更に、和歌を使いこなし、父・景行天皇は別にして周囲の人や、敵に名を与えられたエピソードを踏まえると「教養人で、カリスマ性のある英雄」と言った印象を与えたい意図も感じてしまう
- 「草薙剣」は、伊勢神宮から持ち出され、東征を完遂し、尾張に留め置かれたエピソードは、熱田神宮の御神体が「草薙剣」である事と整合性はとれ、「草薙剣」も「天岩屋(天岩戸)神話」で、アマテラスを岩戸(岩屋)から出すために利用された「鏡(八咫鏡=伊勢神宮の御神体)」・「勾玉(八尺瓊勾玉=皇居にあるらしい)」と同様『「三種の神器としての利用実績」を作りたかったのかな…』と思えてしまう
- 初代天皇は神武天皇(神話ベースで、BC660年~BC585年?)で、12代・景行天皇(神話ベースで、AD71年~AD130年?)の御子がヤマトタケル(日本武尊)である事を踏まえると、時代がかなり違う(650年以上の差がある)様に見えるが、ヤマトタケル(日本武尊)の東征ルートを見るとそのルート上にある、「国譲りの際の天津神:建御雷神(鹿島神宮の祭神・神武天皇元年創建)と経津主神(香取神宮の祭神・神武天皇18年創建)」が祭られる「鹿島神宮・香取神宮の両神宮」がある事が気になる(=『国譲り神話』の天津神系の神々を祭る重要な神社・鹿島 /香取の両神宮を素通りする事はありえないはず…)
- つまり、以下の4点のポイントが気になってくる
- 上記4点まで踏まえると、「鹿島 / 香取の両神宮も普通なら、ヤマトタケル(日本武尊)が『立ち寄った逸話がある』or『創建にかかわっている』はずで、大々的に話が伝わるはずだが、『これが見当たらない』事を踏まえると、「ヤマトタケル(日本武尊)の『東征時に、鹿島 / 香取の両神宮は、まだ創建されていなかった』 or 『彼によって創建された』が、『日本書紀・古事記の編纂時に これらを認めると「欠史八代」も含め、整合性が取れなくなるので、触れずにおいた』のでは…」と妄想してしまう(=「まだ創建されていなかったから、立ち寄った痕跡がない」or「ヤマトタケル(日本武尊)が創建した事実を記載すると時代の整合性が取れなくなるので日本書紀・古事記には記載しなかった」)
- 言い換えると、神武天皇とヤマトタケル(日本武尊)の時代の差は、ほとんどない(もしかしたらかなり近いタイミングで「神武東征直後?」の)様にも見える(=鹿島 /香取の両神宮の創建は、神武天皇の時代で、その時代にヤマトタケル(日本武尊)の東征が行われた?)
参考:ヤマトタケル(日本武尊)の東征ルート(サイト名がわからなかったのですが、「別サイト:ようこそ中世の武蔵国へ? / 江佗原・沼袋合戦? 」(https://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/index.htm#yamatotakeru)より)
古事記:
大和 ⇒ 伊勢 ⇒ 尾張 ⇒ 駿河(焼津) ⇒ 相模(横須賀) ⇒ (走水) ⇒ 上総 ⇒ 常陸 ⇒ 筑波 ⇒ 相模(足柄) ⇒ 甲斐 ⇒ 信濃 ⇒ 尾張 ⇒ 近江(伊吹山) ⇒ 伊勢(能煩野)
日本書紀:
大和 ⇒ 伊勢 ⇒ 駿河(焼津) ⇒ 相模(横須賀) ⇒ (走水) ⇒ 上総 ⇒ 陸奥(日高見) ⇒ 常陸 ⇒ 筑波 ⇒ 甲斐 ⇒ 武蔵 ⇒ 上野 ⇒ (碓日坂:碓氷峠) ⇒ 信濃 ⇒ 美濃 ⇒ 尾張 ⇒ 近江(伊吹山) ⇒ 伊勢(能煩野)
つまり、「『教養人、且つカリスマ性のある英雄』で、『国津神の祖・スサノオの化身』と思ってしまう『質の高いほぼ武人・ヤマトタケル(日本武尊)』と言う御子は、「天皇の皇子」と言う肩書の天津神系の代表として、神武天皇の東征とあまり変わらないタイミングで東日本も手中に収めた可能性を含んだ神話」と言った理解をさせて頂いた次第で、こう考えると神話の中で語られるエピソードは別にして、「ヤマトタケル(日本武尊)と言う人物は、一人の御子としての実在性も考えられる」と思った次第です(滋賀の大津にある「建部大社」の祭神は、ヤマトタケル(日本武尊)と大国主なので「ヤマトタケルは、国津神として東征を行い東日本を治めて行ったが、この事実を『天津神の成果』として後に(古事記・日本書紀編纂時に)塗り替えたのでないか…」とも思ってしまいましたが…)。
本殿(左奥)と権殿(右手前)
【最後に】
以上が、「『神武東征の神話』に続く、実在性に関する疑問や複数人説等様々な議論が行われてきたと認識する『ヤマトタケル(日本武尊)に関する神話』を中心に、どんな神話であるか、”超” 概要を抑えつつ、他の神話との関連性も含め考察」をさせて頂いた内容になります。
「『教養人で、カリスマ性のある英雄』で、『国津神の祖・スサノオの化身』と思ってしまう『質の高いほぼ武人・ヤマトタケル(日本武尊)』と言う御子は、『天皇の皇子』と言う肩書の天津神系の代表として、神武東征とあまり変わらないタイミングで東日本も手中に収めた可能性を含んだ神話」と言った考察(妄想?)をさせて頂きましたが、皆様は、どの様に感じられましたでしょうか? 神武天皇が生きたとされる時代と、ヤマトタケル(日本武尊)が生きた時代の差は、神話の中では、約650年以上の差がありますが、ヤマトタケル(日本武尊)が通ったルート上にあり、国譲りの神話の Key パーソンが祭られる鹿島神宮と香取神宮の件も踏まえて考えると『「大国主の国作り」⇒「国譲り」⇒「天孫降臨」⇒「神武東征」⇒「ヤマトタケルの東征」』の順番が、『「大国主の国作り」&「天孫降臨」⇒「神武東征」&「ヤマトタケルの東征」⇒「国譲り」』にも感じられてしまった次第で、「実はほどんど同時進行であったが、『天津神一族は、平和的に国津神より国譲りされました!』と言いたかったので『時系列の操作』をしたのかな?」と妄想してしまった次第です。別記事「⑬日本神話の全体図を踏まえ妄想してみる…」で更に妄想してみようと思います。
また別ページにて、①日本書記 vs 古事記 (日本書紀とは? 古事記とは? 日本神話とは?) 、②天地開闢の神々の分類と国生み (別天津神・造化三神・神世七代・天津神・国津神とは?) 、③天照大御神 vs 須佐之男命 (黄泉国神話と天照大御神 vs 須佐之男命の誕生・誓約の神話とは?)、④アマテラスが岩屋れる「天岩屋神話」とは? (天孫降臨神話への序章?)、⑤「スサノオによるヤマタノオロチ退治の神話」とは?、⑥大国主関連の神話 (因幡の白兎& その後(スサノオの住む根国訪問)・国作り神話とは?)、⑦大国主関連の神話 (国譲り神話とは?)、⑧天孫降臨とは?、⑨ニニギと息子2人(海幸彦・山幸彦)ってどんな人?、⑩神武東征とは?、⑪ヤマトタケル(日本武尊)ってどんな人?、⑫日本神話の全体図を勝手に理解、⑬日本神話の全体図から “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想、⑭天皇家の「欠史八代」って何?、⑮神話の時代から天皇家の家系を三種の神器って何?、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。