金鑚神社

【更新中/準備中】

【はじめに】

こちらのページでは、武蔵国五宮(自称では二宮)を謡う『金鑚神社』の概要と歴史を踏まえ、大人散策情報を紹介」させて頂こうと思います

そもそもですが「“金鑚” 神社」って読めますか? 私の場合は、手も足も出ず、全く読めませんでした…。“かなさな” 神社」と読むそうです…。そんな金鑚神社との出会いは、本ブログ別記事で紹介しました大國魂神社での大人散策の時。ご承知の通り、大國魂神社は、律令国家時代に武蔵国府の置かれた場所にある歴史ある神社で、武蔵国の総社。合配された神社の内の一つ・五宮が、金鑚神社であった次第です(一之宮: 小野神社(東京都多摩市)、二之宮:二宮神社(東京都あきる野市)、三之宮:氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)四之宮:秩父神社(埼玉県秩父市番場町)五之宮:金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)、六之宮: 杉山神社(神奈川県横浜市緑区))。

武蔵国一宮を謡う氷川神社の総本社・大宮氷川神社」、「秩父三社に数えられ、日本三大曳山祭りでも有名な秩父神社」には、その当時もう既に参らせて頂いた事があり、「まだお参りできていない神社ってどこなんだ?」と思い、調べさせて頂いた際に見つけた神社が、小野神社(多摩市)・二宮神社(あきる野市)・金鑚神社(神川町)・杉山神社(横浜市)と認識し、まずは居住地が川越である事から、埼玉県の金鑚神社に目が留まった次第です(今後、小野神社・二宮神社・杉山神社にもお参りさせて頂くつもりでおりますが、まだ実現できていません…)。言い換えると、「大國魂神社に武蔵国府があった時代に、もう既にあった地元埼玉県の歴史ある神社」=「金鑚神社」と認識した訳で、近くの事実上の関東管領最後のお城・平井城と併せてお参りに参らせて頂いた次第です(ちなみに、実際に参らせて頂くと「二宮」を謡っていらっしゃいました…)。

こちらのページでは、そんな「武蔵国五宮(自称では二宮)を謡う『金鑚神社』の概要と歴史を踏まえ、大人散策情報を紹介」させて頂きます

【金鑚神社ってどんな神社?】

まずは、金鑚神社の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてます=引用読まなくても大丈夫です…)。

金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国五宮(一説に二宮)。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

概要
関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀る。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」の一社にも数えられる神社である。
境内では、参道脇に建つ多宝塔が国の重要文化財に指定されている。また、御獄山の中腹にある「鏡岩」は国の特別天然記念物に指定されている。

社名
社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある (略)

祭神
祭神は次の3柱。

■主祭神
天照大神(あまてらすおおかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

■配祀神
日本武尊 (やまとたけるのみこと) – 第12代景行天皇の皇子 (略)

創建
社伝(『金鑚神社鎮座之由来記』)では、日本武尊が東征の際に伊勢神宮にて叔母の倭姫命から授けられた草薙剣と火鑽金(火打金)のうち、火鑽金を御室山に御霊代として納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが創建という (略)
社伝によれば、延暦20年(801年)に坂上田村麻呂が東北への遠征前に当社に戦勝祈願に参詣したという (略)
明治に入り、明治6年(1873年)に近代社格制度において郷社兼県社に列し、明治18年(1885年)に官幣中社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社に列している (略)

社殿
境内の主要社殿は拝殿・中門からなり中門の背後には一般の神社に見られる本殿がなく、神体山とする御室山(御室ヶ獄)を直接拝するという形式を採っている。旧官幣社・国幣社でこのように本殿を設けない古例を採るのは、他に長野県の諏訪大社・奈良県の大神神社のみである。
境内入口付近に建つ多宝塔は、室町時代後期の天文3年(1534年)の建立 (略) この多宝塔は国の重要文化財に指定されている

https://ja.wikipedia.org/wiki/金鑚神社

少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます

  • 参道脇に建つ多宝塔(室町時代後期の1534年の建立)が国の重要文化財に指定されており、御獄山の中腹にある「鏡岩」は国の特別天然記念物に指定されている
  • 「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている様で、かつてこの周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたらしい(御嶽山からは鉄が産出したという伝承もあるらしい)
  • 主祭神は、天照大神(天津神)・素戔嗚尊(国津神)で、配祀神は秩父の三峯神社と同じく創建者である日本武尊 との事(日本武尊が東征の際に天照大神・素戔嗚尊を祀ったのが創建と言われているらしい)
  • また、坂上田村麻呂も東北への遠征前に当社に戦勝祈願に参詣したらしい

金鑚神社の特徴として、①秩父の三峯神社と同じく日本武尊の創建による神社で(恐らく創建タイミングもほぼ一緒)で、坂上田村麻呂も参拝した非常に歴史ある神社である事、②式内社で、武蔵国五宮(一説に二宮)で、官幣中社で、現在は別表神社かなりの社格を有する神社である事、③「砂鉄」に神社名が由来する事、④室町時代後期の1534年建立の多宝塔である国の重要文化財がある事、⑤本殿は設けないという諏訪大社と同じ古代祭祀の面影を残す神社である事、といったあたりが挙げられるのでないかと思った次第です。

【金鑚神社を大人散策!】

上記にて、金鑚神社の概要と歴史(特徴も含め)抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では、実際の大人散策情報を記載させて頂きます。ちなみに、この金鑚神社の別当寺(神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺)である大光普照寺と元々の本社の旧鎮座地であったと言われる元森神社と併せて記載いたします。

■駐車場~大光普照寺・元森神社

金鑚神社の駐車場は、一の鳥居をくぐって少し行った右側(公園の駐車場?)とその先の多宝塔の目の前にあります。私達夫婦が参拝させて頂いた際は、上記の通り大光普照寺と元森神社も併せてお参りさせて頂く前提でしたので、一の鳥居をくぐって少し行った右側(公園の駐車場?)に駐車させて頂き、大光普照寺と元森神社を先にお参りさせて頂きました。大光普照寺は、金鑚神社の別当寺と言う事で、かなり立派な門構えで、本堂も立派な天台宗の寺院との事。聖徳太子による開創とも言われる寺院で、本堂の彫刻はかなり見ごたえのあるもの。金鑚神社参拝の際は、併せてお参り頂きたい寺院だと思いました。また元森神社は、現在は祠的な感じの神社ですが、元々の本社の旧鎮座地と言われる場所にある神社。大光普照寺同様、金鑚神社参拝の際は、ご挨拶申し上げるべき神社だと思った次第です。

■大光普照寺・元森神社~多宝塔

大光普照寺・元森神社の後は、改めて金鑚神社のお参りに戻ります。坂を登る形で広目の道を戻ると、大きな一の鳥居があります。中々の風格の鳥居で、更に進むと次の鳥居(二の鳥居?)が出てきますが、更に歩を進めると、駐車場があり右手の一段高い場所に、国の重要文化財・多宝塔が見えます室町時代に建てられたとは思えないくらい管理が行き届いている建造物ですが、その迫力は、積み上げてきた歴史の為か非常に素晴らしいもので、金鑚神社のお参りにおける一つのポイントだと思った次第です。

■多宝塔~拝殿・中門

室町時代建立と言われる多宝塔を拝見した後は、更に坂を登ります。直ぐに、社務所があり、その先に拝殿につながる神橋がありますここからの景色は、神秘的にすら感じるもので、空気が変わった感じすら覚える、正に「結界の入口」と言った印象を持ってしまうところです。

そのまま進むと、手水舎・神楽殿があり、神楽殿の前を右手に曲がった先に拝殿と中門があります。山そのものが神体山との事で、本殿はございませんが、中門はあり、厳かな雰囲気を醸し出す空間。拝殿でお参り申し上げ、鏡岩に向かわせて頂きました。

 

拝殿・中門~鏡岩

拝殿でお参りを済ませた後は、鏡岩(国の特別天然記念物)を目指します拝殿のすぐ隣に末社のお社があり、その奥に鏡岩に通じる山道が続いております。距離はさほどではありませんが、そこそこの斜面ですので、ゆっくり登って頂ければと思います。途中可愛らしい日本武尊の石像もありますので…。

鏡岩と言ってイメージしていたのは、小諸城址にあった鏡石の様なものでしたが、こちらは「石」ではなく「岩」で、圧倒的な大きさがある迫力あるものです。少し山道を進む必要がありますが、是非とも拝見して頂きたいスポットだと思った次第です。尚この先に、金鑚神社の奥宮があり、素晴らしい眺望が拝見できる様ですが、少々おトイレに行きたくなってしまい、仕方なくここで引き返す事となってしまいました(残念…)。「今日はやめておきなさい、また来ればよいでしょ!」と言う神のお告げだと思う事にして、引き返しましたが、改めて参らせて頂き、こちらのブログで写真と共に報告できればと思って折ります。

■鏡岩~車を停めた駐車場

断腸の思いで鏡岩を後にし、取り急ぎおトイレに行って、山道の入り口付近に戻ってから、金鑚神社の脇を流れる沢沿いの散策路を車の停めてある駐車場まで参るようにさせて頂きました。こちらの散策路を進むとまた違った印象で金鑚神社を感じる事が出来ます。途中「本当に砂鉄あるの?、あるなら川、少し赤みがかっているの?」と思いつつ歩を進めさせて頂きましたが、その痕跡を感じる事は出来ませんでした。しかし、また違ったアングルの神橋や多宝塔も拝見出来、来た道(参道)を行くよりは、楽しめるルートでないかと思った次第です。尚この散策路は、公園につながっており、その公園の先の階段を下ると、車を停めた駐車場に参る事が出来ました。

【最後に】

以上が、武蔵国五宮(自称では二宮)を謡う『金鑚神社』の概要と歴史を踏まえ、大人散策情報を紹介」させて頂いた内容になります

本記事を記載している間、今回アクシデント?により、奥宮まで参らせて頂く事ができませんでしたが、次回は奥宮まで是非お参りさせて頂きたいと改めて思った次第です。また、この日は、金鑚神社(埼玉県)と併せて県境を越え、関東管領のお城として有名な平井城(群馬県)にも参らせて頂きました。車であれば、20分程の距離感ですので、皆様も(歴史好き)併せて訪問されてみては如何かと思います! (平井城の遺構は、見所少々限定的ですが…)

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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